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ISBN 10 : 4062903687
Content Description
かつて、共産党はたしかに輝いて見えた。しかも道徳的な優位性をもって。国家の弾圧に抗して信念を貫きとおした非転向の「アカ」。その代表選手たる徳田と志賀の、ふしぎに明るい語り口は、過去のあやまちを悔いる者にはあまりにも眩しく、新しい日本に希望を抱く者には自信を与えた。敗戦直後という時代の息吹を伝えるベストセラー。
目次 : 徳田球一篇(小さな正義派/ 親孝行でとおる/ 小学校で最初のストライキ/ 七高生から代用教員/ 郡役所書記 ほか)/ 志賀義雄篇(おいたち/ 中学生で米騒動に参加/ 一高入学―学生運動へ/ 三・一五/ 牢獄は革命家の試金石 ほか)
【著者紹介】
徳田球一 : 1894・9・12〜1953・10・14。政治家、社会運動家。沖縄県生まれ。第七高等学校中退、日本大学卒業。1921年に弁護士となり、1922年にモスクワでの極東勤労者大会に出席、帰国後、山川均・堺利彦らとともに日本共産党を結成、中央委員となる。1928年の3・15事件で検挙されるも、獄中にあって最後まで転向しなかった。1945年に出獄し、ただちに共産党を再建、書記長に就任。衆議院議員として当選3回。1950年、マッカーサー指令により追放され、地下に潜行、北京で客死。「徳球(トッキュウ)」の愛称で親しまれた
志賀義雄 : 1901・1・12〜1989・3・6。政治家、社会運動家。福岡県に生まれ山口県で育つ。第一高等学校、東京帝国大学文学部卒業。1923年、日本共産党に入党。1927年、党政治部長となる。3・15事件で検挙され収監、徳田球一同様に日本敗戦まで獄中非転向を貫く。1946年、衆議院議員当選。1950年の党内対立では国際派に属す。1964年、党の決定に背き部分的核実験停止条約の批准で賛成票を投じたことから除名される。ソ連支持の「日本のこえ」(のち党名を「平和と社会主義」に変更)を結成し、全国委員長、議長となった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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BLACK無糖好き
読了日:2018/02/24
gtn
読了日:2018/12/25
sakesage
読了日:2024/06/30
emi kei
読了日:2024/04/11
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