ヤーノシュ・シュタルケル/20世紀チェロ協奏曲集〜ヒンデミット、プロコフィエフ、ラウタヴァーラ
エルネスト・ブール、ヘルベルト・ブロムシュテット、他
1971&75年の放送用セッション録音(ステレオ)
ハンガリー生まれの名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケル。彼の演奏は「火と氷の融合」と評されるほどに、張り詰めた緊張感と豊かな音楽性が込められた素晴らしいものでした。
このアルバムで演奏されているのは、シュタルケルが「20世紀最高のチェロ協奏曲」と評したヒンデミットの協奏曲と、独奏パートが難しいことで知られるプロコフィエフの交響的協奏曲、シュタルケルの初レパートリーとなったラウタヴァーラの協奏曲の全3曲。シュタルケルは常にオーケストラとのバランスを考慮しながら、説得力のある演奏を繰り広げています。SWR所蔵のオリジナル・テープからデジタル・リマスタリングを行っています。
既発売CD(94227)からの移行盤。(輸入元情報)
【収録情報】
● ヒンデミット:チェロ協奏曲 (1940)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
シュトゥットガルト放送交響楽団
アンドレアス・フォン・ルカーチ(指揮)
録音時期:1971年1月14日
録音場所:シュトゥットガルト、放送局スタジオ
録音方式:ステレオ(アナログ/放送用セッション)
● プロコフィエフ:チェロと管弦楽のための交響的協奏曲 ホ短調 op.125
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)
エルネスト・ブール(指揮)
録音時期:1975年8月16日
録音場所:バーデン=バーデン、ハンス・ロスバウト・スタジオ
録音方式:ステレオ(アナログ/放送用セッション)
● ラウタヴァーラ:チェロ協奏曲第1番 op.4 (1968)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
録音時期:1975年2月6日
録音場所:バーデン=バーデン、ハンス・ロスバウト・スタジオ
録音方式:ステレオ(アナログ/放送用セッション)
【プロフィール】
ヤーノシュ・シュタルケルは、1924年7月5日、ポーランド系の父とウクライナ移民の母の元にブダペストに誕生。二人の兄はヴァイオリンを学んでいましたが、ヤーノシュは幼い頃からチェロを弾き、ブダペスト音楽院に入学、アドルフ・シファーとレオ・ヴェイネルに師事、11歳でリサイタル・デビューし、翌年には海外公演もおこなっており、さらに、14歳の時には、わずか3時間の練習で代役としてドヴォルザークのチェロ協奏曲に出演してコンサート・デビューも果たすほどの天才ぶりでした。
しかし、シュタルケルはユダヤ系だったため、1939年にブダペスト音楽院を卒業すると、強制労働に従事させられ、大戦末期の3ヶ月間は両親と共に強制収容所にいました。その間、2人のヴァイオリニストの兄、ティボールとエーデは当時のドイツ政府によって殺されたと言われています。
戦争が終わると、シュタルケルは、ブダペスト歌劇場とブダペスト・フィルの首席チェロ奏者となりますが、翌年ソ連が侵攻してきたため、祖国を後にし、まずウィーンでコンサートを開いて成功を収めます。そして、ジュネーヴを経てパリに拠点を移し、コンサートやレコーディングに力を注ぎ、1948年、パシフィック・レーベルにコダーイの無伴奏チェロ組曲を録音、このレコードがディスク大賞を受賞すると名声が一躍高まります。
ほどなくアンタル・ドラティの招きもあってアメリカ移住を決意、まずダラス交響楽団の首席チェリストとなりますが、翌年にはフリッツ・ライナーの誘いを受けてメトロポリタン歌劇場の首席奏者に就任、その後、1953年にライナーがシカゴ響に移るとシュタルケルも一緒に動き、1958年に退団するまでライナーのもとで活躍します。
その間、1954年にはアメリカの市民権を得ており、1956年にはヨーロッパ公演も実施、1958年にはインディアナ大学の音楽学部教授に就任し、インディアナ州ブルーミントンに居を構え、長年にわたって演奏家活動と教育活動を並行して展開、2013年4月28日に88歳でその自宅で亡くなられています。
シュタルケルのレコーディング総数は160を超えると言われ、卓越したテクニックと音楽性、優れた音質によって、世界的に高い評価を得たものが数多く含まれています。
レコーディングなどでの使用楽器は、1950年から1965年までは主に、「アイレスフォード卿」という名前で知られるストラディヴァリウス、1965年以降はゴフリラーを中心に使用していたようです。(HMV)