そのことを再確認するためにも『Some Girls Live In Texas '78』は打ってつけの歴史教材ともなる。また、ここで初めてストーンズにコンタクトをとる人にとっても、ヴァリエーション豊かな曲色とそのセレクト、そして何より一貫してテンションの高いパフォーマンスがぎゅぎゅっと詰め込まれているという点で恰好のガイダンスとなることは間違いないだろう。
奇しくも12月にリリースされることが決まった『女たち』のデラックス・エディション。そちらにも勿論注目だが、『Some Girls Live In Texas '78』が、その”前哨戦”とナメてもらっちゃあ困るというもの。むしろこのステージこそが当時のストーンズを如実に映し出していると言っても、それはまったくのデタラメでも大見栄でもない。ジョン&ヨーコ、アンディ・ウォーホール、ジャン=ミシェル・バスキア、トルーマン・カポーティ、ウィリアム・バロウズ、ルー・リード、パティ・スミス、フランク・シナトラ、マイルス・デイヴィス、ウディ・アレン・・・「1978年のニューヨーク」という華やかなれど魔力たっぷりの街に惹き寄せられた ”ハンサムボーイズ” の向かった先とは? 時代のメルティングポットがより妖しく激しく映し出す、1978年のローリング・ストーンズをたっぷりと堪能できるのはまさしく本品だけ!
【収録内容】 ディスク 1:DVD
1. Let It Rock 2. All Down The Line 3. Honky Tonk Women 4. Star Star 5. When The Whip Comes Down 6. Beast Of Burden 7. Miss You 8. Just My Imagination (Running Away With Me) 9. Shattered 10. Respectable 11. Far Away Eyes 12. Love In Vain 13. Tumbling Dice 14. Happy 15. Sweet Little Sixteen 16. Brown Sugar 17. Jumpin' Jack Flash
【収録内容】 ディスク 1:DVD
1. Let It Rock 2. All Down The Line 3. Honky Tonk Women 4. Star Star 5. When The Whip Comes Down 6. Beast Of Burden 7. Miss You 8. Just My Imagination (Running Away With Me) 9. Shattered 10. Respectable 11. Far Away Eyes 12. Love In Vain 13. Tumbling Dice 14. Happy 15. Sweet Little Sixteen 16. Brown Sugar 17. Jumpin' Jack Flash
11月14日発売のローリング・ストーンズ『Some Girls Live In Texas '78』の国内盤4バージョン(VQBD10064、VQBD10065、VQXD10015、VQXD10016)いずれかをHMVオンライン/モバイルでご購入されたお客様に、もれなく「ザ・ローリング・ストーンズ 1978年ツアー・ポスター」をプレゼントいたします。数に限りがございますのでお早めのご予約・ご購入をおすすめいたします。
一部イギリスのパンクスから「シーラカンス」呼ばわりされたことへの”対抗意識”あわや”報復”とするのが通説だろうが、30年以上の時間の経過を経てあらためて『女たち』及び『Some Girls Live In Texas '78』をじっくり吟味していると、とかくそうした解釈の大部分が、マスコミによる二項のディス合戦を面白おかしく誘発するがための過剰報道・扇動広告だったんじゃないかと思ってしまうほど、ことさら「抗ブリティッシュ・パンク」「抗ロットン」というような決定的なパラグラフはストーンズ・サイドのアクションからはほとんど見当たらない。キースなんぞ「パンクがどうかしたってのか? あとにしろや。こちとらムショ暮らしになるかどうかの瀬戸際だっつーの」と、新興勢力の台頭にもまったく関心なしというか、それどころではないご様子。この時期のキースの私生活の混迷ぶりを考えれば、それもそうだ。「勝手にしやがれだ? そらこっちのセリフじゃ、ボケナス!」と。
ツアーも終盤にさしかかった78年7月18日テキサス州フォートワース、ウィル・ロジャース・メモリアル・センターにおけるショウは、この年の”スタメン切り込み隊長”に大抜擢されたチャック・ベリーの「Let It Rock」で幕を開けた。71年のイギリス・ツアーでも披露されていたが、その当時の ”ロックンロール関白宣言”とは今回どうも勝手が違うなと誰もが妙な胸騒ぎを憶えながら、辛子明太子のようなミックのレザー・キャスケットにひとしきり目を奪われる。「パンクも結構だが、元祖・黒人音楽のパンクロッカーも忘れちゃいかんよ」といったストーンズ流の老婆心に身を正す者もちらほら。幾分ピッチの速い「All Down The Line」へのトリガーに十分になり得ているのは、「スピード&チャージ」がひとつのキーワードとなっていた当時のトレンドへのトライアルか? あてつけか? ...さすがに息が上がったか、「Honky Tonk Women」でバンドは一旦呼吸を整えつつ、ふたたびチャック・ベリー直系のロックンロール「Star Star」で飛ばすためアクセルを踏み込みはじめる。
と、ここまでは何を隠そうアペタイザー。ミックがおもむろにストラトを掻きむしって飛び出せば、78年のストーンズ・ショウが本格的にキックオフ。ニューアルバムからの新メニューが7曲連続で披露されていること自体約半世紀のストーンズ史において唯一だが、そこにこそ現在進行形の15年選手ならではの意地と誇りが屹立している。ニューヨークで生き抜くゲイの試練をミック流に友好的に皮肉ってみせた「When The Whip Comes Down」はこのツアーの最初のハイライトと言えるだろうか。編集盤『Sucking in the 70's』に収録されて以来この時期の公式ライブ音源(同曲のデトロイト公演音源)にありつくのに、まさか30年の月日を要するとは、音楽ビジネスって案外ややこしいのね...と憎まれ口のひとつも。それにしても、「53番街に行けば 顔につばをひっかけられる」など、ミックのニューヨーク・ゲイ・カルチャー人脈、例えばアンディ・ウォーホール、グレース・ジョーンズ、クラウス・ノミ、アンディ・ミリガン、トルーマン・カポーティといったような名を楽々想起させるパンチラインには生々しいものがある。ミックのあらゆるものに対する ”新しモノ好き” の血がニヒルに騒いだ、その音の結晶。
「When The Whip Comes Down」、「Respectable」、あるいは「Shattered」にしろ、そこにパンクとの賑やかな交差点が存在すると解釈するならば、それはブリティッシュ・パンク勢への対抗ではなく、お膝元の所謂「ニューヨーク・パンク」勢との間に何かしらの以心伝心めいたものがあったのではないかなと推測してしまう。双方やんちゃなイメージとは裏腹のインテリ臭を薫り立たせているという点にも微かな共通項はある。 ストーンズ、特にミックは77年前後からニューヨークの風俗・文化に魅せられてどっぷりと浸かっていき、「70年代ニューヨークの象徴」とも言われたマンハッタン区の伝説的なナイトクラブ「ステューディオ54」(ニューヨーク西54丁目)を当時の新恋人ジェリー・ホールと訪れているところを度々目撃されており、夜毎ジョルジオ・モロダー、ドナ・サマー、シックなどのミラーボール・サウンドに身体をくねらせ火照らせていたのは想像に難くないだろう。ただし「むむ、なるほどそうして『Miss You』のアイデアが生まれたわけか」とだけにとどまってしまうのはあまりにも勿体ない。むしろ伏魔殿ミック・ジャガーの本領はここから。アッパーサイドだけでなくロウワーサイドまでにも目を光らせる抜け目のなさがあってこそ ”元祖ガレージ・バンドの経営者” の面目躍如だ。パティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズ、トーキングヘッズ、ブロンディらが鎬を削り合っていた「CBGB's」、ジョニー・サンダース率いるハートブレイカーズが出演していた「Max's Kansas City」など、「54」からさほど離れていないリアル・ニューヨーク・パンクの巣窟をお忍びでハシゴしていた可能性だってゼロではない・・・仮にミックが足を運ばなかったとしてもロニーあたりがぐでんぐでんになって遊びに来ても・・・ともはやSFレベルの妄想だが、さもありなん、だ。
逆に、ニューヨーク・パンク・サイドからのストーンズへのラブコールやアプローチは昔からそれなりによく知られている。初期ストーンズやビートルズをご本尊とするブリティッシュ・ビート熱、T・レックス、デヴィッド・ボウイ、スレイドらグラム勢への憧憬などは、ヴェルヴェッツ、ストゥージズ、ニューヨーク・ドールズ、モダン・ラヴァーズといったパンク前夜のサブタレニアンたちから脈々と受け継がれていた。パティ・スミスにしろ、テレヴィジョン〜ハートブレイカーズを渡り歩いたリチャード・ヘルにしろ、彼らニューヨーク・パンクの猛者たちの多くがブリティッシュ・インヴェイジョンのファーストインパクトによってロック・ミュージシャンとなることを決意したと言っても大袈裟ではないだろうし、パティにいたっては10代のときに初めて「エド・サリヴァン・ショー」に出演したストーンズを観て、「ロックンロール・バンドの中ではじめてファックしたいバンド!」と人生観すら転覆させられるほどの衝撃を受けたぐらいなのだから。また、ミュージシャン・デビューする以前、ロック雑誌のライター仕事に携わっているときに、ストーンズの共同インタビューでインタビュアーを務めたこともあるというほどの因果関係にある。『女たち』と同じく78年の6月に3枚目のアルバム『Easter』をリリースしたパティはこの年ストーンズに最接近したニューヨーク・パンク勢と言えるだろうか。一般的に78年のアメリカ・ツアーにおけるフロント・アクトは、レギュラー起用されたピーター・トッシュが有名だが、そのほかイレギュラー的に登場した、エタ・ジェイムス、サンタナ、ドゥービー・ブラザーズ、サウスサイド・ジョニー、ヴァン・ヘイレン、フォリナーらに混じって、 ”ニューヨーク・パンクの女王” の名を見つけることができるのは、パティ側の熱烈なラブコールの賜物でもある。6月12日アトランタ・フォックスシアター公演の前座に抜擢(トッシュのトラ?)され、「Because the Night」などを演奏している。パティのストーンズ・フリークぶりは、75年の「Time is on My Side」、後年のカヴァー・アルバム『Twelve』に収められた「Gimme Shelter」、さらに1977〜2007年までのライブにおけるストーンズ・カヴァーを纏めた『Live Covers Of The Rolling Stones』(ハーフオフィシャル?)という編集盤などでも判りやすく示されている。
リチャード・ヘルは、テレヴィジョン脱退後にヴォイドスを率いてソロ活動を開始した78年に「Shattered」を早速ライブ・カヴァー(バッキング・ギター/コーラスにはエルヴィス・コステロがゲスト参加)。オリジナルとオンタイムでカヴァーしているというのは実に興味深い出来事だ。ちなみにヘルは当時のストーンズ・レコード社長アール・マックグラスと接触し「ミックとキースが君達を気に入っているから近いうちにショウを観に行くよ」とまで言われていたそうだが事の真偽は明らかになっていない。ほかニューヨーク・パンク勢のストーンズ・カヴァーでは、ラモーンズ「Street Fighting Man」、「Out of My Time」、ジョニー・サンダース「As Tears Go By」、「I'd Much Rather Be With The Boys」、「Play With Fire」といったところ、あるいは非公式盤ながらリチャード・ロイド(元テレヴィジョン)やロバート・ゴードンらの呼びかけでニューヨーク・パンク・オールスターズが78年「Max's Kansas City」に集結して行なわれた「ストーンズ・トリビュート・ライブ」の音源というブツも秘めやかな人気を博している。このライブでは、ハートブレイカーズからはサンダース、ジェリー・ノーラン、ビリー・ラス、パティ・スミス・グループからはレニー・ケイ、アイヴァン・クラールらが駆けつけストーンズへの思いの丈を四方八方にぶつけまくっている。サンダースによる掟破りの「Cocksucker Blues」カヴァーは必聴。 とは言え、当時のストーンズのコンサートの最前列で安全ピン付きのライダースに身を包んだユース達がモッシュしていたとは到底考えにくいが、少なくともニューヨーク・パンクの誕生・勃興・興隆の影にストーンズあり、とするのには何の違和感もない。
「When The Whip Comes Down」の件から話しがだいぶ逸れていってしまったが、この曲や「Shattered」を耳にするたびに、パティ・スミス、リチャード・ヘルといった「CBGB's」の住人たち、そしてグレース・ジョーンズ、クラウス・ノミといったゲイ・アイコンたちの顔が次々に浮かび上がり、70年代半ばのニューヨーク・アンダーグラウンドの官能的で刹那の表情がすべてそこに詰め込まれている気にさせられてしまうという声にもどこか納得せざるを得ない。この時代のニューヨーク回廊とストーンズのシナジーやケミストリーがそうさせるのか? 「When The Whip Comes Down」や「Shattered」のリフがかき鳴らされた途端マジカルな空気が充満しはじめる。人はそれを客観的に総称して「デカダンス」と呼び、ミックは60年代末とはまた種類の異なる「デカダンス」に魅せられてしまった人間のひとりだったのかもしれない。
アッパーウエストの象徴「ステューディオ54」でのアルコールとパフュームとオーラルセックスにまみれたメモリーをオフビートに刻む「Miss You」。ディスコ・ミュージュクが世界中を席巻していた年に素早く着手し、フットワークの軽さをも見せ付けた我流のブギバンプ。スタジオ・テイクではシュガー・ブルー(harmonica)、メル・コリンズ(ts)といった遊撃手が彩りを添えるが、この野性味溢れたライブ・ヴァージョンはどうだ。「サタデーナイト・フィーバー」、「ハロー・ミスターモンキー」、「ソウル・ドラキュラ」、「インスタント・リプレイ」といった産業ディスコでは決して味わえない裏路地感とそこに立ち込めるインモラルぷんぷんの妖気。この荒廃ぶりはもはや病める近代都市のディスコ・パンクのコンテクストにまでも肉迫。やはりブラック・ミュージックを独自のセンスで昇華させたら彼らの右に出る者はいない。「Beast of Burden」にはニューソウル以降のメロウなブラック・ミュージック・エッセンスが ”おいしいところどり” のようにこれでもかと詰まっている。フェイザーで滑らかに揺らすキースとのじゃれ合いから束の間距離を取り、ロニーのゼマイティスが24小節の天の川ソロにて煌めく。その間ミックは恍惚とも千鳥足ともつかない軟体ステップで退廃の街をふらつく。これにはベット・ミドラーも、若きブライアン・セッツァーもうっとりだ。
70年代ツアーでは73年以来久々に披露される「Love in Vain」でも、ロニーを擁したストーンズならではのフレッシュな解釈がたのしめる。俯瞰すれば、ジョンスペ、ベン・ハーパー、Gラブなどのオルタナティヴ・ブルースの源流に出くわしてしまったかのようなジャンク・ブルース仕立て。伝統主義者ミック・テイラーが眉をひそめそうなロニーのわんぱくスライド、ここに極まれリ。怪演にして快演だ。
当夜二発目のチャック・ベリー・ナンバー「Sweet Little Sixteen」を最後の助走に、「Brown Sugar」、「Jumpin' Jack Flash」で激しく振り切れるストーンズ。ここまできたらパンクもディスコも関係ない彼らの ”ゾーン” に一気に突入するだけ。ジョニー・ウィンターもモーターヘッドも寄せ付けない異様なハイテンションの「Jumpin' Jack Flash」は、公私共に百出くぐり抜けたロックンロール最後の現役チャンプが年度目かの防衛に成功した、その瞬間を圧倒されながら眺めているかのよう。格闘技のような「Jumpin' Jack Flash」だ。ディスコをセコンドに付けパンクとの舌戦を力でねじ伏せ終息させたのか、悪ガキどもをオルグしてふやけたミラーボールハウスにかちこみをかけたのか否か...どちらにせよこれは、目下向かうところ敵だらけだったストーンズの生き残りをかけた死闘の記録であることにも違いない。
ベルヴェット・アンダーグラウンド、ストゥージズ、MC5らの次世代、つまり70年代半ばアメリカン・パンク ”ファースト・ウェイヴ” の中心人物としてシーンに風穴を空けたパティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズ、ブロンディ、そしてニューヨーク・ドールズの元ギタリストという悪徳極まりないキャリアを持つ親玉ジョニー・サンダース。「ルーツを持たない。誰にも影響を受けていない」ということにある種のこだわりを持って歴史に噛みついたブリティッシュ・パンク勢と異なり、彼らニューヨーク・パンク勢はブルース、R&B、モータウン、ロックンロール、あるいはストーンズ、ビートルズ、ザ・フー、キンクスからT・レックス、デヴィッド・ボウイに至るブリッティシュ・インヴェイジョン〜グラムロックの流れなど様々な要素から影響を受けていることを公言している。パティの60年代ロック、ソウル/R&Bフリークぶりは有名で、初期のステージでは自前曲もそこそこにストーンズ、ザ・フー、ジミヘン、ゼム、JBの曲などを勢い任せに演奏していたほどだ。77年から2007年までの間にライブで披露してきたストーンズ・ナンバーをまとめた編集盤『Live Covers of The Rolling Stones』はハーフオフィシャルのような体裁で入手が難しいかもしれないがパティのストーンズ愛を知るには最もうってつけの1枚だ。「Jumpin' Jack Flash」のアコースティック・ヴァージョンをはじめ、「Parachute Woman」、「Salt of The Earth」といった通好みの選曲がうれしい。また、2007年には初の公式カヴァー・アルバム『Twelve』をリリース。こちらには「Gimme Shelter」が収録されている。
Patti Smith 「Live Covers of The Rolling Stones」
Patti Smith 「Twelve」
トム・ヴァーレインとの音楽性の違いで75年にテレヴィジョンを脱退することとなったリチャード・ヘル。元々詩人を目指していたが、ネオンボーイズで初めてベースを手にして以降、テレヴィジョン、ハートブレイカーズをわずかな期間で渡り歩き、はてはドラッグ過多に陥りながらも自己バンド=ヴォイドスを率いて『Blank Generation』という重要作を生み出し、また短く逆立てたツンツンヘアや破けたTシャツなどファッションにおいてもシーンの流行を先取り、ニューヨーク・パンクのアイコンとなっていった。音楽的には、ティーンの頃からストーンズに熱を上げる典型的なロックンロール・ボーイズ。カヴァー音源としては、過去にカセットテープで出回っていた音源に未発表テイクなどを加えた編集盤『Time』(2002年リリース)に収録された「Shattered」のライブ・ヴァージョンが有名だろうか。なんと78年のライブ音源ということで、『女たち』発表からほぼタイムラグなしでカヴァーしているのには驚かされる。ただし本人談によると本曲を演奏したのはこの一回のみということだ。こちらもカセットのみで発売(82年)されていたメジャーデビュー後のテレヴィジョン78年のライブ音源『Blow Up』には、13thフロア・エレベーターズ、ボブ・ディラン曲と並んで、「(I Can't Get No)Satisfaction」がオーラスに収録されている。「19th Nervous Breakdown」でのブライアンのリフに奮い立たされギターを弾きはじめたというヴァーレインだけに、初期ストーンズへの傾倒ぶりはヘルのそれに一歩も引けをとっていない。
Richard Hell 「Time」
Television 「Blow Up」
ニューヨーク・ドールズ時代から”キース・フォロワー”としての呼び声も高かったジョニー・サンダース。年代的にはリアルタイムにストーンズ、ビートルズ、またはそのルーツとなるR&Bやブルースなどに親しんでいたことは、ドールズ〜ハートブレイカーズでしばし取り上げられるカヴァー曲にも顕著。また「ビートルズやストーンズを聴いて育った俺の素晴らしかった体験を俺のできる方法で若いコたちに伝えてやりたいんだ」と生前常々口にしていたことは有名だろう。現在比較的入手しやすいストーンズ・カヴァー音源としては、85年〜89年のライブ音源からセレクトされた『Bootlegging The Bootleggers』に収録された「As Tears Go By」、79年に元MC5のウェイン・クレイマーと組んだ幻のユニットによる80年ボストンでのライブ盤『Gang War Live』収録の「I'd Much Rather Be With The Boys」などが挙げられる。ストーンズ初のレア音源集『Metamorphosis』に収められた「I'd Much Rather〜」をとり上げているあたりがサンダースのディープなストーンズ・フリークぶりを物語っている。ハートブレイカーズの貴重音源を2CD+1DVDに詰め込んだ『Down To Kill』には、ウォルター・ルーがラモーンズをバックにリード・ヴォーカルをとった「Street Fighting Man」のカヴァーを収録。
Johnny Thunders 「Bootlegging The Bootleggers」
Johnny Thunders / Wayne Kramer 「Gang War」
Johnny Thunders & Heartbreakers 「Down To Kill」
ジョーイもジョニーもディー・ディーも熱狂的なストーンズ・ファンだったラモーンズ。ライブでは「Around And Around」など初期ストーンズ作品でおなじみのロックンロール・レパートリーを頻繁に演奏していたそうだ。尤も音盤化されているものが少ないため、よほどのファンでないかぎり彼らのストーンズ信者ぶりは伝わりにくいのだが、84年の『Too Tough To Die』に収録された「Street Fighting Man」はオリジナルへの溺愛ぶりを丸出しにしながらも、この時期によりヘヴィでタフになったラモーンズ・サウンドで貫かれている。93年のカヴァー・アルバム『Acid Eaters』に収録された「Out of Time」は原曲に忠実なアレンジで何とも言えない滋味深さを漂白させている。
Ramones 「Too Tough To Die」
Ramones 「Acid Eaters」
”パンク界のマリリン・モンロー” デボラ・ハリーがフロントを張るブロンディにも意外なストーンズ・カヴァーがある。公式ライブ盤『Live Philadelphia 1978 / Dallas 1980』には、T・レックス「Bang A Gong」とイギー・ポップ「Funtime」のメドレーの合間にクレジットこそないが「(I Can't Get No)Satisfaction」のフレーズが豪快に飛び出すというファンにはうれしい仕掛けが。ただし本命はこちら。82年カナダ・トロントのカナディアン・ナショナル・エクスポで行なわれた解散コンサートの模様を収録したライブDVD。円熟味を帯びたパフォーマンスの中、驚くなかれ「Start Me Up」を堂々披露。本家の発表からわずか1年弱、「いいじゃん、だって好きなんだもん!」とデボラが上気したかどうかはさておき、いずれにせよこういうのはやったもの勝ちだと思わせるほど突き抜けたモノに。廃盤なのが残念...。デボラは93年のソロ・ツアーでも「Wild Horses」を変わらぬビューティフル・ヴォイスで唄い上げている。トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンなども94年のツアーで「Sympathy For The Devil」をカヴァーしていたが、ニューヨーク・パンク全盛期というよりは後年になってストーンズ楽曲を ”やんちゃしていた青春の1ページ” 的にとり上げるパターンも多いようだ。
Blondie 「Live」
Blondie 「Live In Toronto」(廃盤)
ほか、「Max's Kansas City」を拠点にしていたドラッグクィーン・シンガーのウェイン・カウンティ率いるエレクトリック・チェアーズの78年リリースのシングルに収められた7分半にも及ぶクレイジー(後半は絶叫しっ放し!)な「The Last Time」、またパンク第二のメッカ、オハイオ州クリーブランドから上京し「CBGB's」を拠点に活動。その過激なパフォーマンスから「ニューヨークのピストルズ」とも称されたデッド・ボーイズ。ハードな1stアルバムとは打って変わってブリティシュ・ビートからの影響をモロに感じさせるつくりの2ndアルバム『We Have Come For Your Children』に収録された「Tell Me」、わずか1年ほどの活動期間ながらクリーブランド・パンクシーンの最重要バンドとしてその名を馳せたロケット・フロム・ザ・トゥームズの「(I Can't Get No)Satisfaction」(ライブ音源)なども、ニューヨーク・パンク好き、ストーンズ・フリーク共に一聴の価値アリの逸品だ。
78年以来3年振りとなった81年の全米ツアーを収録した通算4枚目のライブ・アルバム。巨大スタジアムを2時間以上にわたって駆けずり回る姿は、78年ツアーとはまた異なる興奮を呼び起こす。よりタイトにスピード感溢れるものにブラッシュアップされた「Shattered」や、大会場に映える「Just My Imagination」が収録されている。掲載のものは12月にリリース予定の高音質SACD盤。こちらもお見逃しなく。
左掲全米ツアーの映像版で、名匠ハル・アシュビーがバック・ステージの様子なども絡めながら、20台のカメラと空中撮影を駆使して、目まぐるしく動き回るメンバーのステージ・パフォーマンスや大会場の熱気を収録したライブ・ムービー(製作は82年)。日本でも83年に「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」として劇場公開された。『Still Life』と同じく「Shattered」、「Just My Imagination」の2曲に加え、「Beast of Burden」、「Miss You」という『女たち』の肝曲がしっかり収められている。「Beast of Burden」は82年にシングル・カットされた「Going To A Go Go」のB面にも収録された。
2000〜03年の結成40周年「フォーティー・リックス・ツアー」から抜粋された23曲を2枚組にコンパイル。 ”通好み”サイドとなるディスク2には「Beast of Burden」、「When The Whip Come Down」を収録。「Beast of Burden」ではアル中リハビリから復帰した(その後また再入院...)ロニーが、ゼマイティスではなくストラトでソロを鳴らす。ややヘヴィだが中々どうして胸に染み入る名演となっている。
日本人には忘れがたき「スティール・ホイールズ/アーバン・ジャングル・ツアー」を収めたライブ盤。1990年2月の東京ドームが巨大なディスコハウスと化した「Miss You」を収録。当時のツアーでは「Shattered」、「Before They Make Me Run」も演奏されていたが、ほぼヒットパレードのような内容を狙った盤だけに未収録も致し方ないところか。「Miss You」は他にも『Voodoo Lounge』、『Bridges to Babylon Tour '97-98』、『The Biggest Bang』といったDVDにも収録されている。
Sucking In The Seventies
Virgin 73339
米アトランティックが編集し1981年にリリースされたベスト盤。目玉はやはりシングル・カットされた「Shattered」のB面に収められ、アルバムには未収録となる「Everything is Turning To Gold」だろう。印象的なリフを弾くロン・ウッドが共作者として名を連ね、メル・コリンズのサックスもフィーチャーされている ”特別感” も相俟ってコア・ファンには人気だ。また「When the Whip Comes Down」のライブ・ヴァージョン(78年7月6日デトロイト)の正規登場も発売当時ファンを大いに喜ばせた。
No Security
EMIミュージック VJCP25426
1997〜98年にかけて行なわれた「ブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアー」から厳選の15曲を収めたライブ盤。「Respectable」は98年7月5日のアムステルダム公演からのテイクということで、『Some Girls Live In Texas '78』から丸20年後の「Respectable」を聴くことができる。さすがに当時の疾走感にはかなわないが、ガチャガチャ感が基本的にそのままなのがうれしい。
1979年にリリースされたロン・ウッドの3rdソロ・アルバム『Gimme Some Neck』のリリース・ツアーにキースが参加することで誕生したニュー・バーバリアンズ。昔から地下流出音源が有名だったが、2006年にロニー主宰のWooden Recordsから79年 のメリーランド州ラーゴ公演を収録した『Buried Alive: Live in Maryland』が正式にリリースされた。リズム隊が急造だったため所々「?」という感じの曲もあるが、トロント裁判から解き放たれたキースが晴れ晴れと唄う「Before They Make Me Run」、さらには「Let's Go Steady」、「Apartment No.9」、「Worried Life Blues」といったカヴァーにファンの顔もついつい緩んでしまう。