過ぎ去った希望の反射光として美が照らしている・・・。第九交響曲についてのテオドール・アドルノの哲学的言辞は、マーラーが完成した最後の交響曲の性格をよく表している。アドルノは、「マーラーはウィーン楽派の原点」と考えた。ブーレーズは、このアドルノの考えに影響をうけて、「私はシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクを“発見”したのちに、彼らの音楽との連続性からマーラーを発見した。」と語っている。
ブーレーズは、1950年代にバーデン・バーデンで、ハンス・ロスバウトから「この交響曲を聴きなさい」と、彼が南西ドイツ放送交響楽団を指揮した第九のレコードを勧められた。このときブーレーズは第九を初めて聴き、大変印象深かったと回想している。
マーラーの交響曲はテンポの設定が重要であり、特に第九は両端の重要な緩徐楽章のテンポの設定に、指揮者の姿勢が顕著に表れる。ロスバウトの1954年1月7日の演奏は、第1楽章が23分06秒、第4楽章が21分38秒である。1950年のヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン交響楽団の「超速」の演奏には及ばないが、最速の演奏の範疇に属する。ロスバウトの1960年の演奏も、この速さを維持している。
ブーレーズは、彼が首席指揮者を務めていたBBC交響楽団と第九を取り上げ、1971年と1972年にライヴ録音をしている。1971年6月6日の演奏は、第1楽章が32分16秒、第4楽章が23分20秒である。 1972年10月22日の演奏は、第1楽章が26分57秒、第4楽章が21分37秒である。この当時、ブーレーズは第九の演奏の実験をしていた感がある。ブーレーズは、1990年代からドイツ・グラモフォンでの録音が多くなり、1995年12月に、DG・マーラー・チクルスの第4弾としてシカゴ交響楽団とともにセッション録音に臨んだのが本ディスクである。演奏時間は、第1楽章が29分17秒、第4楽章が21分25秒、全曲は79分23秒である。純音楽的に最も重要な第1楽章をじっくり、第4楽章は比較的あっさり、全曲を1枚のCDに収めてしまうテンポ設定に落ち着いた。第1楽章をより重視する指揮者の代表例は、ブーレーズの他にはワルター(コロンビア響)やジュリーニをあげることができる。一方、第4楽章をより重視する指揮者の代表例としては、バーンスタインやベルティーニをあげることができる。この指揮者の姿勢の違いは聴き手の好みが分かれるところであるが、私は第九交響曲については第1楽章をより重視する演奏を好む。ブーレーズの演奏は、前打音やポルタメントなどの細かな指示は強調しないが、全楽章で総譜に忠実に音楽を奏でている。ごく一例をあげると、第1楽章冒頭の第4~5小節のヴィオラのトレモロにも曖昧さがない。オーケストラ全体が奏でる音楽には、厳格な構成美があり、各パートの音量のバランスも的確である。第九の総譜を実際の音で認識するためにも、最も適した演奏である。怜悧な解釈と表現でありながら情熱もある。マーラーの伝記を排し、純粋に音楽の美を追求した理想的な演奏の一つと言うことができる。
シカゴ交響楽団による第九の正規録音は意外に少なく、現時点においても、1976年のジュリーニ、1982年のショルティ、そして1995年のブーレーズの3つのみである。時が流れてオーケストラのメンバーも変遷しているが、いずれもシカゴ交響楽団の圧倒的な実力を遺憾なく発揮した超弩級の名演奏である。