クラシック・ジャーナル 008号
●没後50年記念特集 フルトヴェングラー
没後50年を記念特集。巨匠の最後の録音となった《ヴァルキューレ》について、最後の面はカラヤンが代役で指揮したとの噂がある。主筆・石原俊が、ディスクを聴き、はたして途中交替があったのかどうかを検証。
60頁にわたる第二特集は、アバド。木之下晃氏による22年間のアバドの記録、マテオプーロスのインタビューをまじえたアバド論、最新DVD評などで、現代最高の巨匠の足跡をたどる。
新譜ディスク徹底批評は、ますます充実。アーノンクールのモーツァルト《レクイエム》を長編批評。オーディオエッセイではモーツァルトを聴くのにふさわしいものを考える。
<記事紹介>
フルトヴェングラー没後50年記念特集
疑惑の名盤《ヴァルキューレ》カラヤン代役説の謎
本誌もついにこの20世紀の巨匠を特集としてとりあげることになった。
すでにあまりにも多くが語られているフルトヴェングラーを、原主筆はあまり高く評価していないことは、本誌読者であれば、すでにお気づきであろう。
そこで、今回の特集は、フルトヴェングラーの全体像ではなく、一点のディスクに集中してみた。石原主筆には安楽椅子探偵ならぬ、オーディオ探偵になってもらい、カラヤンが代役を勤めたとの噂のあるフルトヴェングラー最後の録音である《ヴァルキューレ》をとりあげる。はたしてカラヤン代役説の真贋は、オーディオを通して判断がつくのか。また、ヒストリカルに詳しい山崎浩太郎氏にも周辺事情を解説してもらった。
弊社では、秋の刊行を目指している、サム・H・シラカワ著『フルトヴェングラー 悪魔の楽匠』の翻訳出版の編集作業を進めている。同書にも、この疑惑について触れられているので、その部分を引用し、考えてみる。
●特集 アバド
まずは、木之下氏の写真。そして、最新のDVDについての評と、一九八一年前後におこなわれたインタビューをもとにしたアバド論の翻訳とつづく。
改めて、写真のおもしろさ、すごさを感じていただけたのではないだろうか。二十数年という歳月は、やはり、かなり長い。二年おきぐらいにアバドは来日していたわけだが、その時には気づかない変化が、こうして写真をまとめて見ると分かる。演奏にも変化はあるのだろうが、CDを聴いても、そこまでは なかなかわからないものだ。
時間の流れと頁の流れとが一致しない点をお詫びしておくが、最も古いのは、マテオプーロスの『マエストロ』で、一九八一年前後までのアバドについて論じられ、ちょうどその後から、木之下氏がアバドの写真を撮り始めたことになる。最新のアバドについて論じるのが、石原主筆によるDVD評となる。前 号の「次号予告」に「不当に低いアバド評価」と記したが、このタイトルの記事はない。主筆のDVD評から、その意味を読み取っていただきたい。
◆クラシックディスク新譜徹底批評 <石原 俊>
アーノンクールのモーツァルト《レクイエム》
話題の新譜、レクイエムを石原俊が6頁にわたり、徹底批評。
<本文より>
この高演奏精度・高感情濃度によって浮かび上がってくるのは《レクイエム》の本質だ。一九八一年盤でもそれは感じられたが二〇〇三年盤ではより鮮明になっている。旧来のモダン楽器の演奏において、モーツァルトの《レクイエム》はヴェルディのそれに象徴される一九世紀型のレクイエムの祖という位置 づけにあった。ヴェルディの《レクイエム》ではディエス・イレのトランペットのトリルとグランカッサの連打がリスナーの恐怖心をあおる。避けられぬ死に、最後の審判に恐れおののけというわけだ。これは合理主義が行き渡ったためかえってキリスト教的諦観思想が後退した一九世紀的な思想の表れなのだ が、モーツァルトの《レクイエム》もこの語法が適用されていた――すなわちイントロイトゥスで悲しみを甘く描き、ディエス・イレで恐怖を喚起する。
●新連載
◆名曲の秘密 名演の秘訣 往年の名演で名曲を聴く <田村和紀夫>
第1回 ブラームスの「曖昧」
気鋭の音楽学者が、名曲の秘密をわかりやすく情熱をこめて解説。
◆牧野茂の新連載「温故再聴 アナログな日々」
アナログのよさを綴る第一回は、コンパクトカセットについて。もはや、懐かしさを感じてしまう、茶色いテープから聞こえてくるものは?
●連載
◆クラシックファンに贈るオーディオ「粋道」入門――作曲家とオーディオのステキな関係 <石原 俊>
第6章 モーツァルト 天才は真面目だ!
好評連載の第6回。今回登場するのは、アキュフェーズのアンプ。あるゆるジャンルの曲を書いたモーツァルトの音楽にふさわしいアンプの条件とは?
◆美と陰謀の魔宮――19世紀のフランス・オペラ <岸 純信>
フェリシアン・ダヴィッドとレオ・ドリーブ
◆響・一九六〇年 <山崎浩太郎>
第2回 大衆教養主義の権化としてのカラヤン
カラヤンと日本のクラシックファンにとって何だったのか。
◆音楽歴史小説ベルリン・トライアングル <柄谷淳三郎>
フルトヴェングラー・カラヤン・チェリビダッケ
第8回 1942〜44年
戦況が悪化し、末期的症状となるナチのもと、音楽家はどう生きたか。
◆ベルリン音楽異聞 <明石政紀>
其の五 束の間の夢 ユダヤ人文化同盟
戦後、批判の的となったユダヤ人文化同盟の役割は何だったのか。
TOPICS
・ブレッシャ版《蝶々夫人》日本初演に寄せて
・ザルツブルク・イースター音楽祭
目次 : ◆【特集】アバド / 木之下晃 アーカイブス クラウディオ・アバド / ◆クラシックディスク新譜徹底批評・・・石原俊 / ◆フルトヴェングラー / 疑惑の名盤≪ヴァルキューレ≫カラヤン代役説の謎 / / ほか