Cure

Cure (キュアー) プロフィール

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2000年初頭に快心作 『ブラッドフラワーズ』を発表し、解散発言なども飛び出したキュアー。かねてから中心人物のロバート・スミスは幾度も解散をほのめかすような発言をしてきたが、今回ばかりは本当にそうなるのでは?という気がファンならばしたのではないだろうか。何をもってそう感じたかというと、音楽市場の変化などいろいろな要素が絡み合っていてこれとひとつに指摘することはできないが、90年代後半辺りから最後のインディ・カルト・ヒーローとして徐々に伝説化していくキュアーを見てきたファンならば直感的にそう感じとれたのではないかと思う(かつてほど商業的には成功しなかったが「キュアーらしい」作品で幕を閉じるというのも美意識を重んじるロバート・スミスらしいという気がした)。まぁロバート・スミスの気まぐれがこのバンドの真骨頂、というところもあるので、こんなことを書いた後にすぐ作品が出てくるのかもしれないが…ともあれ、独特の美意識を携えた音楽性とロバート・スミスの、不気味ながらも愛すべき万年思春期症候群キャラで、UKインディ界のみならず、世界的に人気を獲得したキュアーにひとつの区切りが来たことは間違いなさそうだ。キュアーらしさが全面に出た『ブラッドフラワーズ』は美しかったし、ロバート・スミスはディスインテグレーション (遡れば ポルノグラフィ か)の系譜に連なる「キュアーらしい」作品が作れて満足そうだったから。

1976年にロンドン郊外のサセックス州クローリーで、当時アート・スクールの学生だったロバート・スミス(vo.g/1959年4月21日生)によって結成されたイージー・キュアー。これが後のキュアー。>キュアーの母体となった。イージー・キュアーはドイツのアリオラ・ハンザ・レーベルと契約を結ぶが、当時ジャパンを売り出し始めていた同レーベルと結局折り合いがつかず、レコード発表もないまま契約を解消してしまう。その後ロバートはローレンス・トルハースト(ds/1959年2月3日生)、マイケル・デンプシー(b/1958年11月29日生)とともにザ・キュアーとしての活動を始動。1978年8月、スモール・ワールドというインディ・レーベルから、カミュの「異邦人」にインスパイアされた曲“キリング・アン・アラブ”を発表しデビューした。

それからまもなく、彼らに興味を持った元ポリドールのA&Rマンで、独立したばかりだったクリス・ペリーが立ち上げたフィクション・レーベルに、キュアーは1978年末、レーベル第一弾アーティストとして迎え入れられた。1979年2月“キリング〜”を新レーベルから再リリースしたキュアーは、同年5月にデビュー・アルバム スリー・イマジナリー・ボーイズ (1983年の再発時にボーイズ・ドント・クライ』と改題された)を発表。その後スージー&ザ・バンシーズのサポートを務めるツアーを行った後(ロバート・スミスがバンシーズのギタリストとして参加するステージもあった)、同年末、マイケル・デンプシーが脱退するが、すぐにサイモン・ギャラップ(b/1960年6月1日生)、マシュー・ハートレイ(key/1960年2月4日生)が加入。キュアーは4人組となって活動を続けた。1980年8月、セカンド・アルバム セヴンティーン・セカンズ を発表。このアルバムからのシングル“ア・フォレスト”が彼らにとって初の全英チャート・ヒットとなった。この後マシューが脱退。以降もキュアーはロバート・スミス以外のメンバーが長く固定しない不定形のバンドとして知られていくことになる。3人編成に戻ったキュアー。>キュアーは1981年4月にサード・アルバム 『フェイス』を発表(イギリス盤のカセットは Carnage Visions というタイトルでリリースされ、30分ほどの短編映画のサントラ曲――インスト曲がボーナスとして付けられていた)。またアメリカでは『セヴンティーン・セカンズ』『フェイス』を2枚組にしたアルバム『 …Happily Ever After』がこの年にA&Mレコードからリリースされている。

着実にインディ、ニュー・ウェイヴ界に支持者を増やしていったキュアーは1982年4月発表の4作目 『ポルノグラフィー』でその名を一気にオーヴァーグラウンドのレベルまで浮上させた。このアルバムは全英アルバム・チャートで8位を獲得し、初めてのアルバム・チャート・トップ10入りを果たしたのだった。

しかしバンドが順風満帆に見えたこの直後に、ロバートはいきなりのキュアー活動休止を声明。サイモンはバンドを脱退し、ロバートとローレンスは個別の活動へと向かった。ロバートは1982年秋から再び後スージー&ザ・バンシーズに参加。一時は正式メンバーにまでなりバンシーズの 『ノクターン』(1983年発表)、 ハイエナ  (1984年発表)の二枚でプレイしたほか、バンシーズのスティーヴ・セベリン(b)とグローヴというプロジェクトを組みアルバム 『ブルー・サンシャイン』(1983年発表)までリリースした。一方のローレンスはこの時期、英ネオ・サイケ・バンド、アンド・オールソー・ザ・トゥリーズのデビュー作をプロデュースしたりしていた。この間キュアーとしてはシングル3枚を1982〜83年にかけてリリース(後に 日本人の囁き として纏められた)。そうした時期を経て1983年秋、ロバート、ローレンスにアンディ・アンダーソン(ds)、ポール・トンプソン(g, key)、フィル・ソーナリー(b)というラインナップで本格的に活動再開。1984年5月『ザ・トップ』を発表。初来日を10月に敢行、この同時期にライヴ・アルバム 『コンサート』もリリースされている。

1984年11月アンディとフィルが脱退。サイモン・ギャラップを再び招き入れ、また元トンプソン・ツインズのボリス・ウィリアムス(ds)を新たに迎えるなどして、1985年8月に 『ザ・ヘッド・オン・ザ・ドアー』発表。1986年にそれまでの楽曲からのベスト盤 『スタンディング・オン・ア・ビーチ』をリリース(13曲入りLP、25曲入りカセット、17曲入りCD『スターリング・アット・ザ・シー』の各種仕様の違った盤があった)。1987年5月、通算10作目となる 『キス・ミー・キス・ミー・キス・ミー』発表。1989年にはライヴ・ドキュメンタリー映画 キュアー・イン・オランジュ が日本公開。その公開と同時期、1989年4月に 『ディスインテグレイション』発表。このアルバムはアメリカのそれまでのカレッジ・ラジオ局の成熟などにも後押しされ、ビルボード・アルバム・チャートでも健闘した。この時期再び解散騒ぎ。ローレンスが脱退(後にプレゼンスというバンドを結成)したこともそうした噂を大きくする要因だった。しかし1990年に入るとペリー・バモンテ(key)をローレンスの後釜に据え、欧州のサマー・フェスティヴァルに参加。健在振りをアピールするとともに、リリースも多くなっていった。年末には新曲含むリミックス集 『ミックスト・アップ』リリース、翌1991年にはライヴ作 エントリート 、そして1992年4月にスタジオ・ニュー・アルバム『ウィッシュ』を発表。アルバム発表に伴うツアーも好評を得、アルバムは全英1位、全米2位という好結果を出した。キュアーはその後「ウィッシュ・ツアー」の米公演の模様を収めた同名ライヴ・ドキュメンタリーのサントラとなる2枚組アルバム ショウ を1993年9月に発表。さらに10月に同ツアーのパリ公演を収めた 『パリス』を発表と立て続けにライヴ盤をリリース。この間、ロバートの義弟でもあるポール(g)が脱退し、ロバート自身が解散をほのめかすなどということもあったが、キュアーは結局存続。1996年初頭に 『ワイルド・ムード・スウィングス』、翌1997年にシングル集の編集盤 ガロア 、2000年2月に 『ブラッドフラワーズ』 を発表。2002年にはヘヴィ/ラウド系の名プロデューサー、ロス・ロビンンソンを迎えた 『キュアー』を発表。

暫く音沙汰がなかったが2007年の夏にはフジロック・フェスティヴァルのヘッドライナーとして23年ぶりの来日を果たす。

カルト的な音楽性、キャラクターを最終的には準スタジアム級の規模にまで持ち込むことに成功したキュアーは、現時点までの評価をとっても、やはり偉大な、そして稀有なバンドだったといいきってもいいだろう。

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