ダーチャ・マライーニ

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わたしの人生 新潮クレスト・ブックス

ダーチャ・マライーニ

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784105901974
ISBN 10 : 4105901974
Format
Books
Publisher
Release Date
November/2024
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

わたしは忘れない。日本で、9歳にしてもっとも死に近づいたときのことを――文化人類学者の父の研究のため来日した著者は、1943年から終戦まで一家5人で抑留される。蟻や蛇を食べるほどの飢餓、父母が与えてくれたささやかな楽しみ、乳母など優しくしてくれた日本人との思い出、ファシズムへの憤り‥‥。イタリアを代表する作家が七十余年の時を経て、現代への警鐘を込めて綴ったメモワール。

【著者紹介】
ダーチャ・マライーニ : 1936年フィエーゾレ生まれ。作家・詩人・劇作家。文化人類学者の父フォスコ・マライーニ、母トパーツィア・アッリアータとともに1938年来日。一家5人は終戦までの約2年間、名古屋の強制収容所に抑留され、1945年イタリアに帰国。1962年『バカンス』でデビュー。1963年に『不安の季節』でフォルメントール賞、1990年『シチーリアの雅歌』でカンピエッロ賞、1999年Buio(未邦訳)でストレーガ賞受賞

望月紀子 : 東京外国語大学フランス科卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • アキ

    イタリアで生まれ2歳で来日し京都で両親と日本文化に囲まれ生活していたが、ある日警察が来て名古屋の収容所に連行された。イタリアのファシストへの反対を咎められたから。終戦までの間、冷酷な粕谷にことある毎に米のゴウ(合)を減らされ、親から禁じられた蟻を口にする日々。父の抗議の指切り事件。そして天白の収容所から挙母の寺に移され終戦を迎えるまで。1945年イタリアに帰国し、その後数多くの小説を書いたが、忘れようにも忘れられない6、7歳の頃の記憶を80歳台になって書いておきたいと思った。それは彼女の原点であったから。

  • どんぐり

    第二次世界大戦中、日本に滞在していたイタリア人一家は、父親がファシズムに反対していたため、名古屋郊外の天白収容所に強制収容。著者は当時7歳で、過酷な環境に置かれた。収容所は劣悪でシラミとノミ、夏は酷暑、冬は厳寒、食料は極端に不足し、子どもは配給対象外だったため、少女は飢えに耐えかねて庭を這う蟻を食べるほどだった(蟻は蟻酸という毒がある)。戦争終結後も一家はしばらく置き去りにされ、自由はあったが生活は不安定だった。→

  • ケンイチミズバ

    この人たちに謝りたい。それにしても少女の堪能な日本語、白いご飯が美味しい、パンはほとんど食べたことがない、大根が嫌いという好き嫌いのくだりも。この小さな子供たちが、気の毒でならない。なんて酷いことを。あまりの空腹で庭のアリを食べた。収容施設に赤十字や教皇庁から特使が訪れた時、ナチスの演出同様ご馳走が用意され、会話は禁じられ強制的に笑顔を作らされ監視の中でまともな食事にありつくことが出来た。極度の空腹が人間の信念を揺らがせることも分かった。そんな中でいつも笑顔で縫物をしていた母の姿には敬意しかありません。

  • キムチ

    社会で最も弱い立場にある人々に寄り添ってきた筆者。装丁に見る聡明さを感じさせる少女が、軍事大国日本で戦時下の大衆と共に過ごした4年間、その後「死と背中合わせ」の捕虜収容所での2年間〜天国と地獄を貼り合わせたか如き空気が原点と思えた!その後辿った劇作家、社会活動家としてのコアの部分形成に連なっているとも。被害者であると叫ぶ国民の呻きを聞きながら育ってきた私の学童期。名古屋にこういった強制収容所があったことすら驚愕。静謐な独り言とでも言えそうな力を抜いた語り  日独伊三国軍事同盟の関係にあった大日本帝国を側面

  • とよぽん

    この本、2週間前の読売新聞書評欄で知った。戦争の被害を語り継ぐだけでなく、戦争の加害について私たちはもっと知らなければならないと思う。著者はイタリア人で、父親の仕事により家族で日本に住んでいた。が、戦争のために名古屋の収容所に2年間入れられ、心身ともに塗炭の苦しみを受けた。当時彼女は7歳〜9歳の少女。1936年生まれの、現在88歳だ。今、世界が不穏な状況になってきたことで、彼女はこれまで辛くて書けなかった名古屋の収容所のことを、何としても書かなければという強い思いに動かされたのだそうだ。読んでよかった。

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