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『へんりっく 寺山修司の弟』 公開記念! 石川淳志監督 インタビュー

2009年11月30日 (月)

石川淳志 Ishikawa Atsushi

1983年にこの世を去った寺山修司氏の寺山家の戸籍に入り、事実上、”寺山修司の弟”である、森崎偏陸氏を追ったドキュメンタリー『へんりっく 寺山修司の弟』が現在、レイトショー上映中である。このONLINE サイトが”音楽サイト”であるというイメージはまだまだ強いのだが、”映画サイト”としても成り得たく・・・そして、興行収入だけでジャッチをされたくない日本映画がまだまだたくさんあるということをこうやって、注目の新作映画を撮られた監督にお話を伺うことなどで、新たな提示をさせて頂きたく、現在進行中なのであるが・・・本作を撮られた石川淳志監督は、偏陸さんが”ただ居る”現実を只管にカメラに収め、1本の作品として完成させた。「鈴木清順氏に影響を受けたところが出ているのであれば、「観客をビックリさせよう」というところではないでしょうか」とインタビュー本文中でも語って頂いたのだが、この作品は鑑賞する側が思考し、咀嚼するおもしろさを多分に与えてくれる。寺山修司という巨大な才能の側近に「こんな人がいたんだ」という事実に加え、今でも『ローラ』のスクリーンで現実と虚構の間を行き来する偏陸さんにぜひ、触れて頂きたい。 INTERVIEW and TEXT: 長澤玲美

偏陸さんは、僕達が生の根拠にしがちな戸籍とかを寺山家に入ったりして開放したおかげできっと、自由になってるような気がして、妖精のようだと感じたんですよね。

--- 石川監督は熱烈にキリンジのファンのご様子で、「本作のコメントをどなたにもらうか?」との返答として、「ダメもとでキリンジさん」を挙げたところ・・・下記のようなコメントがお兄さまの堀込高樹さんから届き、「すごくうれしい」と頬を緩ませながらお話して下さったことから、このような流れでインタビューは始まりました。

森崎氏の有能な助監督としての立ち回りに感心しました。みずから手を動かしているときの眼差しの強さには圧倒されました。ニヤニヤしながら山ちゃんとイチャつく場面は「おいおい。」と思いながらも、なんだかホロリとさせるものがありました。 堀込高樹(キリンジ / ミュージシャン)

宣伝会社の方に「コメントをもらいたい方はいますか?」って聞かれて、「誰でもいいですか?」って言ったら、「誰でもいいです」っておっしゃるので、ダメもとで「キリンジで」ってお願いしたら、堀込高樹さんがコメントを下さったんですよね。本当にキリンジはずっと聴いてたんで、すごくうれしいですね(笑)。

--- キリンジ、お好きなんですね。

はい、大好きです。マジで(笑)。

--- マジで(笑)。これからの季節は「エイリアンズ」とか聴きたくなります。

ちょうど9年前の2000年の9月に「エイリアンズ」がラジオに流れ出して、10月くらいにシングルが先行されて、11月に『3』が発売されたんですよね。

--- 映画の完成から“想い”が繋がった瞬間ですね。うれしそうに今のお話をして下さったお姿を拝見していたら、わたしも自分のことのようにうれしくなってしまいました(笑)。改めまして、本日はよろしくお願い致します。

よろしくお願いします。

--- 森崎偏陸さんのことを作品を通して初めて知ることが出来て、すごく貴重な映像を拝見させて頂きました。本作を撮られたきっかけをお聞かせ頂けますか?

12年前に劇映画でデビューしたんですが(『樹の上の草魚』(1997))、その直後にCS放送で30分のドキュメンタリー番組を撮ってました。そのドキュメンタリー番組というのは、大日本印刷がスポンサーになった出版にまつわる方々をフィーチャーする番組だったんですけど、身近にいるワイズ出版とか古本屋の喇嘛舎さんとか、いろんな人を追ったものを30分番組にしていて。その番組に対して、「『樹の上の草魚』よりもおもしろい」という手応えをもらったんです。

そこからは本当に勢いで、「ワイズ出版の岡田博さん、喇嘛舎の長田俊一さん、漫画評論家の千田潔さんの3人が出資して、ドキュメンタリーを作ろう」と。その時は映画として公開されるかどうかも決めずにスタートしました。それが2002年の夏です。企画が上がったはいいけど半年くらい題材は難航していました。ワイズ出版で制作していた『蒸発旅日記』のチーフ助監督をしていた森崎偏陸さんの話を聞いて、「おもしろい人だな」って思っていたので、「偏陸さんはどうですか?」って聞いたら、「おもしろいね、いいね」って決まって、偏陸さんにご挨拶に。それが偏陸さんとの初めての出会いでした。2003年の4月のことでした。

--- 以前から、寺山修司さんや“演劇実験室 天井桟敷”(以下、”天井桟敷”)の作品に影響を受けられていて、森崎偏陸さんのことも知っていたというわけではなかったんですか?

はい、偏陸さんとは全く面識がなかったですし、寺山修司さんに関しては劇映画の長編は一通り観て、実験映画も半数くらいは観ていたんですけど、単純に観客として「おもしろいな」とは思ってました。・・・偏陸さんに、何かぴんと来たとしか言いようがないですね。

--- 偏陸さんに「作品に出て下さい」というお話をされた時、反応はいかがでしたか?

半信半疑というか興味本位というか・・・今でも忘れられないんですけど、初めてお会いした時に「『樹の上の草魚』を一応参考に観てみたんだけど、僕はあまり好きじゃなかった。僕の好きな映画ではないよ」と(笑)。「でも、僕に興味を持つっていうことは何かあるんでしょうから、一緒にやりましょうか」っていうような感じで。

偏陸さんって本当に寺山さんをはじめ、いろんなスーパースターというか美の巨人達と知り合っているんで、僕はもう歯牙にもかけないという感じで始まりましたよ。僕も本当に寺山さんのことを映画しか知らないぐらいな感じで入っていったんで、偏陸さんに「どれを読めばいいですか?」って聞いたら、「まずは、九條今日子さん(九條映子の名でSKDの舞台に立ち、松竹映画に移り青春スターとして活躍する。後に寺山修司と出会い結婚する。1967年寺山氏とともに、”天井桟敷”を創立し制作を担当。1991年、寺山はつの養女として寺山家に入る。戸籍上の弟が森崎偏陸になる。現在、プロダクション「人力飛行機舎」代表)と寺山はつさん(寺山修司の母)の本から読めばいいよ」と教えてもらったり。

改めて、寺山さんの戯曲を読んだりもしたんですけど、30歳そこそこで書いた『毛皮のマリー』はモチーフの1つに“老残”みたいなものがあって、「やっぱり天才なんだなあ、寺山修司というアーティストは」という発見もありました。

--- 本作で偏陸さんと関わられたことで教えられた部分がすごく大きかったということですか?

はい。それは寺山さんや美に対する物事だけではなくて、映画の中にもあるんですけど、淡路島にいる親にデイケアに入ってもらって、月に1度はそこに訪れて自宅に車で一緒に帰るとか、離れたところにいる親の介護の仕方に関してもすごく考えさせられましたし、偏陸さんはものすごく愛されてる人なので、「僕も愛される人になりたいな」と思ったり(笑)。

あとは、森崎家は兵庫県の淡路島で地元の神社の家系なので、偏陸さん自身は「神道の家系だ」っていう風に言ってるんですけど、仏壇らしきものもあったりして(笑)。「神仏混合なんだ」って勝手に思ってるんですけど、僕もいつの間にか、神社に参拝するのが好きになったりとかして。

これは映画の中には全く入ってないんですけど、偏陸さんは本当にお金のない小劇団のポスターやチラシを無料でデザインしてたりするんですよ。だから案外、多くの人が偏陸さんのことを知ってますね。江國香織さんの本のイラストや『リコちゃんのおうち』とか『よるくま』とかを描かれている絵本作家の酒井駒子さんって方がいらっしゃるんですけど、その方も昔お芝居をされていて、「偏陸さんのことはよく知ってる」って言ってましたね。

--- 寺山さんの関係から外れても、そうやっていろいろな方のお手伝いをされたりしていて、偏陸さんをご存知の方も多いというような方なんですね。

天使のような、妖精のような人ですね。

--- それはどのようなお考えからですか?

「天使のようでもあり、悪魔のようでもあり・・・」って、これを言うと偏陸さんに怒られるんですけど(笑)、妖精のようなっていうのは、地上からちょっと浮いてるような感じがするんですよ、偏陸さんって。

例えばなんですけど、「自分の両親だと思っていた永田夫妻が実は親ではなく親戚だった」という事実を知ったときの違和感をはじめ世界そのものとの違和感があったのかもしれません。その違和感というかジレンマがあったはずで、家出をして”天井桟敷”に行く。”天井桟敷”に行ったら、自分の場所があった。当時、劇団には「見世物の復権」として寺山さんに呼び込まれた人々もいたはずです。そういうメンバーの中で寺山修司さんという巨大な才能の側でお手伝いが出来たっていう部分で生きていた時代だと思うんですけど、寺山さんが亡くなった後はやっぱり、何とか寺山さんに代わるアーティストのお手伝いをすることで自分の居場所を見つけていたのではないかという「虚構」を思いあたりました。

実は映画では説明が難しいので外しちゃったんですけど、偏陸さんははつさんに一度、「あたしの息子になって、修ちゃんの遺産を管理しておくれ」って言われて、寺山籍に入ったんですけど、その後突如、「お墓にはやっぱり、修ちゃんとあたしとお父さん(寺山八郎)で入りたいから戸籍から抜けて」って言われて、偏陸さん曰く「僕は親戚中の反対を押し切って寺山籍に入ったので、今さらそれを言われても困る」って言ったそうです。でも、はつさんは一度言い出したら聞かない方らしいので、一度寺山籍から抜けて、亡くなる間際にそのはつさんから偏陸さんと九條今日子さんが呼ばれて、「修ちゃんの著作権を管理して頂戴」っていう風に言われて、もう一度寺山家に入ったんですよね。

だから偏陸さんは、僕達が生の根拠にしがちな戸籍とかを寺山家に入ったりしたことで開放しちゃったというか。僕だったらそんなことは今は出来ないし、そこの部分を開放したおかげできっと、偏陸さんは自由になってるような気がして、それで妖精のようだと感じたんですよね。

--- わたしから見た偏陸さんは、何でも器用にこなせるマルチな方という印象でした。でもその反面ですっとどこかに入って、すっとどこかに消えてしまうような実体が掴めない、捉えどころのない方という印象も同時に受けました。偏陸さんは荒木経惟さんの「人妻エロス」シリーズのデザインもされているそうなのですが、その荒木さんと森山大道さんのシーンもありましたね。あれはオペラシティで行なわれた「森山新宿荒木展」の様子ですか?(2005年1月15〜3月21日)。

同時開催していた、原宿ナディフでのお2人のイベントでの映像です。1月20日に撮影しました。撮影を始めて1年半くらい経った時に、「初日にお2人が来るから撮りに来て」って偏陸さんに言われて、僕が「撮らせて下さい」みたいな感じでご挨拶させて頂きました。偏陸さんなりに遠慮があるのかもしれませんし、もしかしたらこれも僕の思い込みなのかもしれないんですけど、偏陸さんの中では私生活を共にする無名の人も仕事を一緒にするアーティスト、有名人も俳優も、同じようにきらきら輝く人っていう、分け隔てない感じがしたんですよね。だから、ごくごく自然に荒木(経惟)さんや森山(大道)さんをはじめ、いろんな方々にお会いしました。

--- 映画に出演されている方とは、偏陸さんが次々に石川さんにご紹介するような形でお会いしていったんですか?

はい、そのとおりです。紹介というか、基本的には「ここにいる僕を撮って」っていうようなことなんですよね。でも不思議だし、おもしろいなと思うのは、偏陸さんが大勢でいるところをまず撮りますよね。で、その後必ず一人でいるところがあるんですよ。だから、「それは撮れっていうことなのかな」って思って撮って、編集でもそういう部分を残そうということで、大勢でいるところと一人でぽつんといるところはわりと意識的に並べてます。でもそれがどれだけ偏陸さんの表層の意識にあるのかどうかはわかんないですけど(笑)、無意識かもしれないですしね。

--- 偏陸さんの中でカメラに追われて撮られることを意識して、ご自分で演出していた部分もあったのかもしれないですね。

初めて偏陸さんにお会いした時におもしろいことを言って下さったんですけど、「作品が完成したら、スクリーンに映ってる僕が石川に見えなきゃダメだよ」と。「あなたの意識が反映されてないとダメだよ」っていう風に言われたので、それがやっぱり新鮮な感じで今でも記憶に残ってます。だから、偏陸さんの中では「フィクションとして」っていう覚悟があったんだと思います。「フィクションとしての森崎偏陸を提示しなさい」というような。それから偶然か意図してか判らないんですが、偏陸さんはやたらと光源を背にしてシルエットになるんですよ。本編でも偏陸さんの輪郭が黒々としているカットが多い。編集をしていて気づきました。

--- 本作は7年くらいかけて完成されたそうなのですが、それだけ長い時間をかけられたものをここで切ったタイミングというのは逆に、何かがあって終われたということですか?

本当に印象的なんですけど、偏陸さんって昔の自分の写真を全く持ってないと言うんです。「理由はよくわからないんだけどないんだよ」って言われたので、いわゆる古くからあるドキュメンタリーっていう構成が消えました。偏陸さんのお仕事とかを並べて、偏陸さんの履歴を写真で紹介するっていう方法がなくなったので、「もう現在で行くしかない」っていう風になったんです。ところが、映画に合わせてワイズ出版で刊行される『へんりっく ブリキの太鼓』の刷り見本を最近見たら、あるわあるわ子供の頃の写真が!「何で?」と思いましたが、結果的に特異なドキュメンタリーに仕上がったので感謝しています。2003年に撮影が始まってから、2005年にフランスに行った時点である程度形になったんですよ。パリのいわゆるビジネスホテルに泊まっていて、偏陸さんはよく歩くので疲れて横になっているときに不意打ちのように歌を唄い出したんですよね。清水宏監督の『しいのみ学園』(1955)っていう映画の主題歌らしいんですけど、「僕らはしいの実 丸いしいの実♪」という・・・。これは本編にもきっちり入っています。

--- 唄われてましたね。

ベッドで横になりながら。「お池に落ちて♪」という(笑)。あの哀切なメロディーがパリの異国で出てきた時点で「ああ、これはイケるな」と。要するに、パリという場所でエトランジェですけれども、「多分偏陸さんは、淡路島でも東京でも、戸籍のある青森でもエトランジェなのかな」と思いました。本当に子供の頃の無垢な時代のメロディーが偏陸さんの中から不意打ちのように出て来たので、偏陸さんの普段あまり見せない核みたいなものを見たような気がしました。

パリでそんな風になって、「これはクライマックスのどこかで活かせるな」って思ったんです。そのはるか前の2003年の暮れに、山ちゃん(山下真砂雄 北海道ロケスタッフとして参加した『』(山崎幹夫監督・1955)で偏陸と出会い、今に至る)と高橋咲さん(15歳で”天井桟敷”に入団。劇団内で偏陸と出会う。著書に『15歳天井桟敷物語』『素敵なあいつ』『本牧ドール』がある)の会話が撮れたので、それで偏陸さんの履歴の部分というか、内面の秘密の小箱みたいなものが撮れたような気がしたんですね。だからこの作品の時間軸は、現実の時間の流れを規範にしていないんです。パリのあとはポツポツと撮影しましたがおおむね編集で削除してしまいました。

あとは、撮影で僕が1点だけ偏陸さんにお願いしたことがあったんです。それは「戸籍謄本を撮らせて下さい」と言って、偏陸さんが住んでいる世田谷の自宅で去年の5月に撮らせて頂きました。偏陸さんという妖精がどう現実と触れ合っているのかが一発で判るので。5月にはつさんの遺影を撮影しまして、編集したのが去年の9月なんですけど、そこの部分だけはまるで映ってなかったんです!でも、その前後はちゃんと映ってるんですよ。で、「おかしいな」って思ったんですけど、そういうはつさんにまつわる不思議な話はたくさんあるんですよね(笑)。偏陸さんのお家で誰かが泊まってたら、いきなりバケツの水をぶっかけられたりとか(笑)。で、みんな普通に、「あ、はつさんがしたんだね」っていう会話が成り立ってます(笑)。あと、ラップ音がしたり、誰かが金縛りにあったり。僕の場合、敬意が足りないってはつさんに怒られたか、単にからかわれたか(笑)。

で、映ってないことに後から気付いたので、偏陸さんにあわてて電話して、「もうフィニッシュ直前なんでもう1回撮らせて下さい」ってお願いして、その時はお花を買って行って、はつさんの遺影に手を合わせて、「寺山さんの名前を利用するわけではなくて、偏陸さんのドキュメンタリーなので撮らせて下さい」ってお願いして撮影したら、無事に撮れたんですけど、そんな不思議なエピソードもありました。

--- 「戸籍謄本を撮りたい」という思いはそれだけ強かったんですね。

そうですね。戸籍は偏陸さんにとって核のようなものです。妖精が現実にロックされている一瞬なので「絶対に撮りたい」と思ってたんですけど、偏陸さんに言ったら「ダメだよ」って断られるかもしれないって思って、なかなか言い出せずに去年の5月まで延びちゃったんですけど、「別にどうぞ」っていう感じだったんで撮らせて頂きましたね。

--- 偏陸さんに初めにカメラを向けられてから、徐々に変化は見られましたか?

いや、変化は一切ないですね。初めから自然体かもしくは演技をしているかのどっちかですけど、本当に変化はなかったですね。あったとすれば、山ちゃんが僕を許してくれたというか。ちょっと距離の縮まった部分を撮らせてくれたのは、撮影から4〜5年経ってからだったんで、それはありがたかったです。山ちゃんって、シャイな人なんで「カメラ向けるなよ」って最初はそんな態度だったんですけど、それが何となく、何も言わずにいてくれるようになったのでそれは変化ですね。

--- 偏陸さんには変化は見られなかったんですね。

何も変わらないですね。そこが偏陸さんのすごいところですよね。肝が据わっているというか、おもしろいところですね。でもやっぱりね、偏陸さんとは今も微妙な緊張感がありますね。僕は偏陸さんによくいろんなことで怒られるんですよ。例えば、偏陸さんの家にいて、新年会にお邪魔してる時に「帰れっ!」って怒鳴られたこともあるくらいなので(笑)。

--- 何がダメだったんでしょう?(笑)。

映画の中で偏陸さんが”LOVE"っていうTシャツをプレゼントした方と、カフェで食事をした女性のお2人ともスクリプターをしてる人で、偏陸さんが本当に大好きな人達なんですよ。「スクリプターの男性って誰でしたっけ?女性の名は?」って偏陸さんに聞いたら、「調べもしないで」って怒られました。こんなに長く付き合ってるのに、偏陸さんに電話する時は今でも緊張するんですよ。

--- 今でも?

ええ。これだけ偏陸さんのことが好きで偏陸さんのことを知ってるって思い込んでいるのに、1回息を整えて、深呼吸をしてから電話しますね。それと同じように偏陸さんも全然変わらずに、偏陸さん像として7年いますね。

--- これから先もきっと、変わらずにいらっしゃるんでしょうね?

そう思います。偏陸さんは今年で60歳なんで、それでも若く見えますけど、たぶん50歳くらいまでは本当に少年のような佇まいで暮らしていたと思いますよ。見た目が歳取らない人っていますよね。

--- そういうこともあって、妖精っぽいのかもしれないですね。

そうですね。この世のシステムからちょっと距離がある。「ある犠牲を持って自由を獲得してるな」と思いました。

--- 本作は『ローラ』の映像を象徴的に何度も繰り返し使われていますが、撮影前から実際に『ローラ』を劇場でご覧になっていたんですか?

※(『ローラ』 1974年 スクリーンの中に映し出された3人の娼婦が観客を罵倒する。挑発されたひとりの客が憤然と立ち上がり、憤然としてスクリーンに飛び込んでゆき、光と影を相手に争い、全裸にされてスクリーンから逃げ出してゆく。(※ この男を演じたのが偏陸さん) 寺山氏曰く「ここでは観客がスクリーンの中へ入ったり出たり出来るのである。(中略)しかし、それは異化されるという従来の複製芸術としての映画の概念へのパロディぐらいには、なりうると思うのである。」

いいえ、なかったんです。僕も寺山さんの実験映画を観ていても、『ローラ』とか観てない作品がありまして、撮影で初めて観ました。「スクリーンを作って上映する」という演劇的な実験映画なので、「寺山さんから本当にいいプレゼントをもらいましたね」って偏陸さんに言ったら、「そうだね」って言葉が当たり前のように返ってきます。

--- 『ローラ』についての噂は知っていたんですが、あの方が偏陸さんで、しかもああやって今も上映を続けられているということに驚きといいますか、感慨深いものがありました。

そうですね(笑)。感慨深いものがありますよね。あと10年経ってもきっと、『ローラ』が上映する時には客席にエンジのブレザーを着て居るんですよ(笑)。偏陸さんはよく言うんですけど、「『ローラ』があるおかげで僕は歳を取れないんだよ。1974年のままなんだよ」って。それは本当に寺山さん風のアフォリズムで「永遠の命を授かった」っていうことで虚構と現実を行き来出来る。本当にラッキーなプレゼントをもらったんですね、寺山さんから。

--- それを重荷には感じないのでしょうか?

たぶん、ないんですよ。

--- ない・・・。

はい。だから僕も自問自答したりするんですけど、やはり、寺山さんからのプレゼントを重荷というよりもキッパリ喜びで溢れちゃったみたいな感じだと思います。偏陸さんに聞かないとわかんないですけど(笑)。

--- この作品を拝見すると、実際に『ローラ』が上映している際に、偏陸さんがスクリーンに入る瞬間を観たいなって思いますね(笑)。

そうですよね(笑)。どうやら寺山さんは、演劇の公演でパリに行った時にストリップっていうか、レビューっていうんですかね?半裸の女性を観るアトラクションを観たらしいんですけど、それは踊り子さん達が突然、後ろの風景に入っちゃうみたいな仕掛けがあって、それを観て、「おもしろい」ってことで、自分なりに原理を考察してスクリーンをゴムで作って実験映画にしたのが『ローラ』だったという。

--- 本作を観た方がわたしと同じように『ローラ』のことを知って、『ローラ』を観に行くという流れが生まれることはすごく想像出来ておもしろいですね。

おもしろい流れですよね。本当にそうなってくれれば、循環としていいですよね。『ローラ』って、よーく観るとヒッチコックの『ロープ』の原理を使ってますよね。

--- 『ロープ』の原理?

ローラ』は1カットに見えますが、3つの映像、3カット(3ショット)で出来ていて、黒バックで女の人がいる映像と偏陸さんが入った後の映像と出てきた後の映像の3カットを1カットに見えるようにつないでいるんですよね。ヒッチコックの『ロープ』は全編が1カットの映画なんですけど、フィルム撮影で1ロールが15分なので、15分ごとに扉が開いて真っ黒になったり・・・っていうことをつないでいくような装置をしているおもしろい映画なんですよね。

--- ぜひ、拝見させて頂きますね。

でも、『ロープ』を観たことで『ローラ』が味わい深くなるっていうわけでもないですけど(笑)。

--- 偏陸さんが改めて、寺山さんのことを語ったりしたことはありましたか?

ないですね。撮影の最初の頃に一度「寺山さんが亡くなった時、どうでしたか?」って聞いたんですけど、「覚えてない」って言ったんです。逆にとてつもない出来事だったんだなと思いました。だから、それ以来聞いていません。本当は改めて偏陸さんにいろいろインタビューをして、そのパートを適宜挿入して作品にしようと思ってたんですけど、途中からもうそれはやめて、偏陸さんを見続けるだけで作品にしたいと思いました。

先ほどおっしゃって下さった通りで、偏陸さんは何でもやって、何でも出来る方なんですけど、堀込高樹さんもコメントで寄せて下さいましたけど、「物を作ってる時の手を見つめてるだけでおもしろいな」というか「しあわせな気持ちになるな」って思ったんですよね(笑)。それが僕にとっての偏陸さん像の1つです。

--- 撮影されたたくさんのフィルムがあったと思うのですが、編集された後、117分で完成されました。編集も作り手の方の意志が強く反映される部分だと思うのですが、編集の際にポイントとされたところはありますか?

まず、パリのホテルで偏陸さんが歌を唄うところと、高橋咲さんの偏陸さんに対するコメントをヘソに持って来たいなと。あとはもう、本当にいろんな場所に行ってるんで、取捨選択で編集していったんですよね。例えば、オープニングは偏陸さんが『ローラ』のスクリーンを木材で作っているところが伝えられるかどうか、その作成過程でうろちょろしている人が着替えをして客席にいるっていうことが伝えられればいいなくらいの感じで作っていったと思います。編集しながら見返す度に「編集が早すぎる」とか「もっと溜めたところがあってもいいんじゃないか」とかって思ったりとかして・・・。それはすごく迷ったところですね。いまでは本編に入る前のプロローグが30分ある作品と考えています。

--- 石川さんが思われているドキュメンタリーの概念はありますか?

特にこうっていう概念はなかったんですけど、映画という枠で考えてみれば、観たことがないものを見せてくれるのが映画で、それを観にお客さんが来ると。それが例えばドキュメンタリーであれば、『ゆきゆきて神軍』だったら、「強烈なキャラクターの奥崎謙三を観る」っていうことがあの映画としての要で、観たことのない風景だったり、生じるエモーションを提示してくれるものっていうことですかね。

--- 役者さんに台詞を言ってもらう物語とドキュメンタリーで被写体に追っていく物語には区別はあまりないということですか?

フィクションだと効果的に登場人物を紹介して、ドラマを作っていくっていうことがあると思うんですけど、ドキュメンタリーの場合はドキュメンタリーという枠だけで、ある程度お客さんが辛抱してくれる。『へんりっく』という映画だとすれば、出来事をわりと並列的に並べている1時間があって、なぜか恐山らしき風景の後に、はつさんの遺影があって、戸籍があって、そしたら画面がモノクロになって・・・という部分で、出来事を辛抱強く見てくれるかなと。

--- フランスで偏陸さんが唄われたシーンの他にお気に入りのシーンはありますか?

本当にラストの方なんですけど、青森県立美術館に行って、劇場で偏陸さんが川村毅さんを「外に行こうよ」って誘って、外に行って、中庭で何を語るでもなくシルエットの4人の男女がぽつんと散策するシーンは、時間が剥き出しになってる感じで好きです。あとは、前半のモノクロのシーンで、ティーサロンで偏陸さんがトークをして、その帰り道、青山通りを「明日、車で旅行に行きたいんだけどどうしようか」「俺は行けないよ」とかっていろいろと、本当に子供のようなイノセントな馬鹿話を山ちゃんを含めて、日野(利彦)さん(『マルドロールの歌』『一寸法師を記述する試み』『書見機』など、“天井桟敷”の名優として活躍。伝説のカルトムービー『追悼のざわめき』(松井良彦監督・1988年)では、小人症の兄を演じた。また『』(山崎幹夫監督・1995)、『蒸発旅日記』(山田勇男監督・2003)など精力的な活動を続けている)と女性の方と歩いているんですけど、そこで不意に雪が降り出すんですよ(笑)。

--- 降ってましたね。

あれはちょっとドキッとしたんですけど、好きなシーンです。そのためにモノクロにしちゃったんですよ(笑)。

--- そのために。

ええ。本当は僕、そもそもは寺山さんが亡くなった後に「フィクションとして“老後”なんではないか」ということで荒木(経惟)さんや松村(禎三)さんのシーンの一連はモノクロにしたんですけど、雪があまりにもきれいなんでそこもモノクロにしたり、あとはいろいろあって、三上(博史)さんのトークショーのところもモノクロにしちゃったりしたら、その意図が全くわからなくなってしまったので、「画の変化だけたのしんで下さればいい」っていう感じの流れになりましたね。

--- 「ここはあえてモノクロにしたい」というシーンについては、どういうお考えがあってのことだったんですか?

そこの部分はやっぱり、老後というか意識としては偏陸さんが寺山さんを失って死の時間を暮しているというか。だから、モノクロの前に意味ありげに恐山とはつさんの遺影と戸籍謄本と偏陸さんの自宅の無人の台所とかが映っているんです。そういう意図だったんですけど、先ほどお話したようにそれのテーマとは関係がないモノクロのシーンがあったりするので、全然わかんなくなっちゃいました(笑)。でも大島渚監督の『少年』だって(セルゲイ・)パラジャーノフ監督の『火の馬』だって挿入されるモノクロの場面の意図は全く判らないし、・・・少なくとも僕には判らない。とにかく、「偏陸さんが抱える喪失感みたいなものが観た人の心の底に届いてくれたらいいかな」という希望はありまして。

--- 先ほど、「青山通りを歩いていたら急に雪が降り出して、雪がきれいだったからモノクロにした」とお話して頂きましたが、わたしはあのシーンを拝見して、日野(利彦)さんも出られていたこともあって、松井良彦監督の『追悼のざわめき』を思い出しました。

何でそんなこと、若いのに知ってるんですか?結構マニアック・・・(笑)。

--- いえいえ(笑)。わたしは『追悼のざわめき』が衝撃的だったことも含めて、影響を受けた作品なので、松井監督にお話を伺ったこともあったんですけど、あの作品の後、新たな映像として日野さんのお姿を拝見したのがこの『へんりっく』でした。

あのシーンでいいのは、本当に日野さん自身も普通にいますよね?日野さんの周りの人も普通にいるのがいいなあと。

--- そうですね。先ほど石川さんがドキュメンタリーについてお話して下さったことと同じですが、わたしは「観たことがないものを見せてくれる作品」が好きなので、本作を拝見して偏陸さんを知ることが出来てよかったです。

ありがとうございます。そう言って頂けて本当にうれしいです。”天井桟敷”とは全く関係ない、堀込高樹さんもああいうコメントを下さったりもして、すごくありがたいなって思ってますね。編集してるうちに、本当はこれは宣伝として隠すべきなのかもしれませんけど、偏陸さんのセクシャリティーに関して、パレードしたり、声高に主張するんではなくて、あるいは秘密に秘密に隠していたのをドキュメンタリーで暴くというのではなくて、ただただ「いる」っていう、もうその部分ってちょっと新しいかなと。僕自身もある種のコンプレックスを癒された部分なんです。世の中に対してツライなと思っている人達に少し光というか希望をというか、「気持ちが紛れてくれるかな」とも思って作りました。それは偏陸さんとの出会いの結果です。偏陸さんに感謝しています。

--- ご自身で改めて、1本の作品として拝見されて、「やっと完成した」という感慨や安堵感の方が大きいですか?

大きいです、マジで(笑)。撮影は出来るんですよね、ビデオカメラで。で、その後の編集で本当に困っていたんですよ。だからプロデューサーに相談して、編集機を購入して、購入したはいいけど操作がまずわからなくて、いろんな人に相談したりしながら進めてたんですけど、途中でその相談相手もいなくなっちゃったりして(笑)。とにかく120時間あったので、パソコンに取り込んでも取り込んでもまだ残ってる。で、去年の10月にようやく4時間を超えるラッシュを観てもらったときに、「この方向性でいいんじゃないか」って反応が返ってきたので、本当に少しですけどほっとしました。そこから半年かかってやっと完成したんですけど、今は本当に安堵感の方が。編集中は本当に「このまま終わっちゃうんじゃないか」って思ってましたよ(笑)。

--- 未完成のまま?(笑)。

ええ、撮りっぱなしでというか。でもそれは偏陸さんにも、いろんな方々に失礼なので。でも、実は撮影していても作品中には出ていない方も本当にたくさんいらっしゃるんですよ。パリで出会った日本の旅行者の方と偏陸さんが仲良くなって、「オペラ座の屋上で蜂を飼ってるんだけど、そこの蜂蜜がおいしいよ」とか「世界一おいしいチョコレートはラ・メゾン・デュ・ショコラだ」とかっていうことを日本の女性の方と偏陸さんが凱旋門の屋上で話してたりするシーンとかそういうものも全部カット(笑)。あと、偏陸さんが演出助手をした舞台の公演を2日間追いかけて6時間くらい撮ったのも丸ごとカットとか。だから、関わって下さった本当にたくさんの人に一応「完成した」という報告が出来たので本当にほっとしてます、心の底から(笑)。

--- そのように大変な思いで完成された作品を偏陸さんがご覧になって、反応はいかがでしたか?

0号試写をイマジカで行って、その翌朝に「評判が良くてよかったね」って偏陸さんからメールがありました。でも、その3日後に「場所と人物のテロップを入れないとわかんないよ」って、僕を1時間くらい電話で説得したんですけど(笑)、「あれは偏陸さんを見つめるためにこの手法を選びました」っていうことで、しぶしぶ納得して頂いて。不満はあるかも知れないけど、今はわりと喜んで下さってると思います、・・・たぶん。

--- ポスターのお話も伺いたいのですが、宇野亜喜良さんがイラストを描かれて、荒木経惟さんが題字を書かれていて、すごくいいポスターですよね。

題字は、荒木さんにワイズ出版の岡田さんの方から依頼して下さいました。偏陸さんにとってもいいプレゼントになったような気がします。イラストに関しては、宇野(亜喜良)さんも映画の中に出てくるっていうことで、「何となく変わったドキュメンタリーだけど、おもしろい」みたいなリアクションをしてくれたので、僕も岡田さんも図々しいですから(笑)、「じゃあ、イラストをお願いします」ってことで(笑)。僕なんかも、宇野さんにヒントになるかなって思って、「寺山さんと偏陸さんみたいなのはどうですか?」って言ったら、宇野さんもやっぱり厳しい人ですから、それはスルーで(笑)。で、出てきたのがこのデザインだったので、「やっぱりすごいな」と。羽が生えてて、やっぱり天使的なイメージで、シルクハットが股間にあるっていうことは、あの部分が屹立してるんだなあという(笑)。

--- そうですよね、引っかかってますもんね(笑)。

はい、引っかかってるんですよ。偶然あそこにあるわけじゃないんですよ(笑)。だから、すごくいいポスターを描いて下さって感謝してます。やっぱり、偏陸さんが本当に一番喜んでくれてるはずです。僕ももちろん、すごくうれしく思ってますし。

--- 2作品とも宇野亜喜良さんがイラストを描かれていることもありまして、このポスターを観て、『ヨコハマメリー』を思い出しました。

ヨコハマメリー』のようにヒットして頂ければうれしいですね。実は『へんりっく』を作ってる最中に『ヨコハマメリー』を僕も観まして・・・。「同じお客さんが来てくれればいいな」とは思ってるんですけどね。

--- 来てくれると思います。

本当ですか?(笑)。いやあー、祈りたいですね。今日は炙らなくても気分がいい・・・って嘘ですけど(笑)。

--- (笑)。このポスターを『ヨコハマメリー』の時と同じように森山大道さんが行きつけのゴールデン街のお店に貼ってあったり・・・って想像出来ます。あの場所に集まるような、劇団に入っていてお芝居をされてる方や多種多様な表現者の方が、きっとどこかで偏陸さんとお仕事されているような気がしますよね。

お仕事してますね、きっと。どこかで偏陸さんと会ってますからね。

--- 石川さんが影響を受けたアーティストや作品がありましたら、お聞かせ頂きたいのですが。

まず、音楽はやっぱり、キリンジです。それは影響を受けたというか、本当に僕の中では胸に飛び込んできたというか。まず、歌詞。元々あった物語をものすごく削除してますよね。抜いていることで言葉が粒だっているけどよくわからないという。例えば、キリンジの『For beautiful human life』の1曲目の「奴のシャツ」は何だかよくわからないんだけど、「オヤジが死んだんだな」とか。未だにあの意味が何となくしかわからないんですけど、でも、行間から喪失感が滲み出ているというか。「エイリアンズ」なら、「別れの歌なのかな」とか。でも、画だけは公団の上を走る旅客機のあの喪失感というか、映画の画のような映像というかはすごく好きで。特に『3』に集中してるんですけど、クライマックスに新しい旋律、新しいメロディーが入りますよね?それを「劇映画のシナリオに取り入れられないかな」って画策していたぐらいなんですけど、クライマックスに新しいメロディーが入るとドキッとするんですよね。あとはやっぱり、世界に対してどこかこう・・・断念というか絶望というか、諦念というかあきらめているけれども、「でもやっぱり死ぬまでは生きていこう」っていう部分はものすごく触発されますし、すごく好きですね。「Drifter」って曲も、あれはわりとはっきりと希望を歌ってますけど、でも、ああいう詞に口笛を吹くようなメロディーが乗っているっていうのがきっと、ウケてる理由なんだろうなって思いますね。

それから映画はまず鈴木清順さんですね。僕、『夢二』って映画の小道具だったんですよ。

--- そうだったんですか!

ええ。そういうこともあって、僕のデビュー作の『樹の上の草魚』に医者役で清順さんが出演して下さったんですよね。で、看護婦役が清順さんの映画しかほとんど出てない、舞台で活躍されている女優さんの伊藤弘子さんに出て頂いて。鈴木清順さんの映画は本当に好きでずっと観てたんですけど、「影響を受けたところが作品に反映されてるか」っていったら、「観客をビックリさせよう」っていうところは出てるんじゃないでしょうか。

例えば、偏陸さんが風呂場でストレッチしている場面で裸で寝そべる偏陸さんを頭から股間にパンして、いきなりカット繋ぎで逆の方向に偏陸さんが歩いているところ。普通だったら、淡路島ってわかる風景から入って、偏陸さんの家に行けばいいんでしょうけど。それからモノクロでしばらく時間が経ち、次のカットは何だかよくわかんないんだけど、運河みたいなところで外国の子供が2人いるシーンにつながるみたいなところの脅かし方はちょっと、鈴木清順的なところかもしれないですね。

あとは、澤井信一郎さんの映画は好きで。これもまた、僕の作品と全然似てないですけどね(笑)。

あと、海外でいうと、セルゲイ・パラジャーノフの映画が無条件で好きです。『火の馬』もパートモノクロの映画だったりしますし。『へんりっく』ではラストのローリングが終わって、音楽が終わった後にスクリーンを作るトントントントンって撮影中の現実音が入るんですけど、それは『火の馬』をあやかろうとしています(笑)。『火の馬』では主人公が死んで、窓から子供が見つめる映像に主人公のお兄さんが木を切るコンコンって音が入るんですけど、物語上は棺を閉じる音なんですよ。だから僕も整音のスタジオの時に、スクリーンを組み立てているような棺を閉じているような、どちらともとれるようなトントントンって効果音を作って入れればよかったと反省しています。

あと、小説なんかは本当にたくさんですね。実は僕、ライターで作家のインタビューをしてたりもするんですよ。だから、個人名を挙げると差し障りがあるかもしれないんであれなんですけど、『ルート225』が映画になったりした藤野千夜さんとか好きですよ。田口ランディさんもいいですね。あと、漫画家だったら、三宅乱丈で『イムリ』がおすすめですね。あとは、つげ義春さんが好きですね。

--- つげ義春さんの作品はわたしも大好きで、ほぼ持ってます(笑)。

つげさんは本当に素晴らしいですよね。つげさんの影響は僕、すごくあるかもしれないですね。実景とかさびしい風景とかは、「つげ義春風かな」とか(笑)って思いますね。あと、これも僕、編集中には意識はなかったんですけど、完成したものを観て「写真集の影響はあるかな」って思いました。写真集はめくって、風景だったりコマだったりするのがシークエンスの間に入るカットのつなぎに影響があったりするのかなって思いましたね。

--- 影響を受けられたものは「さみしいもの」がキーワードになっていますか?

そうですね(笑)。メランコリーだったり、さみしいだったりっていうのはキーワードになりますよね。というか、それをずばり聞かれると恥ずかしいですね(笑)。うーん、やっぱり・・・それは「お前がさみしいんじゃないか」ってことなんで。いやー、でもそうだと思いますよ、やっぱり。偏陸さんもなぜか知らないけど一人でぽつんといる時があるって先ほどお話したじゃないですか?本当はそれを入れなくてもいいのかもしれないけど、あえて入れたりするっていうのは、自己投影をしてるのかもしれないですね。でも、おそろしいですね(笑)。インタビューされながら精神分析を受けてるような、カウンセリングを受けてるような感じで。ずばずば直球で聞いてきますけど、きちんと『へんりっく』っていう作品を読み取ってくれた上でのお話なので、すごくいいインタビュアーだと思います(笑)。

--- そんな・・・光栄です(笑)。

あと漫画家だったら、つげ忠男さんも好きですし、白土三平さんも手塚治虫さんも好きでした。

--- 白土三平さんの「カムイ」を崔洋一監督が『カムイ外伝』として撮られましたね。

実は僕、崔(洋一)さんの2時間ドラマの助監督をやったりもしてるんですよ。“カムイ”って言葉自体はアイヌの言葉なんで、「北海道ロケとか寒い場所で撮ればいいのに」ってちょっと思うんですけど、それは監督のデザインというか確信犯で沖縄ロケでということだと思うので。崔さんは『友よ、静かに瞑れ』から、沖縄という場所にこだわっています。期待して観てみようと思ってます。

--- 具体的に今後の構想として、進んでいるものはありますか?

実は今、ドキュメンタリーで撮影が始まってるものがあります。僕、今日初めて公の場で言うんですけど、立川流にいる二つ目の落語家さんで立川キウイさんって人を追いかけてます。キウイさんは42歳なんですけど、真打になっていなくて、前座を16年やられている方で。

要するに僕は、偏陸さんにしても憂いを持った面差しというか、さみしそうなというか(笑)、自分を投影しているんでしょうけどそういう人が好きなので、今キウイさんを撮影してるんですけど、家元である立川談志師匠や先輩方を撮影しなくちゃいけないですし、これが完成するのも『へんりっく』と同じように結構時間がかかると思います。僕は基本的にその人物を考える上で「どういう家庭か」っていう部分は外せないので、キウイさんの両親、私生活も撮影をする予定で、それは了解を得てます。

--- そのキウイさんを撮られた新作も、拝見出来る日をたのしみにしてますね。

はい、ぜひ、よろしくお願いします。あと、今思い出したんですけど、『へんりっく』の中で偏陸さんがインタビューしていた背中に一面刺青があるあの女性は、あの時偏陸さんと初めて会った方で風俗嬢なんですね。僕の中では彼女というか彼は「現代の毛皮のマリーだな」って思ったんですよ。社会からもきっと、強い差別・・・って言葉は適切じゃないですけど、除けられて生きてるでしょうし、でも本当に何かこう・・・僕にとっては「一人で孤独に輝いて生きてる人」だなって思って。子供もいるんですよ。奥さんと別れて、奥さんが他に男を作っちゃって、で、結婚した後に自分のセクシャリティーに気付いて・・・それでも風俗で働きながら子供を育ててるらしいんですよ。

--- 何となくですが、その部分は感じ取らせて頂きました。「現代の毛皮のマリー」として、これからご覧になる方に観て頂きたいですね。それでは最後に、「これだけは」ということがありましたらお願い出来ますか?

偏陸さんとの出会いっていうのは偶然かもしれないです。聞き及んでいた偏陸さんの噂で企画を通して、偏陸さんと初めて出会ったんですけど、みんなに愛されてるっていうことがわかって見習いたいし、遠くに離れてる親の介護的なところも僕は見習いたいなと思いましたし、偏陸さんのことをすごく好きになったので、観た方が僕と同じように偏陸さんを好きになって下されば、これほどうれしいことはありませんね。

--- 劇場にぜひ、足を運んで頂きたいですね。

そうですね、ぜひ。観て、感じて頂ければうれしいです。

--- 本日はありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。


2009年12月12日(土)より、第七芸術劇場(大阪)にて公開予定!初日、舞台挨拶あり。他、名古屋シネマテーク(名古屋)、シアターキノ(札幌) 順次全国ロードショー予定(時期未定)
へんりっく 寺山修司の弟
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