秀吉は「家康政権」を遺言していた 太閤の死から関ヶ原合戦までの2年間の謎

高橋陽介

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784309227870
ISBN 10 : 4309227872
フォーマット
出版社
発行年月
2019年10月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
224p;19

内容詳細

「慶長の役の最中、秀吉が病死したため日本は朝鮮から撤退。その後、徳川家康と石田三成の対立が深まり、関ヶ原の合戦がおこった」…学校で習った歴史は本当なのか?じつは、朝鮮からの撤退は秀吉が生前から検討し、遺言では、家康を後継者に指名、家康と三成の対立もなかった。であるなら、関ヶ原の合戦の対立の真の構図とは?目からウロコの歴史の真相が浮かび上がる!

目次 : 「朝鮮出兵」で露呈した小西行長と加藤清正の諍い のちの関ヶ原へと続く、対立構造の萌芽を探る―第一部 天正二〇年四月〜慶長三年一月(秀吉による朝鮮出兵がはじまる/ 文禄・慶長の役は、明との戦争だった ほか)/ 戦争の最中、「家康政権」を遺言して逝った秀吉 最期まで精力的に指示を出し続けた秀吉の構想とは―第二部 慶長三年三月〜八月(豊臣秀吉は認知症や錯乱状態になったのか/ 豊臣秀吉は、なぜ徳川家康をたずねたのか ほか)/ 「朝鮮退き口」を指揮し戦勝を演出した家康 秀吉の没後、家康はいかに権力基盤を築いたか―第三部 慶長三年九月〜四年一月(秀吉が遺言した政権運営のガイドライン/ 最初は合議で出発した家康体制 ほか)/ 難航する「日明和談」と関ヶ原への道 内憂外患の危機を、家康はいかに脱しようとしたか―第四部 慶長四年二月〜一五年(捕虜の姜〓が残した詩とは/ 姜〓は明の捕虜とも会っていた ほか)

【著者紹介】
高橋陽介 : 歴史研究者。1969年、静岡県浜松市生まれ。東海古城研究会・勝永座談会・佐賀戦国研究会・織豊期研究会に所属。関ヶ原の合戦の研究で最先端に位置する新進気鋭の研究者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • サケ太 さん

    定説となっていた五大老や五奉行間、そして徳川家康と石田三成の対立構図。それに対して豊臣秀吉の“遺言”として、秀頼の後見人となり政権を任されていたのだとする。そうなってしまうと、今まで考えられていた、“関ヶ原の戦い”の因縁の数々が崩れ去ってしまう。秀吉の死の前後とともに、“文禄・慶長の役”の実態が書かれている。江戸時代の軍記を元にした話の多さに驚く。徳川家康の政権を担うものとしての試行錯誤。政権の運営などは面白い。秀頼や淀殿を遠ざけたのはやはり、東アジアの安定(明との交渉のため)の為なんだろうか。

  • やま さん

    主に文禄・慶長の役の間における豊臣政権の政治・軍事史。後の関ヶ原へとつながる因縁を一次史料に基づき詳述してあり、小説的な理解とは大きく異なっている。興味深い内容だった。

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