Books

新版 死を想う われらも終には仏なり 平凡社新書

石牟礼道子

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784582858846
ISBN 10 : 4582858848
Format
Books
Publisher
Release Date
July/2018
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

死に鈍感な者は、生にも鈍感である。日本を代表する詩人と、水俣病を通して死を見つめ続けた作家が語る魂の対話。石牟礼文学の入門書としても最適な1冊。

目次 : 第1章 飢えと空襲の中で見たもの(パーキンソン症候群―読めなくなる、書けなくなる/ 声が出なくなるかもしれない ほか)/ 第2章 印象に残っている死とは(祖母の死/ あの世は「良か所」 ほか)/ 第3章 それぞれの「願い」(『あやとりの記』―流々草花/ お経はどこで習いましたか ほか)/ 第4章 いつかは浄土へ参るべき(『梁塵秘抄』を飛び飛びに読む/ 「我等も終には仏なり」 ほか)/ 増補 詩的代理母のような人 ほか一編

【著者紹介】
石牟礼道子 : 1927年熊本県生まれ。作家・詩人。『苦界浄土』(現・講談社文庫)で1970年に大宅壮一賞に選ばれるが受賞辞退。73年マグサイサイ賞、93年『十六夜橋』(現・ちくま文庫)で第3回紫式部文学賞、2001年度朝日賞、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で02年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。13年エイボン女性大賞、14年第8回後藤新平賞、『祖さまの草の邑』(思潮社)で第32回現代詩花椿賞受賞。2018年2月没

伊藤比呂美 : 1955年東京都生まれ。詩人・作家。78年、第16回現代詩手帖賞受賞。99年『ラニーニャ』(現・岩波現代文庫)で野間文芸新人賞、2002年『ビリー・ジョーの大地』(理論社)で第49回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、06年『河原荒草』(思潮社)で高見順賞受賞。07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(現・講談社文庫)で第15回萩原朔太郎賞、第18回紫式部文学賞受賞。15年、第5回早稲田大学坪内逍遙大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

Customer Reviews

Comprehensive Evaluation

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

powered by

  • いつでも母さん

    お名前は知っていた。『苦界浄土』読みたいと思いつつ未だ・・追悼 石牟礼道子さん。やっぱり凄い。人としてというか、『自分』の芯があるのだなぁ。ぶれない。死はちょっと葦の葉に腰掛けて・・だそうだ。おトイレに行けなくなった時が境界線とか・・解説のかわりの献詩がまた凄い。そしてあとがきの最後に伊藤さんの増補があって、ちょっとぐっときた『生きてる人と死んだ人の間を生きてたような人だった』にずんとする。この国を『死相を浮かべた国』と表した石牟礼さん、今生をお疲れ様でした。ー合掌ー

  • どんぐり

    平凡社新書として2007年5月に刊行された対談の内容に、「詩的代理母のような人」他1篇を収載して、石牟礼さんが亡くなったあと新版で刊行された本。「この次、おいでるときは、私たちはおりません。お名残り惜しゅうございます」と五島のおばちゃんのことを語っていた石牟礼さんに、比呂美さんの「もう会えないという事実に、ただ涙がとまらない」と別れを惜しむ言葉が重なる。みないつかは死ぬ存在だけど、それがいつなのか結局死ぬまでわからない。大切な人に「今度会えるときまで生きていてください」と思わずにはいられなくなるだろう。

  • ネギっ子gen

    「なんとなく死の淵をのぞきこんでいるみたいなおだやかな、ゆるやかな、老いの果てに、すばらしいもの」を書く『苦界浄土』の詩人と「家族たちを小脇にひっ抱え、デリケートな陽気さで、変容ただならぬ俗世に詩的なぐりこみをかけ、陣中突破」してきた「甲斐性」ある『とげ抜き』の詩人が、「死とは何か」を語り合う。<石牟礼:私『故郷』を歌うと、もう、すぐ泣いちゃう。伊藤:私も。あれは泣けます。「菜の花畑に入り日薄れ」ってある。あの2番が好き。「蛙のなくねも、鐘の音も……」あれ、全部「も」なんですよ、あそこが好き>。いい話だ。

  • chanvesa

    石牟礼さんのお母さんが学校に行かなかったことが心残りで、そのため読み書きができず、「行っておれば、書いて加勢する」(103頁)と言っていたというところは、読んでいて涙が出そうになった。強い親子関係、どんなにお母さんはつらかっただろう、石牟礼さんがお母さんの思い出を聞かれて真っ先にこの言葉をあげたこと。直接関係ないけれど、私の祖母が高等小学校を出たが当時では珍しかったと自慢していたこと。いろんなことが頭に浮かんできた。随所に石牟礼さんの語り口が沸き上がり、「花の億土へ」で観た様子や声のトーンが蘇る。

  • きいち

    何度も読み返す。◇今日は義父の法要。きみょーむりょーじゅにょらいー、石牟礼さんが子どものころから唱えていたという「正信偈」を歌う。お参りいただいた筑後の伯母と話ししたおかげで、石牟礼さんがお母さまの語り口を真似てるときの言葉がそのまんま頭のなかで再生されるようになる。「そぎゃんしたことは、いっさい、この人が知っとったですばってん」…。◇父も母も「最期まで生ききっていた」まだまだこの世に用があって。何度も引かれる「梁塵秘抄」の世界観と重る。◇ものを書くことは、人さまの分も束の間ちょっとお借りして生きること。

レビューをもっと見る

(外部サイト)に移動します

Recommend Items