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ちいさな曲芸師 バーナビー フランスに伝わるお話 末盛千枝子ブックス

バーバラ・クーニー

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784773816037
ISBN 10 : 4773816031
Format
Books
Publisher
Release Date
July/2016
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

「いったいぼくはあなたのために何ができるのでしょうか?」
孤独な曲芸師・バーナビーは、自分にできるただひとつのことを、マリアさまのために一生懸命し続けるのでした。 しかし……。
800年以上にわたって語り継がれ、オペラや歌、小説にもなってきた伝説を、アメリカを代表する絵本作家バーバラ・クーニーが、美しい絵本にしました。わが子にその名をつけたほど愛し、出版を切望した物語が、再びよみがえります。

バーバラ・クーニー (1917-2000年)
アメリカでその年、最も優れた絵本に与えられる「コルデコット賞」を二度受賞した、アメリカを代表する絵本作家。生涯110冊以上もの絵本を残した。主な作品に、『ルピナスさん―小さなおばあさんのおはなし』、『エミリー』(共にほるぷ出版)、『ちいさなもみの木』(福音館書店)など。

[末盛千枝子ブックス]
ゴフスタインやターシャ・テューダーの絵本、皇后美智子さまの講演録などで知られ、近著『「私」を受け容れて生きる-父と母の娘』が話題の末盛千枝子さんの著書や編集された絵本を刊行するシリーズです。これまでに、『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』[1][2]、ゴフスタイン『あなたのひとり旅』『ピアノ調律師』『ゴールディーのお人形』、ターシャ・テューダー『すばらしい季節』などを刊行。

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • アルピニア

    <12月に>バーナビーにできることは曲芸だけ。跳んだり、踊ったり、手品をしたり。修道院で暮らすようになったバーナビーは、クリスマスに他の修道士のように立派な歌や写本や絵や工芸品を捧げることができない自分に落胆します。自分にできることと言えば・・。フランスに古くから伝わる伝説をもとに書かれたお話だそうです。「祈り」や「贈り物」の本質について考えさせられます。「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい(ペテロの手紙)」

  • 彼岸花

    人々が、楽しいクリスマスを迎えている最中、バーナビーは、たった一人、修道院のマリア像の前で、曲芸を披露します。この特別な日の為に、荘厳な雰囲気に包まれ、精一杯の祝福を。不安に駆られながらも、力尽きるまでやり遂げた精神力、ひたむきな心に魅了されました。たった10才の子供が、泣きながら思い描いた贈り物。踊る聖人として認められたバーナビーの奇跡。どんな時も、希望を失うことのないよう、700年という時空を超えて、私たちに明るい未来を届けてくれたようです。絵の中で使われている朱色が映えて印象的でした。

  • 遠い日

    フランスに何百年も伝わる話の、クーニーによる再話。修道院で世話になっている孤児の曲芸師バーナビー。自分にできる唯一のこと、曲芸を必死にすることで、マリアさまへの祈りとする。心に煩悶と修道士たちの反感を感じながらの、秘密の行い。ささやかな、しかし、まっすぐな気持ちの輝き。祈りとは、本来このような行いをいうのだろう。クーニーの前書きも絵も、ともにすばらしかった。

  • 鳩羽

    フランスに昔から伝わる曲芸師のおはなし。バーナビーは父親と曲芸師をして生活をしていたが、父親が亡くなり一人ぼっちになってしまう。冬が近づくと、人々は曲芸を眺めるところではなくなり、途方にくれていたバーナビーをとある修道士が連れ帰ってくれる。修道院で暮らし始めたバーナビーだったが、修道士達のようにマリアさまのための仕事ができないことを気に病み、毎日マリア像に曲芸を見せるのだった。特別な行いでなくても、真心と、自分のできる精一杯を捧げると、奇跡は起こるのだろう。そんな清々しさを感じさせてくれる美しい本だった。

  • つき

    曲芸しか知らない10歳の少年が、マリア様に喜んでもらおうと、像の前で一生懸命に芸をする姿を誤解されてしまうシーンはやるせない気持ちになる。 誤解をして告げ口をした修道士は恥じていたが、現実にもこういうことは多々あると思う。そのとき、どういう行動を取るのか…人間性が現れるのかもしれない。

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