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大岡信「折々のうた」選俳句 二 岩波新書

長谷川櫂

User Review :4.0
(1)

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784004318125
ISBN 10 : 4004318122
Format
Books
Publisher
Release Date
December/2019
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:
大岡信 ,  

Content Description

江戸時代後期、社会と文化の大衆化を背景に、俳句の質的変化が起こった。日常語によるわかりやすさと個人の細やかな心理描写は、芭蕉と蕪村の時代にはない句を生み出す。俳句編第二巻の本書では、一茶に始まり、子規、虚子、楸邨、龍太へと継承されてゆく近代俳句を取り上げる。大岡信の読みとともに学ぶ俳句クロニクル。

目次 : 一茶の時代(小林一茶/ 桜井梅室)/ 子規・虚子の時代(内藤鳴雪/ 村上鬼城 ほか)/ 楸邨・龍太の時代(加藤楸邨/ 篠原鳳作 ほか)/ 近代俳句は一茶からはじまる(長谷川櫂)

【著者紹介】
大岡信 : 1931‐2017。詩人。著書多数

長谷川櫂 : 1954年生まれ。俳人。朝日俳壇選者。「きごさい(季語と歳時記の会)」代表、俳句結社「古志」前主宰。句集『虚空』で読売文学賞、『俳句の宇宙』でサントリー学芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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『折々のうた』から俳句を精選したアンソロ...

投稿日:2021/04/14 (水)

『折々のうた』から俳句を精選したアンソロジー。 この巻では小林一茶(1763ー1827)から折笠美秋(1934ー90)までの俳人の句を収めている。 近代俳句は明治の正岡子規(1867ー1902)より始まるというのが人工に膾炙した俳句史ですが、この書で長谷川はその通説に修正を加えており、曰く「子規は近代俳句の創始者でなく中継者だった。」とのこと。 この長谷川説がどの程度妥当なのか私のような素人にはわからないのですが、興味深い内容でした。

哲 さん | 不明 | 不明

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • KAZOO

    「折々のうた」再編集版の俳句の第2冊目です。こでは1冊目の納められなかった小林一茶の時代の俳句とその後の近代俳句を取り上げておられます。子規・虚子の時代、楸邨・龍太の時代ということでそれぞれ40人近くの俳句作家の作品が鑑賞できます。絵あたしなどは近頃の作家よりもやはり子規、漱石、虚子、山頭火、西東三鬼などの作品が好みです。

  • syota

    朝日新聞に30年近く掲載された大岡信『折々のうた』から、一茶以降の近現代俳句を選んでまとめてある。最大の特徴は、なんといっても210字という限られた字数(読メの255字より少ない!)で、作品や作者について過不足なく紹介してしまう筆力だ。掘り下げた考察は当然無理だが、私のような素人が俳句を楽しむにはこれで十分。また、取り上げた作品の幅が広いことも美点だ。水俣病を詠んだ石牟礼道子の「祈るべき天とおもえど天の病む」などは、従来の俳句の枠からはみ出した強烈な迫力を感じる。手元に置き、折にふれて読み返したい。

  • syota

    毎晩、寝る前に少しずつ読んで、やっと読了。再読だが、まったく記憶に残っていない句もけっこうあったのにはまいった。この分だと、何度読み返しても新鮮な気持ちで楽しめそうだ(苦笑)。前回は「この句は気に入った」「この句はそうでもない」と区分けしながら通読したが、今回のように少しずつ丁寧に読むと、どの句もそれぞれ味わいがあって楽しめる。中でも、今回とりわけ気に入ったのは「黒猫の子のぞろぞろと月夜かな」(飯田龍太)。晩年の芭蕉が目指した”軽み”の境地に通じるように思えて、ひときわ印象的だった。

  • あきあかね

     大岡信の『折々のうた』の選集の第二巻。第一巻が芭蕉や蕪村といった、王朝·中世の日本や中国の古典を踏まえた「古典主義俳句」を中心とする一方、第二巻では小林一茶から始まり正岡子規、高浜虚子へと続く、日常語によるわかりやすさと心理描写を重視する「近代大衆俳句」が編まれている。「近代」の始まりを一般的な明治維新からではなく、経済や文化、生活の大衆化が進んだ江戸時代後期からとする区分は斬新だ。 平易な言葉によって、深遠で幽玄な世界を詠んだ句もあれば、身近な日常の気づきや温もりを描いた句もある。⇒

  • 崩紫サロメ

    本書が小林一茶から始まっているのは、紙面の都合でなく「俳句にとっての近代とは何か」という大きな問題と関わっているとあとがきで読み、衝撃を受けた。日本史では「近代化=西洋化」と捉えることが多く、日本の近代の始まりは明治であるが、編者は「近代化=大衆化」と捉え直し、この二巻を編集し、日本の俳句のあり方を示している。このことは俳句をよむ人にとっては一般的な認識なのだろうか。興味深い。

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