Creedence Clearwater Revival (C.C.R.)
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Creedence Clearwater Revival (C.C.R.) (クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル) プロフィール

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活動を本格化させた60年代後期から70年代初期頃までという短い期間の中で、アメリカン・ロックのヒットメイカー、重要バンドとして評価されたクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(以下CCR)。白人ヴォーカルとしてはかなりソウルフルな部類に入るジョン・フォガティのヴォーカルをフィーチャーしたCCRは、同時期のザ・バンドとはまた少し違った形でサイケの時代に古典的な米ルーツ的な音楽を鳴らした。CCRのほうはよりシンプルな初期ロックンロール的色彩が強く、多くのヒット・チューンを生み出すことが出きるようなキャッチーさをも備えていたのが特徴的である。

CCRは、ジョン・フォガティ(g, vo)、トム・フォガティ(g)、スチュ・クック(b)、ダグ・クリフォード(ds)という4人組のバンドだった。そのCCRが結成されたのは、まだメンバーらがジュニア・ハイスクールに通っている頃で、ジョンの兄・トム・フォガティが中心になって結成したトミー・フォガティ&ザ・ブルー・ヴェルヴェッツという前身バンドという形でだった。彼らはセミ・プロとして地方のライヴ演奏などの仕事をしていたが、1964年頃、地元カリフォルニア州バークレーに拠点を置くファンタジー・レコードのオーディションを受け、それに合格し契約を勝ち取ったため、プロのバンドとして活動していくことになった。会社の意向でバンド名を「ゴリウォッグス」と改めた彼らは、1965年にシングル・デビュー。しかしその後二年間は鳴かず飛ばずの活動を強いられ、成果はわずかにシングル“ブラウン・アイド・ガール”がローカル・ヒットになったのみ、という淋しいものに終わった。

そんな彼らが飛躍するきっかけとなったのが、ファンタジー・レコードの社長交替劇だった。メンバー達ともともと親しかったというサウル・ゼンツが新しい社長に就任。ゴリウォッグスはグループ名をクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルに改め、心機一転再スタートをきることになった。

1968年にCCRは、50年代に活躍したロックンローラー、デイル・ホーキンスのヒット曲“スージーQ”、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの”アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー“という二枚のシングルをリリース。初期ロックンロール譲りのエネルギーに満ちた小気味よいリズムと、ジョン・フォガティの粗削りながらも黒人ブルース/R&Bに大きな影響を受けた深い表現を伴ったヴォーカルが話題となり、CCRの評判は西海岸をはじめとして、徐々に全米へと広がっていった。またその後アルバムを発表していき、いくつものシングル・ヒットを放っていった彼らは、1960年代後半から70年の初頭にかけて、重要なアメリカン・バンドとしての地位を揺るぎないものにしていくのだった。

1968年11月にデビュー・アルバム スージーQ(Creedence Clearwater Revival) を発表。前述の二枚のシングルはここに収録された。その後1969年1月に早くものセカンド・アルバム バイユー・カントリー(Bayou Country) を発表。ここから全米第二位を獲得する大ヒット・シングル“プラウド・メアリー”が生まれ、のちのちジョン・フォガティが語ったところによると、この時点で全米どこへいっても「あんた知ってるよ、プラウド・メアリーの人だろ」と言われるほどに有名になったのだったという。1969年7月、サード・アルバム グリーン・リヴァー(Green River) を発表。この作品からは表題曲と“バッド・ムーン・ライジング”という二曲のミリオン・ヒットが生まれた。またサウンド的にはより熟成された彼らの濃厚な味わいとカントリー〜ロカビリー的側面の軽快さ両方が全面に出た仕上がりで、アルバム自体も初の全米ナンバーワンに輝いた。続いて1969年10月にはジャグ・バンドに扮したメンバーがジャケット・スリーヴを飾る、通算4作目 ウィリー・アンド・ザ・プアーボーイズ(Willie And The Poorboys) を発表。同作品は彼らの最高傑作として挙げる人も多い名作で、古典的なルーツ音楽指向をモダンにみせていく、という彼らのセンスの良さと、これまで以上のサウンドの深みが高い評価を得る要因となっている。1970年に発表された通算5作目 コスモズ・ファクトリー(Cosmo's Factory) は二度目の全米ナンバーワンを獲得したアルバムで、“トラヴェリング・バンド”、“アップ・アラウンド・ザ・ベント”、“ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア”など数多くのヒット(解散後1976年に“悲しいうわさ”もヒットした)を生んだ。しかし当時これだけの人気を獲得していたCCRは、実質的にはバンドとしての曲がり角に差し掛かってもいた。前作と同年中の1970年に発表された ペンデュラム(Pendulum) は、ジョン・フォガティの自作曲のみで固められたアルバムとなったものの、バンドの内部状況も反映したのか、精彩を欠く出来。一貫して硬派なギター・ロックに拘ってきた彼らは、ここでキーボードやホーンなどポップな要素を持ったサウンドなどを前面に出してきたがこれは成功したとは言い切れない一枚となってしまった。ただここからは後に日本のTVCM関係で頻繁に使われることにもなるヒット曲“雨を見たかい”という名曲も生まれたのだが。

翌1971年に入ると、メンバー間の対立によりトム・フォガティがCCRを脱退(以降ソロ活動へ)。結局トム・フォガティを失ったCCRは三人組のバンドとして活動を続け、その編成でワールド・ツアーを廻った(この時のライヴの模様は ライヴ・イン・ヨーロッパ(Live In Europe) で聴くことが出来る)。そしてその翌1972年には最後のスタジオ録音作 マルディグラ(Mardi Gras) を発表。シングル“スウィート・ヒッチハイカ”がヒットしたが、アルバムの出来としては前作よりももっと焦点のぼやけた出来となってしまっているのが残念だ。この後、CCRは1972年10月に解散する。

メンバーのその後だが、トム・フォガティはバンド脱退後の1971年にデビュー・シングルを、また翌1972年にファースト・ソロ トム・フォガティ をリリースし、ソロとしての第一歩を踏み出した。その後もコンスタントに作品を発表しているが正直なところヒットとは無縁な存在となってしまった感は否めない。1976年には自らのバンド「ルビー」を率いて約二年間の活動を展開するが1978年には解散。その後1984年に再結成。その後彼は1991年に他界してしまった。またドラマーのダグ・クリフォードは1972年にソロ・アルバムを発表。その後スチュ・クックとともにドン・ハリソン・バンドに参加した。ジョン・フォガティはCCR解散後、1973年に独り多重録音によるブルー・リッジ・レインジャーズ名義の作品をはじめとして、寡作ながら現在までに4枚のソロ作を発表している。

ダイナミズムに溢れた泥臭い音楽性と絶妙なポップさ加減で人気を博したCCR。今から考えても当時の彼らがあれだけの短期間に本当に数多いヒットを放っていたというのは驚異的ですらある。決してヒット性に寄り添った音作りではないのにも関わらず、彼らがそれだけ時代と密接に関わったポップ性を有していたということだろうか。現在ではそれほど高い再評価を受けていないCCRではあるが、渋い音楽性を誇りつつヒット・チャートで勝負できたというのはやはり凄い個性だったといえるだろう。

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