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四月七日の桜戦艦「大和」と伊藤整一の最期

中田整一

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784062183277
ISBN 10 : 4062183277
Format
Books
Publisher
Release Date
April/2013
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
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Content Description

山本五十六に最も信頼された男が家族を思うとき――司令長官として「大和」とともに沈んだ父。沖縄へ出撃した特攻機で散った息子。二人を追うように娘を残して逝った母。昭和20年4月7日から翌年9月までに、悲劇が立てつづけに伊藤家を襲う。ただし、伊藤が植えた桜は、今もその命日を忘れずに満開となる。
新資料多数掲載。山本五十六から伊藤に宛てた未公開書簡・色紙、アメリカ国立公文書館から戦艦「大和」から発信された無線暗号の解読資料、戦死した父・兄から家族への手紙など。
海軍大将・伊藤整一は、沖縄へ向かう際、撃沈された戦艦「大和」を率いる司令長官として、艦とともに海に没した知米派軍人として知られる。ちなみに映画『男たちの大和』では、渡哲也が演じた。伊藤を描いた書籍としては、これまで「大和」に乗艦し一命をとりとめた作家・吉田満の『提督伊藤整一の生涯』があが、本書は、伊藤の家族愛、その独断により若者たち多数の命を救った面を中心に焦点をあてる。
昭和16年9月、開戦が不可避となったとき、伊藤は山本五十六ら知米派の期待を受け、作戦の意思決定機関・軍令部のナンバー2次長につく。しかし、おのれの考えと逆に海軍は破滅への道を突き進む。異例の3年4ヵ月次長の職にあった伊藤は、日本の敗戦を意識し、死に場所を求め「大和」と共に前線に立つ。その死は、4月7日だった。
父の影響から海軍士官学校へ進み、飛行兵となった息子・叡も、「大和」出撃時に上空から援護する部隊に属していたが、その沈没後、4月27日に沖縄への特攻で命を落とす。5月には東京大空襲で伊藤家が全焼する。そしてその後には、母にも悲劇が待ちうけて・・・

【目次】
第一章 若い命を救った長官の決断
第二章 有明海が育んだ偉丈夫
第三章 士官として父として
第四章 山本五十六が信頼する軍令部次長
第五章 敗戦責任そして戦艦「大和」へ
第六章 だしぬけの海上特攻命令
第七章 伊藤司令長官の死
第八章 神風特攻・叡の戦死
第九章 戦死を信じられなかった母
第十章 校長室の戦艦「大和」

【著者紹介】
中田 整一(なかた・せいいち)
ノンフィクション作家。
1941年熊本県生まれ。66年九州大学卒業後、NHK入局。おもに現代史を中心にドキュメンタリー番組を手がける。『戒厳指令「交信ヲ傍受セヨ」二・二六事件秘録』で、日本新聞協会賞・文化庁芸術祭優秀賞などを受賞。大正大学教授を経て、執筆に専念。『満州国皇帝の秘録―ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』で、毎日出版文化賞・吉田茂賞を、『トレイシー―日本兵捕虜秘密尋問所』で、講談社ノンフィクション賞を受賞。他の著書『盗聴二・二六事件』『最後の戦犯死刑囚』などがある


【著者紹介】
中田整一 : ノンフィクション作家。1941年熊本県出身。66年NHK入局。プロデューサーとして、現代史を中心としたドキュメンタリー番組の制作にたずさわる。文化庁芸術祭優秀作品賞、日本新聞協会賞など受賞多数。退局後、大正大学教授を経て、執筆に専念。主な著書に、毎日出版文化賞と吉田茂賞を受賞した『満州国皇帝の秘録―ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』(幻戯書房、2005年)、講談社ノンフィクション賞を受賞した『トレイシー―日本兵捕虜秘密尋問所』(講談社、10年)、『戦場の聴診器』(幻戯書房、08)年など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • 0717

    沖縄への海上特攻の途上で米軍機の攻撃を受けて戦艦大和と共に沈んだ、第二艦隊司令長官であった伊藤整一中将とその妻ちとせと、零戦搭乗員で特攻隊機の直掩にあたり沖縄の伊江島付近で戦死した息子の伊藤叡、残された三人の娘達の物語。ひたすら悲しい。

  • 手押し戦車

    戦艦大和の船長として多くの若者の命を預かり海軍最後の沖縄特攻に向けて指揮をした提督。夫婦円満で子供達にいつも笑顔で接し部下にも優しさを出し常に人の話を聞き相手を思いやる。戦艦の上で米軍の戦闘機に攻撃に晒されてる時も部下を信頼し船を任せて時折笑顔で部下を励ませる冷静でしかも優しさ、最後部下に船が沈む前に残念だったね。皆は生き残って次の日本を支えろと特攻中止という前代未聞の凄い決断をした。部下を信用して最後まで口を出さず、現場の判断を優先して最良の決断を下す。どんな状況でも貫く事こそ信頼。4月7日大和沈没

  • さいちゃん

    購入本。「山本五十六」くらいしか知識のなかった私ですが、戦艦「大和」と共に運命を一緒にした方を、また知ることができた。

  • もちもち

    満開の桜の中を出撃してゆく美しい光景なのに、ひたすら悲しい物語。 両親を亡くした当時女学生の娘さん2人は厳しい人生を歩まれたんだろうな…

  • 勝浩1958

    連合艦隊司令部からの戦艦大和の沖縄特攻命令により、最後の戦艦部隊総員六千有余のうち多くの兵が犬死同然に死んでいったのである。米軍による第八波におよぶ攻撃を受け甚大な損害を蒙ったことで、第二艦隊司令長官伊藤整一は特攻作戦中止を決断した。その決断が約千七百名余の命を救うことができたのである。 作戦遂行が不可能となったときの作戦中止の裁量を伊藤自身が行えるように、草鹿参謀長から言質を取っていたのである。先を見据えた行動により、かけがえのない命がわずかながらも救われたのである。

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