Hi Quality CD

新・ ピアノ作品集 高橋悠治

サティ(1866-1925)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
COCQ85373
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
Hi Quality CD

商品説明


クラシック音楽の垣根を超えて、日本におけるサティ・ブームを巻き起こした高橋悠治
コロムビアで約40年ぶりの新録音。


今年(2017年)79歳をむかえ、クラシック界のみならず、ポピュラーミュージックやジャズの領域でも多大なるリスペクトを受けているピアノ界のレジェンド、高橋悠治がフランスの作曲家、エリック・サティのピアノ作品を40年ぶりに再録音しました。
 高橋は1970〜80年代にかけてDENONレーベルに数多くの録音をのこしており、中には高橋を敬愛する坂本龍一との連弾の録音などものこされていました。76〜80年にはサティの作品集を3枚リリースし、80年代のサティ・ブームを牽引する名盤としていまなお広く知られています。今回の新・作品集はそれから実に約40年ぶりの再録音となり、コロムビアとの録音も80年代以来の久々のレコーディングとなりました。
 収録曲は『ジムノペディ』や『グノシエンヌ』『ジュ・トゥ・ヴ』など、エリック・サティのもっとも広く知られている曲を集めたもの。有名曲・無名曲の垣根なく、常に思索と示唆に富んだアルバムを継続的にリリースしている高橋としては、異例のオーソドックスな選曲のアルバムとなっています。さらに、サティのロマンティックなボーカル曲『1886年の3つの歌』を高橋自らピアノ・ソロ用に編曲したものが各曲の間に挿入されています。
 レコーディングは細心のマイクセッティングにより実現した「ワンポイント録音」が採用され、高橋の繊細なタッチを、混ざり気のないピュアなサウンドでありのままに録音することに成功。高音質のUHQ-CDでのリリースとなります。(写真:メーカー提供)(メーカー資料より)

【収録情報】
サティ:ピアノ作品集


01. ジムノペディ第1番 (Gymnopedies I)
02. ジムノペディ第2番 (Gymnopedies II)
03. ジムノペディ第3番 (Gymnopedies III)
04. 『1886年3つの歌』より「天使たち」 (Trois Melodies de 1886 - I. Les Anges)
05. グノシエンヌ第1番 (Gnossiennes I)
06. グノシエンヌ第2番 (Gnossiennes II)
07. グノシエンヌ第3番 (Gnossiennes III)
08. グノシエンヌ第4番 (Gnossiennes IV)
09. グノシエンヌ第5番 (Gnossiennes V)
10. グノシエンヌ第6番 (Gnossiennes VI)
11. グノシエンヌ第7番 (Gnossiennes VII)
12. 『1886年3つの歌』より「エレジー」 (Trois Melodies de 1886 - II. Elegie)
13. サラバンド第1番 (Sarabandes I)
14. サラバンド第2番 (Sarabandes II)
15. サラバンド第3番 (Sarabandes III)
16. 『1886年3つの歌』より「シルヴィ」 (Trois Melodies de 1886 - III. Sylvie)
17. ノクチュルヌ第1番 (Nocturnes I)
18. ノクチュルヌ第2番 (Nocturnes II)
19. ノクチュルヌ第3番 (Nocturnes III)
20. ノクチュルヌ第4番 (Nocturnes IV)
21. ノクチュルヌ第5番 (Nocturnes V)
22. ノクチュルヌ第6番 (Nocturnes VI)

Bonus track
23. ジュ・トゥ・ヴ(好きよ) (Je te veux)

 高橋悠治(ピアノ)

 録音時期:2017年6月20,21日
 録音場所:東京、五反田文化センター 音楽ホール
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)



【サティの再録音に 高橋悠治】

日本コロムビアから3枚のサティ作品集を出したのは1976〜1980年だった。
その時は、演奏でなにかを加えるのではなく、ありがちの表現や叙情のない「白い音楽」をさしだすだけにしたいと思っていた。その後コンサートで弾いているうちに弾きかたも自然に変わってきたのだろう。

Robert Orledge: Satie the Composer(Cambridge, 1996) が明らかにしたように、サティの一見素朴なフレーズも、小さなメモ帳のなかで修正を重ねているし、公開しなかったたくさんの曲もそこから見つかって、「遅れてきた中世の音楽家」でもあり、「ミニマリズム」のパイオニアとも言われたサティのイメージも、また変りつつある。

こんど誘われて1枚にまとめた再録音では、貧しいものの音楽、小さなもののつつましさ、ひそやかさ、その息づかいや、鍵盤に触れるその時に生まれる発見から次の一歩が決まるような、どことなく危うい曲り道を辿る、音から次の音へのためらいがちな足どりの、未完の作曲家サティにふさわしい進行中の記録にとどめておきたい気もあった。

ここでは『ジムノペディ』3曲、Christopher Hobbs の編集による『星たちの息子 Le Fils des etoiles』全曲版 (Experimental Music Catalogue, 2003) から第1幕の最後の7番をあわせた『グノシエンヌ』全7曲、Orledgeがわずかな空白を補った第6番を含む『ノクチュルヌ』6曲、『ジュ・トゥ・ヴ』ピアノ版、それに『サラバンド』3曲と『1886年の3つの歌』のピアノ編曲をはじめて録音した。

【プロフィール】
高橋悠治(たかはし・ゆうじ YUJI TAKAHASHI)作曲家・ピアニスト
柴田南雄、小倉朗、ヤニス・クセナキスに作曲をまなぶ
1974-76年音楽雑誌「トランソニック」編集
1976年から現在まで画家富山妙子と映像と音楽による物語を製作
1978-85年水牛楽団を組織し市民集会でプロテスト・ソング演奏 月刊「水牛通信」発行
1991-2006年日本の伝統楽器と声のための作品
2012年波多野睦美(声)、栃尾克樹(バリトン・サックス)と「風ぐるま」結成。バロックと新作の演奏。
著書:「音の静寂静寂の音」(平凡社)「きっかけの音楽」「カフカ 夜の時間」「カフカノート」(みすず書房)(メーカー資料より)


【わたしよりも遅く 細馬宏通(滋賀県立大学教授)】
 左手が、こんなに危うく響くジムノペディはきいたことがない。綱渡りのようだ。それも、あらかじめどこからどこまで綱が張ってあるかが明らかにされているのではなく、音を踏むたびに、綱の行き先と綱の張りが少しずつ明らかにされていくかのようだ。

 1976年の高橋悠治が弾くジムノペディでは、左手の低音の始まりは、前の小節の残響から切り分けられて鉱石の断面のように冴え冴えとした粒立ちをしていた。ところがこの2017年の録音はまるで違っている。
 まず、ゆっくりとしたテンポのあちこちで、ふいに小さな石に乗り上げでもしたかのように次の音へのタイミングが延ばされる。曲に緩急をほどこすための間(ま)でもメロディの優雅さにうっとりとしているような間でもなく、むしろ聞き知ったメロディの連続性の中に何か底知れぬもの、未知のできごとを感じ取って思わずはっとしているような間だ。
 そして、その間を先導しているのが左手だ。左手は、そのつど見えない何かに突かれたように、微かに早いタイミングで打たれ、そこに遅れて右手の旋律が入ってくる。この右手の遅れのタイミングもまた、あちこちで揺らされるため、左手と右手は、同じ音楽の下でそれぞれが違う歩みを歩んでいるように感じられる。
 ずれは右足との間にも表れている。サティはペダルについて特に楽譜に記していないが、小節の頭を切り立たせるには、左手の低音と和音を十分持続させるべくペダルを踏み、小節の頭で、次の音を濁らせないようにペダルを放してから再び踏むという風に足を動かすことになるだろう。しかし、この録音で高橋悠治はしばしば、ペダルが足から離れる直前、まだ前の和音と旋律の残響が鳴っている中に次の低音を忍び入れ、次の瞬間にペダルから足を放して低音を取り残すとともに、右手の旋律を打つ。その結果、聞き手は、左手の意外な始まりに驚かされながら、そこに、足の変化をきき、響きの変化をきき、さらにそこにぽつんと置かれる右手をきくことになる。

 ジムノペディの音の連鎖は、しばしば弾く者の優美な身振りを誘う。ピアニストによっては、体をゆったりと揺すり、指をゆるやかなリズムにまかせるかのように、鍵盤から次の鍵盤へと跳躍させる。もちろん、チャールズ・ローゼンが『ピアノ・ノート』(朝倉和子訳/みすず書房)で書いているように、いくら優美に体が動いても、ピアノの一つ一つの音には弾き方による美しさの優劣などなく、ただ強弱の加減と、長短の違いしかない。しかし、身振りが優雅な連鎖をもたらすということはある。身振りによって、音から音へと渡るときに設けられる間が調節され、リズムが伸縮する。弾き手の身体を揺らしているであろう内的なリズムが音の連鎖となって表れる。そしてこのような連鎖を産むべく、弾き手の指は鍵盤から離れるときに微かに身構え、次の音に向かって跳躍するように動く。
 ところが高橋悠治がピアノに向かっている姿からは、次の音への支度が見えない。次に向かって跳ねるというよりは、むしろその音を立ち去るように見える。その結果、次の音の始点は、前の音の終点から自由になり、わたしたちがしばしば囚われるロマンティックな内的リズムとは異なる、思いがけない音の起点を打つ。

 高橋悠治の弾く音は、始点のみならず、終点のタイミングに魅力があるのだが、それは、ジムノペディのように小節ごとにペダルを必要とする曲では必ずしも明らかにならない。その意味で、このアルバムに収められたノクチュルヌは、ジムノペディと好対照をなしている。レガートの切れ目の小さなためらい、スタッカートやメゾスタッカートの一つ一つに訪れる指離れの瞬間の微かな揺れ。一つの旋律として書かれた音の一つ一つに対して、ある音には少しだけ長く居て、ある音はすいと離れ、あたかも、ごく短いひととき、それぞれの音に指が居場所を見つけて、いや、音を去るときにそこが居場所であったことが強く聞き手の意識にのぼるような形でそこを去っているように見える。

 もしかしたら、こうした演奏のあり方は、「読む」という行為と深く関わっているのかもしれない。サティの曲は、素人でもほとんど暗譜で目をつぶって弾けそうなほど簡素に見えるが、高橋悠治はそのサティの譜面を、じっと凝視しながら弾く。そこでは、「読む」時間と「弾く」時間とが重ねられる。遠くまで見通すように譜面を見渡すのも、慣れ親しんできた音を確認するのでもない。目に飛び込んでくる少し先の指示の中に、ある時間の中で読んだときにのみ立ち現れるであろう音を読む。そういう、新しい読書の時間を、わたしは聴いているのかもしれない。

 それにしても、Je te veuxのような、いかにも流麗な右手の旋律を持つ曲で、右手の線以上に、左手の低音に驚かされるのはどうしたことだろう。左手の中でごうごうと大きなずれが生じている。オクターヴ下の低音はオクターヴ上の音に対してそのタイミングが小節ごとに大きく揺らされて、そこにさらに右手のメロディが遅れてやってくる。1976年の録音でも、左手はしばしば右手に先行して低音を打っているのだが、その動きは速いテンポの中にあり、リズムは予期された範囲内に収まっていた。ところがこの録音では、ゆったりしたテンポの中で、左手のタイミングが大揺れに揺らされている。

 中で、あっと思わされるのは、二つ目の複縦線の手前、ひととき両手が盛り上がったあと、次の旋律に入るときの、ほんの二音のアウフタクトだ。二音のうち一音目は右手のみが動き、一方、左手はまだ前の低音から手が離れていない。この隙に右手の単音はようやく左手の軛から逃れたかのように響き、次に展開する軽やかなメロディを予感させる。ところがその浮いた右手が次の鍵盤へと着地する直前に、左手がほんのわずかだけ早く、二音目の低音をちょっと転げ込むように先に打ってしまうのだ。このずれはあまりに微かなので、聞き手は右手の一音目に導かれて想像した二音目の鳴り始めにたどりつこうとする直前まで予期することができず、着地したまさにその刹那に、のっそりした低音の広がりがすでに足もとに広がっていることに気づいてひやりとさせられる。

 このような演奏を聴きながら、聞き手は、遅らされる。聴いているこちらの意識よりも速く音が打たれるのを聴き、それが意識にのぼるのを聴き、意識せざるものと意識するものとに聞き手自身が分かたれていく時間として聴く。

 「ralentir 速度を落として」と記されたJe te veuxの終わりでも、高橋悠治の演奏の静かな危うさは、失われることはない。驚くべきことに、この一見単純な終結部に、何度聴いても発見があるのだ。ねじがほどけるような速さと残響の中で、左手は、そして右手は微かに思いがけないやり方で打たれつつある。まるで、自分の意志でたどりついたと思った場所が、実は意識の外にあった運動の所産であると気づかされるように。(メーカー資料より)

【解説 小沼純一(早稲田大学教授)】
収録された作品はいずれもテンポが「ゆっくり」だ。エリック・サティの、というよりも、フランス語の指示ならば「Lent(ラン)」。たとえ楽譜にテンポの指示がなくても、「サラバンド」や「ノクチュルヌ」のように、タイトルそのものにテンポを含みこんでいたりもする。これら収録作品、作曲年代でいえば、《サラバンド》(1887)から《ジムノペディ》(1888)、《グノシエンヌ》(1889-1897)ときて、20年以上のあいだをおいて、《ノクチュルヌ》(1919)がくる。サティは1866年の生まれだから、20代の初期作品と、50代の晩年――サティが没するのは1925年――作品がならべられている。そこにはまた、楽譜にいろいろなかたちで散りばめられていることば――それは演奏の指示であったり、音型への註釈であったり、音楽そのものとは直接つながりのなさそうな物語であったりする――があまりない、あまり記されない時期でもある。《グノシエンヌ》にはすこしずつことばがあらわれはじめているから、ことばが楽譜へとはいってくる「前」から、そうしたことばがもはやなくなってしまう、そんな「後」の作品が「Lent」を介してつなげられているとでも言い換えられるだろうか。これらピアノ作品のあいだに、《3つの歌》(1886)の、ひとつずつの曲が、高橋悠治自身のピアノ用編曲で、はさまれてゆく。《3つの歌》にはどれも「Lent」の指示がある。これが「1886年の3つの歌」となっているのは、1886年から1906年にかけてもうひとつ《3つの歌》と区別するためだ。ちなみに後者はしばしば「ほかの3つの歌(Trois Autres Melodies)」というような呼び方をされる。

《ジムノペディ》
3曲からなり、どれも4分の3拍子で、しかも音価は符点二分音符・二分音符・四分音符の3種の音符のみ。タイトルや曲調については、古代ギリシャの祭典に由来する、フロベール『サランボー』にインスパイアされた、などいくつも見解がある。
第1曲、「Lent et douloureux ゆっくりと苦しげに」、マドモワゼル・ジャンヌ・ドゥ・ブレに献呈。第2曲、「Lent et tristeゆっくりと悲しそうに」、弟のコンラッド・サティに献呈。第3曲、「Lent et graveゆっくりと重々しく」、友人の作曲家、シャルル・ルヴァデに献呈。サティはこの人物に《オジーヴ》も献呈している。

《グノシエンヌ》
古代ギリシャの街クノッソスに、あるいは、神秘主義団体グノーシス派に、などタイトルの由来はいくつかある。パリ万国博覧会の影響でまず書かれたのが第5曲(1889)。これには小節線がある一方、楽譜内のことばはまだでてきていない。右手はメリスマ風な音型をとる。それから翌1890年、3曲がセットになった第1・第2・第3曲が書かれ(わずかに演奏指示のようなことばがある)、1891年に第4曲(これにもことばがない)、さらに6年後、第6曲で閉じられる。これらはいずれも小節線がない。第7曲はといえば、サール・ペラダン『星たちの息子』の付随音楽として作曲されたもののひとつだが、《グノシエンヌ》として独立、さらに後、ピアノ4手のための《梨のかたちをした6つの小品》(1903)の〈始まりのひとつのやり方〉に用いられることになる。第7曲と〈始まりのひとつのやり方〉で違っているのは、後者にはピアニッシッシモ(pppp)からいきなりフォルティッシモ(ff)で終わる部分がつけられているところか。
第1・第2・第3曲はひとつのセットとしてみることができ、第1と第3曲はタタアタの、第2曲はタタタアのリズムが持続する。第4曲は左手が低音域から中音域までの広くアルペッジョのアーチを描く。第5曲と第6曲のリズムは8分音符で、左手は低‐中音域を行き来する。第7曲には(第5曲同様)小節線があり、またほかの曲にはない4分の3拍子・6小節の序奏部がつき、4分の4拍子、タタアタのリズムがくりかえされる主部となる。
第1曲が作曲家・批評家ロラン・マニュエルに献呈されているほかは、特に献呈先はない。
第1・第3・4曲ともに「Lent ゆっくりと」の指示、第5曲は「Modereほどよく」、第7曲で序奏部は「Allez 行きなさい」、主部は「Calme 静かに」。それ以外には特にテンポの指示はない。

《サラバンド》
 サラバンドは、中南米からスペインを経由してヨーロッパ各地に広まり、特に17-18世紀に流行した 4分の3拍子、荘重な舞曲。バッハにもクープランにも「サラバンド」と呼ばれている楽曲があるし、サティと近い時代ではドビュッシー(《ピアノのために》1896)にもラヴェル(《クープランへのトンボー》1917)、プーランク(《サラバンド》1960)にもある。
第1曲はコンタミーヌ・ドゥ・ラトゥール、第2曲はモーリス・ラヴェルに献呈、第3曲は献呈なし。「サラバンド」とあるゆえか、どの曲にもテンポの指示はない。第1曲では右手と左手とがおなじ音価で、並行しながら和音を奏でてゆくことが多い。第2曲では第1曲より八分音符の使用がふえ、第3曲になると、長い音価の和音がおかれるあいだに、三連符の八分音符のうごきが配されるようになってくる。

《ノクチュルヌ》
 プラトンのテクストのフランス語訳(ヴィクトール・クーザンによる)に音楽をつけた交響的ドラマ《ソクラテス》と同時期に書かれた作品。スタティックで、複数の声部が織りなすタピスリーのよう。それはたとえば《ジムノペディ》や《グノシエンヌ》のように高い音域でメロディがはっきりと弾かれるというようなかたちではない。第1と第2曲には、わずかだが、「attendre 待つこと」と指示される部分がある。また、第3曲に「Un peu mouvementeすこしうごいて」とあるほかはいずれもテンポの指示はなく、かわりに第1曲「doux et calme やさしく、そして静かに」や、第2曲「simplement 気どらずに」といった指示になっている。
第1曲は「6人組」と近しいピアニストだったマルセル・メイエールに献呈。第3曲、ジャン・ユゴー夫人、すなわち、画家でイラストレーターだったジャン・ユゴー(ヴィクトル・ユゴーの曾孫)のつれあいで、画家のヴァランティーヌ・ユゴーに献呈。第4曲、芸術家を庇護していた、いわゆるパトロン、メセナのひとり、エティエンヌ・ボーモン伯爵夫人に献呈。第5曲、ジョルジュ・コクトー夫人、つまり、すでに《パラード》で一緒にしごとをした詩人ジャン・コクトーの母、に献呈。

 ピアノ作品のあいだにある《3つの歌》は、J・P・コンタミーヌ・ドゥ・ラトゥール(1867-1926)の詩による。この人物はスペイン、カタルーニャの街、タラゴナ生まれの詩人、作家、ジャーナリストで、本名はとても長く、ペンネームで執筆をおこなった。サティとは、この《3つの歌》以外にも《ジュヌヴィエーヴ・ドゥ・ブラバン》や《ユスピュ》、などの作品でも協力しあっているけれども、アルバムにも収録されている《サラバンド第1番》がこの人物に献呈されていることは特記しておいていいだろう。《3つの歌》のテンポはどれもLentだが、〈天使〉はただLent(ゆっくり)、〈エレジー〉はTres vague et lent(とてもぼんやり、そしてゆっくり)、〈シルヴィ〉はLent avec melancolie(メランコリーあるゆっくり)と微妙に異なっている。そして〈シルヴィ〉にのみ小節線がない。

 ボーナス・トラックとして収められているのは《ジュ・トゥ・ヴ》。英語でならI want youで、きみがほしい、との意になる。詩はアンリ・パコリで歌手ポーレット・ダルティのために1897年に書かれた。サティ自らがピアノ・ソロ用もつくっていて、こちらはシャンソン版より長くなっている。(メーカー資料より)

内容詳細

いきなり「ジムノペディ」で始まる。高橋悠治が弾くと“何かある?”と勘繰りたくなるがエキセントリックさは皆無。いわば無心に曲のあるがままを曝け出す指向なのかもしれない。「1886年の3つの歌」の編曲版(新録音)をバラして挟み込み、最後に「ジュ・トゥ・ヴ」で締めくくる。必聴盤である。(弘)(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

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