Byrds

Byrds (バーズ) プロフィール

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ボブ・ディランの“ミスター・タンブリン・マン”をエレクトリック化させ、フォーク・ロック時代の扉を開いたザ・バーズ。彼らはその豊かなハーモニーとロジャー・マッギンの弾く12弦ギターの美しい音色が特徴的な独特のサウンドで60年代半ば頃に人気を博した。彼らは、その後サイケデリックな作風を経て、大幅なメンバー交替を敢行し、カントリー・ロックの先駆けとなるサウンドへと移行していったが、その間バーズに出入りしたメンバー達は後の活動でも大活躍するというところを見せた。そうしたところからバーズは非常に人材豊富なバンドであったとも言える。

ライムライターズチャド・ミッチェル・トリオ等、フォーク界の有名なグループで活動し、ジュディ・コリンズのバックを務めていたジム・マッギン(1942年7月13日シカゴ生、後に宗教上の理由でロジャー・マッギンと改名)は、1964年になるとソロとして活動するようになるが、その頃に観たビートルズの映画 ビートルズがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ! に多大な影響を受け、ロック・バンドを結成することに決めた。やがて集まったメンバーは、ニュー・クリスティ・ミンストレルズにいたジーン・クラーク(g,vo,tam/1941年11月17日ミズーリ州ティプトン生)と、彼の知り合いのデヴィッド・クロスビー(g,vo/1941年8月14日LA生)、スコッツヴィル・スクイーレル・バーカーズ、ヒルメン等に在籍し、ブルーグラス界で活躍していたクリス・ヒルマン(b,vo/1942年12月4日LA生)、そしてマイク・クラーク(ds/1943年6月3日NY生)。ジム(g,vo)を含め彼らは5人編成でジェット・セットというグループ名を名乗ったが、やがてビーフィーターズと改名され、最後にザ・バーズに落ち着いたのだった。

ビートルズボブ・ディランの融合、というサウンド・テーマを目指した彼らは、ジム・ディクンソンの助けを借りデモテープを制作(これは後にトゥゲザー・レーベルから Preflyteとしてレコード化されている)。その後1965年1月にボブ・ディランと出逢った彼らは、ディクソンの勧めもあって、ディランの“ミスター・タンブリン・マン”をカヴァーし、それをデビュー・シングルとして同年4月に発表(しかしこのシングルではマッギン以外のメンバーは演奏しておらず、レオン・ラッセルハル・ブレイン、ラリー・ネクテルなど名うてのミュージシャンが代わりにプレイしていた、という裏話もある)。これがヒットとなり(全米ナンバーワンを獲得)、1965年8月に急遽録音されたデビュー・アルバム ミスター・タンブリン・マン(Mr. Tambourine Man)を発表した。また同年末には“ターン・ターン・ターン”が二枚目のナンバーワン・シングルに輝いているが、これ以降彼らは商業的に大成功といえるほどのシングル・ヒットを出すことはなかった。ともあれその後1966年3月にそのシングルを含むアルバム ターン・ターン・ターン(Turn! Turn! Turn! を発表している。

前作から半年後の1966年9月に発表された 霧の5次元(Fifth Dimention) でバーズはラーガ・ロックやスペース・ロックといったサイケデリック的な感覚を見せるようになった。代表的なナンバー“霧の5次元”ではジャズのジョン・コルトレーンの表現やインド音楽からの影響が聴かれる。前後するが、このアルバム発表前、楽曲のほうの“霧の5次元”録音を最後に、初期の名曲を幾つか書いたジーン・クラークマッギンとの確執などの理由で脱退している。脱退後の彼はゴスディン・ブラザーズと組んだ後、1968年にはダグ・ディラードディラード&クラークを組み、更に後にはソロとして活動していった。

1966年末に活動を休止した彼らの解散説が流れた。しかし翌1967年4月には 昨日よりも若く(Younger Than Yesterday) を発表。バーズの顔と目されていたマッギン主導というバンドの雰囲気に変化が生じ、ここではクロスビーヒルマンがソングライターとしての力量を見せているが、バンドは一応の健在ぶりを示した。しかしながらこれは同時にバンド内の力学の変化を呼び、もっといえば確執を生む原因ともなっていった。バーズは1967年に入りアルバムの制作に入ったが、そのアルバム 名うてのバード兄弟(Notorious Byrd Brothers) 制作途中の1967年10月に、マッギンとの確執によりクロスビーが脱退(脱退の理由については、キャロル・キングジェリー・ゴフィンの手による“ゴーイン・バック”をアルバムに収録するかしないか等、そうしたものに代表されるポップさを嫌って…という説がある。尚クロスビーは1968年にCSNを結成する)。そこでクロスビーの代わりに再びジーン・クラークが呼び戻されるが、彼はたった3週間でまたも脱退。結局マッギンヒルマン、マイク・クラークの三人となったバーズは、名うてのバード兄弟を1968年に発表した。この作品は商業的には失敗したが批評家筋を中心に高く評価され、現在でも彼らの代表作のひとつに数え上げられている。

この後マイク・クラークも脱退したバーズは、ケヴィン・ケリーと、インターナショナル・サブマリン・バンドを率いたグラム・パーソンズを加入させ再生をはかった。新メンバーのグラムヒルマンの意向が強く反映されたカントリー・ロック名盤 ロデオの恋人(Sweetheart Of The Rodeo) を1968年9月に発表。しかしほどなくしてグラムマッギンとバンドの方向性を巡って対立、南ア公演への参加を拒否し脱退してしまうのだった。なお彼はその後、共に脱退したヒルマンフライング・ブリトー・ブラザーズを結成している。

とうとう唯一のオリジナル・メンバーがマッギンのみという状態になったバーズは、ブルーグラスのベテランで「ストリング・ベンダー」の名手であるクラレンス・ホワイト(g)、ジョン・ヨーク(b)、ケヴィン・ケリーの後任としてジーン・パーソンズ(ds)を迎え、1969年に バード博士とジキル氏(Dr. Byrds & Mr. Hyde) と イージー・ライダー(Ballad Of Easy Rider) という二枚のアルバムを発表した。この後ヨークに代わりスキップ・バッティンが加入し、1970年9月に タイトルのないアルバム(Untitled) を発表。またその後1971年6月に バードマニア(Byrdmaniax) 、1971年11月に ファーザー・アロング(Farther Along) を発表したが、 タイトルのないアルバムからは“チェスナット・メア”という久々のシングルヒットが生まれたものの、他の2作はやや地味な出来とセールスに終わった。この時点でもバーズのメンバー交替は激しく、ジーン・パーソンズから、ジョン・ケエリンさらにデニス・ドラゴンが加入したが、結局バンドは1972年に解散する。

1973年、バーズを解散させたマッギンの呼び掛けで、アルバム一枚という話でオリジナル・メンバーが集まり、アサイラム・レーベルから オリジナル・バーズ(The Byrds) を発表したが、間もなくバンドは正式に解散した。

バーズ解散後、ロジャー・マッギンはソロに転身。また70年代後半には、ジーン・クラーククリス・ヒルマンと共にマッギン・クラーク&ヒルマンを結成したり、マッギン=ヒルマン名義でアルバムを発表したりしている。尚ジーン・クラークは1991年に心臓発作が原因となり、ロスの自宅で他界している。

ロジャー・マッギン演奏によるリッケンバッカー社の12弦ギターの響きや、メンバーによる美しいハーモニー・ヴォーカル。ディラン的なフォークの要素を基調に、ビートルズなど英国勢ビート・グループからの影響、西海岸風ポップスの要素(プロデューサーのテリー・メルチャーらの貢献による)辺りがミックスされた、バーズ特有のフォーク・ロック・サウンドは、今の耳で聴いても古臭さを全く感じさせないと言い切っていいほどだし(普遍的ポップスとして秀逸)、フォーク・ロック期のサウンドはトム・ペティR.E.M. 、初期プライマル・スクリームなど本当に数多くの後進バンド/アーティストに影響を与えつづけている。またその後のサイケ時代のサウンドやカントリー・ロック的な方向性に代表される音楽性の多様さ(メンバーの入れ替わりの産物でもあるが)も彼らの大きな魅力となっていて、特に90年代に入ってから広がりを見せたグラム・パーソンズ再評価の波の影響もあり、カントリー・ロック期は以前にはなかったほどの高い評価を勝ち取っていることを付け加えておきたい。

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