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Association (アソシエイション) プロフィール

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ヴォーカル・ハーモニーの美しい、”ソフト・ロック”の代表的グループとして知られるアソシエイション(ソフト・ロックは和製英語で、海外では彼らは単に60’sグループとして認識されることが多い。因みにアソシエイションの当時の日本盤に「ソフト・ロックのチャンピオン」という表記あり)。

彼らの歴史は、中心人物のテリー・カークマンとゲイリー(後にジュールズと改名)・アレクサンダーが’64年頃にハワイで出会ったことに始まる。意気投合しバンド結成を誓った2人は’65年にLAで再会。有名なライブ・ハウス、トルバドールで知り合ったフォーク・ミュージシャンらとザ・マンという13人編成のフォーク・ロック・グループを結成するも、間もなく解散。そこに居たメンバーらの数人(テッド・ブルーシェル、ブライアン・コール、ラス・ギグア、ボブ・ペイジ)と共にアリストクラッツなるグループを組む。その後、テリーの妻の提案でアソシエイションに改名した。デビュー・ライヴ後、ボブが脱退。入れ替わるようにして加入したのがユニークなフォーク・グループMFQのジェリー・イェスターの兄、ジム・イェスターだった。ここで初期アソシエイションのラインナップが完成。

’65年暮れにジュビリー・レコードからジョーン・バエズの曲でシングル・デビュー。’66年にはトルバドールのオーディションで大手ヴァリアント・レコードの目に留まり、契約を交わす。そして、その年の春には晴れてメジャー・デビュー・シングル"ワン・トゥ・メニー・モーニングス"をリリースしたが、それほどのヒットにはならなかった。しかし、この曲はポピュラー・ヴォーカル・グループ、ハイ・ローズのクラーク・バロウズという人物がヴォーカル・アレンジを手掛けており、ここら辺りから彼らの良さであるコーラス・ワークの美しさを確立する一歩を踏み出したようだ。この頃、グループはゴールドブライアーズに在籍していた故カート・ベッチャー(ミレニウムサジタリアスの作品で有名)と知り合う。のちにカートが語ったところによると当時はヒッピー・ムーヴメント前後の時期で、何とはなしに近所でプロ、アマ問わず音楽を演っているアーティスト達の自由な交流があったようだ。そうした中、カート・ベッチャーアソシエイションの次作のプロデュースを手掛け"アロング・カムズ・メアリー"を完成させる。これがいきなり全米7位という好成績を収め、アソシエイションは一躍人気グループの仲間入りを果たした。

その後すぐデビュー・アルバムチェリッシュ(Then…Along Comes〜)をリリース。やはりカートの全面プロデュースで、彼らの浮遊感と重厚さを兼ね備えた表現力豊かなコーラスが聴かれる。白眉はシングル・カットされた"チェリッシュ"(全米1位)で、この曲で彼らのパブリック・イメージが決定されたと言っても過言ではない名曲。アルバム自体も全米最高位5位まで上昇した。"チェリッシュ"(の大成功で自信を付けた彼らはカート・ベッチャーらスタッフを解雇。スタジオ・ミュージシャンに頼らず自分達で演奏も担当すると主張した。新たなプロデューサーにジムの弟、MFQのジェリー・イェスターを迎え、2ndアルバム ルネッサンス を発表。全体に落ち着いた感触に仕上がるが、やや地味な出来とも言えセールス的には最高34位と落ち込んだ。この後ヴァリアント・レコードはワーナー・ブラザースに吸収され、ワーナーはアソシエイションのセールス復活のためママス&パパスなどを手掛けたエンジニア、ボーンズ・ハウをプロデユーサーに起用する。またこの頃、中心人物のゲイリーが脱退し、ほぼ同時期にラリー・ラモスが加入している。

そんな新しい環境のもと制作された、ウキウキするような名曲シングル"ウィンディ"は全米NO.1を獲得。またそれを受けた3rdアルバムウィンディは快心の出来を示した。ボーンズ・ハウは、ハル・ブレインら名うてのスタジオ・ミュージシャンを集め、彼らに演奏を任せ、またヴォーカル・アレンジにはメジャー・デビュー・シングル以来となるクラーク・バロウズを起用した。その結果、前作とは比較にならない程の躍動感溢れるサウンドと、更に洗練されたアソシエイション自体のヴォーカル・ハーモニーが聴ける作品となったのだ。ここからシングル・カットされた"ネヴァー・マイ・ラヴ"は切ないメロディが実に美しい逸品で、全米NO.2を記録した。また人気を回復したこの頃の彼らは有名なイベント、モンタレー・ポップ・フェスティヴァルの一番手を務めたりもしている。そしてソフト・ロック屈指の名盤として名高い4作目バースデイを、やはりボーンズ・ハウのプロデュースで’68年4月に発表。これは当時流行ったトータル・アルバム的な仕上がりだ。この作品でハウは同じ頃プロデュースしていたコーラス・グループ、フィフス・ディメンションのヴォーカル・アレンジャー、ボブ・アルシヴァーを連れてきており、シングルとして発売された"エヴリシング・ザット・タッチズ・ユー"(全米10位)や一曲目"カム・オン・イン"などでは広がりあるゴージャスなコーラス・ワークが楽しめる。

だが、その後ボーンズ・ハウが持ってきたジム・ウェッブ作曲"マッカーサー・パーク"をアソシエイションがレコーディング拒否、その後イギリスの俳優兼歌手リチャード・ハリスが同曲をヒットさせると、ハウは彼らのもとを去っていき、絶妙のコラボレーションはここで崩れてしまうこととなった。

この後ベスト盤グレイテスト・ヒッツの発売、映画 'さよならコロンバス'のサントラに新曲(ソフト・ロック・ファンに人気高し)を提供するなどの活動をしたが、やはり彼らの黄金期はココら辺りまで。  アソシエイション(’69年)を発表。当時流行のカントリー・ロックの要素も感じる作品だがそれほど彼らの個性と合っているとは言い難い(この作品で先に脱退していたゲイリーがジュールズに改名して復帰している)。この後、ユタ大学で収録された ライヴ を’70年に、 ストップ・ユア・モーター ジム・ウェッブの"P・F・スローン"収録)を’71年に発表。この間にはラス・ギグアが脱退している。その後グループはワーナーからコロンビアに移籍し’72年にウォーターベッズ・イン・トリニダッドをリリース。同年8月ブライアン・コールがヘロイン中毒が理由で死去。’74年にははぼ解散状態。その後はメンバー違いで何度かリユニオンされているが、特筆すべき作品は残していない。尚、現在ワーナーから出ている作品はグレイテスト・ヒッツ以外は快挙の世界初CD化で、そのG.H.とライヴ以外にはボーナス・トラックが追加されている。

Curt Boetcher
アソシエイションのコーラス・ワークに多大な貢献をしたと言われるカート・ベッチャー(どこからどこまでとは言えませんが)。彼がユニークなフォーク・ロック・グループ、ゴールドブライアーズの後に在籍したのがこのミレニウムサジタリアス。特にミレニウムの方は今聴いても何ら古臭くない先進的で普遍的なポップスを聴かせてくれる名盤。サイケの影響も感じさせ、当時の少ないマルチ・トラックを駆使した音像、ハーモニーは一聴の価値アリ!その後、カートはソロ作とカリフォルニア・ミュージックというプロジェクトの作品を残して惜しくも故人となってしまった。

Bones Howe
ボーンズ・ハウがアソシエイションと同時期に手掛けていたコーラス・グループ、フィフス・ディメンション。ヒットした"アップ、アップ&アウェイ"やミュージカル主題歌を取り上げた"輝く星座アクエリアス〜レット・ザ・サンシャイン・イン"、ローラ・ニーロ作"ウェディング・ベル・ブルース"などをダイナミックで洗練された男女混声コーラスで聴かせ、人気を博した。最近米ブッダ・レーベルから名盤"Magic Garden"含むオリジナル・アルバム群が初CD化された。

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