世界の名門オーケストラを指揮したジュリーニの軌跡
カルロ・マリア・ジュリーニの経歴はヴィオラ奏者として、オペラ指揮者として、そして世界の名門オーケストラの指揮者として活躍した、大きく3つの時期に分類されます。ドイツ・グラモフォンにドイツ・オーストリアの、ロマン派あるいは後期ロマン派の作品のさまざまな名録音が行われたのは、この最後の時期に当たります。ジュリーニはスコアのすべての音に納得するまでその作品の指揮を引き受けないという、音楽と真摯に向き合った指揮者でした。
CD42枚組のこのボックスには、ジュリーニがドイツ・グラモフォンとデッカ(Disc29)に行ったすべての録音が収められています。ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、ヴェルディの傑作、そしてアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、ウラディミール・ホロヴィッツ、プラシド・ドミンゴとの伝説の共演も聴きものです。ジュリーニの研究者リチャード・オズボーンの新規エッセー付き(欧文)。(輸入元情報)
【収録情報】
Disc1
1. ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』
2. シューマン:『マンフレッド』序曲 Op.115
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1978年/アナログ(1)、1981年/デジタル(2)
Disc2
ベートーヴェン:
1. 交響曲第5番ハ短調 Op.67『運命』
2. 交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1981年/デジタル(1)、1979年/アナログ(2)
Disc3
● ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱』
ユリア・ヴァラディ(ソプラノ)
ヤルト・ヴァン・ネス(メゾ・ソプラノ)
キース・ルイス(テノール)
サイモン・エステス(バス)
エルンスト・ゼンフ合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1989年/デジタル
Disc4
ベートーヴェン:
1. ピアノ協奏曲第1番ハ長調 Op.15
2. ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
ウィーン交響楽団
録音:1979年/アナログ(ライヴ)
Disc5
1. モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
2. ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.73『皇帝』
ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ:1)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ:2)
ミラノ・スカラ座管弦楽団(1)
ウィーン交響楽団(2)
録音:1987年/デジタル(1)、1979年/アナログ(ライヴ)(2)
Disc6
● ブラームス:交響曲第1番ハ短調 Op.68
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1981年/デジタル
Disc7
● ブラームス:交響曲第2番ニ長調 Op.73
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1980年/デジタル
Disc8
● ブラームス:交響曲第1番ハ短調 Op.68
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1991年/デジタル
Disc9
● ブラームス:交響曲第2番ニ長調 Op.73
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1991年/デジタル
Disc10
ブラームス:
1. 交響曲第3番ヘ長調 Op.90
2. ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1990年/デジタル(ライヴ:1)
Disc11
ブラームス:
1. 交響曲第4番ホ短調 Op.98
2. 悲劇的序曲 Op.81
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1989年/デジタル(ライヴ)
Disc12
● ブラームス:ドイツ・レクィエム Op.45
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
アンドレアス・シュミット(バリトン)
ルドルフ・シュルツ(オルガン)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1987年/デジタル(ライヴ)
Disc13
ブリテン:
1. セレナード Op.31
2. イリュミナシオン Op.18
ロバート・ティアー(テノール)
デイル・クレヴェンジャー(ホルン:1)
シカゴ交響楽団(1)
フィルハーモニア管弦楽団(2)
録音:1977年/アナログ(1)、1978年/アナログ(2)
Disc14
● ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1986年/デジタル(ライヴ)
Disc15-16
● ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1890年、ノヴァーク版)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1984年/デジタル
Disc17
● ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1988年(ライヴ)
Disc18
● ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.11
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1978年/アナログ(ライヴ)
Disc19
ショパン:
1. ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 Op.21
2. アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調 Op.22
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1979年/アナログ
Disc20
1. ドビュッシー:交響詩『海』
2. ラヴェル:組曲『マ・メール・ロワ』
3. ラヴェル:スペイン狂詩曲
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1979年/アナログ
Disc21
1. ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 Op.88
2. ムソルグスキー/ラヴェル編:組曲『展覧会の絵』
シカゴ交響楽団
録音:1978年/アナログ(1)、1976年/アナログ(2)
Disc22
● アイネム:カンタータ『あとから生まれる人々に』 Op.42
ユリア・ハマリ(メゾ・ソプラノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン交響楽団
録音:1975年/アナログ
Disc23
1. フォーレ:レクィエム Op.48
2. ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
キャスリーン・バトル(ソプラノ:1)
アンドレアス・シュミット(バリトン:1)
フィルハーモニア合唱団(1)
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1986年/デジタル
Disc24
フランク:
1. 交響曲ニ短調
2. 交響詩『プシュケ』
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1986年/デジタル
Disc25
リスト:
1. ピアノ協奏曲第1番変ロ長調 S.124
2. ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125
ラザール・ベルマン(ピアノ)
ウィーン交響楽団
録音:1976年
Disc26-27
1. マーラー:交響曲第9番ニ長調
2. シューベルト:交響曲第8番ホ短調 D.759『未完成』
シカゴ交響楽団
録音:1976年/アナログ(1)、1978年/アナログ(2)
Disc28
● マーラー:大地の歌
ブリギッテ・ファスベンダー(アルト)
フランシスコ・アライサ(テノール)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1984年/デジタル
Disc29
モーツァルト:
1. 交響曲第40番ト短調 K.550
2. 交響曲第41番ハ長調 K.551『ジュピター』
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1965年/アナログ
Disc30
● ロッシーニ:スターバト・マーテル
カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ(メゾ・ソプラノ)
ダルマシオ・ゴンサレス(テノール)
ルッジェーロ・ライモンディ(バス)
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1981年/デジタル
Disc31
1. シューベルト:交響曲第4番ハ短調 D.417『悲劇的』
2. ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 Op.95『新世界より』
シカゴ交響楽団
録音:1978年/アナログ(1)1977年/アナログ(2)
Disc32
1. シューベルト:交響曲第9番ハ長調 D.944『グレート』
2. プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 Op.25『古典交響曲』
シカゴ交響楽団
録音:1977年/アナログ(1)、1976年/アナログ(2)
Disc33
1. シューマン:交響曲第3番変ホ長調 Op.97『ライン』
2. チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1980年/デジタル
Disc34-35
● ヴェルディ:歌劇『リゴレット』全曲
ピエロ・カップッチッリ(バリトン)
イレアナ・コトルバス(ソプラノ)
プラシド・ドミンゴ(テノール)
ニコライ・ギャウロフ(バス)
クルト・モル(バス)、他
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1979年/アナログ
Disc36-37
● ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』全曲
プラシド・ドミンゴ(テノール)
ロザリンド・プロウライト(ソプラノ)
ブリギッテ・ファスベンダー(メゾ・ソプラノ)
ジョルジョ・ザンカナロ(バリトン)
エフゲニー・ネステレンコ(バス)、他
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団&合唱団
録音:1984年/デジタル
Disc38-39
● ヴェルディ:歌劇『ファルスタッフ』全曲
レナート・ブルゾン(バリトン)
カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ(メゾ・ソプラノ)
バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
レオ・ヌッチ(バリトン)、他
ロサンジェルス・マスター・コラール
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1982年/デジタル(ライヴ)
Disc40-41
● ヴェルディ:レクィエム
シャロン・スウィート(ソプラノ)
フローレンス・クィヴァー(メゾ・ソプラノ)
ヴィンソン・コール(テノール)
サイモン・エステス(バス)
エルンスト・ゼンフ合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1989年/デジタル
Disc42
1. ドニゼッティ:歌劇『愛の妙薬』より「人知れぬ涙」
2. ドニゼッティ:歌劇『ランメルモールのルチア』より「わが祖先の墓に」
3. ヴェルディ:歌劇『エルナーニ』より「ありがとう、愛する友たちよ」
4. ヴェルディ:歌劇『トロヴァトーレ』より「ああ、あなたこそ私の恋人…見よ、恐ろしい火を」
5. ヴェルディ:歌劇『アイーダ』より「清きアイーダ」
6. アレヴィ:歌劇『ユダヤの女』より「ラシェルよ、主の恵みにより」
7. マイアベーア:歌劇『アフリカの女』より「素晴らしい国、おおパラダイス」
8. ビゼー:歌劇『真珠採り』より「耳に残るは君の歌声」
9. ビゼー:歌劇『カルメン』より「花の歌」
10. フロトウ:歌劇『マルタ』より「夢のように」
プラシド・ドミンゴ(テノール)
ロジェー・ワーグナー合唱団
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1980年/デジタル
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
【ジュリーニ・プロフィール】
美しい名前と洗練された容姿、そしてヒューマンな人格の持ち主だった稀有の名指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニは、1914年5月9日、南イタリアのヴェローナ近郊、バルレッタという都市に、北イタリア出身の裕福な両親の息子として誕生しました。
ジュリーニは5歳のときに旅回りのヴァイオリン弾きに魅せられ、父親にねだってヴァイオリンの学習を始めます。地元の音楽学校に学んだ後、1930年にローマの聖チェチーリア音楽院に入学、ヴィオラと作曲を専攻。在学中から同音楽院管弦楽団のヴィオラ奏者も務め、ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーといった名指揮者たちのもとでの演奏を経験。卒業後、聖チェチーリア国立アカデミーで指揮法をベルナルディーノ・モリナーリに師事し、指揮者への道を志すこととなります。
【1940年代】
第二次世界大戦中の1942年、ローマで知り合った実業家の娘、マルチェッラ・デ・ジローラミと結婚。その後、イタリア陸軍に従軍し、パルチザン掃討のためクロアチアに赴きますが、そこでの経験が彼を平和主義者に変え、強固な反ファシストの考えのもと、ローマに戻ったのちに軍隊から離脱、ポスターなどで手配されるものの、妻の叔父の家にある秘密の部屋に9ヶ月間潜伏して終戦を迎えます。
その後、ローマが開放された1944年6月、記念演奏会で聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮してデビュー。ブラームスの交響曲第4番ほかを指揮した公演は大成功を収め、プレヴィターリの後任として、ローマ・イタリア放送交響楽団の指揮者に起用されます。
1946年、ローマ・イタリア放送交響楽団の音楽監督に就任。
1949年、7月にマリピエロ、ミヨー、ペトラッシの作品をローマ・イタリア放送交響楽団と演奏。
【1950年代】
1950年、ミラノ・イタリア放送交響楽団に移ります。この頃からヨーロッパ各地の音楽祭を中心とした客演活動を盛んにおこなうようになります。
1951年、ミケランジェリとモーツァルトのピアノ協奏曲で共演、さらにミラノ・イタリア放送交響楽団との演奏会形式オペラ上演では『アッティラ』、『二人のフォスカリ』、『ブルスキーノ氏』を取り上げています。また、ジュリーニの指揮したハイドンの『月の世界』を聴いたトスカニーニが演奏を絶賛、これを機にトスカニーニから指揮について教えを受けてもいます。
1952年、スカラ座にデビュー、この年にはジュリーニ初のレコーディング・セッションとなるケルビーニのレクイエムをEMIに録音。
1953年、フランクフルトで、ヘッセン放送管弦楽団(現フランクフルト放送交響楽団)に客演してグリュミオーのヴァイオリン独奏でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を指揮。同年12月7日には、スカラ座のシーズン初日でカタラーニの『ワリー』をテバルディの主役で上演し成功を収めます。
1954年、ヴィクトル・デ・サーバタの後任として、スカラ座首席指揮者に就任し、ロッシーニ『セビーリャの理髪師』『シンデレラ』、ヴェーバー『オイリアンテ』、グルック『アルチェステ』などを指揮。
1955年、セッションでロッシーニ『アルジェのイタリア女』、ペルゴレージの『奥様女中』をEMIに録音。さらにフィルハーモニア管弦楽団を指揮してヴィヴァルディの『四季』をEMIに録音。オペラ上演では、5月28日のマリア・カラスとの『椿姫』が話題になったほか、グラインドボーンに客演した際の『ファルスタッフ』も大評判となります。
1956年、スカラ座首席指揮者を辞任。フィルハーモニア管弦楽団とのレコーディング・セッションに熱心に取り組み、ビゼーの『子供の遊び』、チャイコフスキーの交響曲第2番『小ロシア』、ストラヴィンスキーの『火の鳥』、ムソルグスキー『禿山の一夜』、ラヴェル『マ・メール・ロワ』、ボッケリーニ:シンフォニア、ハイドン:交響曲第94番『驚愕』などをEMIに録音。オペラ上演では、1月29日、スカラ座でのマリア・カラスとの『椿姫』や、同じくスカラ座で2月16日におこなわれた『セビーリャの理髪師』などがありました。
1957年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、名演の誉れ高いフランクの交響曲ニ短調を録音。同じ7月にファリャの『三角帽子』も収録され、9月にはシュタルケルとのシューマンのチェロ協奏曲とサンーサーンスの第1番を録音します。
1958年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、シューマンの交響曲第3番『ライン』[マーラー版]&『マンフレッド』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第2組曲ほかをセッション・レコーディング。オペラ上演では、ロイヤル・オペラ100周年記念上演をヴィスコンティの演出による『ドン・カルロ』で指揮して評判となります。
1959年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、『フィガロの結婚』全曲、『ドン・ジョヴァンニ』全曲、チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』、ロッシーニ:序曲集をセッション録音。
【1960年代】
1960年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、ブラームスのピアノ協奏曲第1番をセッション録音。ピアノ独奏はクラウディオ・アラウ。また、トリノでは、モーツァルトの40&41番を指揮しています。オペラでは、コヴェントガーデンにて『セビーリャの理髪師』を上演。
1961年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』、ブラームス:ハイドン変奏曲をセッション録音。コンサートでは、同じくフィルハーモニア管と、『悲愴』、『展覧会の絵』、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ルービンシュタイン)、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ルービンシュタイン)などを演奏。オペラでは、コヴェントガーデンにてヴェルディの『ファルスタッフ』を上演。
1962年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、名高いドビュッシー:海、夜想曲、ブラームスの交響曲第1番、第2番、第3番、ピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はクラウディオ・アラウ)、悲劇的序曲、ドヴォルザーク:交響曲第8番などをセッション録音。コンサートでは、ブラームスの交響曲第2番とヴェルディ聖歌四篇ほかをとりあげたボストン響への客演がありました。
1963年、コンセルトヘボウに客演して、ヴェルディの『ファルスタッフ』を演奏会形式上演。フィルハーモニア管弦楽団とのコンサートでは、ヴェルディのレクイエムや、ドヴォルザークの交響曲第8番を演奏。
1964年、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、ヴェルディのレクイエムをセッション録音し、さらにロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのコンサートでも演奏。また、TV放送コンサートで、モーツァルトの40番と、ムソルグスキーの展覧会の絵、ファリャの三角帽子を演奏。オペラでは、コヴェントガーデンにて、ヴィスコンティ演出によりヴェルディの『トロヴァトーレ』を上演。
1965年、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してモーツァルトの交響曲第40&41番を、デッカにセッション録音。オペラではローマで『セビーリャの理髪師』を上演。また、ミラノでは、ハイドンの交響曲第104番とモーツァルトの交響曲第40&41番を指揮しています。
1966年、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』と『スペイン狂詩曲』を、EMIにセッション録音。コンサートでは、同じくニュー・フィルハーモニア管とベートーヴェン『ミサ・ソレムニス』、モーツァルトのレクイエムを演奏。オペラでは、ローマとフィレンツェで『リゴレット』を上演しています。
1967年、シカゴ交響楽団を指揮してシューマンのピアノ協奏曲(ルービンシュタイン)をRCAにセッション録音。コンサートでは、同じくシカゴ交響楽団とドヴォルザーク交響曲第7番、ブラームス交響曲第2番、モーツァルト交響曲第39番、ケルビーニ:レクイエムなどを演奏したほか、ローマで、モーツァルトのグラン・パルティータ、シューベルトの交響曲第4番、ロッシーニのスターバト・マーテルをとりあげています。オペラでは、コヴェントガーデンにてヴェルディの『椿姫』を上演。
1968年、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してブラームスの4番、ベートーヴェンの田園、エグモントを、EMIにセッション録音。コンサートでは、セント・ポール大聖堂でのベートーヴェン:ミサ・ソレムニスのほか、エジンバラで、シューベルトのミサ曲第6番と交響曲第4番を演奏。この年、シカゴ交響楽団首席客演指揮者に任命されます。
1969年、シカゴ交響楽団を指揮してブラームスの交響曲第4番、ストラヴィンスキーのペトルーシュカ、火の鳥、ベルリオーズ『ロメオとジュリエット』抜粋をEMIにセッション録音。コンサートでは、ボストン交響楽団に客演して、シューベルトの交響曲第4番、ブラームスの交響曲第4番、ムソルグスキーの展覧会の絵、ハイドンの交響曲第94番などを演奏したほか、ロイヤル・アルバート・ホールで、ブリテン:戦争レクイエムを、ローマでベートーヴェンのミサ・ソレムニスをとりあげています。
【1970年代】
1970年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してベートーヴェンのハ長調ミサを、ロイヤル・オペラを率いてヴェルディの『ドン・カルロ』をEMIにセッション録音。オペラでは、ローマでモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を演奏会形式で上演。
1971年、シカゴ交響楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲第7番、マーラーの交響曲第1番をEMIにセッション録音。
1972年、ロンドン交響楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲第8番、第9番をEMIにセッション録音。コンサートでは、セント・ポール大聖堂でのバッハ:ロ短調ミサが話題に。
1973年、ロンドン交響楽団を指揮してブラームスのピアノ協奏曲第1番(ワイセンベルク)をEMIにセッション録音。コンサートでは、チェコ・フィルにベートーヴェンの第九で客演。この年、ウィーン交響楽団の首席客演指揮者に任命されます。
1974年、ウィーン交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第2番をEMIにセッション録音。ほかにウィーン交響楽団とのセッションとしては、放送用のスタジオ録音で、J.シュトラウスの『皇帝円舞曲』がありました。コンサートでは、ボストン交響楽団に客演して、ブルックナーの交響曲第2番、ヒンデミット:画家マティス、ヴィヴァルディ:四季、ヴェーベルン:パッサカリア、ロッシーニ:スターバト・マーテルを演奏、ニューヨーク・フィルではブルックナーの交響曲第9番、チャイコフスキーの交響曲第2番、モーツァルトの交響曲第38番、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(フィルクシュニー)を指揮しています。
1976年、シカゴ交響楽団を指揮して『展覧会の絵』をドイツ・グラモフォンに録音、以降、シカゴ響とのコンビで、マーラーの交響曲第9番、シューベルトの交響曲第9番、ドヴォルザークの第9番『新世界より』を相次いでレコーディング、EMIからのブルックナーの交響曲第9番と併せて大きな話題となりました。
1978年、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任、直後に録音したベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』は、そのユニークなアプローチで注目を集めました。ロス・フィルとはその後もベートーヴェン『運命』、シューマン『ライン』、チャイコフスキー『悲愴』、ブラームス:交響曲第1番等を次々とレコーディングしています。
1979年には9年ぶりのオペラ録音となるヴェルディの『リゴレット』を、ウィーン・フィル、カプッチッリ、ドミンゴなど豪華なメンバーでレコーディング、絶賛を浴びています。
【1980年代】
1982年、ロス・フィルとのヴェルディ:『ファルスタッフ』で、実際の舞台上演としては十数年ぶりにオペラを指揮、ロスアンジェルスとロンドンで公演をおこなっています。この時期にはロンドン夏の名物「プロムス」にも登場、ブルックナーの交響曲第7番、同じくブルックナーの交響曲第8番で2年連続で指揮台に立っています。
1984年、夫人の病気のためロスアンジェルス・フィルの音楽監督を辞任、以降はヨーロッパに活動を限定して、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団など選り抜きの名門オーケストラに客演、それらの公演の多くはライヴ収録(または公演前後のセッション)されてドイツ・グラモフォンから、1989年以降はソニーからリリースされています。また、スカラ座フィルを指揮したベートーヴェン交響曲ツィクルスも話題を呼びました。
【1990年代】
80年代後半に引き続き、限られた名門オケへの客演活動を継続しますが、夫人の病状の悪化にともなって、その回数を徐々に減らしてゆきます。
1990年、ウィーン市の名誉ゴールド・メダルと、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名誉リングを授与されます。
1991年12月5日、モーツァルト200回忌のための「レクイエム」を、法王ヨハネ・パウロ2世臨席のもとヴァチカンにおいて指揮。
1994年には、ロシアのサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団へ客演、ブラームスの交響曲第2番と第4番を指揮して大成功を収めています。
1995年、マルチェラ夫人が死去。指揮活動が激減します。
1998年10月、すべての公的活動からの引退を表明。以後、若い音楽家たちの指導に当たることがあったとされていますが、指揮台に立つことはついにありませんでした。
2005年6月14日、イタリア北部のブレシアにて逝去。享年91歳でした。