Iggy Pop
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Iggy Pop (イギーポップ) プロフィール

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ストゥージズというパンク/ニューウェイブの先駆けとなったバンドの中心人物として、常に高いポテンシャルを持ち、ソロ・アーティストとして活躍する現在も肉体の限界に挑戦し続けるパフォーマンスに憧れるアーティストは多いだろう。もしイギー・ポップを知らなくても映画『トレインスポッティング』に使用されている”ラスト・フォー・ライフ”は知っているだろう。

イギー・ポップこと、本名ジェイムズ・オスターバーグは1947年、アメリカ、デトロイトで生まれる。イギーは父親が使っている電気カミソリの音や近所で鳴っていた自動車工場の単調で機械的な音に興味をそそられドラムを始めるようになった。そうしてイギーは1967年、ハイスクール在籍中にストゥージズの全身となる5人組バンド、イグアナズを結成する。このイグアナズではもちろんドラムを担当することとなり、イギーのドラムの腕前は相当に上手いもので数々の誘いがあったとか、そう大したほどのものではないなど現在では音源もほとんど入手困難なためどちらが本当なのかは謎となっている。

1968年、メンバーをイギー・ポップ、ロン・アシュトン、スコット・アシュトン、デイヴ・アレクサンダーの4人にし、トゥージズとなった。このトゥージズを結成直後イギーには今後の彼の運命を変える二人の人物(バンド)と出会っている。まず一つ目はMC 5だ。MC 5だはロックンロールがいかにパワフルで凄いものなのかを教えており、それがどのような形であらわれたかは彼のその後の音楽人生を見てもらえば分かるだろう。そして二つ目はドアーズジム・モリソンだ。ジム・モリソンはそれまでドラムしかやったことがなく、歌など歌ったことなどなかったイギーにマイクを持たせ、歌を歌うように勧めたという。こうしてヴォーカリスト、イギー・ポップが誕生したのである

1969年、エレクトラと契約したトゥージズはデビュー・アルバムストゥージズ(Stooges)を発表。このアルバムはヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退したばかりのジョン・ケイルがプロデユースしている。このアルバムの持つある種の緊張感と破壊的な音の魅力は後のバンドに多大な影響を与えることとなる。それと同時に自分の体を痛めつけて表現する過激で暴力的なステージ上でのパフォーマンスも話題を集めるようになっていった。

1970年、セカンド・アルバムファン・ハウス(Fun House)を発表。前作よりもメタリックな感触、ノイジーで暴力的なサウンドが展開されるこのアルバムはスタジオ・ライヴ形式で録音された。このアルバムのリリース直後からライヴ・パフォーマンスでは、より過激でエスカレートしたものを要求されるようになりドラッグへの依存もより高く危険なヘロインへとなっていった。このドラッグが引き金となりバンドは解散への道へと向かっていく。そして1971年、エレクトラを解雇されたトゥージズイギーのドラッグ中毒治療のため解散する。

新たにCBSと契約を果たしたイギーはジェイムス・ウィイリアムスとトゥージズを再編する。1972年からイギリスにおいて録音されたアルバム、ロウ・パワー(Raw Power)デヴィッド・ボウイがミックスを担当していて1973年イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ名義で発表された。後にデッド・ボーイズによって取り上げられた曲(“サーチ・アンド・デストロイ”)やアコースティック・ギターを使って音楽性の幅を広げていき聴きどころの多いアルバムとなった。しかし、ドラッグに侵されていたイギーはステージ上で奇怪なパフォーマンスを行うようになり、自らドラッグの治療をしに精神病院へと入院する。そうして再編されたイギー・ポップ&ザ・ストゥージズは自然と消滅してしまった。

そんなイギーを救ったのはまたボウイだった。もともとイギーと一緒に仕事がしたかったボウイは1976年にスタジオに入りレコーディングを行った。当初シングルだけの予定だったのが二人の息が合いボウイが全曲の作曲を担当、イギーが全曲の作詞を手掛けたアルバム制作へと変更された。ここでレコーディングされたアルバムは1977年にイギーの復活作、イディオット(Idiot)として発表された。この作品でイギートゥージズ時代の破天荒なパンク・ロッカーのイメージを払拭するかのようなシンプルかつインテリジェンス溢れるロッカーをアピールした。このアルバムに収録の”チャイナ・ガール”はのちにボウイ自身がカヴァーしヒットしたことでも有名だろう。

1977年、前作イディオット(Idiot)と同年にリリースという早さでリリースされたソロ・セカンド・アルバム、ラスト・フォー・ライフ(Lust For Life)は前作同様にデヴィッド・ボウイがプロデュースしている。死の淵から甦ったイギーは前作以上にシンプルでソリッドな表現でロック美学を追求していった。後に90年代に入りドラッグから抜け出せずに悩む若者たちを描いた映画『トレインスポッティング』のサントラに”ラスト・フォー・ライフ”が使用されこのアルバムが見直された。

ラスト・フォー・ライフ(Lust For Life)のリリース後RCAからアリスタへと移籍する。このときにリリースされたアルバムは、従来よりもメジャー感を押し出しややすっきりとした印象のニュー・ヴァリューズ(New Values)からソルジャー(Soldier)パーティ(Party)まで3枚のアルバムをリリースしているがセールス的にはどれも芳しくなくイギーにとってもスランプの時期に入っていったのだろう。アリスタとしてはかなりの期待を持って移籍を受け入れたのだろと思うが、この3枚のアルバムを最後にアリスタからは解雇されてしまった。

契約するレコード会社もなくライヴを行ってもいまいちパッしない不遇な時代を味わうイギーを救ったのはまたしてもデヴィッド・ボウイだった(この時が3度目の救いの手)。86年、A&Mに移籍しリリースされたブラー・ブラー・ブラー(Blah Blah Blah)ではボウイプロデュースのもと元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズらが参加し元気を取り戻している。その後’88年にはインスティンクト(Instinct)をリリースしレコード会社をA&Mからヴァージンへと移籍した。

前作インスティンクト(Instinct)で転機を迎えたイギーが’90年代に入り見せたのは、破天荒で、パフォーマンスばかりが目立っていてバンドへのこだわりを捨ていれないでいたイギー・ポップではなく、ひとりのミュージシャンとして人に依存せずにやっていこうという志気を高く持ったミュージシャン、イギー・ポップの姿だった。その志が如実にあらわれているのが’90年、ドン・ウォズプロデュースのもとリリースされたブリック・バイ・ブリック(Blick By Blick)だ。このアルバムにはガンズ&ローゼズスラッシュダフ・マッケイガン、さらにワディ・ワクテルデヴィッド・リンドレイなど米音楽界の渋い達人などが参加している。だが、このアルバムでの最大の注目すべき点はイギーが全曲でギターを弾き、中でも半分以上はアコースティック・ギターを弾いているということだ。

このアルバムでの評価の高さが彼をまた一回り大きくさせた。’93年リリースのアメリカン・シーザー(American Caesar)ではオーバーダブやミスの手直しを一切加えないスタジオ・ライヴ録音されたもので、前作の世界とは異なるヘヴィでイギー的パンクが前面に押し出されている作品となった。その後’96年にリリースのノーティー・リトル・ドギー(Naughty Little Doggie)をはさみ’99年アベニューB(Avenue B)を発表。’90年代初めの転機作をもたらしてくれたプロデューサ、ドン・ウォズと手を組み、ノイズに頼らないで感情を揺さぶる人間的な触れ合いを持つ音楽を作り出すことに成功した作品に仕上がった。こんなに内省的でしっとりしたアルバムをつくるとは誰が想像しただろうか。

イギー・ポップという人間は不器用な人間だったのかもしれない。そうでなければ、あれだけのパフォーマンス能力を持ち、ピンチの時には必ず助けがあったのだから・・・。現在50歳を過ぎてもなお肉体の限界に挑戦し続けるイギーを尊敬してやまないミュージシャンは多いだろう。

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