Deep Purple
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Deep Purple (ディープ・パープル) プロフィール

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Deep Purple

1967年に結成されたディープ・パープル 。1976年から1984年までの8年間にわたる活動休止期間はあるものの、現在も「第9期」メンバーにより存続するモンスター・バンドです。この「第9期」という数からお判りのとおり、度重なるメンバー・チェンジが行われたバンドとしても知られています。まず、そのメンバーの移り変わりからご紹介しましょう。

第1期となるオリジナル・メンバーは、ジョン・ロード(Key)、リッチー・ブラックモア(G)、イアン・ペイス(Ds)、ニック・シンパー(B)、ロッド・エヴァンス(Vo)の5人でした。このメンバーで1968年 ハッシュ 、1969年 詩人タリエシンの世界 、1969年 ディープ・パープルV の3枚のアルバムを残しています。ディープ・パープルといえばまず誰もが想像するハード・ロックのイメージは、この時点ではまだ感じられません。ジョン・ロードのキーボードを前面に押し出した彼らのサウンドは、アメリン・マーケットを意識したポップなサウンドが特徴でした。この方向性に満足をしていなかったジョン、リッチー、イアンの3人は、よりハードなサウンドを追求するためにメンバー・チェンジを行います。

そして、ファンの間では黄金期と呼ばれる第2期のメンバーへとディープ・パープルは変化しました。ボーカルにイアン・ギラン、ベースにロジャー・グローヴァーを迎えた彼らのサウンドは、「もっとヘヴィなロックを」と願っていたリッチーの思惑どおりに、ブリティッシュ・ハード・ロックの象徴的なサウンドへと変化しました。1970年、このメンバーでの初のスタジオ・アルバムとなる イン・ロック を皮切りに、1971年 ファイアボール では全英でチャートでも1位を獲得、1972年には歴史的名盤の2枚、 マシン・ヘッド と ライヴ・イン・ジャパン をリリースし、次々とヒット作を生み出していきました。しかし ライヴ・イン・ジャパン での日本公演終了以降、バンドのメンバー間でのトラブルが起こりがちとなり、過酷なスケジュールなども災いの元となって、ついにイアン・ギランロジャー・グローヴァーは脱退を表明することとなってしまいます。しかし、残された3人は、またまたモノ凄いメンバーを加入させることに成功しました。

第3期、ベースにグレン・ヒューズ、ボーカルにはデヴィッド・カヴァーデイルを迎え入れました。既に確立されていたヘヴィ・メタルの原点とも言えるサウンド・スタイルに、ファンキーな要素などが加味され、幅広い音楽性を啓示した 紫の炎 は大ヒットを記録しました。その後のツアーでも健在ぶりをアピールするには充分過ぎるほど、凄まじいステージングを披露していました。ビデオにて発売されている カリフォルニア・ジャム は、この第3期メンバーによるライヴを収録したもので、その過激なパフォーマンスを見ることが出来ます。しかし、このスーパー・バンドとしての地位を確立した立役者的なリッチーの意見があまり通らない、よりソウルフルなサウンドへの方向性を打ち出したディープ・パープルは、セールス面では落ち込み、そして最悪の結果とも言える、リッチーを失うことにまでなってしまったのです。1975年のヨーロッパ・ツアーを最後に、リッチーはバンドを去り、レインボーを結成しました。

残ったメンバーは、リッチーの後任として、ファンク系バンドで活躍をしていたというトミー・ボーリンを迎え、 カム・テイスト・ザ・バンド をリリースします。しかし、このポップ・フィーリングの強いアルバムは、かつてのファンを失う結果となり、メンバー間のトラブルも発生、1976年、ディープ・パープルは解散しました。これが第4期です。

そして1984年、ビッグ・ニュースが世界中を駆け巡りました。それは黄金期「第2期」のメンバーにてディープ・パープルが再結成されるというものでした。アルバム パーフェクト・ストレンジャー をリリース、ワールド・ツアーも行いました。サウンド的には後期レインボーをイメージさせるものへと変化しており、ファンの間では賛否両論であったものの、「第5期」のスタートは結果的には大成功を収めたと言えるものでした。しかし1990年代に入り、イアン・ギランは脱退を表明します。自身の音楽性を追及するためとの理由でした。

イアン・ギランの後任として選ばれたボーカリストはなんとジョー・リン・ターナー。これが第6期のラインナップでした。ふたりのフロント・マンが共通してしまうレインボーとの差別化はあまり感じられず、これを否定する昔ながらのファンも多くいたようです。このメンバーもやはり長続きせず、ジョー・リン・ターナーは脱退しました。

記念すべき結成25周年を迎えた1993年、改めてイアン・ギランをボーカルに迎えた第7期ディープ・パープルは、紫の聖戦を発表、ツアーに出るものの、以前から確執のあったギランリッチーが原因となり、今度はリッチーがバンドを離れてしまいました。そして後任ギタリストとして迎えたジョー・サトリアーニスティーヴ・モーズが在籍するメンバー構成が、それぞれ第8期、第9期となります。

と、このようにメンバーの交代劇を書き出すだけでもとても長い文章になってしまうスーパー・バンド、ディープ・パープル。オリジナル・メンバーであり、一度も出入りの無かったジョン・ロードとイアン・ペイスがやはり中心となっているのでしょうか。レインボー時代、ボーカリストが何度も変わったことから「首切り魔」と囁かれたリッチー・ブラックモアも、ここではそのような部分をあまり見せていません。第2期、第3期あたりの黄金期のサウンド・デザインは、彼無くしてはありえなかったのですが、決して「リッチー・ブラックモアズ・ディープ・パープル」とはならなかったことなどからも、その他メンバー、とくにジョンとイアンが重要なポジションにあったのではと想像してしまいます。

でもやっぱりリッチー。そういうファンが多かったからこそ1976年にディープ・パープルは解散し、レインボーは人気バンドとなりました。フィンガーボードがエグってある白いストラト。トレードマークであるこのギターとともに、彼のプレイはイングウェイ・マルムスティーンだけではなく、多くのギタリストに影響を与えています。そしてそのスタイルは、このディープ・パープル時代に生み出されたものだったのです。

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