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Osamu Horiuchi

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    ほんず内閣総理大臣  |  北海道  |  不明  |  01/April/2013

    著者の堀内さん、次のようにおっしゃいます。「ワーグナーは時代を呼吸し、絶えず変化する。新しい問題が見出され、表現されている。ここには正しいワーグナー像はなく、正しい作品案内もない」(はじめに、12〜13ページ)。堀内さんがこのように言うのは、音楽の面ではなくて、主に演出に関してであるといってよいでしょう。この本の「T ワーグナーの舞台」はまさしく近年多い「読み替え」演出について多く触れているからであります。堀内さんはそれらの新演出を必然かつ必要なこととして肯定しておられるようです。但し、私はなかなか同意しかねるところであります。といいますのは、まずは、作曲者がその曲(オペラ)を作ろうとした動機、霊感を再現することなしに曲の適切な理解はないと思うからなのであります。たとえば『ローエングリン』。コンビチュニーは小学校を舞台にし、いじめやらなんやら、そんな要素を盛り込んだそうです(未見)。ワーグナーがあの美しい音楽を書いたのは、小学生のいさかいを表現したかったからなのでしょうか?小学生の喧嘩に感動して、あのオペラを書こうと思ったのでしょうか?絶対に違いますよね。作曲者がなぜその曲を書こうとしたのか、何を表現しようとしたのか、そこから外れた演出を施すのは「適切ではない」と思うのです。「正しい」「正しくない」ではなくて、「適切か否か」で語るべき次元だと思います。もし絵画で言うならば「読み替え演出」は配色を変えたもの、とでも考えてみましょうか。「モナリザ」を下敷きにして彼女の顔を青に塗るとか、あるいは歌舞伎の隈どりを施すとか、そういうことはできましょう。そしてそのことであの女性の心理を掘り下げたとか何とか、説明も付けられましょう。でもそのことであの絵が輝きを増したり、まして作者の霊感に近づけるものでしょうか。「読み替え演出」は賞味期限も短く、しょせん児戯に等しいものと思います。近年のバイロイトのヒドさは悲しいばかりです。以上はあくまで私見。いろんなご意見や楽しみ方はあってよろしいかと思います。ただ、この本は最近のそういう動向に対してあまりに好意的であり、いささかいきすぎじゃないでしょうか。選べるものがたくさんあることが即幸福なのではないと思いますが。個人的にはやや期待外れの一書。ワーグナーの「魅力」をもっと素直に語ってくれたらよかったのに、と考えます。

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