FPM (Fantastic Plastic Machine)

FPM (Fantastic Plastic Machine) プロフィール

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もう随分前に田中氏のレビューを小冊子で見たとき、Fantastic Plastic Machineというタイトルのアナログが紹介されていた。名前の由来だろうか。
ファンタスティック・プラスチック・マシーン (FPM) とは・・・今やクラブシーンに限らず、TV番組、CMなど大衆向けメディアからも耳にする機会の多くなったそのアーティストを、どう分類するのかなんてことはもはや意味のないことかもしれない。プロデューサー、コンポーザー、アレンジャー、リミキサーそしてDJとしての多くの顔を持つ田中知之氏は、音楽における既存の殻を次から次へと打ち破って、全く新しいサウンドを生み出している。邦楽と洋楽の分類、大衆文化とサブカルチャー、音に携わる職業の細分化など、これまで当然だった様々なジャンルの概念を覆す音ーそれがFPMというソロプロジェクトなのだ。

90年代初頭からにわかに湧き上がったサバービアという新たな着想。これまでに名盤でありながらも埋もれていた60年代以降のソフトロック、ブルー・アイド・ソウル、ボサノヴァ、などなど、今では当たり前になったカフェサウンドの括りも、視点が違えば(一部のレコードマニアを除いて)ただの古い音としか認識されていなかったかもしれない。クラブでプレイされるそれらのアナログを求め、こぞって買い漁るコレクターも、若者を中心に急増化。お陰でとんでもない値の付く盤も出てきた。CDで再発されるものも増え、おいしいところだけをきれいにまとめたコンピレーションも無数にリリースされた。

FPMのサウンドというと、ひょっとしたらそんなサバービアシ−ンの内側ににあるものと思われがちかもしれない。確かに彼の音楽は、特に強く傾倒したボサノヴァや、60年代の映画音楽の影響を受けている。しかし、DJとしての経験がもたらしたものは、決してそれらの延長線上に留まらなかった。過去から現在迄のソティスフィケイトされた音楽のエレメンツを抽出し、それを融合させる事により、彼はファンタスティック・プラスティック・マシーンというスタイルを形にした。

彼のように知識も多く耳も肥えたアーティストは、様々な引出しを持ち過ぎて兎角器用貧乏に陥りやすいらしい。あれもこれもと欲張り過ぎると、結局何が何なのか、聴き手に明瞭なインパクトを与えることが出来なくなってしまったり・・・。ところが、そんな融合体にも勝るメロディーメーカーとしての才能が、ヒットの根底にあるようだ。さりげなく調整しながらも音をどんどん足していき、ちゃんと旋律が浮き立つ音の構築は見事。FPMの曲はボッサであっても、マーチであっても、タンゴであっても、あるいは単音で聴いてもリミックスでアレンジを変えたところで失われないバランス感覚がある。そうして生まれたのが時と場所と人を選ばず、リスニングは勿論ダンスフロアにも適合するサウンドなのだ。

97年秋、ピチカート・ファイヴ/小西康陽氏の主宰するレーベル"records,tokyo"(HEAT WAVE)より Fantastic Plastic Machineでデビュー。98年秋、2nd LUXURY、翌99年秋MxSgTake Me To The Discoをリリース。

2枚のアルバムは98年以降ヨーロッパとアメリカでもリリースされ世界中から注目を集め、それに伴う何度かのヨーロッパ・アメリカ・カナダDJツアーも大好評を得る。現在はDJとして国内外問わず世界各地を駆け回りながら、アーティスト・プロデュース、リミックス、CM音楽の制作など多数のレコーディングをこなし、マルチ・ダイレクションに活躍中。  また、99年末には、東芝EMIの大好評DJ MIXシリーズSTYLEの第9弾を手掛け、(TITLE:STYLE#09 DANCING AT THE DISCO AT THE END OF THE WORLD)DJとしての音に対する鋭い感性と、絶妙な選曲センスをアピールした。

そして同時期に東京スカパラダイスオーケストラDJサワサキヨシヒロ達SPEED KINGを結成し、デビュー前に日本武道館を含む全国8カ所公演を敢行し、2000年2月2日にミニ・アルバムをリリースした。2000年夏レコード会社をavexに移籍し、すぐにレコーディングをスタートさせ2001年1月17日に待望の3rdアルバムbeautiful.を発売し、EGO-WRAPPIN'の中納良恵、Bob DoroughHirth Martinezなど国境を越えた多彩なゲスト陣を迎え、国内のみならず海外からも大好評を得る。同アルバムは5月にアメリカ/エンペラーノートン版を発売、6月にはそれに伴うアメリカ〜カナダ〜メキシコDJツアーを敢行し、9月27日にはそのリミックスのみならず、自身の新曲をも含んだリニューアル・アルバムcontactを発売。

現在、ワールド・ワイドに活動するアーティストが増加する中で、知名度/セールス共に実績を上げている数少ないアーティストの一人である。(それを証明する1つの事実として昨年公開され話題を集めたオースティン・パワーズ・デラックスには1st収録曲Bachelor Padが使用され、さらにはネリー・フーパーが音楽監修を務める映画The Big Teaseにはネリー自身がRemixを手掛けたThere Must Be An Angelが、それぞれ映画挿入歌として扱われサウンドトラックに収められた。)又、映画、アート、ファッション等に対する深い造詣と幅広い知識を生かし、今後、音楽以外の分野での活躍も期待されている。

2001年末にはベストアルバムLes Plusをリリース。テレビで使われているジングルを中心に集めたFPMの入門篇&海外アナログのみリリースされたレア音源・国内未発表音源も余すことなく収録。改めてその功績を知らしめる作品。
2002年は基本的にクラヴ活動及びリミックスで精を出す田中さん。そして年末の11月に移籍後初のシングル「Why Not」をリリース。そして2003年2/26には待望のアルバムを発売。フロアとホームリスニングを行き来するFPMらしい飛びっきり上質のクラブサウンドです。

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