Jaco Pastorius

Jaco Pastorius (ジャコ・パストリアス) プロフィール

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 ジョン・フランシス・パストリアスV世は、ジャック・パストリアスとステファニー・パストリアスの子供として、1951年12月1日ペンシルヴァニア州ノーリスタウンに生まれた。1959年にはフロリダ州フォート・ランダーデールに家族と一緒に移り、1963年9月,10才でドラムをプレイし始めている。1966年にはドラマーとして“Las Olas Brass”に加わり、1967年の夏15歳でベースに転向、1972年1月、“ウエイン・コクラン&ザ・C.C.ライダーズ”に加入、1973年春からはマイアミ大学で臨時講師としてベースを教え始める。生徒の中にはマーク・イーガン、ハイラム・ブロックらがいた。ジャコの年齢からすでに生徒に教えていたのはパット・メセニー(彼も10代からマイアミ大学で教えていた)くらいのものだろう。いかにジャコが優れた音楽的な才能と、それにもました能力を早くから身に付けていたかを物語る逸話である。

やがて、1974年夏、ブルース・バンドのアルバム一枚と、ポール・ブレイが主催するIAIレーベルからブルース・ディトマス(ds)パット・メセニー(g)ポ−ル・ブレイ(p)とのアルバムをリリースする。1975年には自身のアルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』(Epic)を録音すると共に、パット・メセニーの初期の傑作『ブライト・サイズ・ライフ』に参加する。また、ウエザー・リポートの『ブラック・マーケット』の録音の一部にも参加、このレコーディングによって広く音楽界に知られることになったジャコは、翌年1976年ウエザー・リポートに正式加入、WRの最高傑作と目される『ヘヴィー・ウエザー』を共同プロデュース。ここへ来て改めてジャコは70年代以降現れた最も偉大なミュージシャンとなった。

ベース奏法の革新だけでなく、やがて、“ワード・オブ・マウス”を結成、オーケストレイションにも新しい手法を試している。1980年、そのオーケストラでアルバム『ワード・オブ・マウス』を録音。ジャコの演奏には時々バップ・ナンバーが顔を見せるが、ここでの演奏における彼のアプローチには、ジャズの伝統に対する彼なりの解決が示されている。

1982年、ジャコはウエザー・リポートを脱退、自分の音楽の確立のためツアーに出る。1983年には前年のジャパン・ツアーの演奏からのライブ盤『インヴィテイション』を発表、ランディ・ブレッカー(tp)ボブ・ミンツァー(ts,ss)らを擁したバンドは、日本のファンにジャコの存在を忘れられないものにした。ここでも「ソフィスティケイテッド・レイディ」や「ジャイアント・ステップス」を採り上げ、常にジャズ界への視線を忘れなかった。

しかし、WR時代は父親役を務めていたウエイン・ショーターとジョー・ザヴィヌルの二人がいたが、独立後は独り立ちしなくてはならず、自己破壊的なジャコにとって先の道は明らかだった。サンタナのステージに乱入した逸話や警備員に殴られたことも含め、天才ジャコを支える者はなかなかいなかった。正式な録音の少なさを補う多くのライブ音源が発掘され、また,発掘が現在も続いているように、ジャコの人気はますます大きくなり、ジャズの歴史においてもジャコが残した大きな足跡は明らかだ。今後共、ジャコの評価はますます大きくなるだろう。なお、ジャパン・ツアーの演奏は近年コンプリートな形でリリ−スされ、ジャコのこの時代の演奏の骨格がさらに鮮明となった。

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