Andy Partridge

Andy Partridge (アンディー・パートリッジ) プロフィール

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英国人気質特有の佇まいを感じさせるポップ・バンドXTCの顔、アンディ・パートリッジは1953年12月11日にマルタ島に生まれ、その後ロンドンのスウィンドンに育った。60年代後半のサイケなシングルをオモチャに育ったなんていうインタビュー証言からして、いかにもアンディらしいが、特に10代だった60年代後半のサイケ〜70年代初期のブリティッシュ・ロックはかなり好きだったという。以下その活動のメインであるXTCの活動バイオとソロ作について簡単に纏めたものをご紹介しよう。

アンディ・パートリッジはリチウム・ヘッズというバンドを経て、1977年2月に折りからのパンク・ムーヴメントに触発されたバンド、XTCを結成する。当時のメンバーはアンディ(vo, g)のほか、コリン・ムールディング(b)、テリー・チェンバース(ds)という同郷スウィンドンの仲間に、バリー・アンドリュース(key)が加入したものだった。そして彼らは同年夏にヴァージン・レーベルと契約。10月に12インチ・シングル“3D EP”でデビューを飾った。

ロンドンで気鋭のポスト・パンク・バンドとして注目を集めたXTCは、1978年1月に 気楽にいこうぜ (White Music) 、10月に GO2(Go 2) と矢継ぎ早にファースト、セカンド・アルバムを発表。ファースト収録の“ディス・イズ・ポップ”という新たな時代のポップ宣言に象徴的なように、パンク以降を感じさせる活きのいいビートに、ヒネリの効いたメロディ、サウンドが特徴的な「ポップ」で人気を博した。

その後、ロバート・フリップのソロ・アルバム、エクスポージャー に参加のためNYへ渡ったバリー・アンドリュースが、1979年にそのことを契機に脱退を表明。バリー脱退後のXTCは間もなくしてデイヴ・グレゴリー(key, g)を加え活動を再開し、同1979年8月にその布陣による初のアルバム ドラムス・アンド・ワイアーズ(Drums And Wires)を発表。スティーヴ・リリーホワイトのプロデュースによるその斬新なサウンドが好評を得、XTCはその独自のサウンドで人気を決定的なものとした。

1980年2月、アンディ・パートリッジはMr. Partridge名義で、XTCの楽曲をダブやテープ処理で料理した作品 Take Away – The Lure Of Salvage を発表(後にXTCのコンピレーションExplode Togetherに全曲収められた)。その後同年9月にはXTC4作目のアルバム ブラック・シー(Black Sea)を発表。またこの頃からアンディトーマス・ドルビー坂本龍一、 ジョーン・アーマトレーディングらのレコーディング・セッションにも参加するなど、活発なソロ活動を見せている。翌1982年2月に5作目のアルバム イングリッシュ・セツルメント English Settlement を発表。さらに11月にシングルA面曲を集めたWax Works – Some Singles 1977-1982 、B面曲集 Beeswax – Some B Sides 1977-1982 という二枚のコンピレーションを発表したXTCだったが、次作レコーディング中の翌1983年の中頃に、テリー・チェンバース脱退、というアクシデントに見舞われてしまう(以降XTCは外部のドラムスを起用しながら3人組として活動していく)。XTCはレコーディングの残りを代役のドラムスを立て乗り切ることになったが、その作品は同1983年8月に ママー(Mummer) として無事発表された。

翌1984年に円形ジャケットで話題となった ビッグ・エクスプレス Big Express を発表したXTCは、その直後にライヴ活動の停止を宣言。彼らはスタジオ・ワークへの専念を決定するのだった。その後アンディ・パートリッジが幼少から親しんだという60’sサイケ・ポップを全面に展開した、XTCの変名バンド、ザ・デュークス・オブ・ストレイスフィアが結成されるが、その成果はミニ・アルバム 25 O’Clockとなり1985年10月にリリースされた。

1986年10月、XTCはアルバム スカイラーキング(Skylarking)を発表。トッド・ラングレン・プロデュース、初のアメリカ録音、ということが話題となったが、同時に彼らはこのポップな本作において初めてアメリカのマーケットで成功を収めることにもなった(全米カレッジ・チャート1位を記録。しかし一方で当初アンディ・パートリッジはこの作品の出来に不満ともとれる発言をしていた)。その後1987年夏に再びデュークス・オブ・ストレイスフィア名義で フル・アルバムPsonic Psunspot を発表(現在彼らの音源は、前述の25 O’Clockの全曲含む形でCD化されている)。

XTCは1989年初頭にオレンジ&レモンズ(Orange & Lemons)を発表。その後、アンディ・パートリッジに関しては、かねてから活発に行っていたプロデュース・ワークで活動していたが、XTCとしての新作までには約3年間の沈黙があった。そしてようやくのニュー・アルバム ノンサッチ(Nonesuch)が発表されたのは1992年2月のことだった。

1994年、アンディハロルド・バッドとのコンビで制作したアルバム スルー・ザ・ヒル(Through The Hill) を発表。その一方でセッションやプロデュースにも精を出したが、古巣ヴァージン・レーベルとの契約上のゴタゴタもあり、結果的にニュー・マテリアルが発表されたのは、ノンサッチから7年ものブランクを経た1999年のこと。レーベル移籍第一弾となる アップル・ヴィーナスVOL.1 (Apple Venus Volume 1)がその待望の新作だった。ここでのメンバーはアンディとコリン・ムールディングのふたりのみ。前作からの間にデイヴ・グレゴリーが脱退していたのだった。そして2000年、そのアップル・ヴィーナスVOL.1 (Apple Venus Volume 1)同様に録りだめられていた兄弟的アルバム WASPスター(Wasp Star – Apple Venus Volume 2)を発表。なおアップル・ヴィーナスVOL.1のデモ集 HomespunWASPスターのデモ集、Homegrownもこの時期にリリースされた。

XTCにある、メロディやサウンドがヒネられていたり、エッジが効いていたり、というただシュガーコーティングされただけではない、絶妙なポップ〜ロック感覚はアンディ・パートリッジの個性によるところが大きい。トッド・ラングレンユートピアをこよなく愛し、比較的オーソドックスな牧歌的ともいえる歌と楽曲を聴かせるコリン・ムールディングの個性と比較するとそれは明白だ(彼の曲のファンも多く二人の個性が合わさって現在のXTCなのだけれど)。60年代の中期ビートルズや初期ピンク・フロイドによるサイケデリックかつポップで斬新な実験、そしてその後70年代のキング・クリムゾンロイ・ウッドのやや過剰な実験性などを好むアンディのセンスが、XTCやソロ名義作で見せる、ダブやときに少々エッジの効き過ぎたような表現に反映されているのだろうなと思う。またギタリストとしてのアンディも基本的にこの個性を強く感じさせる傾向がある。おそらくギターのリフを繰り返すうちに出来たり、コード進行をイジくり回したりして出来たようなXTC初期の楽曲にそれは顕著だし、また80年代中頃以降のどこまでも作り込まれたXTCの曲にしても楽曲自体はポップな佇まいを感じさせながら、時おり「ガキン」とインパクトを与えたり、「シャリン」とやや鋭角的にウルサめに鳴らしたりというギターは意外に聴かれるはず(その意味で アンディにとってはXTCはアルバム スカイラーキングの音は最終的に大人し過ぎると聴こえたに違いない。アメリカのリスナーが好むような整ったポップという気がしたのだろう)。アンディのポップ感と通底する、こうしたイビツでエッジの効いたサウンドを好む感覚は、彼のギターやXTCの音楽に大きく作用しているし、大雑把に言うとその辺りの個性はXTCに影響を受けたと公言する最近の若手ポップ・バンドたちにはあまり見受けられない部分だ。そうした意味でもXTCアンディ・パートリッジの、その濃ゆい独自の感覚は今でもリスナーを魅了してやまないのだ。

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