CD 輸入盤

ブランデンブルク協奏曲全曲 ボッセ&神戸市室内合奏団(2CD)

バッハ(1685-1750)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
ALT227
組み枚数
:
2
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

バッハ:ブランデンブルク協奏曲全曲
ボッセ&神戸市室内合奏団
実力派客演陣との躍動感あふれるアンサンブル


2012年2月1日に亡くなられたゲルハルト・ボッセさんによる2011年3月10日のコンサートのライヴ録音盤。
 ソリスト陣には、ボッセさんと関わりの深い日本のオーケストラの名手達が集合、万全の体制で臨んだボッセ&神戸市室内合奏団の十余年に及ぶ活動の集大成ともいえる記念すべき演奏会をアルトゥスが素晴らしい音質でレコーディングしました。(HMV)

【あの日…… ゲルハルト・ボッセ】
私と妻を乗せた新幹線は京都駅の手前で急に止まり、ゆっくり揺れた。しばらくして「東北地方で震度6の地震」とのアナウンスがあり、京都駅に着いた列車はその後長く発車しなかった。前日の神戸公演を成功裏に終え、12 日の東京公演のため移動中に起きた事が、私たちの長い1 日の始まりであり、日本が未曽有の災害に見舞われ、その後の原発事故へと突き進んでゆく受難の始まりだったとは、その時は知る由もなかった。列車は各駅停車しながら名古屋駅まで何とか走り、その後は全く先へ進まなくなってしまった。東京方面はどこへ電話をかけてもつながらず、夕方になってようやく、東京の知人が妻の携帯に連絡をくれて、私たちも少しずつ、何が起きたのか理解し始めた。そして、東京公演の中止を神戸市室内合奏団事務所から知らせて来た。他のメンバーも何人か新幹線に缶詰め
になっているとのこと。
 夜になってやっと、京都方面へのこだまがホームに入ってくるというので、新幹線の乗員に誘導されて乗り換え、うしろ髪を引かれる思いで帰路についた。私の年齢と健康状態から考えて、体力も気力も充実した演奏ができる最後の東京公演になるかもしれないと思っていたから。名古屋駅にも乗り換えの人があふれる中、満員の列車で、深夜11 時過ぎにやっと帰宅できたが、テレビで見る災害の光景は、人間の想像力で、起きている事を頭が受容できる限界をはるかに超えるもので、私たちは、ただただ言葉を失い、身動きもできずに、テレビの画面を見続けた。
 震災・原発事故直後の、重苦しい不安に打ちのめされそうだった日々。それでも音楽家にできることは演奏しかない、と中止になった東京公演を、日を改めてチャリティー・コンサートとして実現させる可能性も探ったが、演奏者全員が揃うことはむずかしく、その他の事情もあって叶わず、何とも無念であった。その後、私自身が体調を崩し、闘病を余儀なくされて、辛い日々を過ごしてゆくうちに、「幻の東京公演」の無念さも忘れかけていた。
 あの日からほぼ10か月が経ち、思いもかけず、神戸公演のライヴ録音がCD化されることになった。この「ブランデンブルク協奏曲全6曲」のために集まってくれたのは、私が長年日本で音楽活動を続けてきた中で出会い、共演を重ねてきた優れた奏者たちで、これだけの顔ぶれを再び集めるのは、ほとんど不可能と言っても良いだろう。まさに一期一会の幸福で充実した時を過ごせたことに心から感謝している。(中略)
 これだけの客演奏者たちに恵まれ、彼らと、私の秘蔵っ子、神戸市室内合奏団の面々が一体となり、躍動感あふれるアンサンブルを創り出してくれた。
 この2011年の「ブランデンブルク協奏曲全6曲」は、私の日本での音楽活動の集大成であり、神戸市室内合奏団とのここ17年間で最高の演奏会となった。私の今までの音楽人生で何度も演奏し、録音もしてきた「ブランデンブルク」の最も良い演奏になったと自負している。
この録音を聴くたび、あの日のことを思い出すだろう。愛する人を亡くし、家を失い、故郷まで失って傷ついた人々の心が、J.S.バッハの音楽から何かを受け取ろうとする時、私たちの演奏が少しなりともその仲立ちになれるなら、これほどの喜びはない。(ライナーノーツより)

【収録情報】
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲全曲
CD1
・ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調 BWV1046
・ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV1047
・ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調 BWV1048
CD2
・ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV1049
・ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調 BWV1050
・ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調 BWV1051

 客演奏者:
 コンサートマスター: 白井圭(ヴァイオリン)
 平尾雅子、頼田麗(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 花崎薫(チェロ)、北谷直樹(チェンバロ)
 白尾彰(フルート)、岩佐雅美(ファゴット)
 古部賢一、森枝繭子、多田敦美(オーボエ)
 太田光子、宇治川朝政(ブロックフレーテ)
 垣本昌芳、永武靖子(ホルン)
 高橋敦(トランペット)

 神戸市室内合奏団
 ゲルハルト・ボッセ(指揮)

 録音時期:2011年3月10日
 録音場所:神戸文化ホール 中ホール
 録音方式:デジタル(ライヴ)

【ボッセと日本】
ドイツ生まれの指揮者でヴァイオリニスト、神戸市室内合奏団音楽監督のゲルハルト・ボッセさんが、2月1日、大阪府高槻市の自宅で大腸がんのため亡くなられました。90歳でした。心よりご冥福をお祈りいたします。
 ボッセさんは1961年にフランツ・コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターとして初来日し、1964年にはゲヴァントハウス弦楽四重奏団として来日、1978年には自身が創設したゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団と共に来日するなど、ヴァイオリニスト以外の活動も熱心であったため、その来日回数は非常に多く、1980年には霧島国際音楽祭・講習会を創設して音楽監督を務め、毎年指導にあたることとなります。
 一方、来日が多かったため、新日本フィルハーモニー交響楽団のほか、数多くの日本のオーケストラへの客演活動も展開、さらに、1994年には東京芸術大学客員教授となり、2000年まで務めあげたのち、同年4月からは、神戸市室内合奏団の音楽監督に就任し、現在に至っていました。その間、1998年にはドイツ連邦共和国第一等功労十字勲章を受章し、2005年には神戸市文化賞、2008年、エクソン・モービル音楽賞洋楽部門本賞などを受賞していました。

【プロフィール】
1922年にライプツィヒ近郊のヴルツェンに誕生。2歳の時から父にヴァイオリンを習い、続いて、当時ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターだったエドガー・ヴォルガントに師事、その後、ライプツィヒ音楽大学のヴェルター・ダヴィソンに教えを受けます。
 ライプツィヒ音楽大学在学中からゲヴァントハウス管弦楽団で演奏し、 第二次世界大戦中は、リンツ・ブルックナー管弦楽団のメンバーとして、フルトヴェングラー、力ラヤン、ベームといった多くの指揮者のもとで演奏。
 戦後、1946年にはヴァイマール音楽大学の講師として迎えられ、1949年、同音楽大学教授に就任して教育分野での活動を展開。
 1951年になると、ライプツィヒ放送交響楽団の第1コンサートマスターとなり、同年、ライプツィヒ音楽大学のオーケストラ科と室内楽マスタークラスの主任教授に就任。
 1955年には、ゲヴァントハウス管弦楽団の第1コンサートマスターとして迎えられ、コンヴィチュニーやノイマン、マズアらのもとで1987年まで在任、その間、1972年にはライプツィヒ市からニキシュ賞を授与されています。
 ボッセはコンサートマスターのほか、ソロ・ヴァイオリニストとしても活躍、さらに1955年には恩師であるヴォルガントのあとを継いでゲヴァントハウス弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者となり、さらに1962年にはゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団を創設、以後、コンマス、ソロ・ヴァイオリニスト、カルテット、指揮者、教育者という多彩な活動を展開することとなりました。(HMV)

ユーザーレビュー

総合評価

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この公演は生で聴き、感動しました。同じメ...

投稿日:2021/10/16 (土)

この公演は生で聴き、感動しました。同じメンバーで東京公演も予定していたのですが、東日本大震災で実現せず、残念でした。 当時のボッセはベートーベンやメンデルゾーン、モーツァルトなど何をやっても見事で、関東などの遠隔地からも神戸に聞きに来られる方が多く、一時期の「朝比奈詣で」のようでした。特にゲヴァントハウス時代から得意にしていたブランデンブルク協奏曲は最高で、音楽の隅々まで理解し尽くした自然体の生き生きとした表現にあふれています。

座頭 さん | 兵庫県 | 不明

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私にとって、このレコーディングされたコン...

投稿日:2020/01/23 (木)

私にとって、このレコーディングされたコンサートに行けなかったのが悔いが残っています。今は、このCDを聞きながら、あの頃を思い出してます。この名演を多くの人に聴いて欲しい。

カニさん さん | 兵庫県 | 不明

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人物・団体紹介

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バッハ(1685-1750)

1685年:アイゼナハで誕生。 1700年:リューネブルクに移り、修道院付属学校の給費生として生活。 1703年:ヴァイマルの宮廷楽団に就職。 1707年:ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに就任。同年、マリア・バルバラ・バッハと結婚。 1708年:ヴァイマルに移って宮廷オルガニストに就任。 1714年:楽師長

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