本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、「徒弟たちの踊りと親方たちの入場」、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして楽劇「ニーベルングの指環」から「神々の黄昏」第3幕のジークフリートの葬送行進曲がおさめられている。諸説はあると思うが、私としてはクレンペラーならではの名演と評価したいと考える。押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。特に、本盤におさめられたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていたと言える。本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言える。これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。