Gary Moore
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Gary Moore (ゲイリー・ムーア) プロフィール

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こんなゴツい顔した人(失礼!)がこんなにも美しい「泣き」のギターを弾くのか!それがゲイリー・ムーアに対する第一印象。このアンバランスさに惹かれる人も少なくないのでは…。ジャズ、フュージョン、ハードロック、ブルース…いつの時代のゲイリーは我々の心の琴線に触れるようなギターを紡ぐ。

ゲイリー・ムーアは1952年7月14日、北アイルランドのベルファストに生まれた。父親の職業が音楽プロモーターという事もあってか音楽的に充実した幼少期を過ごしたそうだ。7歳の頃からピアノのレッスンに通い始める。が、習い始めてから4年目のある日、講師とひょんな事から衝突しレッスンに通うのを放棄してしまう。そのとき既にジョン・メイオールエリック・クラプトンに入れ込んでいたゲイリーは当然のようにギターを手にする事になる。

66年それはまだゲイリーが14歳の頃、ダブリンで人気を博していた「メソッド」というバンドに参加する。その後は皆さまよくご存知のスキッド・ロウ(もちろんセバスチャン・バックのアレとは関係なし!昔間違えてこっちのスキッド・ロウ買った人ってかなり多いと思われ…)に参加。70年に『スキッド』(Skid)、71年には34時間(34 Hours)をリリースするが当時はさほど話題にはならず、後の活動の成功から評価される向きの方が強いようだ。とはいえこの時ゲイリーは若干17歳。世のギター・ファンに一目置かれる存在になったのは言うまでも無い。

72年には自らのバンド、「ゲイリー・ムーア・バンド」を結成。グライディング・ストーン(Grinding Stone)を73年にリリースするがこの名義でのリリースはこれ一枚っきり。メンバー間の不仲により空中分解してしまう。スキッド・ロウに一時期ヴォーカリストとして参加していた仲のフィル・ライノットからシン・リジィ加入のオファーを受ける。これを快諾したゲイリーだが数曲の録音に参加しただけで在籍期間4ヶ月という短さでシン・リジィを脱退している。理由は自らの理想のバンドが見つかったからとの事とされている。

その理想のバンドとはテンペストを解散させたジャズ・ドラマー、ジョン・ハイズマンらとともに結成したコロシアムIIのことである。76年にストレンジ・ニュー・フレッシュ(Strange New Flash)、77年にはエレクトリック・サヴェージ(Electric Savage)ウォー・ダンス(War Dance)と3つの作品を残している。ジャズ〜フュージョン的要素の強いこれらの作品だが、アル・ディメオラのプレイを例えを出せば納得していただけると思うが、いずれもロック・ファンが聴いても十二分に刺激的な作品である。

77年には再びシン・リジィに参加。とはいえこの時はブライアン・ロバートソンの代役という形だったのでツアーのみの参加で終わる。そして初のソロ名義でのアルバム、バック・オン・ザ・ストリーツ(Back On The Streets)を制作する。(リリースは80年になるが。)79年には遂に正式メンバーとしてシン・リジィに加入。ブラック・ローズ(Black Rose)をリリース。本作がシン・リジィの最高傑作との誉れ高いのもゲイリーが参加したからという大方の意見に異論を挟む者はいないだろう。ここでのセイリーの功績も虚しく、かねてからのドラッグ癖の抜けないフィル・ライノットに愛想を尽かし、ツアー中にシン・リジィを脱退している。

その後ロサンゼルスに渡ったゲイリーはGフォースを結成。80年にG Forceをリリース。アメリカのマーケットを意識した内容からか意図的なポップ感も否めないが、ゲイリーのプレイは勿論悪くない。しかし他のメンバーの実力不足もあり、この名義は1年足らずで終焉を迎える。再びソロのアーティストとして歩んでいく事を決意したゲイリーは82年に大いなる野望(Corridors Of Power)をリリース。これまでに培ってきたものをハード・ロック・サウンドにまとめ上げ、完全なる個性を確立しその評価を不動の物とした。85年にはラン・フォー・カヴァー(Run For Cover)をリリース。この作品にはかつて袂を分けたフィル・ライノットとの共演ナンバーも収められており往年のファンは皆、涙したとかしないとか…。

86年には日本のアイドル“1986年のマリリン“でお馴染みの本田美奈子のシングル“愛の十字架”に参加。ゲイリーが作曲、自らギターをプレイしたことも話題となった。後にゲイリーが同曲をセルフ・カヴァー。“クライング・イン・ザ・シャドウ”(Crying In The Shadow)としてリリースしている。87年にはワイルド・フロンティア(Wild Frontir)をリリース。自らの血であるアイルランドのトラッド旋律を取り入れ更にサウンドの幅を広げた。そして89年結果的にハード・ロック時代ラストとなるアフター・ザ・ウォー(After the War)をリリース。ゲイリーのギタリストとしての一応の完成形が垣間見れる。

そして90年代。新たな時代と共にここからはゲイリーのブルース時代の幕明けである。本格的なブルース・アルバム、スティル・ガット・ザ・ブルース(Stiil Got The Blues)をリリース。過去の名曲のカヴァー中心の作品だが、全世界で300万枚を超えるセールスを記録する大ヒット・アルバムとなった。続く92年のアフター・アワーズ『After Awards』も前作を踏襲したブルース作品でゲイリーはブルースマンの称号も手中に治める。94年には元クリームのリズム隊、ジャック・ブルースジンジャー・ベイカーと共にニュー・バンドBBMを結成。白昼夢(Around The Next Dream)をリリースする。往年のファンを熱く唸らせた。95年には師匠ピーター・グリーンに捧げたブルース・フォ−・グリーニー(Blues For Greeny)をリリース。

このままブルース路線を続けていくのであろうという皆の予想を裏切り97年のダーク・デイズ・イン・パラダイス(Dark Days In Paradise)、99年のディファレント・ビート(Different Beat)では当時流行していたドラムンベース(かのクラプトンも反応したぐらいだし…)やテクノなど打ち込みを取り入れた作品でファンを驚かせた。しかし2001年のバック・トゥ・ザ・ブルース(Back To The Blues)ではタイトル通り再びブルースに立ち戻りファンを安心させている。また2002年には新作も用意されているという。

40年にも届きそうなほど長いギター歴のなか、ブルース・ロックからハード・ロック、ジャズ、フュージョン、ブルース、クラブ・ミュージック…と音楽性を時代に合わせシフトしていきながらも変わらない事がひとつだけある ―――― ゲイリーのギターからは感情が溢れ出ているという事。またブルースを離れたとしてもこれだけはこれから先もずっと変わる事はないだろう。

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