日本初の歌謡コーラスグループとして、50〜60年代に数多くのヒット曲を世に送り出した和田弘とマヒナスターズ。
和田弘は、作曲家の故浜口庫之助さんに師事した後、ハワイアンバンドを経て、すぐに当時最大のバンド「バッキー白片とアロハハワイアンズ」に参加した。54年に「和田弘とマヒナスターズ」を結成。スチールギターの和田弘をリーダーに、ボーカル、ウクレレ、ベースなど6人編成で構成。都会派歌謡にジャズやハワイアンの要素を加え、日本初のムード歌謡コーラスグループとして、50〜60年代の音楽界をリードした。歌謡曲をハワイアン調にアレンジして高いウラ声で歌うスタイルを開発し「流行歌ムードコーラス」の原型を作る。和田さんの弾くむせび泣くようなスチールギターの響き、甘くやるせないコーラスが人々の心をつかんだ。故松尾和子さんとのデュエット曲「誰よりも君を愛す」は第2回レコード大賞を受賞。吉永小百合「寒い朝」、三沢あけみ「島のブルース」らとのデュエットでも人気を集めた。さらに64年末、明治末から歌われていた座敷歌を「お座敷小唄」としてアレンジして売り出し、当時では異例の200万枚ともいわれる大ヒットとなった。メンバーは何度となく入れ替わったが、89年に全盛期のオリジナルメンバーで再出発し、話題を集めた。リーダーでスチールギター奏者・和田弘さんは、2003年1月5日にお亡くなりになられています。72歳でした。