Ivan Guimaraes Linsは1945年6月16リオデジャネイロに生まれる、父親が軍人であったため転勤で2歳から3歳の間はアメリカのマサチュ−セッツに住み後にブラジルに戻る。彼が12歳の時に仕官学校に入学、その頃にブラス・バンドに親しみ、18歳になるとボサノヴァの洗礼を受けタンバ・トリオの影響で独学でピアノを学びジャズ〜ボサノヴァ等を演奏していた。後’69年にはリオデジャネイロ連邦大学で工業化学を終了。
フィリップスに移籍し'72年に“Quem Sou Eu?(私は誰?)”をリリース。仲むつまじく、元モデルの妻ルシーニャとのジャケットが目印のこの作品は地味といえば地味な内容ではあるが、大学時代に知り合ったホナルド・モンテイロ・ヂ・ソウサとの共作を中心に、ファギネルとの共作も収録されていて注目すべき作品ともいえる。
'74年には名盤との呼び声も高いアルバム“Modo Livre(モード・リーヴリ)”をRCAより発表。後の名コンビとなる詩人のヴィートル・マルチンスとの出会いがこの頃、“Abre Alas(アブリ・アラス)”他、Caetano Veloso(カエタ−ノ・ヴェロ−ゾ)の曲“Avarandado(アヴァランダード)”他名曲揃いな一枚。’77年から’80年までにイヴァンはEMIオデオンより4枚のアルバムをリリースする、’77年の“Somos Todos Iguais Nesta Noite(今宵楽しく)”、’79年の“A Noite(ある夜)”、一時この2枚のカップリング・アルバムが出回っていたのだが現在は入手困難となっている。イヴァンならではのポップなメロディー・ラインが光る“Dinorah Dinorah(ヂノラー、ヂノラー)”、美しいハーモニーの“Velho Sermao(悲しい伝説)”や“パーカッションとギターの個性的アレンジが光る “Desesperar,Jamais(決してあきらめはしない)“、他やはり名曲揃いな(各)一枚。