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マーラー(1860-1911)

CD 【中古:盤質AB】 交響曲第1番『巨人』 ゲオルグ・ショルティ&ロンドン交響楽団

【中古:盤質AB】 交響曲第1番『巨人』 ゲオルグ・ショルティ&ロンドン交響楽団

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    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年10月21日

    ショルティは偉大なマーラー指揮者の一人であると考えているが、ショルティが録音したマーラーの交響曲の中で、3種類もの録音が遺されているのは、現時点では第1番と第5番しか存在していない。第5番は、ラスト・レコーディングも同曲であったこともあり、ショルティにとって特別な曲であったことが理解できるが、第1番に対しても、ショルティは第5番に比肩するような愛着を有していたのでないかと考えられるところだ。3種類の録音のうち、本演奏が最初のもの、そして同年(1964年)のウィーン・フィルとのライヴ録音(オルフェオレーベル)、そしてシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1983年)がこれに続くことになる。いずれ劣らぬ名演と思うが、シカゴ交響楽団との演奏は、1964年の2種の演奏とはかなり性格が異なっていると言える。ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通していると言えるが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあったと言える。かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。したがって、1983年の演奏は、本演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっていたと言える。シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることから、このような演奏を内容空虚と批判する音楽評論家も多いようであるが、聴き終えた後の充足感が、例えばワルター&コロンビア交響楽団盤(1961年)やバーンスタイン&コンセルトへボウ・アムステルダム盤(1987年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもない。これに対して、本演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは圧巻の凄味を誇っていると言える。ショルティは、同年にウィーン・フィルとライヴ録音を行っており、演奏の性格は同様であるとも言えるが、オーケストラの安定性(ウィーン・フィルは、この当時、ショルティにかなりの嫌悪感を抱いていたと言われる。)、オルフェオレーベルの今一つ低音が響いてこないもどかしさもあって、本演奏の方をより上位に置きたい。いずれにしても、1983年の演奏に比して、あくまでも直球勝負の本演奏に抵抗感を覚える者も多いのではないかとも思われるが、私としては、マーラーの交響曲の演奏様式の一つとして十分存在意義のあるものと考えており、好き嫌いは別として、ショルティの個性が全開した名演と評価したいと考える。ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っていると評価したい。音質は、1964年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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