マロウン死す

サミュエル・ベケット

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784309207797
ISBN 10 : 4309207790
フォーマット
出版社
発行年月
2019年08月
日本
共著・訳者・掲載人物など
:
追加情報
:
209p;20

内容詳細

20世紀最大の作家による到達点「小説三部作」の2作目。意味と無意味のあいだをさまよう。ベケット没後30年、フランス語からの個人新訳第2弾。投込栞寄稿=高橋悠治、金氏徹平

著者
サミュエル・ベケット (ベケット)
1906〜1989年。アイルランド出身の小説家・劇作家。『モロイ』を含む小説三部作は51〜53年にかけてミニュイ社より刊行された。52年『ゴドーを待ちながら』を刊行。69年、ノーベル文学賞を受賞。

宇野 邦一 (ウノ クニイチ)
1948年生まれ。哲学・フランス文学。著書に『土方巽――衰弱体の思想』、『〈兆候〉の哲学』、『ドゥルーズ――群れと結晶』など。訳書にアルトー『タラウマラ』、ジュネ『薔薇の奇跡』など。

【著者紹介】
サミュエル・ベケット : 1906‐1989。アイルランド出身の小説家・劇作家。1927年、ダブリン・トリニティ・カレッジを首席で卒業。28年、パリ高等師範学校に英語教師として赴任し、ジェイムズ・ジョイスと知り合う。30年、トリニティ・カレッジの講師職を得てアイルランドに戻るも翌年末に職を離れ、その後パリに舞い戻る。33年末から35年末にかけて鬱病の治療を受けにロンドンで暮らし、一時は精神分析を受ける。その後ダブリンやドイツ各地を経て37年末に再びパリへ。38年、路上で見知らぬポン引きに刺される。39年夏に一時ダブリンに戻るも、フランスがドイツと交戦状態に入ってまもなくパリへ戻る。戦中はフランスのレジスタンス運動に参加。秘密警察を逃れ、南仏ヴォークリューズ県ルシヨン村に潜伏、終戦を迎えた。46年頃から本格的にフランス語で小説を書きはじめる。52年『ゴドーを待ちながら』を刊行、53年1月にパリ・バビロン座にて上演。これらの作品は20世紀後半の世界文学の新たな創造を先導することになる。69年、ノーベル文学賞を受賞。映像作品を含む劇作や短い散文の執筆を、フランス語と英語で晩年まで続けた

宇野邦一 : 1948年生まれ。哲学・フランス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • 藤月はな(灯れ松明の火) さん

    死に行く男の無軌道な語りで構成された不思議な本。身体は言うことを聞かない中で残された自己と戯れるしかない時間のエアポケット。それが有益かなんてナンセンスだ。飽きたのか、無作為に変わる語りは本当なのか、嘘なのかも判然としない。一方、自分の事は放って置いて欲しいが同時に構って欲しい気持ち、看護人への繰り言は心に充満しているのにいざ顔を合わせると言えなくなる事、滅多に使わない所有物(杖)への執着などの身近な感情の移り変わりは生々しい。生きていると些細な事に囚われる人間のちっぽけさが際立つような作品なのかな…。

  • 南雲吾朗 さん

    うまく感想をかけない。読解力がないからだ。しかし、よい書物だということはわかる。だから「モロイ」に引き続きこの本を読んだのであろう。「以前は自分がどこに行こうとしているかわからなかった。しかし到着することならわかっていた。」死に向かう時間に戯れるマロウン。生はほんの一瞬の輝きかもしれない。生きていく苦しみの中にも、愛は存在する。死というものを目前にして、書く事で生を体現しようとし、自分の書く物語が自分自身に収束されてくる。しかし、本当に死が間近に迫った時、書くこと自体が無くなってくる。

  • かんやん さん

    死につつあるマロウンが、ちびた鉛筆でノートに記すモノローグと物語の断片。陰陰滅滅としているが、どこからか光が差して、仄明るくもある。たとえば、降り出した雨を避けるため、じっと俯けに横たわり、そのままの姿勢で考える、まさかこんな土砂降りになるとは思わなかった、雨宿りの場所を探した方が賢明だったかもしれない、と。そして、とうとう仰向けになり、苦しいのは雨のせいではないかもしれない、と。思わず笑ってしまう。人を人たらしめているものが決定的に欠けているようでいて、さりとて本能のままに生きる獣から遠いのは、→

  • ケイトKATE さん

    前作『モロイ』は、かろうじて小説の体裁を成しているのに対して、『マロウン死す』は、主人公マロウンが最初から最後まで呟くように語っているだけである。最後まで読んで分かったことは、タイトルの通りマロウンは死に瀕しており、思いついたことを次から次へと語っているということである。ただし、回想している形はなく、創作している所もあり、読み手は混乱してしまう。結局、死を迎えようとしている人間の心は、マロウンのように混沌としているということなのか。

  • erierif さん

    「それにしても私はもうすぐ、やっと、すっかり死んでしまうはずだ。」そんな書出しで改行や説明も一切なくびっしりページに男の独白が埋め尽くされるが、実に中身がない。つかみどころがないのになぜか読めてしまう。死ぬ間際なのにほんとにどうでもいい独白しかなく…生きるって何だろうとふっと意識がむいてしまう。ちっぽけな愚かな欲、先の事や人の事なんて本当は考えるのだろうか?結局男にどんな事があったのか捕らえられなかった。どうしてこんなバラバラの話を最後まで読んでしまえるのか?ベケットの魅力って何だろう。

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サミュエル・ベケット

1906‐1989。アイルランド出身の小説家・劇作家。1927年、ダブリン・トリニティ・カレッジを首席で卒業。28年、パリ高等師範学校に英語教師として赴任し、ジェイムズ・ジョイスと知り合う。30年、トリニティ・カレッジの講師職を得てアイルランドに戻るも翌年末に職を離れ、その後パリに舞い戻る。33年末

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