プラチナムのヒットメーカー、トラックマスターズが50セントに目をつけ、コロンビア・レコーズと契約させたのが1999年。彼らは50セントをニューヨーク州北部へと送り、スタジオに2週間半閉じ込めた。50セントがこの短期間で書き上げた36曲は、Blazeマガジンがクラシックなアルバムと判断した未発表のマスターピース、「パワー・オブ・ア・ダラー」に収録された。キッズ・アンセムでもある50セントの"How to Rob"は、有名ラッパーを略奪することを夢見る、ハングリー精神溢れる新進気鋭な男として、彼を冗談めいて描いた。しかし唯一、笑いとして捉えていたのは50セントとファンだけであった。冗談を真に受けたジェイZ、ビッグ・パン、スティッキー・フィンガーズ、そしてゴーストフェイス・キラーの連中は曲に反応した。「別に個人的な内容じゃないんだ。真実に基づいたコメディーだったから、面白い内容になっただけさ」と50セントは言う。
2000年の4月、50セントは9回撃たれた。クイーンズ市の祖母の家の正面で、9mm弾を顔に撃たれたこともあった。コロンビア・レコーズが彼の契約を解除しているあいだ、彼は回復に数ヶ月間を費やした。50セントに終わりはなかった。彼は乗り越えたのだ。収入があるわけでも、保証があるわけでもなかったのに、新しいビジネスパートナー、そして友人でもあるSha Money XLと共に、彼は次から次へと曲を書き続けた。そして2人は話題を作ることを自己目的とした、完全なミックス・テープのために30曲以上を録音した。50セントのストリート評価は高まり、2001年春の終わりには、仮のLP「Guess Who's Back?」という新作を単独でリリースした。人々の興味を惹き始め、自身のクルー=G-Unitのサポートも得た50セントは、更に曲を書き続けた。しかし今回は趣向を変えた。以前のように新しい曲を作るのではなく、50セントは既に使用されたファースト・クラスのビーツに手を加えることによって、ヒット作を生み出す能力を見せつけることにした。ジェイZやラファエル・サーディクの音を使った作品「50 Cent Is The Future」では、レッド、ホワイト、ブルーのブートレッグ盤をリリースした。
そもそも切れ者のビジネスマンである50セントは、このチャンスを逃すことなく、2枚目となる借り物ビーツのブートレッグ盤「No Mercy, No Fear」を素早くリリースした。このアルバムには、明らかにラジオ向きではない新曲"Wanksta"が一曲収録されていたが、正式なシングル盤を待ちきれないストリートの声が高まり、"Wanksta"は数週間で、ニューヨークで最もリクエストされるレコードとなった。そして有り難いことに、エミネムのヒット映画作、「8マイル」のマルチ・プラチナムに輝くサウンドトラックにも収録された。
既に数々のヒット作を飛ばした50セントは2003年、既に勝ち抜けるアーティストになる体勢を整えた。2001年の春から作られていた10曲以上の素晴らしいトラックの他にも、エミネムとヒップホップ界の偉大なプロデューサー、ドクター・ドレーの参加で新たにレコーディングされた。「独創的に、これ以上俺に何を望めって言うんだ?」と彼は冗談交じりに言う。「もし俺とエミネムが同じ部屋に居たとしたら、もっとフレンドリーな競争になるんだ。どちらも相手を倒したくてしょうがない。でもドクター・ドレーだとしたら??? 聞かなくても分かるだろ(笑)」「Illmatic」や「Ready to Die」、「Reasonable Doubt」といったラップ・クラシック盤と同等のレベルであるLPを期待させながら、50セントのデビュー作「ゲット・リッチ・オア・ダイ」は今後数年のヒップホップをリードする作品となる見込みがある。彼の弱まることのない意欲、才能、そして彼の"リアル"さが表れている、50セントの正式なファーストアルバムとなるこの作品は、まさに言われている通り彼に何かを与えるものとなるだろう。ついつられてしまう彼のフロウと、意地悪くもユニークな "俺は気にしないよ"といった粋な性格が備わった50セントは、きっと"金持ちになるか、死ぬまで戦い続ける"(『GET RICH, OR DIE TRYIN'』)だろう。
(翻訳・戸崎順子/Translated by Junko Tozaki)