SACD 輸入盤

オットー・クレンペラー&コンセルトヘボウ管弦楽団、アムステルダム・コンサート 1947〜1961(24SACD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKC4258
組み枚数
:
24
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
SACD
その他
:
ハイブリッド,輸入盤

商品説明


伝説的アムステルダム・コンサート 1947-1961
正規音源からSACD化! 充実の大規模解説&日本語訳付きで資料としても貴重!


音質条件を考慮に入れなければ、クレンペラーの最も高水準な演奏を聴くことができるのはコンセルトヘボウ管弦楽団との録音だというのは以前からよく語られることでした。
  とはいえ実際には、古いライヴ録音や放送録音ならではの物理的なスペックの問題もあって、マニア以外にはあまり顧みられることは無く、クレンペラーといえば、最晩年にフィルハーモニア管弦楽団を指揮したゆったり系の演奏が代表作として広く聴かれてきたというのが実情です。
  確かに最晩年のスタジオ録音で聴ける拡大された情報の面白さは無類ですが、長きに渡って歌劇場やコンサートホールで指揮して生計を立てていたクレンペラーの音楽は、本来はもっと生気に富む力強いものでした。そしてその音楽を築き上げていたのが、入念で厳しいリハーサルであり、その点で、世界最高レベルの反応力を持ったコンセルトヘボウ管弦楽団の優位は明らかであり、実際、1958年まではクレンペラーの客演回数はかなりの数に達していました。
  しかし翌1959年にクレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団の終身指揮者に就任すると、大火傷で長期療養という問題も重なって客演回数は激減、そして1964年にフィルハーモニア管弦楽団が自主運営組織になると、以後、クレンペラーがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮することは無くなります。もっとも、ウィーンやベルリン、ミュンヘン、ケルン、イスラエルなどには出かけていたので、今は無き音楽マネジメント組織、コロンビア・アーティスツの都合もあったのかもしれませんが。
  ともかく、クレンペラー絶頂期のコンセルトヘボウ管弦楽団との演奏を、正規音源で、しかもSACDでまとめて聴けるというのはクレンペラー好きにとっては大事件であることは間違いなさそうです。


出会いは1917年の「さまよえるオランダ人」

クレンペラーがコンセルトヘボウ管弦楽団を最初に指揮したのは第1次大戦中の1917年12月14日のことで、演目はワーグナーの「さまよえるオランダ人」。会場は中立国オランダの要衝であるハーグの「芸術科学館」という名の多目的劇場。
  この上演は、ドイツのエルバーフェルト市立劇場総監督で演出家のアルトゥール・フォン・ゲルラッハ率いるオペラ興行「グランド・オペラの夕べ」シリーズの一環としておこなわれたものでした。
  ゲルラッハは、1912年からエルバーフェルト市のブラウゼンヴェルト劇場のアーティストとスタッフによるオランダ出張公演(オーケストラは現地で契約)を繰り返しおこなっており、オペラと演劇を数多く上演して収益を上げ、戦時中には中立国でのオペラと演劇上演ということで、ドイツ帝国外務省の支援も得られていました。
  しかし、戦況の悪化に伴いドイツ帝国外務省からの支援が打ち切られると、演目を実入りの良いオペラに絞り、「グランド・オペラの夕べ」シリーズと銘打って出張公演を再開、その最後の公演となったのがクレンペラーの「さまよえるオランダ人」です。ちなみに民営だったブラウゼンヴェルト劇場は、この1917年、財政難から市営となり「エルバーフェルト市立劇場」と改名しています。
  ゲルラッハの公演には、第1指揮者エルンスト・クノッホが辞任したためブラウゼンヴェルト劇場の第1指揮者になったばかりの若きクナッパーツブッシュも兵役中の身ながら1914年から参加。その際、批評が芳しくなかったこともあり、ハクをつけるためか、以後しばらく「プロフェッサー・ハンス・クナッパーツブッシュ」と記載。また、クナッパーツブッシュが担当したのは座席数1,250の「ロッテルダム大劇場」でしたが、クレンペラーやリヒャルト・シュトラウス、グスタフ・ブレッヒャー(クレンペラーの元上司)らは座席数2,088の「ハーグ芸術科学館」で指揮していました。
  ちなみに、ゲルラッハは、1919年にはエルバーフェルト市立劇場総監督を辞して、ドイツ最初の映画カンパニーである「ウニオン映画株式会社」の芸術監督に就任。その3年後の1922年には有名な映画カンパニー「UFA」に移り、映画監督としての活動を開始、「ファニーナ」、「グリースフース年代記」という表現主義映画を撮った直後に49歳で亡くなっています。
  参考までにゲルラッハの率いた「グランド・オペラの夕べ」の公演一覧を記載しておきます。ワーグナー作品が多いのは、1914年にワーグナー作品の著作権が失効したことによって訪れたブームと同じく、上演時の負担が少ないというのが大きな理由でもあります(同じ理由でブルックナー作品は1927年から、ブラームス作品は1928年から演奏回数が増加)。

グランド・オペラの夕べ
1916年10月16日 ハーグ芸術科学館
「トリスタンとイゾルデ」
グスタフ・ブレッヒャー(指揮)

1916年12月1日 ハーグ芸術科学館
「ローエングリン」
グスタフ・ブレッヒャー(指揮)

1917年1月9日ハーグ芸術科学館
「ばらの騎士」
リヒャルト・シュトラウス(指揮)

1917年4月8日 ハーグ芸術科学館
「フィデリオ」
ウィレム・メンゲルベルク(指揮)

1917年05月8日 ロッテルダム大劇場
「ジークフリート」
プロフェッサー・ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

1917年10月15日 ロッテルダム大劇場
「トリスタンとイゾルデ」
プロフェッサー・ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)

1917年11月3日 ハーグ芸術科学館
「サロメ」
ヘンリー・フィオッタ(指揮)

1917年11月16日 ハーグ芸術科学館
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
リヒャルト・シュトラウス(指揮)

1917年12月14日 ハーグ芸術科学館
「さまよえるオランダ人」
オットー・クレンペラー(指揮)


コンサート指揮者としての最初の指揮は1929年

1929年1月、メンゲルベルク/モントゥー双頭体制下のコンセルトヘボウ管弦楽団に3日間客演したクレンペラーが選んだメインの曲目はブルックナーの交響曲第8番。すでにベルリン・フィルやゲヴァントハウス管を指揮して成功を収め、ニューヨークでも指揮するなど、クレンペラーにとって重要な曲になっていました。
  そして同年4月の定期公演に出演できなくなったメンゲルベルクの代役として、再びコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮することになったクレンペラーは、今度はマーラーの「復活」と「大地の歌」などを指揮。「復活」は1919年にケルン、1921年にベルリン・フィルと取り上げており、すでにクレンペラーの重要レパートリーとなっていた曲。「大地の歌」は1921年にケルンで男声版で指揮したほか、このコンセルトヘボウ客演の前月にはソ連初演もおこなうなどやはり重要な曲。
  しかしほどなく大恐慌の影響がヨーロッパにも波及することとなり、以後、しばらくクレンペラーは呼ばれなくなります。
  次に声がかかったのは、5年近く経って大恐慌も終わりつつあったときのことで、メンゲルベルクの体調不良に困っていた「コンセルトヘボウNV」(コンセルトヘボウ大ホールや小ホールを運営する公開型有限責任会社)」の理事会で、芸術監督のルドルフ・メンゲルベルク(指揮者のハトコ)が、多くの指揮者を1週間ずつ客演させるプランを提案。やがて遠くアメリカにいるクレンペラーのもとにも、1934年の3月に2週間客演して欲しいという要望が出されますが、クレンペラーは、1933年10月から音楽監督を務めているロサンジェルス・フィルでの多忙さを理由に断っています。


戦後、盟友ベイヌムの時代に数多く客演

  クレンペラーが次に客演するのは、前回の客演から17年も経った1946年のことでした。前年の1945年にはコンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者ウィレム・メンゲルベルクとNV芸術監督のルドルフ・メンゲルベルクが共にドイツ絡みで失脚。翌1946年には不透明な人事の原因でもあったコンセルトヘボウ管弦楽団とコンセルトヘボウNVの癒着状態を解消すべく組織を分離し、1938年から首席指揮者だったベイヌムがようやく本格的な実験を握るようになります。
  ちなみにベイヌムはメンゲルベルクとワルターからは快く思われておらず、1938年に首席指揮者に就任した際にも両名からは不満の声が上がっていましたが、クレンペラーとは芸風にも通じるものがあることから関係はうまくいったようで、戦後、クレンペラーが数多くコンセルトヘボウ管に客演できたのはベイヌムのおかげだったともいえそうです。クレンペラーが大火傷で死にかけたときもベイヌムは快く代役を引き受けていますし、ベイヌム没後はクレンペラーの役職や体調の問題もあってほとんど客演が無くなってしまったのも象徴的でした。


収録された演奏について


Disc I
●メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
●マーラー:「さすらう若人の歌」
  ヘルマン・スヘイ(バリトン)
●ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」WAB104[ハース1944年版]
  録音:1947年12月4日

当日の演奏会曲目を全て収録。「フィンガルの洞窟」(8分41秒)は速いですが、ヘブリディーズ諸島がカムチャツカ半島あたりと同緯度ということで、北の海と島の寒々とした荒々しさの表現にはかえって良いかもしれません。後年とは違った良さがあります。
  「さすらう若人の歌」(14分10秒)はクレンペラー唯一の録音として有名なもので、速いテンポを採用。バリトンのヘルマン・スヘイはドイツからオランダに移住し、Hermannの最後の「n」も削ってしまっているほどなので、ここでは姓もオランダ語読みにしておきます。曲中、交響曲第1番との共通素材が聴こえてくると、巨人が巨人を指揮しなかったのはとても残念と思わせる演奏でもあります。
  ブルックナーの交響曲第4番(54分14秒)は、4年後のウィーン響との録音に次ぐ快速演奏。クレンペラーがこの作品の指揮で最初に成功したのは1934年のロサンジェルス公演で、使用したのは当時唯一の楽譜だった初版(レーヴェ版)でしたが、戦後は主に原典版を使用。もっとも、このコンセルトヘボウ管との演奏では、ロベルト・ハースが1944年に新たに校訂した原典版を使用していたものの、1951年のVOXレーベルへのウィーン響との録音では1936年のハース版を使用。1954年のケルン放送交響楽団との演奏では、前年に出版されたばかりのノーヴァク版を使用しながらも、第3楽章中間部最初の主旋律をオーボエに吹かせるというハースの1944年版に準拠。以後、1963年のEMIのセッション録音、1966年のバイエルン放送交響楽団も同じ状態なので、クレンペラーにとってはその響きが最も良かったということなのでしょう。ちなみにコンセルトヘボウ管とウィーン響の録音では、第2楽章第2主題部のヴィオラ・パッセージを独奏で演奏させていますが、ほかではおこなっていないので、当時の一時的なアイデアだったものと思われます。その意味でもこの録音は貴重です。

  なお、1947年のクレンペラーは、4月から8月にかけてひどい躁状態となっており、以下のような事件を引き起こしています。
  4月:ストックホルム・フィルとリハーサルで激しく衝突し、以後、7年間呼ばれなくなるほど関係が悪化。
  5月:パリ・オペラ座で『ローエングリン』のリハーサルで演出家と衝突して指揮を拒否し、損害賠償25,000ドルで劇場を提訴。
  6月:恩人で親しい友人でもあるシュナーベルとメニューインの演奏をリハーサルで侮辱してトラブルに発展。
  8月:ザルツブルク音楽祭で初演を任されていたオペラ「ダントンの死」の台本がゲオルク・ビュヒナーの戯曲から乖離しすぎて音楽も悲劇的な気分に欠けるとしてへの興味を失ってしまい指揮をキャンセル。作曲者が連合軍幹部に気に入られた29歳のアイネム[1918-1996]だったことから、以後、ザルツブルク音楽祭への出演機会が消失してしまいます。
  もっとも、若きアイネムの作品は拒否したものの、マーラーの交響曲第4番とロイ・ハリスの交響曲第3番などのオーケストラ・コンサート、及び『フィガロの結婚』は指揮しているので、よほどアイネムが気に入らなかったということなのでしょう。おかげで代役のハンガリー人指揮者フリッチャイが有名になる機会を得ています。
  ちなみにアイネムは、ナチの重鎮でもあった作曲家ヴェルナー・エックと親しかったことで兵役を逃れ、クレンペラーやクラウス、フルトヴェングラーらが酷い目に遭わされた策士ハインツ・ティーティエン監督の助手も務め、ナチ時代のバイロイトで活躍していました。また、戦時中のベルリン・フィルで自作を初演し、ドレスデン国立歌劇場のアドバイザーにもなるなど、バリバリの体制派でもありましたが、戦争末期にゲシュタポから出生情報などの疑惑を追及され田舎に逃げ隠れていたところで終戦を迎えています。アイネムは強運の持ち主で、マタ・ハリ2世ともいわれた育ての母ゲルタが、戦時中にフランスの不在判決で死刑を宣告、戦後に無罪判決を言い渡され、ユダヤ人救出にも功績があったことから、アメリカ占領軍政府はその息子のアイネムを重用。村の警察署長に任命し、その後音楽祭の重鎮へと出世させています。ちなみにザルツブルク音楽祭の創設時の中心メンバーであるマックス・ラインハルトは、クレンペラーが若き日に50回も「天国と地獄」で一緒に仕事をした演出家です。


  そして9月、クレンペラーはまだ「躁」の影響による体重減少からは回復しておらず、ハイな状態は継続していたものの、冷静さや判断力は回復。「躁」は軽度なものとなり、ブダペスト国立歌劇場音楽監督に無事に就任。十数年ぶりとなる歌劇場監督業務に精を出し、オペラ上演だけでなく、歌劇場楽団によるオーケストラ・コンサートも企画して辣腕を振うこととなります。
  このコンセルトヘボウ管弦楽団との録音がおこなわれた12月は、ブダペスト国立歌劇場音楽監督就任から3か月目で、軽度の躁の時期にあたり、活気のあるスタイルと、行き届いたコントロールの両立した良い状態となっています。


Disc II
●ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調Op.93
  録音:1949年5月1日

●モーツァルト:交響曲第25番ト短調K183
●モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K219「トルコ風」
  ヤン・ブレッサー(ヴァイオリン)
  録音:1951年1月18日

ベートーヴェンの交響曲第8番(24分11秒)は快速でリズミカルな、後年の演奏には見られないパワフルな音楽が聴きものです。1949年5月当時は軽度の躁状態は引き続き維持されていて、迷いのない音楽を聴かせています。
  モーツァルトの交響曲第25番(15分49秒)は有名な激烈演奏。モノラルながら各パートが実に分離良く響きます。
  面白いのはヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(26分25秒)。クレンペラーの勢いの良い力強い伴奏に対し、コンマスのブレッサー[1899-1973]が最初は実にのどかに自己主張しているところで、その水と油的な掛け合いが面白くなってきます。ここでも軽度の躁状態がプラスに働いているようです。

Disc III
●ヤナーチェク:シンフォニエッタ Op.60
●バルトーク:ヴィオラ協奏曲(SZ120,BB128)
  ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)
  録音:1951年1月11日

●ヘンケマンス:フルート協奏曲
  フーベルト・バルワーザー(フルート)
  録音:1951年1月13日

●ファリャ:スペインの庭の夜
  ヴィレム・アンドリーセン(ピアノ)
  録音:1951年3月29日

ヤナーチェクと交流があったクレンペラーによる「シンフォニエッタ」(23分5秒)は、金管部隊による荘重な巨大さ、木管と弦による軽快な民俗的素材のコントラストが強烈。
  クレンペラーはバルトークとも交流があり、共演もしていましたが、現在知られている録音はヴィオラ協奏曲(20分9秒)のみ。ブルックナー交響曲第4番の第2楽章でヴィオラをソロにしてしまうくらいなので、ここでもプリムローズのヴィオラをたっぷり聴かせています。
  ハンス・ヘンケマンス[1913-1995]は精神科医として働いたのち、作曲家、ピアニストに転身した人物。名手バルワーザー[1906-1985]が表情豊かなソロを聴かせるフルート協奏曲(14分3秒)は、聴きやすい作品。オランダは自国作曲家の紹介に熱心な国で、外国人客演指揮者もよく取り上げています。
  この1月のクレンペラーの客演の2週間後、1月27日にパウル・ファン・ケンペン[1893-1955]がコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してヴェルディのレクィエムを指揮する演奏会で事件が発生。これはコンセルトヘボウ管弦楽団の楽員出身のケンペンが、1916年にドイツに移って1932年にドイツ国籍を取得し、戦争中も国防軍の慰問コンサートで指揮するなどしていたことから、演奏会初日に、聴衆の一部が騒ぎを起こして演奏を妨害、2日目の1月28日には楽員と合唱団のうちの62人が演奏を拒否したというものです。当時のオランダでは数か月前まで「ドイツ人追放計画」が実行されており、ドイツ国籍のオランダ在住者に対する風当たりが強かったので、聴衆と音楽家双方の拒否反応も仕方ない面もあったのかもしれません。
  楽員の解雇問題にまで発展したこの事件がきっかけで、ホール運営のコンセルトヘボウNVと、コンセルトヘボウ管弦楽団の体質が再び問題になり、コンセルトヘボウNV芸術監督のルドルフ・メンゲルベルクに対する批判キャンペーンが展開。ルドルフの長年の知人でもあるクレンペラーは、新聞のインタビューで、芸術的な問題に政治が持ち込まれることを嘆いています。結局、翌年にはルドルフ・メンゲルベルクは辞任に追い込まれたため、ルドルフを擁護していたクレンペラーの客演も、1952年から1954年までの3年間無くなってしまいます。
  ファリャ:スペインの庭の夜(20分18秒)は、抒情的なこの作品としては快速なテンポで、作品構造を浮き上がらせるのが面白いところ。ピアノ・ソロのウィレム・アンドリーセン[1887-1964]は作曲家としても有名。


Disc IV
●ベートーヴェン:シェーナとアリア「ああ、不実な人よ!」Op.65
  フレー・ブロウエンステイン(ソプラノ)
●ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92
  録音:1951年4月26日

1951年4月12日から5月7日までかけておこなわれたベートーヴェン・チクルスから収録された音源。オランダの有名ソプラノ歌手、フレー・ブロウエンステインがじっくり歌い上げる「ああ、不実な人よ!」(13分3秒)に続いて「田園」が演奏されましたが、残念ながらその録音は無いものの、メインの交響曲第7番(36分)が遺されたのは幸いでした。絶好調クレンペラーならではの重量級で揺るぎのない見事な演奏を聴くことができます。


Disc V/1
●モーツァルト:フリーメーソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477
●マーラー:亡き子をしのぶ歌
  キャスリーン・フェリアー(コントラルト)
  録音:1951年7月12日

マーラー没後40周年記念演奏会の前半は、フリーメーソンのための葬送音楽(5分3秒)と亡き子をしのぶ歌(22分35秒)を指揮。

Disc V/2
●マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
  ジョー・フィンセント(ソプラノ)
  キャスリーン・フェリアー(コントラルト)
  トーンクンスト合唱団
  録音:1951年7月12日

この記念演奏会での「復活」は、直前のウィーン響との録音&実演と比較してずいぶんテンポが違っているので、クレンペラーの前後の行動状況を整理しておきます。

  1951年5月のコンセルトヘボウ管の演奏会シリーズの後、クレンペラーはフェスティヴァル・オブ・ブリテンに出演できなくなったジョージ・セルの代役として、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して「ジュピター」などで成功を収めます。
  6月にはクレンペラーはウィーン交響楽団とマーラーの「復活」の録音とマーラー没後記念演奏会、協奏曲(ノヴァエス)の録音などをおこなったのち、6月中旬からはウィーン・フィルとギリシャ・ツアーに出かけています。
  7月にアムステルダムに戻り、12日と13日の2日間、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してマーラー没後40周年記念演奏会を指揮。
  8月にはアルゼンチンとヴェネズエラに客演。
  そして10月、モントリオール空港で転倒して左大腿骨頸部ほか数か所を複雑骨折し、しばらくは車いすでの生活を余儀なくされます。

  クレンペラーは夏に躁状態になることが多かったようで、もしかするとギリシャ・ツアーの後に「躁転」してしまった可能性があります。前年12月にはコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会で「大地の歌」でフェリアーと素晴らしい共演を果たしたにも関わらず、7か月後のこのマーラー記念演奏会では、フェリアーはリハーサルでのクレンペラーが酷かったと述べていますし。躁状態になるとクレンペラーは過度なヴィブラートやピアノのペダル使用を嫌う傾向があったので、日頃からヴィブラートの多さで有名だったフェリアーがリハーサルで責めたてられた可能性は十分にあります。
  背景はともかく、この超快速な「復活」も見事な演奏であることは確かです。


Disc VI/1
●ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」
  録音:1955年7月7日

1951年10月の複雑骨折の2か月後、入院中のクレンペラーは胸膜炎と肺炎の発作に苦しみ、抗生物質の反復投与のため弱体化して年末を過ごし、さらに急性胃痛に苦しむという状況に陥っていきますが、春にはなんとか松葉杖で歩けるまでに回復し、座ってなら指揮できるようにもなっています。1952年4月22日にはさっそく、入院滞在地のモントリオール交響楽団に客演して高い評価を獲得していましたが、翌日には、若き日の恋人、エリーザベト・シューマンの訃報に接し悲嘆にくれています。シューマンとは数日前に電話で話したばかりでした。
  悪いことは続くもので、翌月、EMIと契約し、ヨーロッパに出かけようとしたクレンペラーを待っていたのは、アメリカ政府が新たに制定したマッカラン=ウォルター法による帰化外国人の海外滞在制限でした。当時のアメリカでは、ケネディも支持した「赤狩り」旋風が吹き荒れており、クレンペラーの職場がハンガリーだったことから共産主義活動の嫌疑をかけられ、また、なぜかナチ疑惑まで浮上してややこしいことになっています。結果、パスポートの更新拒否という処分となり、1953年12月に弁護士を雇っての交渉が実を結んで再び出国できるまで、1年半のあいだは北米限定での活動を余儀なくされることに。
  その間、1952年7月のシカゴ交響楽団との共演は聴衆からも団員からも称賛され、娘のロッテも過去最高だったという意味のことをトッホ宛ての手紙に書くなど、良い出来事もありました(当時のシカゴ響音楽監督はクーベリック)。
  1954年1月、ヨーロッパに戻ったクレンペラーは、まずオランダのハーグ・レジデンティ管を本拠地で振り、続いて彼らを率いてコンセルトヘボウ大ホールでも公演をおこなって大成功を収め、以後、コペンハーゲン、パリ、エッセン、ケルン、ベルリン、ケルン、チューリヒ、フィレンツェ、ロンドン、アムステルダム、ケルン、ロンドン、リスボン、ハーグ、ベルリン、ロンドンと各地で指揮、年末まで多忙でした。
  コンセルトヘボウ大ホールでハーグ・レジデンティ管を指揮して成功したことは、1951年の公演後、クレンペラーを遠ざけていたコンセルトヘボウの運営陣にとっても無視できない事態となり、さらにマリウス・フロトホイスが、次の芸術監督就任を狙って実績づくりのために動き、クレンペラーはさっそく年末の公演に招かれますが、これはクレンペラーの虫垂炎によってキャンセルとなります。
  翌1955年1月、クレンペラーはスイスに帰国するものの、今度は前立腺が原因の膀胱炎となり、3月の緊急手術で良性の大きな腫瘍を取り除き、これによりクレンペラーの体調は急速に回復。
  4月にロンドン、5月から6月にかけてケルンで仕事をしたクレンペラーは、7月のコンセルトヘボウ管弦楽団の公演にも招かれていましたが、これをチャンスと見た娘のロッテは、それまでよりも大幅に高い出演料を要求して交渉に成功していました。
  4年ぶりにコンセルトヘボウ管弦楽団と共演することになり、さらに出演料の大幅アップも果たしたクレンペラーが指揮したのがこの7月7日のコンサートです(同内容で7月9日と10日にも演奏会を実施)。
  このときのクレンペラーは絶好調で、「嵐」の凄まじい迫力などほかでは聴けないものとなっています。

Disc VI/2
●シェーンベルク:「浄夜」(1917/1943)
●ヒンデミット:組曲「気高い幻想」
  録音:1955年7月7日

クレンペラーとシェーンベルク[1874-1951]の関係は、クレンペラーがヨゼフ・マティアス・ハウアー[1883-1959]に対し、さまざまな助言をおこなって作品上演や出版に尽力し、結果的に12音技法の始祖にしてしまったことから悪化。クレンペラーの方はあまり気にしていなかったようですが、その後もシェーンベルク側に感情面でのしこりが残り、それが生涯に渡って続くことになったようです。経済的に困っていたシェーンベルクに対し、クレンペラーがブラームスのピアノ四重奏曲の編曲仕事を依頼した時も、シェーンベルクは初演を別なところでおこなおうとするなどしていました。
  税金支援の無いロサンジェルス・フィル時代に、出資者たちを集めて説得するための会合で苦労を数多く経験し、演奏会収益と真剣に向きあわざるをえなかったクレンペラーにとっては、12音作品はすでに関心外だったようで、それがまたシェーンベルクの不満の要因にもなっていました。
  クレンペラーの「浄夜」は、ゴツゴツと緊迫して異様な高揚を見せ、通常の演奏とはずいぶん印象の異なるものとして知られています。ここで聴けるのは、浮気して子供出来ちゃったけど許して欲しいという女のムチャな言い分に対する、男の大袈裟な葛藤という情景なのですが、クレンペラーの演奏で聴くと8分あたりから恐ろしいことになります。もっとも、それにはアルヒフォン旧盤(ARC-101)の低音強調が度を越していたという問題もあると思うので、今回の新盤でどうなっているか、混信問題も含めて気になるところです。
  続く「気高い幻想」は、神の道化師とも言われたアッシジの聖フランチェスコについての作品で、享楽的な人物が宗教の力で変貌し、やがて聖人に列せられるまでになるという話。
  1955年7月7日のコンサートは、自然への感謝の「田園」、愛への感謝の「浄夜」、神への感謝の「気高い幻想」ということで、3つの感謝音楽を並べた構成となっていますが、もしかしたらこれは久々の復帰とギャラのアップを叶えてくれたコンセルトヘボウ芸術監督フロトホイスへの感謝という意味合いもあったのかもしれません。

Disc VII
●メンデルスゾーン:劇付随音楽「真夏の夜の夢」Op.61
  コリー・ファン・ベックム
  ヘレーン・フェアクリー
  アムステルダム・トーンクンスト合唱団員
  録音:1955年11月3日

4年ぶりの客演となった7月のコンセルトヘボウでの公演は大成功を収め、8月は休養。
 9月にはハンブルクの北西ドイツ放送交響楽団に客演(翌年に北西ドイツ放送協会が北ドイツ放送協会[NDR]と西ドイツ放送協会[WDR]に分割され、NDR交響楽団と改名。日本での通称は北ドイツ放送交響楽団)。
  10月上旬にはロンドンでフィルハーモニア管弦楽団とベートーヴェンの交響曲第3、5、7番のレコーディング・セッションを実施。中旬には、5〜6月に続いてケルン放送交響楽団に客演(上記理由により翌年にWDR交響楽団と改名。日本での通称はケルン放送交響楽団のまま)。
  クレンペラーの好調は続いており、この11月の「真夏の夜の夢」は、完璧だったケルンでの演奏よりも僅かに速いくらいのテンションの高さで、硬派なメンデルスゾーンを聴かせています。

Disc VIII/1
●ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」
  録音:1955年11月6日

●モーツァルト:セレナード第13番ト長調K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
  録音:1955年11月10日

「英雄」は、有名なEMI録音の直後なだけに解釈などは同じですが、実演ということもあり第2楽章以外は少し速めになっています。
  クレンペラーの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、実に7種類の録音を聴くことができますが、1940年代の2種は速め、1950年代の4種はいずれも骨折後ということでバランスの良いテンポで、1964年の演奏は大火傷後なので遅い演奏となっています。
Disc VIII/2
●モーツァルト:モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」K165(158a)
●マーラー:交響曲第4番ト長調
  マリア・シュターダー(ソプラノ)
  録音:1955年11月10日

スイスのソプラノ、マリア・シュターダーは、前年にフリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団と「エクスルターテ・ユビラーテ」を録音しているので比較ができます。メロディアスでしっとり系のフリッチャイのオケ・パートに対し、明晰で拍節感の素晴らしいクレンペラーのオケ・パートが相手ということで、シュターダーの歌唱もリズミカルできわめて克明。マイクの前でのセッション録音と、大ホールでのライヴ録音という違いはあるにせよ、この差は大きいです。
  マーラーの交響曲第4番も、シュターダーは1955年5月にブルーノ・ワルター指揮フランス国立放送管弦楽団とシャンゼリゼ劇場で演奏しており、クレンペラーとは半年違いですが、フリッチャイの場合と同じような違いがみられます。リズム動機も正確に歌われるクレンペラーとの演奏に対し、ワルターの方はリハーサル不足なのか、シュターダーの歌は平板です。
  これらの事実は、マリア・シュターダーが指揮者の解釈を尊重するきわめて知的な歌手であることを示してもいます。シュターダーといえば、ヴィブラートに頼らない清楚なスタイルで、モーツァルト歌唱を中心に世界的な人気を博していましたが、その根底にあったのは共演者への配慮、一緒に演奏をつくりあげて行こうという謙虚な姿勢だったのかもしれません。
  シュターダーとの共演の数年後、クレンペラーは、指揮者の解釈が気に入らない場合は従わないというクリステル・ゴルツ(リハーサルに音楽関係者の夫を同伴)や、ジョーン・サザランド(夫で当時伴奏ピアニストのボニングの指示を尊重し本番でもクレンペラーを無視)との出会いにより、アンサンブル・オペラ芸術の終焉を実感、ドイツ・オペラがスター歌手のリサイタルまがいのものになってしまう傾向を嘆いています。ベームが早々にウィーン国立歌劇場総監督の座から離れたのもその辺が本当の理由かもしれません。


Disc IX/1
●ベートーヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」Op. 43より第1曲:序曲、第5曲:アダージョ、第16曲:アレグレット
  ヤン・フィーサー(フルート)
  クラース・デ・ローク(クラリネット)
  トム・デ・クレアク(ファゴット)
  フィーア・ローザ・ベルフハウト(ハープ)

●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番ハ短調Op.37
  アニー・フィッシャー(ピアノ)
  録音:1956年5月2日


Disc IX/2
●ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調Op.36
●ベートーヴェン:レオノーレ第3番序曲Op.72b
  録音:1956年5月2日


Disc X
●ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調Op.60
●ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op.67
  録音:1956年5月9日

Disc XI/1
●ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」
  録音:1956年5月13日

ベートーヴェン・チクルス〜初CDコンサート全収録

Disc XI/2
●ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92
  録音:1956年5月13日

●ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調Op.93
  録音:1956年5月17日

Disc XI/3
●ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱」
  フレー・ブロウエンステイン(ソプラノ)
  アニー・ヘルメス(コントラルト)
  エルンスト・ヘフリガー(テノール)
  ハンス・ヴィルブリンク(バリトン)
  トーンクンスト合唱団
  録音:1956年5月17日

Disc XII/1
●モーツァルト:交響曲第29番イ長調K201
●モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K482
  アニー・フィッシャー(ピアノ)
  録音:1956年7月12日



Disc XII/2
●モーツァルト:オーボエ協奏曲ハ長調K314
  ホーコン・ストーティン(オーボエ)
●モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K551「ジュピター」
  録音:1956年7月12日

Disc XIII/1
●バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調BWV1067
  フーベルト・バルワーサー(フルート)
●バッハ:カンタータ第202番「消えよ、悲しみの影」BWV202(結婚カンタータ)
  エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
  ヤン・ダーメン(ヴァイオリン)
  ハーコン・ストテイン(オーボエ)
●モーツァルト:演奏会用アリア「心配しなくともいいのです、愛する人よ」.K505   エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
  マリア・クルチオ(ピアノ)
  録音:1957年2月7日

クレンペラーは1949年の半年間に及ぶ長期オーストラリア・ツアーでシュワルツコップと一緒でした。


Disc XIII/2
●ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲Op.56a
●R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28
●モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ序曲
  録音:1957年2月7日

ボーナス・トラック
●メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64
  ヨハンナ・マルツィ(ヴァイオリン)
  ハーグ・レジデンティ管弦楽団
  録音:1954年6月26日(/初正規盤)


Disc XIV
●メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
●ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲
●シューベルト:交響曲第4番ハ短調D417
●ワーグナー:ニュルンベルクのマイスタージンガーより序曲
  録音:1957年2月21日

「フィンガルの洞窟」は9分34秒で、1947年の演奏が8分41秒だったのに対し、1分近く遅くなっており、じっくり型にシフトしていることが窺えます。ここでは作品の様々な要素をつぶさに味わうことが可能です。
  『3楽章の交響曲』を好んでいたクレンペラーは、ロンドンで取り上げたときの聴衆の無反応を残念がっていましたが、近現代作品に慣れているコンセルトヘボウでは聴衆の反応は良かったようです。『3楽章の交響曲』にはドキュメンタリー・フィルムを通じて影響を受けたという第2次大戦へのストラヴィンスキーの思いも反映されているということですが、クレンペラーの指揮では、粗野な咆哮や響き、リズムがグロテスクに示されていて、そうしたストラヴィンスキーの説明を補強するかのようです。この曲のもうひとつの側面でもある協奏曲的なスマートさはあまり感じられない独特の演奏となっています。
  
Disc XV
●ベートーヴェン:ミサ・ソレニムス ニ長調Op.123
  エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
  ナン・メリマン(メゾソプラノ)
  ヨージェフ・シマーンディ(テノール)
  ハインツ・レーフス(バス=バスバリトン)
  アムステルダム・トーンクンスト合唱団
  コレヒウム・ムシクム・アムステロダーメンセ
  (合唱指揮:トーン・フランケン)
  ヤン・ダーメン(ヴァイオリン・ソロ)
  録音:1957年5月19日

ソリストは、ドイツ、アメリカ、ハンガリー、スイスと、なぜかクレンペラーゆかりの国々の歌手たちが揃って国際色豊か。そして宗教音楽好きには気になる「アニュス・デイ問題」では、ドイツ語圏のレーフスは「アグヌス・デイ」、他3名は「アニュス・デイ」と発音。
  2年前のケルン放響盤では、グラインドルとジークリンデ・ヴァーグナーが「アグヌス・デイ」、ショックとクッパーが「アニュス・デイ」と発音。グラインドルはミゼレーレでは強烈な巻き舌歌唱でオペラまがいの見栄まで切っており、クレンペラーとグラインドルの共演がほかに見当たらないのも頷けます。対照的にここでのレーフスの歌唱は抑制の効いた素晴らしいもので、半年前に妻ヨハンナを失ったばかりのクレンペラーの心にも響いたかもしれません。
  ちなみに、クレンペラーのセッション録音のVOX盤では全員「アグヌス・デイ」、EMI盤では全員「アニュス・デイ」と、どちらかに統一されていたので、やはり実演での調整は難しいということでしょうか。
  合唱はおなじみのアムステルダム・トーンクンスト合唱団に加え、「コレヒウム・ムシクム・アムステロダーメンセ」というアムステルダムの女声合唱団も参加して補強されていますが、ミサソレ好きには重要な「サンクトゥス問題」では、クレンペラーはいつも通り、

「Pleni sunt coeli et terra, gloria tua (汝の栄光で天と地が満たされ)」
「Osanna in excelsis (いと高きところにオザンナ)」

の両方ともベートーヴェンの楽譜に従って独唱者4人で演奏し、ベネディクトゥスでようやく出現する合唱、

「in nomine domini (神の名において)」

の効果を最大限に高めています。

  この「サンクトゥス問題」、長い改変演奏の歴史の中で、合唱団にとっては大きな見せ場になってしまったこともあるため、ピリオド派でもヘレヴェッヘ(2011)、ノリントンなどは合唱に歌わせていますし、ガーディナー(2012)や、ヘレヴェッヘ(1995)、ヤーコプス、ラドゥー、シャーマーホーンに至っては四重唱と合唱を組み合わせる変更までしています。
  楽譜通りに演奏し、ベネディクトゥスの「神の名において」における合唱の出現を意味あるものとしている録音は、クレンペラー(4種)のほかは、アーノンクール(2種)、ガーディナー(1989)、テリエ・クヴァム(ハノーヴァー・バンド)、鈴木雅明、ブロムシュテット、フォルクマール・アンドレーエ、シューリヒト、ワルターなど少数派で、この作品の需要が、独創性を追求したベートーヴェンの原意からは離れた部分に移行してしまったことが窺われます(チケットの販売戦略なども考慮すれば仕方のない面もあります)。
  なお、マイク・ポジションの問題もあってか、いつもと違ってトランペットが少し強めのバランスで聴こえるのが新鮮です。
Disc XVI
●グルック:「オルフェオとエウリディーチェ」〜シャコンヌ
●クレンペラー:交響曲第1番(全2楽章)
●ブルックナー:交響曲第6番イ長調WAB106(1890年ハース版)
  録音:1961年6月22日

グルックはいくつかの「シャコンヌ」を作曲していますが、クレンペラーがコンセルトヘボウでとりあげたのは「オルフェオとエウリディーチェ」のパリ版の最後を飾る音楽。「精霊の踊り」と同じく、ウィーン版には無い音楽です。フルトヴェングラーやカラヤンによる折衷版上演では猛烈なスピードで演奏されたりしてシャコンヌという曲名を忘れてしまいそうになりますが、クレンペラーの場合は、典雅でありながらも力強いリズムの刻みが堂々たる押し出しに繋がった見事な仕上がりとなっています。
  1960年に完成した自作の交響曲第1番は2楽章構成で18分というコンパクトな作品。後期ロマン派風な雰囲気が基調で、ヒンデミットやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー風な近代要素から『オテロ』の二重唱の伴奏を思わせる部分、不気味なラ・マルセイエーズに至るまでコラージュ的な面白さの感じられる親しみやすい音楽で結尾の美しさも魅力的。クレンペラーはこの作品のセッション録音をおこなわなかったので、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したこの録音の存在は貴重。

  ブルックナーの交響曲第6番を、クレンペラーは1922年にマンハイム・フィルを指揮して演奏していますが、以後、需要が低かったこともあってか長く遠ざかっていました。しかし1961年になって急に6番に目覚めたクレンペラーは、EMIのプロデューサー、ウォルター・レッグにレコーディングを何度も提案しますが、その都度「売れない」という理由で拒否され、仕方なくBBC交響楽団に客演して指揮、そしてコンセルトヘボウ管弦楽団でも指揮して渇きを癒していました。その後、EMIからの資金援助打ち切りにより、フィルハーモニア管弦楽団が自主運営組織に移行し、レッグとの関係も解消、「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」として再スタートすると、クレンペラーはEMIに要請してすぐに第6番のレコーディングを実施するほどの入れ込みようでした。当時はあまり人気の無い作曲家だったブルックナーの中でもさらに認知度の低い曲だったので、クレンペラーの要請に応じたEMIの判断は英断ともいうべきものですが、コンセルトヘボウ管弦楽団との演奏の評判が影響した可能性は十分にあります。
  コンセルトヘボウ管との演奏は、EMIセッション録音の3年前の収録となりますが、テンポ配分は大きく異なっています。トータルではEMIセッション54分55秒に対し、ライヴ50分41秒と4分も違っていますが、第1楽章についてはコンセルトヘボウ盤の方が10秒遅く、冒頭のゴツゴツしたリズム動機の扱いや、続く第1主題での巨大さ、数多い構成動機を際立たせながら表出するあたりはいかにもクレンペラーらしいところで、その情報量の多さ、荒っぽいまでの迫力はさすが。一方で第2楽章はライヴが2分速く、スケルツォで同じく49秒、フィナーレで1分41秒速いという時間配分になっており、けっこうメリハリの効いたスタイルになっています。





【収録情報】

Disc1
1. メンデルスゾーン:序曲『フィンガルの洞窟』 Op.26
2. マーラー:さすらう若者の歌
3. ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB104『ロマンティック』(1886年ノヴァーク版)


 ヘルマン・シャイ(バリトン:2)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1947年12月4日(初CDコンサート全収録)
Disc2
1. ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 Op.93
2. モーツァルト:交響曲第25番ト短調 K.183
3. モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219『トルコ風』


 ヤン・ブレッセル(ヴァイオリン:3)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1949年5月1日(1)、1951年1月18日(2,3)
Disc3
1. ヤナーチェク:シンフォニエッタ Op.60
2. バルトーク:ヴィオラ協奏曲 SZ120, BB128
3. ヘンケマンス:フルート協奏曲
4. ファリャ:スペインの庭の夜


 ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ:2)
 フーベルト・バルワーザー(フルート:3)
 ヴィレム・アンドリーセン(ピアノ:4)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1951年1月11日(1,2)、1951年1月13日(3)、1951年3月29日(4)
Disc4
1. ベートーヴェン:演奏会用アリア『ああ、不実な人よ!』 Op.65
2. ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92


 グレ・ブロウエンスティーン(ソプラノ:1)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1951年4月2日(1951年ベートーヴェン・チクルスより)
Disc5-6
1. モーツァルト:フリーメーソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477
2. マーラー:亡き子をしのぶ歌
3. マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』


 キャスリーン・フェリアー(コントラルト:2,3)
 ヨー・フィンセント(ソプラノ:3)
 トーンクンスト合唱団(3)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1951年7月12日(初CDコンサート全収録)
Disc7-8
1. ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
2. シェーンベルク:浄夜(1917 / 1943)
3. ヒンデミット:組曲『気高い幻想』


 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1955年7月7日(初CDコンサート全収録)
Disc9
● メンデルスゾーン:劇付随音楽『真夏の夜の夢』 Op.61


 コリー・ヴァン・ベックム、ヘレーン・ヴァークレイ(ソプラノ)
 トーンクンスト合唱団のメンバー
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1955年11月3日(正規盤初)
Disc10-11
1. ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』
2. モーツァルト:セレナード第13番ト長調 K.525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』
3. モーツァルト:モテット『エクスルターテ・ユビラーテ』 K.165(158a)
4. マーラー:交響曲第4番ト長調


 マリア・シュターダー(ソプラノ:3,4)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1955年11月6日(1)、1955年11月10日(2-4 初CDコンサート全収録)
Disc12-13
1. ベートーヴェン:バレエ音楽『プロメテウスの創造物』 Op.43より(序曲/第5曲:アダージョ/第16曲:終曲)
2. ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37
3. ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調 Op.36
5. ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番 Op.72b


 アニー・フィッシャー(ピアノ:2)
 ヤン・ヴィッサー(フルート:1)
 クラース・デ・ロック(クラリネット:1)
 トム・デ・クラーク(ファゴット:1)
 フィア・ローザ・ベルクハウト(ハープ:1)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1956年5月2日(ベートーヴェン・チクルス〜初CDコンサート全収録)
Disc14
1. ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 Op.60
2. ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67『運命』


 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1956年5月9日(ベートーヴェン・チクルス)
Disc15-17
1. ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
2. ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92
3. ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調 Op.93
4. ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱』


 グレ・ブロウエンスティーン(ソプラノ:4)
 アニー・ヘルメス(コントラルト:4)
 エルンスト・ヘフリガー(テノール:4)
 ハンス・ウィルブリンク(バリトン:4)
 トーンクンスト合唱団(4)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1956年5月13日(1,2 ベートーヴェン・チクルス〜初CDコンサート全収録)、1956年5月17日(3,4 ベートーヴェン・チクルス)
Disc18-19
1. モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K.201
2. モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482
3. モーツァルト:オーボエ協奏曲ハ長調 K.314
4. モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』


 アニー・フィッシャー(ピアノ:2)
 ホーコン・ストーティン(オーボエ:3)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1956年7月12日(初CDコンサート全収録)
Disc20-21
1. J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV.1067
2. J.S.バッハ:カンタータ第202番『消えよ、悲しみの影』 BWV.202(結婚カンタータ)
3. モーツァルト:演奏会用アリア『心配しなくともいいのです、愛する人よ』 K.505
4. ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a
5. R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』 Op.28


 エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ:2,3)
 フーベルト・バルワーザー(フルート:1)
 ヤン・ダーメン(ヴァイオリン:2)
 ホーコン・ストーティン(オーボエ:2)
 マリア・クルチオ(ピアノ:3)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1957年2月7日(初CDコンサート全収録)

(ボーナス・トラック)
6. モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』序曲
7. メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 Op.64


 ヨハンナ・マルツィ(ヴァイオリン:7)
 ハーグ・レジデンティ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1954年6月26日(初正規盤)
Disc22
1. メンデルスゾーン:序曲『フィンガルの洞窟』 Op.26
2. ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲
3. シューベルト:交響曲第4番ハ短調 D.417
4. ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲


 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1957年2月21日(初CDコンサート全収録)
Disc23
● ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123


 エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
 ナン・メリマン(メゾ・ソプラノ)
 ヨーゼフ・シマンディ(テノール)
 ハインツ・レーフス(バス・バリトン)
 トーンクンスト合唱団(合唱指揮:トーン・フランケン)
 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1957年5月19日(初正規盤)
Disc24
1. グルック:シャコンヌ(『オルフェオとエウリディーチェ』より)
2. クレンペラー:交響曲第1番(全2楽章)
3. ブルックナー:交響曲第6番イ長調 WAB.106(1890年ハース版)


 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 オットー・クレンペラー(指揮)

 録音時期:1961年6月22日(初CDコンサート全収録)

 録音方式:モノラル(ライヴ)
 SACD Hybrid
 輸入盤・日本語帯・解説付

収録曲   

すべての収録曲を見る >

総合評価

★
★
★
★
★

5.0

★
★
★
★
★
 
3
★
★
★
★
☆
 
1
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0
★
★
★
★
★
まだ聴き始めたところですが、やはり他には...

投稿日:2021/11/29 (月)

まだ聴き始めたところですが、やはり他には得難い物凄い、そして余りにも人間臭い指揮者だったのだ、と驚愕しいます。少し前VENIASから72枚組のライブCDが出た時、それまでのクレンペラー感がぶっ飛び、「これは只者ではないな」と思ったのですが、今回のコンツエルトゲボウのより良い音質のライブによって、その思いは確信へと変わりました。やはりオケが上手い!味わい深い音色・パワーを持つ奏者達が皆この異常な指揮者のタクトの虜となり、本気を出している事がよく分かります。私はメンゲルベルクが大好きなのですが、彼が亡くなった1951年に演奏された「ロマンテイツク」第4楽章で、メロデイツクな旋律にポルタメントが現れ、思わず涙してしまいました。 タラップから落っこちて複雑骨折・全身大火傷のほか、数限りない病気…脳の良性腫瘍を摘出した後極度の躁状態となり、起こしたトラブル数知れずという人物に、神は至高の才能を与え給うたのです。しばらくは、この全集だけを聴き続ける事になると思います。 モーツアルトの25番など、現代の指揮者がもしこのようなテムポを求めたら、間違いなく全てのオーケストラから総スカンを食らう事でしょうね。

きづかい さん | 愛知県 | 不明

2
★
★
★
★
☆
解説書がとても豪華です。日本語も有ります...

投稿日:2021/07/18 (日)

解説書がとても豪華です。日本語も有ります。 ヒルフェルスムのアーカイブに、テープが残っていなく、多くはオープンリールのエアチェック音源からリマスター、と聞きました。 元々酷いものが出回っていたので、それを考慮するならば、極上の音質と言えると思います。 僕はクレンペラーの大ファンではないので、すべての演奏が、素晴らしいものとは、言いがたいのですが、それでも、中々面白いものが有ります。 24枚のSACD-BOXで、初めは凄いと思いましたが、モノラル録音をSACDハイブリッドで、発売する必要があったのか、甚だ疑問です。 このBOXを聴いた感想では、 ハイブリッドのCD層の音は、良いときもあれば、悪いときもある。 SACDの方が、CD層の音より良さそうな感じ。 でも、これくらいの音質ならば、普通のCDでも出来ます。 というか、そもそも、SACDハイブリッドで音の良い、モノラル録音に出会ったことが、ありません。 ★4つにしたのは、SACDだからです。CDだけで良いです。

matto さん | 愛知県 | 不明

0
★
★
★
★
★
セットの宣伝には初の正規録音のSACD化とあ...

投稿日:2021/06/29 (火)

セットの宣伝には初の正規録音のSACD化とあるが、だから音質が良いとは書いてない。一方で「正規」の由来に疑問を呈する投稿も見かけたが、だから音質が悪いとも書いていない。 全部は聴いていないが、音は良いと思う。特に50年代半ばからの録音技術は大戦直後の時代から随分進歩している。このセットの音はその時代にあっても良好だと思う。 クレンペラーはEMIの良好なステレオ録音があり、多くの示唆に富んだ名演だが、フルトヴェングラーをEMIのセッション録音だけで判断できるだろうか。クレンペラーはスタイルが違うので、ライブだから別物になりはしないが、これまでもバイエルンやウィーンに大変な名演がある。フィルハーモニアは弦の美しいオーケストラだが、時に木管がチャルメラに聴こえたり・・。コンセルトヘボウはさすがに名門だと感じさせる音色と、精緻なアンサンブルがある。後年のクレンペラーのセッションがコンセルトヘボウであったら違うテンポになったかもしれないとも感じる。 聴いた中では55年の田園が名演・名録音だと思う。響きの美しいクレンペラーだから、顔は怖くてもモーツァルトもとても良い。

nari さん | 宮崎県 | 不明

5

Box Set Classicalに関連するトピックス

おすすめの商品