50 Cent

50 Cent (フィフティセント) プロフィール

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ブルーズ・ミュージック登場以来、数ある音楽のジャンルの中で最もストーリーを重視するのがヒップホップだ。そしてそのストーリーとは、聴き手を夢中にさせ驚かせると同時に、ストーリーを語るラッパー自身と同じくらい魅力に満ち、説得力を持ち、同時に犯罪の匂いのする壮絶なものである。業界から疎外され、メジャー・レーベルのレコーディング契約がないにもかかわらず、まるで地球と太陽のように、あるいはギャングのリーダーたちがジャマイカに惹き寄せられるように、ストリートがクイーンズの正統派ラッパー、50セントに惹き付けられる理由はそこだ。

50セントは、カーティス・ジャクソンとして26年前に生まれたまさに"リアル"な男である。ストリートのルールとヴァイオレンスをよく理解していながらも、知的で思慮深い男50セントは、身の回りの些細なことも取り逃さない毅然とした態度で振る舞っている。聴き手をヤミツキにする感情的なフックと彼の実話の体験からくるライム、それが50セントにダイヤの指輪など富みと名声を与えたまさに要因となっていることは明らかである。それぐらい50セントは"リアルな男"なのだ。

70年代の後半、ドラッグ王国として知られるクイーンズ地区に生まれた50セントは、幼い頃に身寄りを亡くした。50セントは父親の居ない環境で育ち、そしてまた彼の母親も彼が十代になる前に、不可解な事件で遺体となって発見された。両親を亡くした若者は祖父母に引き取られ育てられた。しかし物に対する彼の欲求は彼をストリートへと駆り立てた。それが彼の場合、今はガイ・R・ブルーアー・ブルバードとして知られる、あの悪名高いニューヨーク・アベニューだったのである。そこで、ひと財産と長期に亘る犯罪記録を積み重ねながら、50セントの名をはせるようになった。しかし彼の息子の誕生が広い視野から物事を見るきっかけとなり、50セントはラップを真剣に追求し始めた。彼はRun DMCのDJジャム・マスター・ジェイのレーベル、JMJと契約。JMJは、若手だった彼に小節の数え方から、曲作りまで教え込んだ。しかし残念なことに、業界の波に巻き込まれていたJMJが50セントのために出来ることは限られていた。

プラチナムのヒットメーカー、トラックマスターズが50セントに目をつけ、コロンビア・レコーズと契約させたのが1999年。彼らは50セントをニューヨーク州北部へと送り、スタジオに2週間半閉じ込めた。50セントがこの短期間で書き上げた36曲は、Blazeマガジンがクラシックなアルバムと判断した未発表のマスターピース、「パワー・オブ・ア・ダラー」に収録された。キッズ・アンセムでもある50セントの"How to Rob"は、有名ラッパーを略奪することを夢見る、ハングリー精神溢れる新進気鋭な男として、彼を冗談めいて描いた。しかし唯一、笑いとして捉えていたのは50セントとファンだけであった。冗談を真に受けたジェイZビッグ・パンスティッキー・フィンガーズ、そしてゴーストフェイス・キラーの連中は曲に反応した。「別に個人的な内容じゃないんだ。真実に基づいたコメディーだったから、面白い内容になっただけさ」と50セントは言う。

2000年の4月、50セントは9回撃たれた。クイーンズ市の祖母の家の正面で、9mm弾を顔に撃たれたこともあった。コロンビア・レコーズが彼の契約を解除しているあいだ、彼は回復に数ヶ月間を費やした。50セントに終わりはなかった。彼は乗り越えたのだ。収入があるわけでも、保証があるわけでもなかったのに、新しいビジネスパートナー、そして友人でもあるSha Money XLと共に、彼は次から次へと曲を書き続けた。そして2人は話題を作ることを自己目的とした、完全なミックス・テープのために30曲以上を録音した。50セントのストリート評価は高まり、2001年春の終わりには、仮のLP「Guess Who's Back?」という新作を単独でリリースした。人々の興味を惹き始め、自身のクルー=G-Unitのサポートも得た50セントは、更に曲を書き続けた。しかし今回は趣向を変えた。以前のように新しい曲を作るのではなく、50セントは既に使用されたファースト・クラスのビーツに手を加えることによって、ヒット作を生み出す能力を見せつけることにした。ジェイZやラファエル・サーディクの音を使った作品「50 Cent Is The Future」では、レッド、ホワイト、ブルーのブートレッグ盤をリリースした。

そして信じられない事が起こったのがまさにその頃だ。ヒップホップの歴史が書き足されたのである。このエネルギッシュなCDがMCエミネムの耳に入り、その一週間のうちに、"50セントは俺の今一番気になるラッパーだ"とエミネムがラジオで発言したのである。この若きヒットメーカーに対する、エミネムの信念を理解したドクター・ドレーは共同契約を果たす。偉大な人に対する感謝の気持ちに溢れながら、50セントはドリームチームと契約することを躊躇しなかった。これをきっかけに50セントは、ここ数年で最も人気のある新人となったのである。ノートリアスB.I.G.関連の曲ばかりがラジオで流れていた、94年の夏以来に見るヒップホップ界の盛り上がりであった。

そもそも切れ者のビジネスマンである50セントは、このチャンスを逃すことなく、2枚目となる借り物ビーツのブートレッグ盤「No Mercy, No Fear」を素早くリリースした。このアルバムには、明らかにラジオ向きではない新曲"Wanksta"が一曲収録されていたが、正式なシングル盤を待ちきれないストリートの声が高まり、"Wanksta"は数週間で、ニューヨークで最もリクエストされるレコードとなった。そして有り難いことに、エミネムのヒット映画作、「8マイル」のマルチ・プラチナムに輝くサウンドトラックにも収録された。

既に数々のヒット作を飛ばした50セントは2003年、既に勝ち抜けるアーティストになる体勢を整えた。2001年の春から作られていた10曲以上の素晴らしいトラックの他にも、エミネムとヒップホップ界の偉大なプロデューサー、ドクター・ドレーの参加で新たにレコーディングされた。「独創的に、これ以上俺に何を望めって言うんだ?」と彼は冗談交じりに言う。「もし俺とエミネムが同じ部屋に居たとしたら、もっとフレンドリーな競争になるんだ。どちらも相手を倒したくてしょうがない。でもドクター・ドレーだとしたら??? 聞かなくても分かるだろ(笑)」「Illmatic」「Ready to Die」「Reasonable Doubt」といったラップ・クラシック盤と同等のレベルであるLPを期待させながら、50セントのデビュー作「ゲット・リッチ・オア・ダイ」は今後数年のヒップホップをリードする作品となる見込みがある。彼の弱まることのない意欲、才能、そして彼の"リアル"さが表れている、50セントの正式なファーストアルバムとなるこの作品は、まさに言われている通り彼に何かを与えるものとなるだろう。ついつられてしまう彼のフロウと、意地悪くもユニークな "俺は気にしないよ"といった粋な性格が備わった50セントは、きっと"金持ちになるか、死ぬまで戦い続ける"(『GET RICH, OR DIE TRYIN'』)だろう。 (翻訳・戸崎順子/Translated by Junko Tozaki)  

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