エドワード・w・サイード

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境界の音楽 1 エドワード・w・サイード音楽批評集成

エドワード・w・サイード

User Review :5.0
(1)

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784622077244
ISBN 10 : 4622077248
Format
Books
Publisher
Release Date
November/2012
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Product Description

40歳代前半で発表した『オリエンタリズム』(1978)で世界に衝撃を与えて以降、20世紀を代表する思想家の一人に数えられるE・サイード。彼がかつてシェーンベルクの愛弟子E・シュトイアーマンに師事したピアニストで、西洋クラシック音楽に造詣が深いことはよく知られており、音楽愛好家にとっては『音楽のエラボレーション』『バレンボイム/サイード 音楽と社会』の著者としてすでに馴染み深いだろう。しかしこの分野におけるサイードの仕事の中心は演奏評から本格論考までを含む新聞・雑誌への寄稿であり、これは日本ではもとより本国でも、生前には単行本として蓄積されることがなかった。本書は1983年から20年にわたって厚い信頼を集めたその音楽評論を初めて集成したものである。
作曲者の意図、演奏者の解釈行為、聴き手の解釈行為、その基盤となる歴史と社会環境と政治。それらをふまえたサイードの評論は音楽学の成果を取り込みつつも微視的になることがない。また逆に文化論に拡張して音楽そのものから離れてしまうこともない。現代の音楽をめぐる状況については一貫した主張がある。そのぶん賛否両論を呼ぶだろうが、一人の音楽評論家に望みうる、あらかたの魅力をサイードはそなえているといえるのではないだろうか。希代の思想家の音楽への愛情に満ちた、きわめて水準の高い評論群である。(みすず書房)

Content Description

サイードのもう一つのライフワークであった各紙誌発表の音楽評論初の集成。時評を超えて普遍性をそなえた全44篇。1巻は演奏・オペラ評を中心に前期10年分を収録。

目次 : 第1部 一九八〇年代(音楽そのもの―グレン・グールドの対位法的な洞察力/ 奏でられたものの追想―ピアノ芸術の現存性と記憶/ 音楽祭は威風堂々/ リヒャルト・シュトラウスを考える ほか)/ 第2部 一九九〇年代(リヒャルト・シュトラウス/ ヴァーグナーとメトロポリタン歌劇場の『指輪』/ オペラ制作―『ばらの騎士』『死者の家から』『ファウスト博士』/ スタイルの有無―『エレクトラ』『セミラーミデ』『カーチャ・カバノヴァー』 ほか)

【著者紹介】
エドワード・W・サイード : 1935年11月1日、イギリス委任統治下のエルサレムに生まれる。カイロのヴィクトリア・カレッジ等で教育を受けたあと合衆国に渡り、プリンストン大学卒業、ハーヴァード大学で学位を取得。コロンビア大学英文学・比較文学教授を長年つとめた。2003年9月歿

二木麻里 : 1960年生まれ。上智大学外国語学部卒、東京大学大学院学際情報学府博士課程在。和光大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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音楽を言葉で語る・・・・と言うのは愚かな...

投稿日:2014/01/18 (土)

音楽を言葉で語る・・・・と言うのは愚かなことなんだろうとは思う。音楽は音を”聴く”ことによって享受・感受されるものであって、言葉による補助を必要としたり解説され得る音楽はそれだけなにがしかの”不純さ”を含んでいるとも、音楽に余計な装飾を付け加えるものとも、言えるように思う。その意味では、音楽評論といった作業はとても空しい作業だともいえる。あるいは、作曲家・演奏家にも自作あるいは他人の音楽について結構雄弁に語る人がいるが、それは音楽家としての一種のひ弱さの表れではないかと思うこともある。 そういうことを思いつつも、それでも好奇心をくすぐり知的興味を刺激される・・・と感じる音楽評論や音楽家自身の発言というのもある。サイードの音楽評論集(I & II)はそう言ったものの典型的な読み物の一つだ。サイードはプロ並みのピアノの腕を持っているとも言われるらしいが、彼はプロの音楽家ではなく、(パレスティナ出身で米国で活動する)思索家であり社会評論家である。そう言った(恐らく最上の意味で)音楽ディレッタントとしての彼の立場が彼の発言に音楽の現代的意味を俯瞰する目としての信頼性を与えている。 彼の音楽評論集は(賢明にも?)音楽そのものについて語ることは少ない。音楽の前後、つまり音楽の背後に隠された(ように見える)意味や、実際に音楽が提供される(社会的)形態と様式が彼の音楽評論の興味の中心にある。彼は、おおむね”進歩派”とか”改革派”とか呼ばれそうなグループに属していて、”保守的”とか”現状維持派”とか言うものは余り好みではないらしい。従って、百年一日のごとく古臭い演出と金権的なスター歌手に頼るメトロポリタン・オペラなどはお気に召さないらしいが(・・・・そのくせ、XXXXはO日、*日、#日の三日上演されたが、私はその内のO日、*日、の二日を観た・・・などと言う記述があったりして・・・思わずそのうち一日分でいいから俺にチケットをよこせ・・・と言いたい気分に襲われたりする)、地方都市の小規模な音楽祭で行われる実験的なオペラなどに対してはおおむね好意的・擁護的である。私は、彼の評価に全面的に同調するわけでもないし、そう言った評論の根拠が彼の属しているグループの”知的鋳型”に嵌った定型から来ているのではないか・・・と疑うところも無い訳ではないが、それでもこの評論は読んでいる此方の知的好奇心を”まっとう”に刺激してくれる点では説得力に富み無類の音楽評論であると思う。こういった”読み物”は、それに同調するとか反発するとか言う以前に、読者に思考を促し日頃見逃しがちな音楽を聴く意識を刺激し常識とか凡庸とか言ったものへの反抗心を呼び起こす点で、すでに優れた”音楽評論”になり得ている・・・と私には思える。 各章ほとんどすべてが、なにがしか考えさせられるところがあるが、その中の”ヴァグナー問題”を取り扱った章のタイトルは、    「ヴァーグナーに対しては不忠実であるほうが忠実である」 ・・・となっている。この著者の宣言に即して言えば、本書も    「(サイードの)音楽評論に対しては不忠実であるほうが忠実である」 ・・・と意識して読むのが”正しい”読み方かもしれない・・・などとも思う。いずれにしても久しぶりに読み応えのある音楽評論だった。

yk さん | 京都府 | 不明

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