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「ベルリン・フィル・ラウンジ」第29号:インタビュー:ラトル、シベリウスを語る(第1回)

2010年10月14日 (木)

ドイツ銀行 ベルリン・フィル
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 ベルリン・フィル関係ニュース

ネトピル&グルベルグ=イェンセン指揮の定期演奏会がアーカイヴにアップ。ソロはコジェナーとレーピン
 10月初頭の2つの演奏会が、アーカイヴにアップされています。指揮者は共にデビューで、まず注目はトマーシュ・ネトピルによるチェコ・プロでしょう。母国の音楽に力を入れるマグダレーナ・コジェナーが、マルティヌーの歌劇《ジュリエッタ》抜粋を歌っています。この作品は長い間忘れられていましたが、近年再発掘され、ヨーロッパの大劇場で取り上げられるようになりました。コジェナー自身も、すでにプラハで「交響的断章」を歌い、今回は2回目のチャレンジとなります。ちなみに歌唱言語は、フランス語です(作曲家自身によるオリジナル・ヴァージョン)。今号の批評コーナーでも扱っていますので、ぜひご参考ください。
 もう一方の演奏会では、アイヴィン・グルベルグ=イェンセンが初登場し、グバイドゥーリナとシベリウスの作品を指揮しています。前者の《オッフェルトリウム》は、ギドン・クレーメルが西側で初演し、作曲家の名前を広く知らしめたヴァイオリン協奏曲ですが、今回はヴァディム・レーピンがソロを担当。近年、現代作品にも意欲的に取り組む彼の新境地をご覧ください。

コジェナー独唱による歌劇《ジュリエッタ》の演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く
レーピン独奏による《オッフェルトリウム》の演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く


クリストフ・カプラーが死去
 ベルリン・フィルのチェリストを務めたクリストフ・カプラーが、9月21日に亡くなりました。カプラーは、1933年エーバースヴァルデ(ベルリン近郊)の生まれ。1958年にハンブルク交響楽団の首席チェロ奏者に迎えられましたが、1961年にベルリン・フィルに移籍。以来、40年に近くにわたりベルリン・フィルで活躍しました。
 カプラーは1998年に退団するまで、演奏活動のほか、自由ベルリン放送のラジオ番組で司会役を務めるなど、多彩な顔を見せていました。またフォトコラージュ・アーティストとしてウィーン・カラヤン・センターで展覧会も行なっています(写真©Michaela Gericke)。

 次回のデジタル・コンサートホール演奏会

欧州指揮界の雄ネルソンス、ついにベルリン・フィル・デビュー!
(日本時間10月17日早朝3時)

 10月のベルリン・フィルは、若手指揮者のデビュー月間となっています。前2回の定期演奏会に続き、月後半のコンサートも2人のデビュー指揮者が担当。まず現在ヨーロッパ指揮界の新星として注目されているアンドリス・ネルソンスが、ついにベルリン・フィルに登場します。ラトヴィア出身のネルソンスは、現在バーミンガム市響の首席指揮者として活躍していますが、すでにウィーン国立歌劇場やバイロイト音楽祭でも高い評価を得ています。
 プログラム前半では、ベルクのヴァイオリン協奏曲が演奏されます。この作品は、ベルクが1935年、アルマ・マーラーの娘マノンの死に衝撃を受けて作曲したもので、ベルクの代表作に数えられます。歴史上初めて12音技法で書かれたヴァイオリン協奏曲ですが、その音調はむしろ耽美的で、「ポピュラー」とさえ言える演奏頻度を誇っています。ソロを務めるラトヴィア生まれのバイバ・スクリデも、今回がベルリン・フィル・デビューとなります。
 一方ショスタコーヴィチの「交響曲第8番」は、1943年の第2次世界大戦中に作曲されました。作品では戦争の残虐さと民衆の悲しみが表現されていると言われます。行進する軍隊の勇壮な調子が、空虚な物々しさで描かれ、大戦の虚しさが暗喩として組み込まれています。
 なお放送2日前より、こちらからリハーサルの模様が無料でご覧いただけます。

【演奏曲目】
ベルク:ヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

ヴァイオリン:バイバ・スクリデ
指揮:アンドリス・ネルソンス


放送日時:10月17日(日)午前3時(日本時間・生中継)

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こちらもデビュー。ネゼ=セガンは《幻想交響曲》で勝負
(日本時間10月24日早朝3時)

 デビュー月間のラスト・バッターは、カナダ出身のヤニック・ネゼ=セガンです。すでにザルツブルク音楽祭やドレスデン・シュターツカペレに出演している彼は、2012年からのフィラデルフィア管音楽監督に決定しています。今回のプログラムは、彼がフランス系カナダ人であるためか、フランスの作品が中心となっています。
 《忘れられた捧げもの》は、メシアン初期の作品で、1931年にパリで初演されています。彼の管弦楽作品が演奏されたのはこの時が初めてと言われ、メシアンのキャリアの出発点と言えるでしょう。テーマは、カトリックの信仰を強く反映させたもので、キリストの「聖体」を扱っています。
 一方、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第2番」では、アメリカのヴィルトゥオーゾ、イェフィム・ブロンフマンが登場します。プロコフィエフのコンチェルトでは、第3番が有名ですが、第2番は作曲家22歳の若書き。天才として名を馳せた青年プロコフィエフの才気がほとばしる華麗な作品です。
 締めくくりには、ベルリオーズの《幻想協奏曲》が演奏されます。この作品はサー・サイモン・ラトルが得意とする曲であり、ベルリン・フィルでもしばしば取り上げられていますが、それに挑むネゼ=セガンの読みにも注目したいものです。
 なお放送2日前より、こちらからリハーサルの模様が無料でご覧いただけます。

【演奏曲目】
メシアン:《忘れられた捧げもの》
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番
ベルリオーズ:幻想交響曲

ピアノ:イェフィム・ブロンフマン
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン


放送日時:10月24日(日)午前3時(日本時間・生中継)

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 アーティスト・インタビュー

サー・サイモン・ラトル(第1回)
「シベリウスは、歴史的にもベスト5、6に入るシンフォニストだと思います」
聞き手:ハッリ・クーシサーリ(フィンランド『ロンド』誌編集長)
(シベリウス交響曲全曲演奏会についてのインタビュー/2010年2月〜4月)


 今号から2号にわたって、ラトルのシベリウスについてのインタビューをお届けします。これは、昨シーズンのシベリウス交響曲全曲ツィクルスに併せて収録されたもので、このテーマだけの特別インタビュー。前半は、シベリウスに対する偏見やその演奏の難しさについてに語っており、最初から「ドイツではシベリウスは人気がない」とストレートな語り口を見せています。そこで「イギリス人には親しみやすいが、ドイツ人音楽家には異質な世界で、入り込みにくい」と語っているところが印象的です。また「シベリウスはベルリン・フィルに合っている。特別な響きを生み出せる」という言葉にも、耳をそばだたせられます。
 今回のツィクルスでラトル&ベルリン・フィルが聴かせるサウンドは、ブラームス交響曲全集や《くるみ割り人形》、《子供と魔法》のCDで評判を取った、コージャスで繊細なきらびやかさを持った響きです。ひょっとするとこの音調が、ラトル&ベルリン・フィルの新しいトレード・マークとなるのかもしれません。

ハッリ・クーシサーリ 「今回、シベリウスの交響曲全曲を演奏されますが、あなた自身、またオーケストラにとっては、どのような体験でしょうか」

サー・サイモン・ラトル 「私自身にとっては、自分の故郷に帰ってくるようなものです。というのはイギリス人にとってはシベリウスは偉大な作曲家で、フィンランドは地理的にも北国。似たキャラクターを感じます。しかしベルリン・フィルにとっては、とても新しい試みでした。これは、ドイツのオーケストラ一般について言えることです。というのは戦後にアドルノがシベリウスをダメと言ってから、ドイツでは全然人気がないのです。これはとても残念なことです。土曜日にハイナー・ゲッベルスが私のところに来て言いました。“私はとてもドイツ人的なので、シベリウスを聴くのを避けてきました。ですから全然知らなかったのですが、次が楽しみで仕方がありませんよ。皆が素晴らしい音楽だといっています”。ですから、ポジティヴな風評が広まることを期待したいと思います。今回演奏する曲のなかには、ベルリン・フィルがこれまで1回も演奏したことのない曲が含まれています。第3交響曲です。その他のいくつかの作品も、ほとんど演奏されてきませんでした。シベリウスの語法というのは、まず意識的に学ばなければなりませんが、私はベルリン・フィルには、とても合ったものだと思います。もちろん学ぶのには時間がかかります。多くの人は、“これは今まで皆がひどい音楽だと言ってきたのだから、そうに違いない”と思いがちだからです。逆にフィンランドでは、ブルックナーやマーラーが理解されなかったそうですね。私がフィンランドに行った時には、“お願いだからブルックナーとマーラーはやらないでくれ。聴衆の好みではないので”と言われました。とはいうものの、音楽はインターナショナルな言語ですから、そういう問題も時とともに解決します」

クーシサーリ 「ベルリン・フィルでやる場合、何が特別でしょう」

ラトル 「ベルリン・フィルは特別なサウンドを作り出してくれます。私の経験では、シベリウスの交響曲は、優れたオーケストラにとっても思いのほか難しい作品です。3日前に練習を始めた時、楽譜を見て思うのは、譜面ずらは難しそうに見えないが、音楽として理解するのが難しい、ということです。しかしあの素晴らしい暖かなカンタービレが響くと、私は“いいやそんなことはない。思ったより簡単に音楽になる”と思ったのでした。団員はその響きを体で理解してくれたのです。こうした響きの性格、そして長い弧を描いてその緊張を維持してゆくこと、さらにはベルリン・フィルのエネルギーの匙加減が難しいですね。というのはベルリン・フィルはガーッと演奏しがちなので、すぐに高潮しきって、実際のクライマックスがどこだかわからなくなってしまうからです」

クーシサーリ 「演奏する際には、どんなところが難しいですか」

ラトル 「指揮者にとって大変なところは、音響のバランスの問題、つまり“作品が望んでいるように”響かせることです。私自身は、シベリウスを一所懸命“理解しなければならない”ということはありませんでした。私の育った文化的環境は、シベリウス的な音楽のあり方に近かったのです。しかし一方で、指揮するということについては、パーヴォ・ベルグンドの教えが大きかったと思います。彼がバーミンガムにやって来ると、私たちは一緒に楽譜庫に行きました。そして彼は、私のダイナミック、ボーイング、フレージング、バランス、指使いなど、全てのアイディアを、丁寧に検証してくれたのです。これによって多くのことを学ぶことができました。シベリウスはもともとこうしたダイナミックやバランスの問題について、実際の演奏での問題を考えずに楽譜を書いています。それは後年に行けば行くほどそうなってゆくのです。実はストラヴィンスキーも、音響のバランスについては、あまり考えていない作曲家です。しかし彼と比べても、シベリウスは本当に無頓着で、指揮者はオーケストラの手助けをしなければならないのです。それはパート譜への音量記号の書き込みから始まって、リハーサルでバランスを言及することまで、すべての場面について言えます」

クーシサーリ 「シベリウスの音楽がどのくらいフィンランド的だと思いますか。それとも国際的な語法を持っているでしょうか」

ラトル 「難しい問題です。文化的固有性、テンペラメントのことですね。もちろん自然や風景の問題でもあります。シベリウスが住んでいたところを見れば、自然と音楽が湧き出てくる。それと特に思うのは、これは“言葉数の少ない人々”の音楽ですね。特に後期の作品は、言いたいことが言い終わると、“これで終わり!”という風にすっと終わってしまう。土地特有の要素は非常に多くあると思います。しかし全ての優れた作品がそうであるように、そうした固有性は昇華されています。私は、シベリウスが歴史的にもベスト5、6に入るシンフォニストだと思いますし、ベルリン・フィルにもぜひ好きになってほしいのです」

ラトルのシベリウス・ツィクルスをデジタル・コンサートホールで観る

 ベルリン・フィル演奏会批評(現地新聞抜粋)

ネトピルのデビューはマルティヌーが絶賛。しかしドヴォルザークは平均点の評価(2010年10月2日)

【演奏曲目】
マルティヌー:歌劇《ジュリエッタ》からの交響的断章
ドヴォルザーク:交響曲第7番

ジュリエッタ:マグダレーナ・コジェナー(メゾソプラノ)、ミヘル:スティーヴ・ダヴィスリム(テノール)、ミシェル・ラグランジュ(ソプラノ)、フレドリック・ゴンカルヴ(バスバリトン)、ルネ・シルラー(バス)、バーバラ・キント(ソプラノ)、イザベル・フォスキューラー(ソプラノ)、クリスティーナ・ザイフェルト(ソプラノ)、ベッティーナ・ピーク(アルト)

指揮:トマーシュ・ネトピル


 今号では、最新の演奏会の批評をお伝えします。10月初旬のトマーシュ・ネトピル指揮の演奏会は、彼のベルリン・フィル・デビューでもありましたが、批評は総じてマルティヌーは絶賛、ドヴォルザークは平均点、という評価になっています。マルティヌーの《ジュリエッタ》は、実に美しく個性的な作品で、ベルリンの批評家たちが感激しているのも当然ですが、ネトピルとベルリン・フィルの演奏は、引き締まったバランスのよいもの。一方ドヴォルザークは“十把ひとからげな解釈”と一蹴にされています。当晩のハイライトは明らかにマルティヌーであり、指揮者としてもこちらに力が入ったのは、仕方がなかったのかもしれません。

「サー・チャールズ・マッケラスが7月に84歳でなくなった後、ベルリン・フィルはこの珍しいプログラムをトマーシュ・ネトピルに任せることにした。彼はプラハの国民劇場の首席指揮者だが、マルティヌーの演奏には手馴れたものを感じさせる。音楽は和声的色彩感に満ち、舞踏のような多彩なリズムの変化を持つ一方、大胆なコラージュ的様式を見せる。その独特な混交は、聴き手に“オペラ全体を聴いてみたい”と思わせるだろう。これはもちろん全身全霊を込めて歌ったソリストたちのおかげでもある。とりわけ夢と現実の間を揺らめき、ドビュッシーのメリザンドを思わせる神秘的なジュリエッタ役=マグダレーナ・コジェナーの功績は大きい。休憩後、ドヴォルザークの「第7番」が演奏されたが、ネトピルは流れよく指揮したものの、ロマン的感情の横溢や内声部の強調による緊張感の形成といった熟練性は聴かれなかった。少々当たり前で、経験知によるドヴォルザークに過ぎない。もしマッケラスが指揮していたら、もっと個性的な演奏が期待できただろう(2010年10月2日付け『ターゲスシュピーゲル』誌/イェルク・ケーニヒスドルフ)」

「マルティヌーはこのハイライト版で3つの場面を抜き出しているが、聴衆はそれだけで作品の音楽的および詩的質の高さを実感することができた。集中力に溢れた指揮と、高いモチベーションを備え、時には抑えた調子で弾くことも心得たベルリン・フィルのおかげで、演奏はスタイリッシュの極み。その調子はエネルギーに満ち、演奏はまるでひと息で弾かれたかのように、あっという間に終わってしまった。一方そうしたエネルギーはドヴォルザークでも聴かれたが、こちらはニュアンス豊富というわけにはいかず、盛り上がった雰囲気だけで終わっていた。もちろん管楽器はソロを大胆に、遊び心たっぷりに吹き、リスクを恐れない姿勢には頭が下がる。また叙情的な第2楽章でのフレージングとダイナミックの立体的な造形には、感嘆させられた。しかしネトピルはここで、オケを威厳をもって支配しているというよりは、身振り手振りで“お世話している”という感じだった。そのなかでベルリン・フィルは、自分の演奏能力に酔っているところがあった(2010年10月2日『ベルリナー・ツァイトゥング』/マティアス・ネーター)」

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 ドイツ発最新音楽ニュース

バイエルン国立歌劇場の次期音楽総監督がキリル・ペトレンコに決定
 ケント・ナガノの退任宣言により空席になっていた2013年以降のバイエルン国立歌劇場の音楽総監督に、キリル・ペトレンコが就任することが決定した。ペトレンコは同年9月1日に着任し、まず5年の任期に就く。彼はナガノの非延長が明らかになった段階ですでに候補に上っていたが、オペラハウスのポストに就くことにためらいがあると言われていた。ペトレンコはマイニンゲンの劇場で修行を積んだ後、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽総監督に就任。しかしその後は特定の首席指揮者職に就くことなく、フリーランスとして活躍していた。


ムーティ:急病でシカゴ響の演奏会をキャンセル。ローマ歌劇場音楽監督就任もなし
 シカゴ交響楽団の首席指揮者に就任したばかりのリッカルド・ムーティが、急病でオープニング・シリーズの公演をキャンセルしている。ムーティはコンサート中に激しい胃痛を覚え、10月2日のガラ・コンサートの指揮を断念。まだシカゴの環境に慣れないことから、ミラノで診断を受けることを希望し、イタリアに帰国したという。今後は国内で休養し、復帰は11月のルイージ・ケルビーニ・ユース管とのオーストリア・ツアー。
 また彼は、1年前に発表されたローマ歌劇場の音楽監督にも就任しないことになった。理由はベルルスコーニ政権による文化予算カットと、それによる劇場の経営不安定であるという。同劇場の談話によると、スカラ座のオーケストラと対立した過去のあるムーティは、8つの組合を持つオペラ座のシステムに懸念を持っていたらしい。とはいうものの、彼はシーズン開幕の《モーゼとファラオ》と、イタリア統一150周年記念公演の《ナブッコ》を指揮することになっている。


オーギャンがワシントン・ナショナル・オペラの新音楽監督に。総監督ドミンゴは辞任
 フィリップ・オーギャンがワシントン・ナショナル・オペラの次期音楽監督に就任することになった。オーガンは昨年秋に前任者ハインツ・フリッケの代役として同劇場に初登場したが、その際にスタッフに好印象を与えたという。年間の義務公演は2プロダクションのみだが、オーギャンはワシントンに住居を移す予定。
 一方同劇場の総監督プラシド・ドミンゴは、今シーズンの終了と共にそのポストを離れるという。ドミンゴはこの職に14年間あったことになる。


ユニヴァーサル・ミュージックとハリソン・パロットの統合計画が破談
 メジャー・レコード会社のユニヴァーサル・ミュージック(ドイツ・グラモフォン&デッカ)と世界的音楽事務所ハリソン・パロットの統合計画が破談となった。CD不況のなか、大手レコード会社は自社アーティストのマネージメント業務も行い、そのギャラから収益を得るようになっているが、ユニヴァーサルはハリソン・パロットとの協定により、より大きな影響力を獲得するべく動いていたという。破談の具体的な理由は明らかにされていないが、今後ユニヴァーサルがマネージメント部門をどのように運営してゆくかが注目される。


W・マイヤーがハイティンクとの「芸術的意見の不一致」で《トリスタン》をキャンセル
 この10月、チューリヒ歌劇場の《トリスタンとイゾルデ》でイゾルデ役を歌う予定になっていたヴァルトラウト・マイヤーが、ベルナルド・ハイティンクとの芸術的意見の相違で、公演をキャンセルした。代役にはバーバラ・シュナイダー=ホーフシュテッターが飛び込んだが、指揮者がピットに登場すると客席からプロテストのブーがあったという。

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