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馬場戦記 第1巻 世界進出編 新しい視点でたどるジャイアント馬場物語

流智美

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784583117218
ISBN 10 : 4583117213
Format
Books
Release Date
November/2024
Japan

Content Description

日米のプロレス界に巨大な足跡を残したジャイアント馬場の「偉大さ」とはどのようなものだったのか?プロレス史研究の第一人者である筆者が独自の情報源・視点から、プロレスラー・馬場の知られざる歴史を掘り起こす。全3巻

第1巻には、アントニオ猪木と共に日本プロレスに同日入門した1960年(昭和35年)から、デビュー後わずか9カ月で渡米し、アメリカマットで超売れっ子スターとして活躍しまくる1964年(昭和39年)までを掲載

【著者紹介】
流智美 : 1957年11月16日、茨城県水戸市出身。80年、一橋大学経済学部卒。大学在学中にプロレス評論家の草分け、田鶴浜弘に弟子入りし、洋書翻訳の手伝いをしながら世界プロレス史の基本を習得。81年4月からベースボール・マガジン社のプロレス雑誌(『月刊プロレス』、『デラックス・プロレス』、『プロレス・アルバム』)にフリーライターとしてデビュー。以降、定期連載を持ちながらレトロ・プロレス関係のビデオ、DVDボックス監修&ナビゲーター、テレビ解説者、各種トークショー司会など幅広く活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • 剛腕伝説

    当代最高のプロレスライターである流さんによる、ジャイアント馬場のサクセスストーリードキュメンタリー。こうやって見ると、改めてアントニオ猪木とのプロレス界においての格の違いがありありと分かる一冊。子供の頃、日本テレビに仁義を遠し日本プロレスを退社した馬場に、よくぞ思いきったことをしたもんだと感心していたが、やっぱり日本テレビと密約が出来ていたんだと改めて知る。その密約が、『馬場と日本テレビは一心同体』という念書であった。担当した日本テレビの重役も偉ければ馬場も偉い。スケールの大きな話だった!

  • 鷹ぼん

    絶大なる猪木信者・流智美が「馬場本」を書こうとは!。初見の写真や新聞記事も多く、さすがプロレスマスコミの老舗、ベースボール・マガジン社。馬場が心を開いて話す数少ないメディア人の一人、櫻井康雄の回想も貴重で、馬場がポロっとこぼした胸の内なども興味深い。入門9か月で渡米、あっという間に全米にドルの雨を降らすトップレスラーとなった馬場の規格外の活躍ぶり、力道山に貸した金(弟子から借りるな!w)が戻ってこないなど、師である力道山との微妙な距離感、日プロと東郷による馬場を巡る綱引きなど小説のごとしでとても面白い。

  • 豊平川散歩

    G馬場の偉大さを認識できる。 日本人離れの体格は、アメリカ人と並んでも見劣りしないばかりか、アメリカ人にも勝っていた。運動能力も素晴らしく、アメリカマット界ではドル箱レスラーだった。力道山が亡くならなかったら、おそらく日本へはしばらく戻らなかったのではないか。馬場の全盛期であろう、アメリカで活躍していた時代を、自分は知らない。全日を旗揚げした頃は、既に全盛期を過ぎていたのだろう。そんな頃に、全盛期の猪木と比べられていたのは、気の毒である。今であれば、アメリカでの活躍はスーパースター的な存在だった。

  • tsukamg

    1960年のプロレス入門から1964年にアメリカから帰国するまで、馬場さんがアメリカにいたのは2年2ヶ月。全盛期のNWAに、ヒールとして引っ張りだこの状態で試合に出まくっていた。つまり、馬場さんを作ったのは力道山ではなく、トレーナーのフレッド・アトキンスと、世界チャンピオン像を示してくれたNWA王者・バディ・ロジャースであった。本書の終わりに、1964年に帰国し、日本プロレスのリングに立った馬場さんの写真が掲載されているが、悠然としたたたずまいは、まさに王者。こりゃ、どの時代どの団体でも、エースですわ。

  • chuji

    久喜市立中央図書館の本。2024年10月初版。書き下ろし。小学生のころねヒーローは大鵬、長嶋&王、馬場&猪木でした。日本プロレス協会会長「児玉誉志夫」副会長「田岡一夫」ってスゲー〈その前の会長は自民党の大物「楢橋渡」〉。初期の馬場は裸足に下駄履きでのリング登場。オキシキナが「沖識名」だった等々新発見が沢山あり、懐かしいリングネームも沢山出てきました。

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