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The Art of Samuil Feinberg (15CD)

Item Details

Genre
:
Catalogue Number
:
SC844
Number of Discs
:
15
Label
:
Format
:
CD
Other
:
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Product Description


きわめつけの平均律やスクリャービンのほか
聴きごたえある自作も大量に収録!

フェインベルクの芸術(15CD)


イギリスのヒストリカル系レーベル、スクリベンダムから、ウクライナ生まれのピアニスト、サムイル・フェインベルクの15枚組ボックスが登場。
  フェインベルクはソ連時代のピアニストで作曲家。モスクワ音楽院の教授を40年間務め、イグムノフ、ゴリデンヴェイゼル、ネイガウスと共に競い合うかのように弟子を育て、ロシアン・ピアニズムの太い流れを作り上げた大御所。
  著述家としても知られる一方、確かな技巧とポリフォニーを際立たせる明晰な解釈によって、晩年まで演奏家として現役だったのは4人の大御所の中でも異例の存在と言え、さらにウィーンで開催された国際現代音楽コンクールに審査員として招かれるなど現代作品にも精通した稀有な存在でした。

多数のバッハ音源を収録
有名な平均律のほか、「いと高きところには神にのみ栄光あれ」の複数音源や、前奏曲とフーガ BWV548「くさび」の2種の音源、平均律の単独旧録音8曲、シンフォニア6曲、パルティータ1曲、トッカータ1曲など多数収録。

ドイツ・オーストリア作品
モーツァルトのソナタ2曲と変奏曲、前奏曲とフーガのほか、ベートーヴェンのソナタ第4、11、19、20、23、30番、シューマンの森の情景、アレグロ、フモレスケ、「子どものためのアルバム」 23曲に、ヴァイマール時代のリスト作品「慰め」とメフィスト・ワルツ第1番を収録。

ロシア作品
チャイコフスキーのピアノ・ソナタ、リャードフの牧歌、ラフマニノフの前奏曲4曲、音の絵より1曲、スクリャービンのマズルカ、ソナタ第4番、エチュード、4つの小品のほか、26歳で亡くなったスタンチンスキーのカノン形式の前奏曲 第2番、長寿だったアレクサンドロフが若き日に書いたノクターンとワルツを収録。

自作
ソナタ第1番の第1稿と第2稿、ソナタ第2、9、12番、幻想曲第1番、組曲第1、2番、ユーモレスク、2つのチュヴァシのメロディー、3つのメロディー、ピアノ協奏曲第2番を収録。
スクリベンダム 検索
 収録曲一覧(作曲家生年順・作品番号順)

バッハ (1685-1750)
◆オルガン・ソナタ BWV529 よりラルゴ(CD5/1962)
◆幻想曲とフーガ ト短調 BWV542(CD6/1950年代)
◆前奏曲とフーガ ホ短調 BWV548「くさび」(CD5/1948)
◆前奏曲とフーガ ホ短調 BWV548「くさび」(CD6/1962)
◆オルガン協奏曲 イ短調 BWV593よりアレグロ(CD5/1927〜1929年頃)
◆「ただ神の摂理に任す者」 BWV647(CD5/1962)
◆「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV662(CD5/1952)
◆「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV662(CD5/1952)
◆「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV662(CD5/1962)
◆「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV663(CD5/1962)
◆「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV711(CD5/1927〜1929年頃)
◆「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV711(CD5/1952)
◆シンフォニア第2番 ハ短調 BWV788(CD7/1950)
◆シンフォニア第5番 変ホ長調 BWV791(CD7/1950)
◆シンフォニア第9番 ヘ短調 BWV795(CD7/1950)
◆シンフォニア第12番 イ長調 BWV798(CD7/1950)
◆シンフォニア第12番 イ長調 BWV798(CD7/1950年代)
◆シンフォニア第15番 ロ短調 BWV801(CD7/1950)
◆パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825(CD6/1962)
◆平均律クラヴィーア曲集全曲 BWV846〜893(CD1〜CD4/1958〜1961)
◆平均律クラヴィーア曲集第2巻より BWV 870〜874(CD15/1950)
◆平均律クラヴィーア曲集第2巻より BWV884、888、889(CD6/1939年頃)
◆半音階幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903(CD5/1948)
◆幻想曲とフーガ イ短調 BWV904(CD6/1961)
◆トッカータ ニ長調 BWV912(CD5/1961)
◆イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV989(CD6/1961)


モーツァルト (1756-1791)
◆ピアノ・ソナタ 変ホ長調 K.282(CD11/1953)
◆前奏曲とフーガ ハ長調 K.394(CD11/1951)
◆アレグレットによる12の変奏曲 K.500(CD11/1951)
◆ピアノ・ソナタ ニ長調 K.576(CD11/1952)


ベートーヴェン (1770-1827)
◆ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7(CD10/1960)
◆ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 Op.22(CD10/1960)
◆ピアノ・ソナタ第19番 ト短調 Op.49-1(CD9/1956)
◆ピアノ・ソナタ第20番 ト長調 Op.49-2(CD9/1956)
◆ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調Op.57「熱情」(CD9/1939〜1946年頃)
◆ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109(CD9/1953)


ショパン (1810-1849)
◆24の前奏曲 Op.28より3曲(CD8/1950年代)
◆24の前奏曲 Op.28より4曲(CD8/1952)
◆タランテラ Op.43(CD8/1953)
◆バラード第4番 Op.52(CD8/1952)
◆バラード 第4番 Op.52(CD8/1952)
◆3つのマズルカ Op.59(CD8/1953)


シューマン (1810-1856)
◆アレグロ Op.8(CD8/1953)
◆フモレスケ Op.20(CD8/1953)
◆「子どものためのアルバム」 Op.68より23曲(CD7/1953)
◆森の情景 Op.82(CD7/1950)
◆森の情景 Op.82より2曲(CD8/1939)


リスト (1811-1886)
◆6つのコンソラシオン(慰め) S.172より2曲(CD9/1939)
◆6つのコンソラシオン(慰め) S.172より3曲(CD9/1950)
◆メフィスト・ワルツ第1番 S.514(CD9/1953)


チャイコフスキー (1840-1893)
◆ピアノ・ソナタ 嬰ハ短調 Op.80(CD11/1955)


リャードフ (1855-1914)
◆牧歌 Op.25(CD15/1947)


ラフマニノフ (1873-1943)
◆10の前奏曲 Op.23より4曲(CD10/1950)
◆音の絵 Op.39より1曲(CD10/1950)


スクリャービン (1872-1915)
◆10のマズルカ Op.3(CD12/1952年頃)
◆10のマズルカ Op.3より2曲(CD13/1948)
◆9つのマズルカOp.25(CD12/1952年頃)
◆9つのマズルカ Op.25より3曲(CD13/1952〜1960)
◆ピアノ・ソナタ第4番 嬰ヘ長調 Op.30(CD13/1939)
◆2つのマズルカ Op.40(CD13/1948)
◆8つのエチュード Op.42より1曲(CD13/1929)
◆4つの小品 Op.51(CD13/1947)
◆4つの小品 Op.51より1曲(CD13/1929)


スタンチンスキー (1888-1914)
◆カノン形式の前奏曲 第2番ト長調(CD15/1929)


アレクサンドロフ (1888-1982)
◆ノクターン イ長調 Op.3-1(CD15/1952)
◆ワルツ イ短調 Op.3-2(CD15/1952)


フェインベルク (1890-1962)
◆ピアノ・ソナタ第1番 Op.1 (第1稿)(CD14/1950年代)
◆ピアノ・ソナタ第1番 Op.1 (第2稿)(CD13/1950年代)
◆ピアノ・ソナタ第2番 Op.2(CD14/1950年代)
◆幻想曲第1番 Op.5(CD13/1950年代)
◆組曲(4つの練習曲)
第1番 Op.11(CD12/1929)
◆ユーモレスク Op.19(CD13/1957)
◆2つのチュヴァシのメロディー Op.24a(CD13/1952)
◆ピアノ組曲第2番 Op.25(CD14/1939)
◆3つのメロディー Op.27a(CD13/1952)
◆ピアノ・ソナタ第9番 Op.29(CD15/1950年代)
◆ピアノ協奏曲第2番 ニ長調 Op.36(CD14/1946)
◆ピアノ協奏曲第2番ニ長調 Op.36より2つの楽章(CD15/1960)
◆ピアノソナタ第12番 Op.48(CD14/1950年代)


 フェインベルク情報

超絶記憶力の持ち主、フェインベルク
頭脳明晰で知られたフェインベルクは、超人的な記憶力の持ち主でもあり、膨大な数の作品を、教室でも演奏会場でもすぐに弾くことができる状態になっていたほか、ワーグナーが大好きで、「パルジファル」「トリスタンとイゾルデ」「マイスタージンガー」などのピアノ版ヴォーカル・スコアをすべて記憶しており、弾きながら一人で何役も歌ってしまうという離れ業も披露していました。もしかするとトスカニーニと同じく「映像記憶」の天才だったのかもしれません。


演奏家フェインベルク
演奏家としてのフェインベルクは、バッハの平均律クラヴィーア曲集をロシアで最初に全曲演奏してレコーディングもおこなったことでも知られており、ベートーヴェンの32曲のソナタについても好んで演奏、さらに作曲者本人からも高く評価されていたスクリャービンの作品も得意としていました。


作曲家フェインベルク
本格的な作曲家でもあるフェインベルクは、スクリャービンの流れを汲む12のピアノ・ソナタや3つのピアノ協奏曲のほか、モダニズムから社会主義リアリズムに至るまでけっこうな量の作品も出版しています。


著述家フェインベルク
フェインベルクは、著述家としても有名で、大著「芸術としてのピアニズム」と、「音楽形式の宿命」によって高い評価も獲得しています。
 本業が教育者だったため、遺された音源は少ないですが、幸いなことに、他の都市に較べて録音機材と技術に恵まれていたモスクワで収録されているため、古いものでも聴きやすいのが朗報です。


 モスクワ音楽院ピアノ学部の流派


モスクワ音楽院ピアノ学部の流派は4つあると言われ、同音楽院に長く在職した大御所4人が、それぞれの始祖として知られています。

イグムノフ(1873-1948) 在籍期間:1899-1948(49年間)


ゴリデンヴェイゼル(1875-1961) 在籍期間:1906-1961(55年間)
フェインベルクは、14歳でモスクワのフィルハーモニー協会付属学園に入学し、ゴリデンヴェイゼルの指導を受けるようになっていたので、通算57年間の付き合いだったことになります。ゴリデンヴェイゼルは、フェインベルクと初対面の日の日記に、その天才ぶりに驚いたことを記しています。


ネイガウス(1888-1964) 在籍期間:1922-1964(39年間)
フェインベルクは28番教室で、同世代のネイガウスは29番教室と隣同士でしたが、2人は対照的な存在でもありました。
 ネイガウスは1933年の重度のジフテリア罹患以降、右手の2本の指に麻痺が残り、以後はそれをカバーしながら演奏するという状態だったため、音楽を植物や何かにたとえる話が主体となって、その「お話」が却って人気が出ることにも繋がっていました。
 一方、フェインベルクは日頃から「芸術とスキルは切り離せない」と語っており、実際に晩年まで技巧があまり落ちなかったため、作品解釈をその都度徹底的におこない、バッハではしばしばノンレガート奏法を用いたり、装飾音の運用や、過度なまでの繊細さにも配慮するなど、さまざまな表現を自らの演奏で示すことが可能でした。


フェインベルク(1890-1962) 在籍期間:1922-1962(40年間)

フェインベルクのモスクワ音楽院教授就任 (1922)
1922年秋、フェインベルクのほか、ゲンリヒ・ネイガウス(1888-1964)と、彼の叔父フェリクス・ブルーメンフェリド(1863-1931)などがモスクワ音楽院教授に就任。
 直前の6月には、レーニンが反政府知識人の大量追放を指令し、数万人を強制収容所などに送致していたので、ロシア帝国時代の知識人を1人でも多く国の力として残したかったルナチャルスキー大臣も懸命でした。
 この年は正式に「ソ連」が国家として成立した年ということで、1917年から初代教育人民委員(≒文部大臣)の任に就いていたアナトリー・ルナチャルスキー(1875-1933)は多くの施策に手を付けており、モスクワ音楽院の人事刷新もそのひとつだったと考えられます。
 まずモスクワ音楽院では、ロシア帝国時代から16年間に渡って院長を務めていた作曲家のイッポリトフ=イワノフを解任し、代わってピアノ科教授のゴリデンヴェイゼルが院長に就任。しかし、1929年にはスターリンによってルナチャルスキーが大臣職を解任されてしまいます。


プシビシェフスキ院長の時代 (1929〜1932)
アンドレイ・ブブノフ(1884-1938)がルナチャルスキー大臣の後任になると、ボレスワフ・プシビシェフスキ(1892-1937)という人物がモスクワ音楽院院長に就任。ワルシャワ音楽院出身ながら紆余曲折を経て1920年にモスクワで共産党に入党。教育関係の部署で働いて頭角をあらわし、やがて教育人民委員会の音楽部門責任者に就任。ほどなく、モスクワ音楽院の院長に任命されています。
 新院長プシビシェフスキは政府に従って改革に乗り出し、「ロシア・プロレタリア音楽家同盟」(ソ連作曲家同盟の前身)の方針に基づき、モスクワ音楽院のプロレタリア化に着手。新規入学者は労働者と農民の子のみとし、学校の名前も「フェリクス・コン高等音楽学校」と改名(フェリクス・コン(1864-1941)は、ポーランド出身ユダヤ人で、教育人民委員会の博物館部門のベテラン責任者でプシビシェフスキにとっての恩人)。
 しかし、「ロシア・プロレタリア音楽家同盟」と、モスクワ音楽院の多くの教授陣との関係は元々あまり良いとは言えない状態で、カリキュラムが変更され、音楽と関係の無い社会や経済の教育などが増やされると、辞任する者まであらわれ、また、生徒たちの演奏水準もどんどん落ちて行ったので、モスクワ音楽院プロレタリア化計画はやがて中止となり、プシビシェフスキも1932年2月に解任されています。
 翌1933年、プシビシェフスキは計画の失敗を押し付けられるかのように告発され、バルト海運河建設現場での3年間の重労働を終えたのち、エジョフによる「大粛清」の目玉でもあった「ポーランド作戦」の標的となり、翌1937年に処刑されています(虚偽の罪状だったので1956年に名誉回復)。


ネイガウス院長の時代に主任教授に任命 (1936)
プシビシェフスキの後任は、教育学の専門家であるスタニスラフ・シャツキー(1878-1934)で、ゴリデンヴェイゼルと協力してモスクワ音楽院付属中央音楽学校に幼児部門も設けるなどしましたが、任期2年目の1934年10月に56歳で急死。
 後任はすぐには見つからなかったため、翌1935年から、ネイガウスがピアノ科教授と兼務で院長を引き受け、これをシャツキーの妻で、1932年からモスクワ音楽院の音楽教育部門の責任者を務めていたヴァレンチーナ・シャツカヤ(1882-1978)がサポート。
 その間、1936年にはフェインベルクがピアノ科主任教授に任命。1937年からはシャツカヤが院長となり、ネイガウスは教授活動に専念。そして1939年には再びゴリデンヴェイゼルが院長となり、1941年には開戦による音楽院の疎開という大仕事もこなしていますが、1942年には「ソ連作曲家同盟」の支部である「モスクワ作曲家同盟」の議長を務めたシェバリーンが院長に就任しています。
 こうした一連の流れで見えてくるのは、結果はともかく、政府(音楽官僚)の方針に従った「共産党員」のプシビシェフスキが失脚し、政府に少し批判的だったにも関わらずネイガウスが重用されたという事実で、これによりネイガウスの「軽口(政府批判)」が増えてしまい、1941年の逮捕に繋がったとも考えられます。


 曲目リスト

CD1
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
平均律クラヴィーア曲集 第1巻
前奏曲とフーガ第1番ハ長調 BWV846
前奏曲とフーガ第2番ハ短調BVW847
前奏曲とフーガ第3番嬰ハ長調 BWV848
前奏曲とフーガ第4番嬰ハ短調 BWV849
前奏曲とフーガ第5番ニ長調 BWV850
前奏曲とフーガ第6番ニ短調 BWV851
前奏曲とフーガ第7番変ホ長調 BWV852
前奏曲とフーガ第8番変ホ短調 BWV853
前奏曲とフーガ第9番ホ長調 BWV854
前奏曲とフーガ第10番ホ短調 BWV855
前奏曲とフーガ第11番ヘ長調 BWV856
前奏曲とフーガ第12番ヘ短調 BWV857

CD2
  前奏曲とフーガ第13番嬰へ長調 BWV858
前奏曲とフーガ第14番嬰へ短調 BWV859
前奏曲とフーガ第15番ト長調 BWV860
前奏曲とフーガ第16番ト短調 BWV861
前奏曲とフーガ第17番変イ長調 BWV862
前奏曲とフーガ第18番嬰ト短調 BWV863
前奏曲とフーガ第19番イ長調 BWV864
前奏曲とフーガ第21番変ロ長調 BWV866
前奏曲とフーガ第22番変ロ短調 BWV867
前奏曲とフーガ第23番ロ長調 BWV868
前奏曲とフーガ第23番ロ長調 BWV868
前奏曲とフーガ第24番ロ短調 BWV869

録音:1958/1959(1961)年

CD3
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
平均律クラヴィーア曲集 第2巻
前奏曲とフーガ第1番ハ長調 BWV870
前奏曲とフーガ第2番ハ短調 BWV871
前奏曲とフーガ第3番嬰ハ長調 BWV872
前奏曲とフーガ第4番嬰ハ短調 BWV873
前奏曲とフーガ第5番ニ長調 BWV874
前奏曲とフーガ第6番ニ短調 BWV875
前奏曲とフーガ第7番変ホ長調 BWV876
前奏曲とフーガ第8番変ホ短調 BWV877
前奏曲とフーガ第9番ホ長調 BWV878
前奏曲とフーガ第10番ホ短調 BWV879
前奏曲とフーガ第11番ヘ長調 BWV880
前奏曲とフーガ第12番ヘ短調 BWV881

CD4
前奏曲とフーガ第13番嬰へ長調 BWV882
前奏曲とフーガ第14番へ短調 BWV883
前奏曲とフーガ第15番ト長調 BWV884
前奏曲とフーガ第16番ト短調 BWV885
前奏曲とフーガ第17番変イ長調 BWV886
前奏曲とフーガ第18番嬰ト短調 BWV887
前奏曲とフーガ第19番イ長調 BWV888
前奏曲とフーガ第20番イ短調 BWV889
前奏曲とフーガ第21番変ロ長調 BWV890
前奏曲とフーガ第22番変ロ短調 BWV891
前奏曲とフーガ第23番ロ長調 BWV892
前奏曲とフーガ第24番ロ短調 BWV893

録音:1958/1959(1961)年



CD5

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
オルガン・ソナタ(トリオ・ソナタ) ハ長調 BWV529 より
第2楽章 ラルゴ

録音:1962年10月13日(ステレオ)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
トッカータ ニ長調 BWV912

録音:1961年(ステレオ)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
半音階幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903

録音:1948年

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV662

録音:1952年9月22日

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV662

録音:1962年10月4日(ステレオ)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
「ただ神の摂理に任す者」 BWV647
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV663

録音:1962年10月13日(ステレオ)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV711

録音:1952年6月2日

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
オルガン協奏曲 イ短調 BWV593(原曲 ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 RV522)より
第1楽章:アレグロ
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV711

録音:1927/1929年

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
前奏曲とフーガ ホ短調 BWV548「くさび」

録音:1948年

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」 BWV662

録音:1952年9月22日



CD6

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
前奏曲とフーガ ホ短調 BWV548「くさび」

録音:1962年(ステレオ)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
幻想曲とフーガ イ短調 BWV904

録音:1961年(ステレオ)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825

録音:1962年

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
幻想曲とフーガ ト短調 BWV542

録音:1950年代

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
前奏曲とフーガ ト長調 BWV884
前奏曲とフーガ イ長調 BWV888
前奏曲とフーガ イ短調 BWV889


録音:1939年(?)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV989

録音:1961年



CD7

ロベルト・シューマン (1810-1856)
「子どものためのアルバム」 Op.68より
第1部 小さい子供のために
第6曲 哀れな孤児
第7曲 狩人の歌
第8曲 勇敢な騎手
第9曲 民謡
第10曲 楽しき農夫
第11曲 シチリアーナ
第12曲 従者ループレヒト(サンタクロース)
第13曲 愛する5月よ
第16曲 初めての喪失
第17曲 朝の散歩をする子供
第18曲 刈入れの歌
第2部 大きな子供のために
第19曲 小さなロマンス
第23曲 騎手
第24曲 収穫の歌
第25曲 劇場からの余韻
第29曲 見知らぬ人
第30曲
第32曲 シェエラザード
第35曲 ミニョン
第36曲 イタリア人の船乗りの歌
第37曲 水夫の歌
第38曲 冬の季節 1
第39曲 冬の季節 2

録音:1953年

ロベルト・シューマン (1810-1856)
森の情景 Op.82
第1曲 森の入り口
第2曲 獲物を待ち伏せる狩人
第3曲 孤独な花
第4曲 気味の悪い場所
第5曲 親しみのある風景
第6曲 宿
第7曲 予言の鳥
第8曲 狩の歌
第9曲 別れ

録音:1950年

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
シンフォニア第9番 ヘ短調 BWV795
シンフォニア第2番 ハ短調 BWV788
シンフォニア第12番 イ長調 BWV798
シンフォニア第15番 ロ短調 BWV801
シンフォニア第5番 変ホ長調 BWV791

録音:1950年(フェインベルク宅のベヒシュタイン使用)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
シンフォニア第12番 イ長調 BWV798

録音:1950年代



CD8

ロベルト シューマン (1810-1856)
フモレスケ Op.20
アレグロ Op.8

録音:1953年

フレデリック・フランソワ・ショパン (1810-1849)
タランテラ Op.43
マズルカ Op.59-1
マズルカ Op.59-2
マズルカ Op.59-3

録音:1953年

フレデリック・フランソワ・ショパン (1810-1849)
バラード第4番 Op.52

録音:1952年9月22日

ロベルト・シューマン (1810-1856)
森の情景 Op.82より
第8曲 狩の歌
第7曲 予言の鳥

録音:1939年

フレデリック・フランソワ・ショパン (1810-1849)
前奏曲 Op.28-10
前奏曲 Op.28-11
前奏曲 Op.28-12

録音:1950年代

フレデリック・フランソワ・ショパン (1810-1849)
前奏曲 Op.28-1
前奏曲 Op.28-3
前奏曲 Op.28-5
前奏曲 Op.28-8
バラード 第4番 Op.52

録音:1952年



CD9

フランツ・リスト (1811-1886)
コンソラシオン(慰め)第1番 S.172-1
コンソラシオン(慰め)第2番 S.172-2
コンソラシオン(慰め)第4番 S.172-4
録音:1950年

フランツ・リスト (1811-1886)
コンソラシオン(慰め)第5番 S.172-5
コンソラシオン(慰め)第6番 S.172-6

録音:1939年

フランツ・リスト (1811-1886)
メフィスト・ワルツ第1番 S.514

録音:1953年

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109

録音:1953年

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
ピアノ・ソナタ第19番 ト短調 Op.49-1
ピアノ・ソナタ第20番 ト長調 Op.49-2

録音:1956年

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調Op.57「熱情」

録音:1939/1946年(?)



CD10

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (1770-1827)
ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7
ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 Op.22

録音:1960年

セルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943)
前奏曲 Op.23-1
前奏曲 Op.23-3
前奏曲 Op.23-7
前奏曲 Op.23-8
練習曲 Op.39-9

録音:1950年



CD11

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
ピアノ・ソナタ 変ホ長調 K.282

録音:1953年10月1日

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
ピアノ・ソナタ ニ長調 K.576

録音:1952年7月26日

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-1791)
前奏曲とフーガ ハ長調 K.394
アレグレットによる12の変奏曲 変ロ長調 K.500

録音:1951年5月17日

ピョートル・チャイコフスキー (1840-1893)
ピアノ・ソナタ 嬰ハ短調 Op.80
第1楽章 アレグロ・コン・フオコ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 スケルツォ
第4楽章 アレグロ・ヴィーヴォ

録音:1955年



CD12

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
10のマズルカ Op.3
第1番 Op.3-1
第2番 Op.3-2
第3番 Op.3-3
第4番 Op.3-4
第5番 Op.3-5
第6番 Op.3-6
第7番 Op.3-7
第8番 Op.3-8
第9番 Op.3-9
第10番 Op.3-10
9つのマズルカOp.25
第1番 Op.25-1
第2番 Op.25-2
第3番 Op.25-3
第4番 Op.25-4
第5番 Op.25-5
第6番 Op.25-6
第7番 Op.25-7
第8番 Op.25-8
第9番 Op.25-9

録音:1952年(?)

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
組曲(4つの練習曲)第1番 Op.11 (1923)(ゴリデンヴェイゼルに献呈)

録音:1929年



CD13

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
ピアノ・ソナタ第5番 Op.53

録音:1948年1月22日(ライヴ)

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
マズルカOp.40-1
マズルカOp.40-2
マズルカOp.3-9
マズルカOp.3-6

録音:1948年7月6日

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
マズルカ Op.25-3

録音:1960年2月2日(モスクワ・ライヴ)

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
マズルカ Op.25-7

録音:1953年

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
マズルカ Op.25-8

録音:1952年

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
ピアノ・ソナタ第4番 嬰ヘ長調 Op.30

録音:1939年

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
4つの小品 Op.51
第1曲 たよりなさ
第2曲 前奏曲
第3曲 翼のある詩曲
第4曲 やつれの舞曲

録音:1947年

アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915)
エチュード Op.42-3
たよりなさ Op.51-1(4つの小品より)

録音:1929年

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
幻想曲第1番 Op.5

録音:1950年代(フェインベルク宅のベヒシュタイン使用)

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
2つのチュヴァシのメロディー Op.24a
第1曲 子守歌
第2曲 チュヴァシのメロディー
3つのメロディー Op.27a
第1曲 グルジアの歌
第2曲 タタールの歌
第3曲 アルメニアの歌

録音:1952年1月1日

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ユーモレスク Op.19

録音:1957年3月30日

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ピアノ・ソナタ第1番 Op.1 (1915) (第2稿)

録音:1950年代(フェインベルク宅のベヒシュタイン使用)



CD14
サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ピアノ協奏曲第2番 ニ長調 Op.36
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 アレグロ・マルカート
第4楽章 アレグレット・コン・ブリオ
ソ連国立交響楽団
ニコライ・アノーソフ(指揮)

録音:1946年

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ピアノソナタ第12番 Op.48 (1962)

録音:1950年代(フェインベルク宅のベヒシュタイン使用)

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ピアノ組曲第2番 Op.25

録音:1939年6月4日

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ピアノ・ソナタ第1番 Op.1 (1915) (第1稿)
ピアノ・ソナタ第2番 Op.2 (1915-16)

録音:1950年代(フェインベルク宅のベヒシュタイン使用)



CD15
サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ピアノ協奏曲第2番ニ長調 Op.36より
第2楽章 アンダンテ
第4楽章 アレグレット・コン・ブリオ
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
ユーリ・シランチェフ(指揮)

1960年6月18日(ライヴ)

アナトリー・リャードフ (1855-1914)
牧歌 Op.25

録音:1947年

アレクセイ・スタンチンスキー (1888-1914)
カノン形式の前奏曲 第2番ト長調

録音:1929年

アナトリー・アレクサンドロフ (1888-1982)
ノクターン イ長調 Op.3-1
ワルツ イ短調 Op.3-2


録音:1952年9月8日

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685-1750)
平均律クラヴィーア曲集 第2巻より
前奏曲とフーガ 第1番 ハ長調 BWV 870
前奏曲とフーガ 第2番 ハ短調 BWV 871
前奏曲とフーガ 第3番 嬰ハ長調 BWV 872
前奏曲とフーガ 第4番 嬰ハ短調 BWV 873
前奏曲とフーガ 第5番 ニ長調 BWV 874

録音:1950年10月

サムイル・フェインベルク (1890-1962)
ピアノ・ソナタ第9番 Op.29 (1939)

録音:1950年代(フェインベルク宅のベヒシュタイン使用)

サムイル・フェインベルク(ピアノ)


年表

1890  1891  1892  1893  1894  1895  1896  1897  1898  1899  1900  1901  1902  1903  1904  1905  1906  1907  1908  1909  1910  1911  1912  1913  1914  1915  1916  1917  1918  1919  1920  1921  1922  1923  1924  1925  1926  1927  1928  1929  1930  1931  1932  1933  1934  1935  1936  1937  1938  1939  1940  1941  1942  1943  1944  1945  1946  1947  1948  1949  1950  1951  1952  1953  1954  1955  1956  1957  1958  1959  1960  1961  1962

ロシア帝国 (1890-1917) (0〜27歳)
 1890年/明治23年 (0歳)

◆5月26日、サムイル・エヴゲニエヴィチ・フェインベルク、ロシア帝国ウクライナ地方の港湾都市オデッサで、エヴゲーニ・イリイチ・フェインベルクとアンナ・アキモヴナ・フェインベルク(旧姓ラビノヴィチ)の第2子として誕生(第1子は1888年生まれの長女ベラ、第3子は1896年生まれの次男レオニード)。父はオデッサ大学で法律を学び、母はフランス語、ドイツ語に通じた人物で、共にユダヤ系。


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 1891年/明治24年 (0〜1歳)

◆オデッサ居住。

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 1892年/明治25年 (1〜2歳)

◆オデッサ居住。

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 1893年/明治26年 (2〜3歳)

◆オデッサ居住。

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 1894年/明治27年 (3〜4歳)

◆オデッサ居住。

◆1月、露仏同盟締結。

◆フェインベルク家、ロシア帝国第2の都市モスクワに転居。姉ベラのために購入したピアノが、サムイルを刺激し、姉ベラと共にソフィア・アブラモヴナ・グレヴィチにピアノを習うようになります。


◆10月20日、ロシア皇帝アレクサンドルV世、49歳で崩御。同日、長男のニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ(1868-1918)がロシア皇帝に即位。26歳でニコライU世に。


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 1895年/明治28年 (4〜5歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルクに絶対音感が備わっていることを、教師のソフィア・アブラモヴナ・グレヴィチが確認。

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 1896年/明治29年 (5〜6歳)

◆モスクワ居住。

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 1897年/明治30年 (6〜7歳)

◆モスクワ居住。

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 1898年/明治31年 (7〜8歳)

◆モスクワ居住。

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 1899年/明治32年 (8〜9歳)

◆モスクワ居住。

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 1900年/明治33年 (9〜10歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルク、両親からもピアノの能力を認められ、アレクサンドル・フェドロヴィチ・イェンセンに師事するようになります。イェンセンは、バッハやハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどドイツ・オーストリアのレパートリーを中心に指導。やがてフェインベルクは、即興演奏にも実力を発揮、長時間に及ぶ演奏を繰り返すうち、作曲にも興味を持つようになります。

◆ウクライナのオデッサでポグロム発生。フェインベルク家は6年前にモスクワに転居していたので無事でした。

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 1901年/明治34年 (10〜11歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルク、初めて作曲。

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 1902年/明治35年 (11〜12歳)

◆モスクワ居住。

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 1903年/明治36年 (12〜13歳)

◆モスクワ居住。

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 1904年/明治37年 (13〜14歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルク、モスクワのフィルハーモニー協会付属学園に入学。師のイェンセンの紹介で、高名なピアノ教師、ゴリデンヴェイゼルの指導を受けるようになります。ゴリデンヴェイゼルは日記に、フェインベルクの天才ぶりに驚いたことを記しています。
 アレクサンドル・ボリソヴィチ・ゴリデンヴェイゼル(1875-1961)は、のちにモスクワ音楽院の教授となり、ニコラーエワやベルマンの師として知られるようになりますが、この頃はまだ若く、ロシア帝国第2の都市モスクワで、フィルハーモニー協会所属のピアニストとして活動する一方、同協会付属学園の教師としても働いていました。


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 1905年/明治38年 (14〜15歳)

◆モスクワ居住。

◆1月、ロシア帝国首都サンクトペテルブルクで「血の日曜日事件」発生。ロシア第一革命へ発展。


◆ウクライナのオデッサで大規模なポグロム発生。反ユダヤ主義者らによる略奪・強姦・虐殺が大規模に実施。1907年まで散発的に継続。

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 1906年/明治39年 (15〜16歳)

◆モスクワ居住。

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 1907年/明治40年 (16〜17歳)

◆モスクワ居住。

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 1908年/明治41年 (17〜18歳)

◆モスクワ居住。

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 1909年/明治42年 (18〜19歳)

◆モスクワ居住。

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 1910年/明治43年 (19〜20歳)

◆モスクワ居住。

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 1911年/明治44年 (20〜21歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルク、モスクワ音楽院を卒業。卒業試験では、バッハの平均律のほか、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番 など演奏。


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 1912年/明治45年/大正元年 (21〜22歳)

◆モスクワ居住。

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 1913年/大正2年 (22〜23歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルク、ベルリンとウィーンに旅行し、シュナーベル、ラモンド、ゴドフスキーらと交流。最も会いたかったブゾーニはイタリアにいて不在。

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 1914年/大正3年 (23〜24歳)

◆モスクワ居住。

◆2月、フェインベルク、バッハの平均律クラヴィーア曲集全曲を初めてロシアで演奏。評判となります。

◆7月28日、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国に対して動員開始。

◆8月、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国がロシア帝国に対して宣戦布告。ロシア帝国では反ドイツ感情が勃興。ドイツ語の地名を変更したほか、多くのドイツ人が追放されます。

◆ロシア帝国政府、禁酒令布告(1924年まで)。
◆フェインベルク、徴兵によりロシア帝国陸軍に配属され、ピアニストとして慰問演奏を実施。


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 1915年/大正4年 (24〜25歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルク、腸チフスに罹患し、療養のため除隊。兵役終了。


◆4月27日、スクリャービン、モスクワで死去。43歳。


◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第1番 Op.1を作曲。

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 1916年/大正5年 (25〜26歳)

◆モスクワ居住。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第2番 Op.2を作曲。

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 1917年/大正6年 (26〜27歳)

◆3月、ペトログラードでの国際婦人デーの女性デモをきっかけとして2月革命(ユリウス暦で2月なので)勃発。ロシア皇帝ニコライ2世退位。


ロシア臨時政府体制 (1917-1917) (26〜27歳)

◆3月、ロシア臨時政府樹立。首都はペトログラード。

◆4月、ロシア臨時政府は国民の居住制限を廃止し、民族的・宗教的少数派に対する制限を撤廃、これによりロシア共和国におけるユダヤ人の完全な市民的平等が確立。

◆7月、ペトログラードで7月蜂起。レーニン率いる約50万人のデモ隊が行進したため、ケレンスキー率いるロシア臨時政府が数千人の警察官と兵士を派遣して鎮圧。


◆7月、キエフ蜂起。ポルボートク衆の叛乱。ウクライナ軍人による蜂起。ロシア帝国軍が敗北。


レーニン体制 (1917-1924) (27〜33歳)

◆11月、11月革命(ユリウス暦では10月革命)勃発。レーニンが最高指導者を務めるボリシェヴィキ政権樹立。


◆11月、ロシア内戦(第1期)が勃発。第1次世界大戦と並行しての内戦。

◆11月、「ボリシェヴィキ」政権により、すべての土地は人民の所有(=政府所有)とする法が制定。教会の土地・財産も没収。

◆11月、「ウクライナ人民共和国」の建国がキエフで宣言。

◆12月、レーニンにより「チェーカー」(≒秘密警察)設立。100人足らずの小組織でスタートするものの、ロシア帝国秘密警察「オフラーナ」のメンバーも含めるなどして急拡大を遂げ、やがて28万人規模にまで成長。

◆12月、チェーカー初代議長にポーランド人のジェルジンスキーが就任。「組織化された恐怖」をモットーに、聖職者、自由主義者、資産家に関しては、街頭でも手あたり次第に射殺。

◆12月、ソヴィエト、ロシア国内の全銀行の国有化。

◆12月、赤軍がウクライナに侵攻。傀儡政権をハリコフに樹立。

◆オデッサ、戦略上の要衝の地ということで、ドイツ・オーストリア軍に占領されたのち、イギリス・フランス軍に占領。続いてデニキン将軍率いる白衛義勇軍にも占領。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第3番 Op.3を作曲。

◆フェインベルク、ピアノのための幻想曲第1番 Op.5を作曲。

◆フェインベルク、「音楽形式の宿命」を執筆。

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 1918年/大正7年 (27〜28歳)

◆モスクワ居住。

◆ロシア内戦によりウクライナ地域でのポグロムが激化。1918年から1920年にかけて、1,300以上の地域で約1,500件のポグロムが発生し、略奪されたユダヤ人は100万人以上に達し、約3万5千人から25万人が殺害。約5万人から30万人が孤児になり、約50万人が住居を喪失。

◆1月、レーニンにより憲法制定議会閉鎖。選挙でボリシェヴィキが第1党になれなかったため、武力による独裁体制に移行。

◆1月、キエフ蜂起。共産主義者による蜂起。

◆2月、赤軍がウクライナ人民共和国の首都キエフを占領。

◆2月、ドイツ、オーストリアとウクライナの同盟軍が、ウクライナ解放に向けて作戦を開始。

◆3月、ドイツ、オーストリアとウクライナの同盟軍が、キエフを解放。ドイツ、オーストリアはウクライナから膨大な食糧を持ち去ります。

◆3月、ブレスト=リトフスク条約により、第1次大戦の東部戦線での戦闘が終結し、「ロシア内戦(第1期)」も休戦。

◆3月、「ボリシェヴィキ」は「共産党」に改名。共産党以外の政党活動を禁じて、共産党の一党独裁制に移行。

◆3月、レーニン、首都をペトログラードからモスクワに変更。政府機能を移転。

◆5月、レーニンにより食糧独裁令発令。武装した労働者食糧徴発隊組織により農民たちからの作物の収奪が開始、内戦に繋がって行きます。

◆5月、グルジアがロシア帝国からの独立を宣言。「グルジア民主共和国」が成立したため、ドイツ軍、オスマン帝国軍、イギリス軍が押し寄せます。

◆7月、ロシア皇帝ニコライ2世(1868-1917)処刑。一家7人と従僕ら計11人がレーニンの命令によりエカチェリンブルクで殺害。

◆8月、レーニン暗殺未遂事件発生。社会革命党の女性党員による銃撃。

◆12月、赤軍がウクライナに侵攻。

◆ロシア臨時政府により、ロシア正教会の財産を政府のものにすることを決定、宗教教育も禁止となります。

◆ソヴィエト、「家族法」制定。内戦(と第1次大戦)で減少する一方の人口を補うため、結婚・離婚の手続きを簡略化。結婚と同じく離婚も増え、モスクワではこの年のうちに約7,000組の夫婦が離婚。自由恋愛的な婚姻が普及し、1920年代なかばには結婚回数は平均4回となり、やがて結婚を経ない同棲が普及するにつれ、子供の養育放棄も社会問題化。戦争やヴォルガ飢饉で親を失った子供に加えて、膨大な数の養育放棄児童が浮浪児化し、1920年代なかばにはその数は700万人を突破。少年集団による凶悪犯罪が激増し、女性浮浪者も急増するなど収拾がつかなくなったため、1936年のスターリン憲法制定までに家族法は廃止。離婚件数を減らすために手続きの手数料を高額化し、養育を放棄した者には高額な罰金刑を適用、同性愛も禁じるなど、伝統的な家庭の形を復活させる方向に転換しています。

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 1919年/大正8年 (28〜29歳)

◆モスクワ居住。

◆ロシア内戦によるウクライナ地域でのポグロム継続。

◆2月、「ポーランド・ボリシェヴィキ戦争」勃発。ポーランド・ソヴィエト戦争とも言われますが、当時はソヴィエトがまだ正式には成立していないため、ポーランドでは「ポーランド・ボリシェヴィキ戦争」と呼んでいます。フランスがルノー戦車など支援。

◆2月、赤軍、キエフを占領。

◆3月、「ロシア内戦(第2期)」勃発。

◆5月、ソヴィエト、紙幣発行の制限廃止。紙幣の種類は1〜1,000ルーブル。

◆5月、首長グリゴリエフ率いるコサックにより、ウクライナのエリザヴェトグラードなどでユダヤ人大虐殺。グリゴリエフは2か月後に、アナーキストのネストル・マフノらに殺害されています。

◆夏、白軍がエリザヴェトグラードを占領。

◆8月31日、ウクライナ軍がキエフを解放。

◆11月、ウクライナ軍の一部が白軍に寝返り、ウクライナ執政内閣がポジーリャ地方に避難。

◆11月、ユダヤ系で赤軍創始者でもあるトロツキー率いる赤軍が白軍を撃退。

◆11月、ソヴィエト紙幣の種類に、5,000ルーブルと10,000ルーブルが追加。

◆12月、ウクライナ執政内閣が、白軍、赤軍、ポーランド軍に包囲。ウクライナ軍がゲリラ戦に転向し、ソヴィエトへの抵抗を開始。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第4番 Op.6を作曲。

◆フェインベルク、モスクワ郊外のソコリニキ林業学校のコンサートで、レーニンの前で演奏。

◆フェインベルク、ブロークの詩による3つの歌曲 Op.7を作曲。

◆フェインベルク、ブロークの詩による2つの歌曲 Op.14を作曲。

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 1920年/大正9年 (29〜30歳)

◆モスクワ居住。

◆ロシア内戦によるウクライナ地域でのポグロム継続。

◆4月、ヴランゲリ将軍が白軍の全権を掌握。翌月にはロシア軍と名を改めてクリミア半島を拠点に赤軍と戦闘。「ロシア内戦(第3期)」勃発。

◆ポーランド軍により、キエフ占領。

◆8月、タンボフの反乱開始。翌年6月まで。

◆10月、「ポーランド・ボリシェヴィキ戦争」、ボリシェヴィキ側の要請で停戦。ポーランドの勝利で終結し、翌年3月に講和条約締結。

◆11月、ヴランゲリ将軍が敗北、ユーゴスラヴィアに亡命。「ロシア内戦(第3期)」終結。

◆内戦は深刻な飢餓も引き起こし、全死者数は800万人とも言われています。内戦後の耕地面積は内戦前の62パーセント、生産量は37パーセント、金属製農機具生産量は13パーセントに減少。耕作馬の頭数は350万頭から240万頭に減少、牛は580万から370万に減少。さらに輸送手段である機関車の稼働率も半分以下になっていました。
 為替レートも、米ドル「1ドル=2ルーブル」から、「1ドル=1,200ルーブル」となり600分の1の価値に下落、超ルーブル安となり、輸出競争力が急上昇し、国外からの投資も集めやすくなり、そうした金融環境が、翌年のレーニンによる資本主義的な新経済政策(ネップ)策定に繋がったものとも考えらえます。


◆11月、ソヴィエト、10人以上の雇用のある工場などをすべて国有化。

◆フェインベルク、ピアノのための4つの前奏曲 Op.8を作曲。

◆フェインベルク、モスクワでバッハの平均律全曲とベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を開催。

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 1921年/大正10年 (30〜31歳)

◆モスクワ居住。

◆2月、ソヴィエト、農民の蜂起が100万人以上の規模で発生。

◆2月、グルジアに赤軍侵攻。

◆3月、「グルジア・ソヴィエト社会主義共和国」成立。

◆3月、「ポーランド・ソヴィエト戦争」、ポーランドの勝利により終結。講和条約が結ばれ、ポーランドはリトアニア中部とウクライナ西部を併合。ほかはソヴィエト領。

◆3月、ソヴィエトで新経済政策(ネップ)施行。余剰作物などの資本主義的運用により、経済が活性化。

◆春、ヴォルガ飢饉。ウクライナのヴォルガ・ドイツ人の入植地域で翌年にかけて栄養失調などが原因で農村中心にチフスやコレラが流行、数百万規模の犠牲者が出て、モスクワなど都市部にもホームレスや浮浪児が集まるようにもなります。

◆4月、タンボフの反乱激化。アントーノフ率いる数万人の農民たちを、レーニンの指示により5万人規模の赤軍とチェーカーが、毒ガスなどを用いて6月までに殲滅。

◆7月、ソヴィエト、紙幣の種類に、25,000ルーブル、50,000ルーブルと100,000ルーブルが追加。

◆11月、第1回通貨切り下げ実施。旧紙幣10,000ルーブル=1922年度紙幣1ルーブルという基準。

◆ソヴィエトで戦時共産主義の一環として物々交換が進み、通貨の価値が低下、インフレが急速に進行。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第5番 Op.10を作曲。

◆フェインベルク、ピアノのための幻想曲第2番 Op.9を作曲。

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 1922年/大正11年 (31〜32歳)

◆モスクワ居住。

◆3月、レーニンが「聖職者全員銃殺」を指令。まず翌年にかけて、主教28人、司祭2,691人、修道士1,962人、修道女3,447人のほか、信徒も多数を処刑。財産を没収し、飢饉対策にも使用しました。

◆5月、レーニンによる「知識人追放指令」。秘密警察(GPU)の分類により、反政府的とされた知識人を追放。この場合の「知識人」は、哲学者、文学者、法律家、経済学者、組合活動家などが対象となります。
 レーニンは、音楽、演劇、映画、美術などの「芸術家」は、プロパガンダに結び付くことから積極的に活動を支援し、「科学者」「建築家」なども、人数が不足していたことから優遇していましたが、いわゆる「知識人」については、反共産主義や反政府的活動に繋がりやすいという判断から監視・弾圧をおこなっていました。


◆5月26日、レーニン、最初の脳梗塞発作。5か月間の入院中に回復するものの簡単な計算なども困難な状態に。その間、スターリンは、カーメネフ、ジノヴィエフとのトロイカ体制を確立、有力幹部トロツキーに対抗します(のちにカーメネフ、ジノヴィエフは粛清、トロツキーは国外追放のうえ暗殺)。


◆6月、レーニンが反政府知識人の大量追放を指令し、数万人を強制収容所などに送致。

◆モスクワ音楽院院長にゴリデンヴェイゼルが就任。前任のイッポリトフ=イワノフは、ロシア帝国時代から16年間在任していたので、この年に正式にソ連成立ということで、1917年から初代教育人民委員(≒文部大臣)の任に就いていたアナトリー・ルナチャルスキー(1875-1933)のもと、教授陣も含めて前向きな人事刷新という運びになったと考えられます。背景にはロシア帝国時代の知識人を、なるべく抹殺しないで取り込みたかったというルナチャルスキーのソビエト文化への考え方がありました。


◆10月、フェインベルク、モスクワ音楽院の教授に就任。以後、1962年に亡くなるまで40年間在任。ゲンリヒ・ネイガウス(1888-1964)と叔父のフェリクス・ブルーメンフェリド(1863-1931)も同じく教授に就任。


◆10月、第2回通貨切り下げ実施。1922年度紙幣100ルーブル=1923年度紙幣1ルーブルという基準。第1回通貨切り下げに当てはめると、100万分の1になった計算。

◆12月、ソヴィエト社会主義共和国連邦成立宣言。

◆12月16日、レーニン、2度目の脳梗塞発作。右手の麻痺はあるものの仕事は口述で遂行。

◆モスクワ放送局、ラジオ放送開始。3月に完成した高さ160mの鉄塔から電波を送信。


◆フェインベルク、ピアノのための組曲第1番 Op.11を作曲。

◆フェインベルク、ヴァイオリンとピアノのためのアレグロとスケルツォ Op.12を作曲。

◆フェインベルク、ピアノのための3つの前奏曲 Op.15を作曲。

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 1923年/大正12年 (32〜33歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆3月10日、レーニン、3度目の脳梗塞発作。回復せず10か月後に死去。その間、スターリンが実権掌握。

◆11月、ドイツでハイパーインフレ対策として臨時通貨レンテンマルク発行開始。1兆分の1という交換比率で、ハイパーインフレを乗り切ります。

◆11〜12月、紙幣の種類に、10,000ルーブルと15,000ルーブルが追加。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第6番 Op.13を作曲。

◆フェインベルク、2つのチュバシのメロディ Op.24aを作曲。

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 1924年/大正13年 (33〜34歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆1月、ソ連最高指導者、レーニン死去。


スターリン体制T(大粛清前) (1924-1936) (33〜46歳)

◆1月、ソ連最高指導者、スターリンが就任。

◆2月、ソ連政府、通貨改革実施。旧紙幣50,000ルーブル=1924年度紙幣1ルーブルという基準。ソ連建国後の切り下げは、これで500億分の1になった計算。

◆8月、ソ連政府、酒類販売を許可。10年間の禁止期間中に、モルヒネやコカインなど麻薬中毒患者が増えすぎたため。一方でアルコール中毒患者も増加するものの、麻薬中毒よりは社会的影響が少ないという判断。

◆ソ連政府、麻薬販売を違法とし、違反者には懲役10年の刑。これにより麻薬使用者が激減。

◆ 9月23日、レニングラードで洪水発生。強い西風の影響でバルト海の波とネヴァ川の流れが衝突。正午頃から水位上昇が始まって午後7時頃には380cmほど通常水位より上昇、その後急速に水位が下がったものの深夜まで1メートルほど水位の高い状態が継続。道路はレンガ敷のため200万平方メートルに渡ってダメージ状態となり、19か所の橋が破壊、120台の路面電車が被害を受け、40隻の船が沈没または漂着、1万5千世帯以上が家を失い、漏電による火災の発生で工場の損害も巨額で、レニングラードの物的被害は1億3千万ルーヴルと推定。


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 1925年/大正14年 (34〜35歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆3月、フェインベルク、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番 をソ連初演。

◆9月、フェインベルク、ヴェネツィアのISCM(国際現代音楽協会)フェスティヴァルに出演。ウィーンのウニヴェアザール社とも接点ができ、自作の出版を契約。

◆10月、フェインベルク、ウィーンでリサイタル開催。自作のほか、プロコフィエフ、ミャスコフスキーらの作品も披露。

◆11月、フェインベルク、パリに旅行。

◆フェインベルク、ピアノのための子守歌 Op.19aを作曲。

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 1926年/大正15年/昭和元年 (35〜36歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、プーシキンとレールモントフの詩による2つの歌曲 Op.4を作曲。

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 1927年/昭和2年 (36〜37歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、ベルリンとミュンヘンでラジオの生放送で演奏。

◆フェインベルク、ベルリン、ミュンヘン、フランクフルト、ハンブルク、ライプツィヒなどでコンサート。ハンブルクではプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番 のドイツ初演も実施。

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 1928年/昭和3年 (37〜38歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第7番 Op.21を作曲(1925年に着手)。

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 1929年/昭和4年 (38〜39歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、ドイツとオーストリアに演奏旅行。

◆9月、スターリンによって教育人民委員(≒文化大臣)のルナチャルスキーが解任され、アンドレイ・ブブノフ(1884-1938)が後任として着任。
◆9月、モスクワ音楽院の院長にボレスワフ・プシビシェフスキ(1892-1937)が就任。プシビシェフスキはワルシャワ音楽院出身のポーランド人ですが紆余曲折を経て1920年にモスクワで共産党に入党。教育関係の部署で働いて頭角をあらわし、やがて教育人民委員会の音楽部門責任者に就任していました。
  プシビシェフスキは政府(音楽官僚)に従って改革に乗り出し、「ロシア・プロレタリア音楽家同盟」(ソ連作曲家同盟の前身)の方針に基づき、モスクワ音楽院のプロレタリア化に着手。新規入学者は労働者と農民の子のみとします。
  プシビシェフスキの父は、画家ムンクの友人で、絵の中に彼等の三角関係が描かれていることでも知られるポーランド人劇作家で詩人のスタニスワフ・プシビシェフスキ(1868-1927)。
 ボレスワフは、父がベルリンでマルタ・フェルダーともうけた3人の婚外子のうちの第1子。1896年、ボレスワフが4歳の時に母マルタが死亡し、その3年前の1893年にムンクの絵「マドンナ」でおなじみのノルウェー女性ピアニストのダグニーと結婚して子供をもうけていた父スタニスワフが疑われて逮捕されるものの、死因が一酸化炭素中毒ということで自殺と断定され釈放。3人の子供は父方の祖母に引き取られています。
  その3年後の1899年、父スタニスワフはすでにダグニーと別居しており、ワルシャワで劇作家の妻ヤドヴィガに請われて不倫同棲を開始、同時に画家のアニエラとも不倫して子供をもうけるなどお盛んでしたが、ダグニーの方もスタニスワフとの間にできた2人の子供をノルウェーの両親に預けて複数の相手と交際するなどし、1901年、33歳のときに愛人による無理心中(拳銃)で殺されています。
  祖母のおかげでこうした荒れた環境とは無縁に育ったボレスワフは、ワルシャワ音楽院に進学。卒業すると間もなく第1次大戦が開戦し、プロイセン国籍のままだったボレスワフは、ロシア南部オルスクの収容所に送られて4年間を過ごし、戦後、元オルスク市長の娘と同地で結婚。
  翌1919年にはポーランド・ソビエト戦争が始まったため、ソビエト側でいたかったボレスワフは、1920年、モスクワに移って共産党に入党。教育関係の部署で働いて頭角をあらわし、やがて教育人民委員会の音楽部門責任者に就任していました。


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 1930年/昭和5年 (39〜40歳)

◆モスクワ居住。

1930年(39〜40歳)

◆モスクワ音楽院在職。


◆モスクワ音楽院のプシビシェフスキ院長により、カリキュラムが変更され、音楽と関係の無い社会や経済の授業などが増加。しかし、モスクワ音楽院の多くの教授陣と「ロシア・プロレタリア音楽家同盟」と、の関係は元々あまり良いとは言えない状態で、この変更により辞任する者まであらわれ、また、生徒たちの演奏水準もどんどん落ちて行ったので、モスクワ音楽院プロレタリア化計画はやがて中止となります。


◆フェインベルク、ピアノ協奏曲第1番 Op.20を作曲。

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 1931年/昭和6年 (40〜41歳)

◆モスクワ居住。

◆フェリクス・コン高等音楽学校(モスクワ音楽院)在職。


◆モスクワ音楽院の名前が、プシビシェフスキ院長により、「フェリクス・コン高等音楽学校」と改名。フェリクス・コン(1864-1941)は、ポーランド出身のユダヤ人で、教育人民委員会博物館部門のベテラン責任者で、プシビシェフスキにとっての恩人。


◆12月、スターリンにより、高さ103メートルという世界最大の正教会建造物である「救世主ハリストス大聖堂」が爆破(ハリストス=キリスト)。教会への弾圧はロシア革命初期の1917年から始まっていますが、それでも1930年にはまだ3万の教会がありました。しかし憲法改正後の1931年からは、閉鎖や爆破、強制収容所への転用などが本格化し、1939年には実際に使用されているソ連の教会は数百ほどにまで減少しています。

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 1932年/昭和7年 (41〜42歳)

◆モスクワ居住。

◆フェリクス・コン高等音楽学校(モスクワ音楽院)在職。


◆2月、プシビシェフスキ院長が解任。フェリクス・コン高等音楽学校の名前がモスクワ音楽院に戻されます。


◆ソ連で国内パスポート制、導入。

◆ウクライナ国境封鎖。

◆大飢饉発生。翌1933年にかけて、ウクライナで約350万人、カザフスタンで約130万人、ヴォルガとコーカサス北部で約40万人、その他のソ連地域で約100万人が飢餓などで死亡。

◆フェインベルク、ピアノのためのユモレスク Op.19を作曲。

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 1933年/昭和8年 (42〜43歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆ 2月20日、 ヒトラーとゲーリングがドイツ経済界首脳陣と会合、大恐慌の影響下ながら300万マルクの政治献金を獲得。背景には「第一次五カ年計画」(1928-1933)によるソ連工業生産の飛躍的増大に伴い、鉄鋼業界などドイツからソ連への輸出が莫大な金額になっていたことがあります。


◆プシビシェフスキ前院長は、モスクワ音楽院プロレタリア化計画失敗の責任を押し付けられるかのように告発され、ベルバルトラーグ強制労働収容所送致となり、バルト海運河建設現場での重労働3年間の刑が宣告。しかし同地でプシビシェフスキはベルバルトラーグ中央劇場の役職を引き受けてその公演水準を高いものに引き上げることに成功し、刑期の明けた1936年1月7日以降も同劇場で活動を続けることになります。


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 1934年/昭和9年 (43〜44歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第8番 Op.21aを作曲(1933年に着手)。

◆フェインベルク、ウィーンで開催された国際現代音楽コンクールに審査員として招かれて参加。

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 1935年/昭和10年 (44〜45歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆ソ連政府、ルーブルの為替をフランス・フラン基準とし、1ルーブル=3フランと決定。

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 1936年/昭和11年 (45〜46歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、ピアノのための組曲第2番 Op.25を作曲。

◆フェインベルク、モスクワ音楽院ピアノ科主任教授に任命。

スターリン体制U(大粛清以降) (1936-1953) (46〜62歳)

◆9月、ニコライ・エジョフ(1895-1940)率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)による「大粛清」の開始。多くの政府関係者と軍関係者を手早く処刑し、さらにそこに国民による爆発的な数の「密告」も加わって、2年間で60万人以上とも言われる膨大な犠牲者を生み出すことになります。
  エジョフ長官の方針は、ソ連で政敵の排除に多用されてきた「スパイ嫌疑」を最大限利用するものでした(ある人物がスパイではないことを証明するのは不可能に近いため)。
  エジョフ長官は、スパイを捕えるためには無実の人間をいくら犠牲にしても構わないというようなことを実際に発言していましたし、罪を認めさせるための「拷問」も、前長官のゲンリヒ・ヤゴーダ(1891-1938)の時代をはるかに上回る残虐さで徹底、多くの政府関係者と軍関係者を処刑し、さらにそこに疑心暗鬼となった国民による爆発的な数の「密告」も加わって、微罪も含めれば逮捕者は数百万人まで拡大。自分にとって都合の悪い人物を、魔法使いや魔女だとして密告する「魔女狩り」の20世紀版です。


◆11月、スターリン憲法制定。官僚制を強化

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 1937年/昭和12年 (46〜47歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆エジョフ率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)のおこなった「ポーランド作戦」により、ソ連在住のポーランド人約63万6千人のうち約14万4千人が逮捕、すぐにそのうちの約11万1千人が処刑され、数十万人がポーランドに強制送還、その後、逮捕の効率が下がったため、電話帳を見てポーランド風な名前の者を逮捕・処刑するというデタラメな作戦も展開、計約31万人が殺害されています。当時、電話のある家には財産もあることが多かったので、金品を盗むことができるというNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)側の大きなメリットも被害の拡大に繋がったものと考えられます。
◆3月1日、前モスクワ音楽院院長のプシビシェフスキがNKVDにより逮捕。。8月21日、ソ連最高裁判所軍事評議会はスパイ活動とテロ計画の罪で彼に銃殺刑を宣告し、刑は即日執行。虚偽の罪名による逮捕・処刑だったため、19年後の1956年9月15日に名誉回復。ちなみに妻のエミリアもこの1937年に逮捕・投獄、結核に罹患した1945年に釈放され、翌年死去しています。エミリアの父は元オルスク市長で元ロシア帝国陸軍予備役中佐でした。


◆ソ連政府、通貨の基準を仏フランから米ドルに変更(フランスの金本位制離脱の為)。対米ドル相場は1米ドル=5.3ルーブルと決定。

◆ロシア正教会の聖職者、85,300人が処刑。

◆フェインベルク、ソ連政府より労働赤旗勲章を授与。

◆フェインベルク、ソ連政府よりRSFSR「名誉記章勲章」を授与。

◆11月、フェインベルクの作曲の師、ジリャーエフが逮捕。内戦中にトゥハチェフスキー元帥の部下だったことによるもの。翌1938年1月に銃殺。


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 1938年/昭和13年 (47〜48歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆6月、フェインベルク、ブリュッセルで開催されたイザイ国際コンクールに審査員として参加。優勝者はギレリスでした。

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 1939年/昭和14年 (48〜49歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆ロシア正教会の聖職者、900人が処刑。

◆8月、独ソ不可侵条約締結。

◆9月、ドイツ軍、赤軍、ポーランド侵攻。

◆10月、ポーランド分割。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第9番 Op.29を作曲。

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 1940年/昭和15年 (49〜50歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆ロシア正教会の聖職者、1,100人が処刑。

◆フェインベルク、バッハの平均律クラヴィーア曲集全曲とベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲による連続演奏会を開催。

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 1941年/昭和16年 (50〜51歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆4月、バッハの平均律クラヴィーア曲集全曲とベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲による連続演奏会が終了。

◆ 6月22日、ドイツ政府が不可侵条約を破り、ソ連領土への軍事侵攻を開始。前年12月に侵攻計画(および占領地からの食料調達&移住計画)を立て始めていたドイツは、すでにソ連国境付近に約550万の兵と戦車3,712両、軍用機4,950機、野砲等4万7,260門などから成る大部隊を配備済みで、以後、3年10か月で約2,660万人のソ連国民を殺害することになります。


◆6月、モスクワではドイツ軍の攻撃に備える作業が前月から始まっており、ボリショイ劇場の前でも巨大な防空気球が準備されたりしていましたが、それでも追いつかないほどの執拗な無差別爆撃がおこなわれることになります。


◆ 7月22日、ドイツ軍が初めてモスクワを空爆。5時間に渡って約4万5千発の焼夷弾と約100トンの高性能爆弾(SC1000等)が、220機の爆撃機(ハインケル社のHe-111、ドルニエ社のDo-17、Do-217、ユンカース社のJu-88等)により無差別爆撃。多くの建物・施設を破壊・焼失させ、疎開前の多くの民間人等も殺害。以後、1943年夏までの2年間に121回のモスクワ無差別爆撃を実施。下の画像は高射砲と、撃墜されたドルニエ Do-17。


◆ 8月28日、赤軍とドイツ軍の「キエフの戦い」がおこなわれる中、ソ連政府は「ヴォルガ・ドイツ人ソヴィエト社会主義自治共和国」の解体を宣言。同自治共和国の国籍を持つ「ヴォルガ・ドイツ人」たちをシベリアや中央アジアに追放。指揮者のアレクサンドル・ガウクも「ヴォルガ・ドイツ人」だったため、ソ連国立交響楽団の音楽監督を解任されていますが、教え子でグルジア出身の指揮者メリク=パシャエフ(1905-1964)の紹介により、グルジアの首都トビリシでの教育と指揮者の仕事を獲得。1943年にはモスクワ復帰を果たしています。

◆9月、ドイツ軍によるレニングラード包囲戦が開始。

◆10月、フェインベルク、グルジアのトビリシでコンサート。モスクワからの演劇と音楽の疎開大部隊が列車で移動し、各地で公演をおこなうというものでした。

◆10月、モスクワ攻防戦(翌年1月まで)。政府機能をクイビシェフに疎開(1944年まで)。多くの政府関係者や学校関係者、文化関連機関関係者が疎開するものの、市民の多くは残されていたため、ユージナなどは疎開せずに活動。

◆「ユダヤ反ファシスト委員会」設立。アメリカの投資家たちから莫大な資金を調達。その資金をソ連政府は戦費として使用。

◆11月、赤の広場で軍事パレード実施。これは約410万人のモスクワ市民のうち、疎開できていたのが、主に政府関係者や学校関係者、文化関連機関関係者だったことから、残された市民が近づくドイツ軍への恐怖から暴動などを起こさないよう安心感を与えるためで、同じ理由からロシア正教への弾圧をやめ、ほどなく復活させることを約束してもいました。


◆11月、ドイツ軍、モスクワから8キロの地点まで侵攻。赤軍必死の抵抗。

◆11月29日、ジューコフ将軍による大攻勢が開始。兵力は極東に展開していた赤軍40個師団、約75万人の精鋭部隊で、すでにモスクワへの移動を完了していました。


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 1942年/昭和17年 (51〜52歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆夏、スターリングラード攻防戦開始。翌年2月までに兵士約48万人死亡、約65万人が負傷。役人など政府関係者の疎開しか認めず一般市民の疎開は禁じられたため、民間人死者も約4万人という大きな数になっています。またドイツなど枢軸国側兵士の死傷者は約150万人とソ連側を大きく上回るものとなっており、計約267万人の死傷者が発生したことになります。

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 1943年/昭和18年 (52〜53歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆1月、赤軍、モスクワ攻防戦に勝利。
◆ロシア正教会問題評議会が設立。

◆9月、スターリンとロシア正教会の首脳たちがクレムリンで会見を開き、教会宥和政策を発表。これにより、総主教制の復活、神学校や神学大学の再開、教会機関誌「モスクワ総主教庁ジャーナル」も復刊されることとなり、「戦闘的無神論者同盟」の解散も決定。

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 1944年/昭和19年 (53〜54歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆1月、赤軍、レニングラードを解放。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第10番 Op.30を作曲(1940年に着手)。

◆フェインベルク、ピアノ協奏曲第2番 Op.36を作曲。

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 1945年/昭和20年 (54〜55歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆8月、ソ連、日本に対して宣戦布告。「日ソ中立条約」は破棄。9月5日まで戦闘を継続。

◆12月、NKVDのトップ交替。クルグロフがベリヤの後任として内務人民委員に就任。クルグロフはベリヤの部下として、エジョフ派の大量粛清や、チェチェン、イングーシ人の弾圧、ウクライナ民族主義運動活動家の粛清もおこなっていた人物。

◆フェインベルク、モスクワでバッハとベートーヴェンのコンサートを繰り返し実施。

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 1946年/昭和21年 (55〜56歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、自作のピアノ協奏曲第2番 をアノーソフ指揮で初演し、スターリン賞2等を受賞。

◆フェインベルク、ソ連政府より労働赤旗勲章を授与。

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 1947年/昭和22年 (56〜57歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆9月、コミンフォルム設立。スターリンに次ぐ存在でもあったアンドレイ・ジダーノフ(1896-1948)がスターリンの名のもとに組織したもので、ヨーロッパ各国の共産党との交流・調整を目的とし、アメリカのマーシャル・プランに対抗します。

◆12月、戦中戦後のインフレに対応するため、ソ連で通貨切り下げ実施。旧紙幣10ルーブル=新紙幣1ルーブルという10分の1の切り下げですが、賃金、年金などは1対1の交換比率で、国家小売価格も引き下げ。為替レートはそのままとし、輸出優先体制とします。

◆フェインベルク、ピアノのための「物語」と「行列」 Op.33を作曲(1946年に着手)。

◆フェインベルク、ピアノ協奏曲第3番 Op.44を作曲。

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 1948年/昭和23年 (57〜58歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆2月、ジダーノフ批判。西側コスモポリタニズムを批判し、文化全般についても社会主義リアリズムを重視した方針で統制することをコミンフォルム設立者のジダーノフが宣言。もともとプロレタリア芸術から発展した社会主義リアリズム芸術は、反コスモポリタニズムの視点から反ユダヤ的な方向にも展開しやすく、文学、演劇、音楽、美術、映画などに大きな影響力を持つこととなります。スターリンの死と共に迫害は収まるものの、正式に統制が解除されたのは1958年5月のことでした。ちなみにジダーノフは宣言の半年後、モスクワで52歳で急死しており、運用には実施的に関わっていません。

◆4月、ソ連作曲家同盟第1回総会開催(ロシア・プロレタリア音楽家同盟の後継組織)。スターリンとジダーノフにより、34歳のフレンニコフ(1913-2007)が書記長に選出。以後、フレンニコフは43年間に渡ってその地位を守り続けました。

◆5月、イスラエル共和国建国。ソ連はすぐに独立国家として承認する一方、アメリカも承認したため、反共産主義キャンペーンを警戒し、ソ連在住ユダヤ人のイスラエルへの移住は認められませんでした。

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 1949年/昭和24年 (58〜59歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆ソ連政府、イスラエル政府の親米路線転向に反発し、反ユダヤ・キャンペーン開始。新聞・雑誌などが大規模に参加。イディッシュ語の文学や演劇に関わる作家や詩人、演出家、俳優などの多くが逮捕、1952年に処刑。ロシア人であってもコスモポリタン的な人物は同じく逮捕・処刑。

◆イスラエルが国連に加盟。59番目の加盟国でした(日本は1956年、オーストリアは1955年、東西ドイツは1973年に加盟)。

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 1950年/昭和25年 (59〜60歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆3月、ソ連政府、通貨の基準をドルから金に変更。対米ドル相場は1米ドル=4ルーブルに決定。

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 1951年/昭和26年 (60〜61歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆6月、フェインベルク、心筋梗塞の発作。療養が必要となり、しばらくするとレコーディングはできたものの、コンサートは1953年まで開けませんでした。

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 1952年/昭和27年 (61〜62歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


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 1953年/昭和28年 (62〜63歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆3月5日、ソ連最高指導者、スターリン死去。74歳。
◆3月5日、◆3月5日、プロコフィエフ(1891-1953)死去。61歳。プロコフィエフは1918年に海外を拠点とするようになり、1936年からはソ連を拠点とし、1938年に23歳のミーラ・メンデリソン(1915-1968)と出会い、1941年にはミーラとの同棲を開始。7年後の1948年1月13日にミーラとの結婚が成立し、翌月には前妻リーナ(1897-1989)がスパイ容疑で重労働20年の刑を宣告され強制労働収容所送致となっていました(1956年に8年目で釈放)。


 マレンコフ体制 (1953) (62〜63歳)

◆3月、ソ連最高指導者にマレンコフが選出。

◆6月、ベルリンで反ソ連暴動発生。ソ連軍が鎮圧するものの、この年だけで東ドイツから西ドイツへの流入は30万人を超えます。

◆7月、ジューコフ元帥が戦車部隊2個師団を率いてモスクワに入り、国家保安省本部を占拠、ベリヤとカガノーヴィチを逮捕。

◆9月、ソ連最高指導者、マレンコフが辞任。


 フルシチョフ体制 (1953-1962) (63〜72歳)

◆9月、ソ連最高指導者にフルシチョフが選出。

◆12月、ベリヤ処刑(フルシチョフによる粛清)。

◆フェインベルク、コンサート活動を再開。

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 1954年/昭和29年 (63〜64歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆3月、ソ連国家保安委員会(KGB)発足。初代議長はセーロフ。

◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第11番 Op.40を作曲(1952年に着手)。

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 1955年/昭和30年 (64〜65歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、執筆活動に本腰を入れ、大著「芸術としてのピアニズム」に取り組みます(1965年に出版)。

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 1956年/昭和31年 (65〜66歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆2月、フルシチョフによる反スターリン演説。

◆4月、フェインベルク、最後のコンサート。心臓病悪化のため、通常のコンサートはこれが最後でした。レコーディングについては亡くなる直前までおこなっています。


◆6月、ポーランドのポズナニで反ソ暴動発生。ソ連軍が鎮圧。

◆10月、ハンガリーで反ソ暴動(ハンガリー動乱)。ソ連軍が鎮圧。

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 1957年/昭和32年 (66〜67歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆6月、反党グループ事件発生。反フルシチョフの最高幹部保守派らによるフルシチョフ解任に向けての政治運動。幹部会11人のうち7名が賛成してフルシチョフ解任動議が可決するものの、フルシチョフは中央委員会でなければ解任はできないと時間を稼いで抵抗、ジューコフ国防大臣とセーロフKGB議長の協力を得て、中央委員会を開催し、反対派を抑えることに成功、反対派幹部を政権から追放していました(ジューコフも11月に解任)。

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 1958年/昭和33年 (67〜68歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆6月、フルシチョフ、ブルガーニン首相を解任し、第1書記と首相を兼務。

◆12月、ソ連国家保安委員会(KGB)議長にシェレーピンが就任。前年にマレンコフらによるフルシチョフ解任計画をつぶして彼らを追放。フルシチョフに重用されKGB議長就任するものの、末期には寝返ってフルシチョフ解任に向けて活動。

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 1959年/昭和34年 (68〜69歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


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 1960年/昭和35年 (69〜70歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、70歳記念のコンサートを開催。

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 1961年/昭和36年 (70〜71歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆ソ連政府、対米ドル相場を1米ドル=0.9ルーブルに決定。

◆4月、元軍人で前大統領アイゼンハワー(共和党)のキューバ対策を手ぬるいと批判していた好戦的なケネディ大統領(民主党)が、キューバ爆撃を指示、上陸作戦まで実施するもののあえなく失敗。

◆4月、1938年に銃殺されたフェインベルクの作曲の師、ジリャーエフの名誉回復。

◆5月、モスクワで大規模な軍事パレード。
◆7月、フルシチョフにより東西ベルリンの境界閉鎖が決定。翌月、ホーネッカーの指揮でベルリンの壁建設開始。

◆11月26日、恩師ゴリデンヴェイゼル死去。86歳。


◆ソ連国家保安委員会(KGB)議長にセミチャストヌイが就任。

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 1962年/昭和37年 (71〜72歳)

◆モスクワ居住。

◆モスクワ音楽院在職。


◆フェインベルク、ピアノ・ソナタ第12番 Op.48を作曲。

◆フェインベルク、ピアノのための子供のアルバム(12曲)を作曲。

◆10月、キューバ危機。

◆10月22日、フェインベルク、モスクワで死去。

◆10月、フェインベルク、ゴロヴィンスコエ墓地に埋葬。


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 Music list

CD1

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
The Well-Tempered Clavier
Book I, 1-12
BWV 846-857
1958/1959(1961)



CD2

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
The Well-Tempered Clavier
Book I, 13-24
BWV 858-869
1958/1959(1961)



CD3

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
The Well-Tempered Clavier
Book II, 1-12
BWV 870-881
1958/1959(1961)



CD4

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
The Well-Tempered Clavier
Book II, 13-24
BWV 882-893
1958/1959(1961)



CD5

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Largo from Sonata for organ in C major, BWV 529
13 October 1962 (stereo)

Toccata in D, BWV 912
1961 (stereo)

Chromatic Fantasy and Fugue in D minor, BWV 903
1948

Allein Gott in der Höh' sei Ehr', BWV 662
22 September 1952

Allein Gott in der Höh' sei Ehr', BWV 662
4 October 1962 (stereo)

Wer nur den lieben Gott läßt walten, BWV 647
Allein Gott in der Höh' sei Ehr', BWV 663
13 October 1962 (stereo)

Allein Gott in der Höh' sei Ehr', BWV 711
2 June 1952

Concerto in A minor after Vivaldi, BWV 593
1st mov.: Allegro

Allein Gott in der Höh' sei Ehr', BWV 711
1927/1929

Prelude and Fugue in E minor, BWV 548 "The Wedge"
1948

Allein Gott in der Höh' sei Ehr', BWV 662
22 September 1952



CD6

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Prelude and Fugue in E minor, BWV 548 "The Wedge"
1962 (stereo)

Fantasia and Fugue in A minor, BWV 904
1961 (stereo)

Partita No.1 in B flat major, BWV 825
1962

Fantasia and Fugue in G minor, BWV 542 (arr. Liszt)
1950s

Prelude and Fugue in G major, BWV 884
Prelude and Fugue in A major, BWV 888
Prelude and Fugue in A minor, BWV 889
1939 (?)

Aria variata alla maniera italiana, BWV 989
1961



CD7

Robert Schumann (1810-1856)
from Album für die Jugend, Op.68
Pt. 1 "Für Kleinere"
No.6, Armes Waisenkind (The poor orphan)
No.7, Jägerliedchen (Hunting song)
No.8, Wilder Reiter (The wild rider)
No.9, Volksliedchen (Folk song)
No.10, Fröhlicher Landmann, von der Arbeit
zurückkehrend (The Merry peasant)
No.11, Sicilianisch (Sicilienne)
No.12, Knecht Ruprecht (Santa Claus)
No.13, Mai, lieber Mai, Bald bist du wieder da!
(May, dear May)
No.16, Erster Verlust (First loss)
No.17, Kleiner Morgenwanderer
(Little morning wanderer)
No.18, Schnitterliedchen (The reaper's song)
from Album für die Jugend, Op.68
Pt. 2 "Für Erwachsenere"
No.19, Kleine Romanze (Little romance)
No.23, Reiterstück (The horseman)
No.24, Ernteliedchen (Harvest song)
No.25, Nachklänge aus dem Theater
(Echoes from the theatre)
No.29, Fremder Mann (Foreign man)
No.30, Untitled
No.32, Sheherazade
No.35, Mignon
No.36, Lied italienischer Marinari
(Italian mariners' song)
No.37, Matrosenlied
No.38, Winterzeit I (Wintertime I)
No.39, Winterzeit II (Wintertime II)
1953

Waldszenen, Op.82
No.1, Eintritt (Entry)
No.2, Jäger auf der Lauer (Hunters on the lookout)
No.3, Einsame Blumen (Lonely flowers)
No.4, Verrufene Stelle (Haunted place)
No.5, Freundliche Landschaft (Friendly landscape)
No.6, Herberge (Wayside inn)
No.7, Vogel als Prophet (Bird as prophet)
No.8, Jagdlied (Hunting song)
No.9, Abschied (Farewell)
1950

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Five Symphonies
IX. in F minor, BWV 795
II. in C minor, BWV 788
XII. in A major, BWV 798
XV. in B minor, BWV 801
V. in E flat major, BWV 791
1950 (Feinberg's home recording on Bechstein piano)

Sinfonia XII in A major, BWV 798
1950s



CD8

Robert Schumann (1810-1856)
Humoreske in B flat major, Op.20
Allegro in B minor, Op.8
1953

Frédéric François Chopin (1810-1849)
Tarantelle in A flat major, Op.43
Mazurka in A minor, Op.59 No.1
Mazurka in A flat major, Op.59 No.2
Mazurka in F sharp minor, Op.59 No.3
1953

Ballade No.4 in F minor, Op.52
22 September 1952

Robert Schumann (1810-1856)
from Waldszenen
No.8, Jagdlied (Hunting song)
No.7, Vogel als Prophet (Bird as prophet)
1939

Frédéric François Chopin (1810-1849)
from 24 Preludes, Op.28
No.10 in C sharp minor
No.11 in B major
No.12 in G sharp minor
1950s

No.1 in C major
No.3 in G major
No.5 in D major
No.8 in F sharp minor
Ballade No.4 in F minor, Op.52
1952



CD9

Franz Liszt (1811-1886)
from Consolations, S.172
No.1 Andante con moto
No.2 Un poco più mosso
No.4 Quasi Adagio
1950

No.5 Andantino
No.6 Allegretto sempre cantabile
1939

Mephisto Waltz No.1, S.514
1953

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Sonata No.30 in E major, Op.109
1953

Sonata No.19 in G minor, Op.49-I
Sonata No.20 in G major, Op.49-II
1956

Sonata No.23 in F minor, Op.57 "Appassionata"
1939/1946 (?)



CD10

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Sonata No.4 in E flat major, Op.7
Sonata No.11 in B flat major, Op.22
1960

Sergei Vasilyevich Rachmaninoff (1873-1943)
Preludes Op.23, No.1, No.3, No.7, No.8
Etude tableau Op.39, No.9
1950



CD11

Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Sonata in E flat major, K282
1 October 1953

Sonata in D major, K576
26 July 1952

Prelude (Fantasy) and Fugue in C major, K394
12 Variations on an Allegretto in B flat major, K500
17 May 1951

Pyotr Ilyich Tchaikovsky (1840-1893)
Piano Sonata in C sharp minor, Op. posth. 80
1955



CD12

Alexander Nikolayevich Scriabin (1872-1915)
Ten Mazurkas, Op.3
Nine Mazurkas, Op.25
1952 (?)

Samuil Yevgenyevich Feinberg (1890-1962)
Suite (Four Etudes) No.1, Op.11
(dedicated to A. Goldenweiser, 1923)
1929



CD13

Alexander Nikolayevich Scriabin (1872-1915)
Piano Sonata No.5, Op.53
22 January 1948 (live)

Mazurkas Op.40 Nos.1 and No.2
Mazurkas Op.3 No.9 and No.6
6 July 1948

Mazurka Op.25 No.3 in E minor
2 February 1960 (live in Moscow)

Mazurka Op.25 No.7 in F sharp minor
1953

Mazurka Oр.25 No.8 in B major
1952

Sonata No.4 in F sharp major, Op.30
1939

Quatre Morceaux, Op.51
1947

Etude Op.42, No.3
Fragilité (from Quatre Morceaux, Op.51)
1929

Samuil Yevgenyevich Feinberg (1890-1962)
Fantasia No.1, Op.5
1950s (Feinberg's home recording on Bechstein piano)

Two Chuvash Melodies, Op.24a
No.1 Lullaby
No.2 Chuvash Melody
Three Melodies, Op.27a
No.1 Georgian Song
No.2 Tatar Song
No.3 Armenian Song
1 January 1952

Humoresque, Ор.19
30 March 1957

Sonata No.1, Op.1 (1915) (Version 2)
1950s (Feinberg's home recording on Bechstein piano)



CD14

Samuil Yevgenyevich Feinberg (1890-1962)
Concerto for piano and orchestra No.2, Op.36
USSR State Symphony Orchestra, Dir. Nikolai Anosov
1946

Sonata No.12, Op.48 (1962)
1950s (Feinberg's home recording on Bechstein piano)

Suite for piano No.2, Op.25
4 June 1939

Sonata No.1, Op.1 (1915) (Version 1)
Sonata No.2, Op.2 (1915-16)
1950s (Feinberg's home recording on Bechstein piano)



CD15

Samuil Yevgenyevich Feinberg (1890-1962)
from Piano Concerto No.2 In D major, Op.36
II. Andante
IV. Allegretto con brio
The Moscow Philharmonic Orchestra, Dir. Yuri Silantiev
18 June 1960 (live)

Anatoly Konstantinovich Lyadov (1855-1914)
Idylle, Op.25
1947

Alexei Vladimirovich Stanchinsky (1888-1914)
Prelude in the form of a Canon, No.2. in G major
1929

Anatoly Nikolayevich Alexandrov (1888-1982)
Nocturne in A major, Op.3 No.1
Waltz in A minor, Op.3 No.2
8 September 1952

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
from Das wohltemperierte Klavier, Book II
Prelude and Fugue No.1 in C major, BWV 870
Prelude and Fugue No.2 in C minor, BWV 871
Prelude and Fugue No.3 in C sharp major, BWV 872
Prelude and Fugue No.4 in C sharp minor, BWV 873
Prelude and Fugue No.5 in D major, BWV 874
October 1950

Samuil Yevgenyevich Feinberg (1890-1962)
Sonata No.9, Op.29 (1939)
1950s (Feinberg's home recording on Bechstein piano)


 商品説明詳細ページ一覧

【複数作曲家】
女性作曲家たち
Piano Classics スラヴ・エディション
Piano Classics フレンチ・エディション
Piano Classics アメリカ・エディション
オランダのピアノ協奏曲集
オランダのチェロ協奏曲集
イタリアのヴァイオリン・ソナタ集
イタリアのチェロ・ソナタ集
ファゴットとピアノのためのロマン派音楽

【中世〜バロック作曲家(生年順)】
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン (1098-1179)
バード (c.1540-1623)
スウェーリンク (1562-1621)
モンテヴェルディ (1567-1643)
ファゾーロ (c.1598-c.1664)
カッツァーティ (1616-1678)
レグレンツィ (1626-1690)
ルイ・クープラン (1626-1661)
クープラン一族
ブクステフーデ (1637-1707)
マッツァフェッラータ (c.1640–1681)
ムルシア (1673-1739)
グリューネヴァルト (1673-1739)
ダンドリュー (1682-1738)
J.S.バッハ (1685-1750)
B.マルチェッロ (1686-1739)
モルター (1696-1765)
スタンリー (1713-1786)
ヨハン・エルンスト・バッハ (1722-1777)

【古典派&ロマン派作曲家(生年順)】
ハイドン (1732-1809)
ミスリヴェチェク (1737-1781) (モーツァルトへの影響大)
ボッケリーニ (1743-1805)
モンジュルー (1764-1836) (ピアノ系)
ベートーヴェン (1770-1827)
クラーマー (1771-1858)
ジャダン (1776-1800) (ピアノ系)
リース (1784-1838)
ブルックナー (1824-1896)
マルトゥッチ (1856-1909)
マーラー (1860-1911)
トゥルヌミール (1870-1939)
ルクー (1870-1894)
レーガー (1873-1916)
ラフマニノフ (1873-1943)

シェーンベルク (1874-1951)

ウォルフ=フェラーリ (1876-1948)

【近現代作曲家(生年順)】
レーバイ (1880-1953) (ギター系)
マルティヌー (1890-1959)
ミゴ (1891-1976) (ギター系も)
サントルソラ (1904-1994) (ギター系も)
ショスタコーヴィチ (1906-1975)
ラングレー (1907-1991) (オルガン系)
アンダーソン (1908-1975)
デュアルテ (1919-2004) (ギター系)
プレスティ (1924-1967) (ギター系)
テオドラキス (1925-2021)
ヘンツェ (1926-2012)
スハット (1935-2003)
坂本龍一 (1952-2023)
【オーケストラ】
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

【指揮者(ドイツ・オーストリア)】
アーベントロート
エッシェンバッハ
カラヤン
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィルベルリン・フィルミュンヘン・フィル国立歌劇場管レジェンダリー)
クラウス
クリップス
クレンペラー (VOX&ライヴザルツブルク・ライヴVENIASボックス
サヴァリッシュ
シューリヒト
スイトナー (ドヴォルザークレジェンダリー)
フリート
フルトヴェングラー
ヘルビヒ (ショスタコーヴィチマーラーブラームス)
ベーム
メルツェンドルファー
ヤノフスキー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー (ブルックナーマーラーヨーロッパドイツ)
ロスバウト
【指揮者(ロシア・ソ連)】
アーロノヴィチ
ガウク
クーセヴィツキー
ゴロワノフ
ペトレンコ
マルケヴィチ
【指揮者(アメリカ)】
クーチャー(クチャル)
スラトキン(父)
ドラゴン
バーンスタイン
フェネル
【指揮者(オランダ)】
オッテルロー
クイケン
フォンク
ベイヌム
メンゲルベルク
【指揮者(フランス)】
パレー
モントゥー
【指揮者(ハンガリー)】
セル
ドラティ
【指揮者(スペイン)】
アルヘンタ
【指揮者(スイス)】
アンセルメ
【指揮者(ポーランド)】
クレツキ
【指揮者(チェコ)】
ターリヒ
【指揮者(ルーマニア)】
チェリビダッケ
【指揮者(イタリア)】
トスカニーニ
【指揮者(イギリス)】
バルビローリ
【指揮者(ギリシャ)】
ミトロプーロス
【指揮者(日本)】
小澤征爾
【鍵盤楽器奏者(楽器別・生国別)】

【ピアノ(ロシア・ソ連)】
ヴェデルニコフ
グリンベルク
ソフロニツキー
タマルキナ
ニコラーエワ
ネイガウス父子
フェインベルク
フリエール
モイセイヴィチ
ユージナ
【ピアノ(フランス)】
ウーセ
カサドシュ
ティッサン=ヴァランタン
ハスキル
ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】
キルシュネライト
シュナーベル
デムス
ナイ
レーゼル (ブラームスベートーヴェン)
【ピアノ(イタリア)】
フィオレンティーノ
【ピアノ(ハンガリー)】
ファルナディ
【ピアノ(南米)】
タリアフェロ
ノヴァエス
【チェンバロ】
ヴァレンティ
カークパトリック
ランドフスカ
【弦楽器奏者(楽器別・五十音順)】

【ヴァイオリン】
オイストラフ
コーガン
スポールディング
バルヒェット
フランチェスカッティ
ヘムシング
リッチ
レナルディ
レビン
【チェロ】
カサド
シュタルケル
デュ・プレ
トルトゥリエ
ヤニグロ
ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】

【クラリネット】
マンツ

【ファゴット】
デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】
モワネ
【歌手】
ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル(編成別・五十音順)】

【三重奏団】
パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】
フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】
グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
ズスケ四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
フランスの伝説の弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団
【楽器】
アルザスのジルバーマン・オルガン

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