叢書・20世紀の芸術と文学
大指揮者 カール・シューリヒト
ミシェル・シェヴィ著 扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳
カラヤンよりも、フルトヴェングラーよりも偉大な指揮者の日本で初めて刊行される本格評伝。シューリヒトはフルトヴェングラーと同世代、1880年に生まれ、1967年に亡くなったドイツの指揮者です。ワイマール共和国時代に頭角を現し、激動のナチ時代をくぐりぬけ、戦後まで活躍しました。戦後はスイスに住み、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルにもよく客演していました。音楽性の豊かさと、卓越した指導力で、ドイツで最も優れた指揮者と言われていましたが、録音が少ないことと、来日しなかったことなどの理由で、日本ではそれほど知名度はありませんでした。しかし、1990年代に入ってから、生前のライヴ演奏が次々とCDとなり、日本の音楽ファンにもようやく、その偉大さが知られるようになったところです。本書は、スイスのフランス語圏で2004年に出版されたものの翻訳です。シューリヒトについての評伝は海外でも少なく、いまのところ、最も信頼できるものと考えられます。もちろん、日本でもシューリヒトについての評伝は、これが初めてとなります。A5判・388頁・カラー口絵32頁・上製。
【著者プロフィール】
1933年にローザンヌに生まれ、古典文学を学び、ギムナジウムでラテン語、ラテン文学、古典文化を教える。またキケロ、ルクレティウス、カトゥルス等ラテン作家に関する著作もある。また若い頃から音楽に傾倒し、ジャック・パッシュ率いるベテュジー・ローザンヌ合唱団で歌う。1979年にEMIの依頼とフランス・ウィルヘルム・フルトヴェングラー協会の協力で「フルトヴェングラーとブラームス」という小冊子をパリで出版。またフルトヴェングラーのスイスにおける芸術的な足跡の研究も行っている。
転載
平林直哉の盤鬼のつぶやき 第13回
「感動の力作『大指揮者カール・シューリヒト 生涯と芸術』」

シューリヒトに関する国内での初めてのまとまった文献が発売された。それは『大指揮者カール・シューリヒト 生涯と芸術』(ミシェル・シェヴィ著、扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳/アルファベータ)である。
シューリヒトについて、これまでは略歴程度のことしか知られていなかった。ダンツィヒに生まれるが、父はすでに他界、その後家計を支えた伯父も破産するなど、非常に厳しい生活を余儀なくされた。そんな中でも彼は音楽を生きる糧とし、才能を育んだ。本の虫と自負するほど読書をし、堪能な語学は8カ国語もあった。一時は作曲家になるか指揮者になるかで悩むが、「指揮は作曲と同等の創造的行為」と判断、指揮者への道を歩み始める。しかし、そんなシューリトも2度の戦争で大きな打撃を受けた。彼自身はゲシュタポにおびえ、また彼が育てたヴィースバーデンの人々も本拠地も失われた。さらに、私生活では3度も結婚に失敗している。だが、戦後はアンセルメの手助けによってスイスに住み、徐々にその活動を広げていく。そのスイスでシューリヒトはアンセルメ、フルトヴェングラーと親しく交わっていたことはあまり知られていない。
本書はシューリヒトの生涯をたどりつつ、多くの証言や批評などを引用しつつ、彼の人間像や芸術を浮き彫りにしようとしたものである。その調査は実に詳細でありながら、重箱の隅をつつきすぎることなく、明解で変化に富み、読み手を飽きさせない。また、こうした評伝はえてしてレコードの情報が手薄になりがちだが、その点に関しても完璧に調査し(日本の
キングインターナショナルが発売したシューリヒトの作品にも言及している)、要所にそうした記述を取り込んでいる。しかも、未発表の録音についても多数触れており、これらがマニア心をくすぐることも間違いない。

出世欲よりも音楽への愛を大切にしたシューリヒト。風邪をひきやすく、関節の持病を持っていた彼は、特に晩年は両腕を支えられながら舞台に登場したこともあったようだ。こうした彼の気質や健康がシューリヒトを華やかな舞台から遠ざけた一因にもなったが、シューリヒトの功績は明らかだった。本書に登場する多くの批評を読むと、誰もが彼の一途な姿勢、そしてその音楽の素晴らしさを心から賞賛していることが痛いほど伝わってくる。
いつも気さくでおだやかなシューリヒトだが、彼はあてがわれた条件をいつもにこやかに受け入れたわけではなかった。むしろ彼は自分の要求が認められない時は、一切手を出そうとはしなかった。特に合唱や独唱を要するような大所帯の上演の時がそうだった。彼はオペラとも無縁と思われていたが、条件さえ整えば喜んで指揮をした。R.シュトラウスの「サロメ」やウェーバーの「魔弾の射手」などを戦後に手がけたようで、モーツァルトの「フィガロの結婚」も指揮したという記述がある(この「フィガロ」は録音が残っていないものだろうか?)。
もうひとつ重要なのは、彼が自分のパート譜を使用していたことだ。シューリヒトはスコアに細かく書き込みをした。このスコアからパート譜にその指示を転記するのだが、この重要な作業を誰がやったか、それは本書を読んで確かめていただきたい。
その他、弟子のアタウルフォ・アルヘンタやガブリエル・サーブのこと、あるいは1964年の東京オリンピックの時にシューリヒトが来日する可能性があったことなど(もしも彼が日本に来たのならば、この語学の天才はきっと日本語を勉強しただろう)、これまで知られていなかったことが山ほど書かれている。
訳文はこなれていて非常に読みやすい。批評の多くは文学的、抽象的な表現が多いので、訳出の際の苦労が多かったと察せられる。また、人名の表記も最も一般的なものに準じており、この点に関しても全く問題はない。原書でも触れている通り、各国の批評は語学に堪能だったシューリヒトにあやかって全部言語で記されているという。この批評の訳文と本文との統一も、さぞかし難題だったであろう。また、邦訳では削除されがちな人名索引(しかも欧文も併記)がついているのもありがたい。
読み終わっての感想、これはひとりの指揮者の評伝というよりも、偉大な音楽作品から受けた感動にも等しい、そう思った。シューリヒトのファンはむろんのこと、フルトヴェングラー・ファンにも強くお勧めする。あるいは、戦前戦後のヨーロッパの音楽界の動向についても知るためにも、非常に有意義な一冊でもある。
(ひらばやし なおや 音楽評論家)
目次 : 〜20世紀ドイツ最高の指揮者の評伝。 / フルトヴェングラーが最も愛した友人、ウィーン・フィルに / 最も愛された指揮者。シューリヒトの活動を、歴史的な / 状況から検証。人間としてまた芸術家としての生涯を / 浮き彫りにする。〜 / 【目次】 / 第1章 少年時代と学業期 ヴィスバーデン時代 / 第2章 カール・シューリヒトとスイス・ロマンド / 第3章 国際的な活躍 / 別れに代えて 光と影 / [著者]ミシェル・シェヴィ / [訳者]扇田慎平、塚本由理子、佐藤正樹
【著者紹介】
ミシェル・シェヴィ : 1933年にローザンヌに生まれ、古典文学を学び、ギムナジウムでラテン語、ラテン文学、古典文化を教える。またキケロ、ルクレティウス、カトゥルス等ラテン作家に関する著作もある。また若い頃から音楽に傾倒し、ジャック・パッシュ率いるベテュジー・ローザンヌ合唱団で歌う。1979年にEMIの依頼とフランス・ウィルヘルム・フルトヴェングラー協会の協力で「フルトヴェングラーとブラームス」という小冊子をパリで出版。またフルトヴェングラーのスイスにおける芸術的な足跡の研究も行っている
扇田慎平 : 1955年生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒業。広告会社、テレビ番組制作会社、クラシック音楽事務所をへて、現在はフリーの編集者、ライターとして、活動中。編集者としては業界誌を中心に、翻訳者としては、広告、映画、音楽関係の本を、フランス語、英語、イタリア語から、共訳者とそれぞれ翻訳している
塚本由理子 : 1971年生まれ。明治学院大学フランス文学科卒業。外国人向けの日本語教育を学んだ後、明治学院大学フランス文学科研究室副手勤務から講演会運営、雑誌編集に従事。美術関連、時事フランス語を中心に通訳・翻訳として活動中
佐藤正樹 : 1971年生まれ。早稲田大学第一文学部、同大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得退学。早稲田大学文学部助手を経て、早稲田大学文学学術院等非常勤講師。専攻は16世紀フランス文学、ルネサンス文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
(「BOOK」データベースより)