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獄中十八年 講談社文芸文庫

徳田球一

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784062903684
ISBN 10 : 4062903687
Format
Books
Publisher
Release Date
December/2017
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

かつて、共産党はたしかに輝いて見えた。しかも道徳的な優位性をもって。国家の弾圧に抗して信念を貫きとおした非転向の「アカ」。その代表選手たる徳田と志賀の、ふしぎに明るい語り口は、過去のあやまちを悔いる者にはあまりにも眩しく、新しい日本に希望を抱く者には自信を与えた。敗戦直後という時代の息吹を伝えるベストセラー。

目次 : 徳田球一篇(小さな正義派/ 親孝行でとおる/ 小学校で最初のストライキ/ 七高生から代用教員/ 郡役所書記 ほか)/ 志賀義雄篇(おいたち/ 中学生で米騒動に参加/ 一高入学―学生運動へ/ 三・一五/ 牢獄は革命家の試金石 ほか)

【著者紹介】
徳田球一 : 1894・9・12〜1953・10・14。政治家、社会運動家。沖縄県生まれ。第七高等学校中退、日本大学卒業。1921年に弁護士となり、1922年にモスクワでの極東勤労者大会に出席、帰国後、山川均・堺利彦らとともに日本共産党を結成、中央委員となる。1928年の3・15事件で検挙されるも、獄中にあって最後まで転向しなかった。1945年に出獄し、ただちに共産党を再建、書記長に就任。衆議院議員として当選3回。1950年、マッカーサー指令により追放され、地下に潜行、北京で客死。「徳球(トッキュウ)」の愛称で親しまれた

志賀義雄 : 1901・1・12〜1989・3・6。政治家、社会運動家。福岡県に生まれ山口県で育つ。第一高等学校、東京帝国大学文学部卒業。1923年、日本共産党に入党。1927年、党政治部長となる。3・15事件で検挙され収監、徳田球一同様に日本敗戦まで獄中非転向を貫く。1946年、衆議院議員当選。1950年の党内対立では国際派に属す。1964年、党の決定に背き部分的核実験停止条約の批准で賛成票を投じたことから除名される。ソ連支持の「日本のこえ」(のち党名を「平和と社会主義」に変更)を結成し、全国委員長、議長となった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • BLACK無糖好き

    徳田球一と志賀義雄が戦後、時事通信の記者に向けて語った談話をまとめたもの。夫々の生い立ちと日本共産党での活動、治安維持法と三・一五検挙、獄中生活、終戦後の解放までを淡々と述べている。収監期間中、徳田が網走、志賀が函館に夫々7年程移されるが、さすがに北の地での獄中生活は相当堪えるようだ。転向する事なく信念を貫き通す精神力には感心する。◆巻末の鳥羽耕史氏の解説「戦後の共産党・獄中記ブームと『獄中十八年』」は、この時代の空気感を鮮やかに映し出すと共に、現代社会との関連も見事に射抜いている。

  • gtn

    思想は違えど、獄中十八年貫き通した事実は厳粛である。一方、佐野学、鍋山貞親、三田村四郎、高橋貞樹 は、獄から出たいばかりに転向し、党の敵に回った。裏切者のレッテルは永遠に剥がれない。

  • sakesage

    圧倒的に暗いイメージをもつ獄中というものを、圧倒的なユーモアで綴る彼らの楽天性はどこから生まれるのだろうか。あの戦前という最中に、日本の戦争が敗北する。独ソ戦は、ソ連が勝利すると皆から狂気じみた目線を送られながらも堅持し続けた。1940年、釈放となると思いきや、予防拘禁として、さらに自由を奪われついに敗戦後10月10日に出獄。読後知人のウズベク人のボーイフレンドが入管に捕まったと連絡あり。徳田の「監獄も社会も結局おなじ」という結びを改めて思った。

  • emi kei

    転向した人の著作も読んでみたくなった。

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