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差別語からはいる言語学入門 ちくま学芸文庫

田中克彦

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784480094629
ISBN 10 : 4480094628
Format
Books
Publisher
Release Date
June/2012
Japan

Content Description

片輪、めくら、特殊部落…。公には使ってはいけないとされるこれらの言葉。しかしなぜこれらは「差別語」であり、使用する側にもされる側にも、そう感じさせるのだろう?例えば「屠殺」の場合、生きているウシと食材としてのギュウという二つの言葉を用意せずにはいられなかった私たちの感覚に、問題を解くカギがあるのではないか。自ら公の場で使用し、糾弾された経験を持つ著者が、一つ一つの言葉が持つ文化的背景などから、差別語の差別語たるゆえんを解読。避けて通ったり排除したりするだけでは何の解決にもならない、日本語の、日本社会の根本問題に取り組む。

目次 : 差別語の発見/ 言語ニヒリズムの邪道/ ことばは人間が作ったものだから人間が変えられる/ 蔑視語と差別語/ サベツ語糾弾が言語体系にもたらす結果について/ 「オンナ」で考える―サベツ語と語彙の体系性/ 「片目」で考える―欠損を表わすための専用形/ ハゲとメクラ―欠如詞(privativa)の概念を検討する/ 略語のサベツ効果について―「北鮮」から「ヤラハタ」まで/ 「トサツ」についての予備的考察〔ほか〕

【著者紹介】
田中克彦 : 1934年兵庫県生まれ。東京外国語大学モンゴル語科、一橋大学大学院社会学研究科、ボン大学哲学部にて、モンゴル語、言語学、民族学、文献学を学ぶ。現在、一橋大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • 姉勤

    昨今賑々しい「ヘイト」。差別撤廃を謳う集団が、同様な問題を無視したり、他者よりの優越を要求したり、相手を侮蔑して恥じない行動が目につき、そのような彼らを揶揄したものかと思いきや、学術の徒にふさわしいフェアで深い考察であり、そして権威側言論人からは発信されることがない本となっていて非常に面白い。まっとうな状態をか欠いた表現としての接頭語 ”カタ”についての研究は興味深く、個別の単語を忌避したとしても混乱の袋小路となる。個人的に、わざわざカタカナで表現する手法をとる言論には軽蔑の対象。「フクシマ」とか。

  • 松本直哉

    たとえば片手落ちがなぜ差別語なのか、片手が「落ちている」とは普通言わないのではないか、片手/落ちではなく片/手落ちなのではないか…という具合に、声高に糾弾するのではなく、丁寧に真剣にことばと向き合い熟考するとき、差別云々よりもっと深い問題に気づかされる。著者の持論である漢字=エリートの反民主主義から見れば、差別語を難しい漢語(盲聾唖など)で言い換えること自体が別の意味の差別を生む。漢字や外来語に依存しないわかりやすい民衆のための日本語を目指そうとする。屠殺とほふることについての章に考えさせられる。

  • kenitirokikuti

    図書館にて。あらゆる近代国家は、すべての国民に公用語の読み書きを強く求める。そのことばはサンスクリットや古典ラテン語、科挙の漢文のごときエリート言語ではなく、俗語でなければならない。だから、高い文化資産を保有する者が粗野で非俗な下層民を見下すことはデモクラシーの精神から遠いのである。差別語糾弾運動とは、言葉の良し悪しを決める権利を非エリートが下剋上したものといえる。もっとも、運動の結果をみる限り、似非エリート的だし反民衆的だし、国民運動たる広がりも欠いており、誤った言葉を消し去ろうという方言撲滅運動と類似

  • matsu

    ふだん意識せず使っている言葉も見方を変えるとこんなにも面白い。言語運動は常に権威や国体と結びついているが、差別語糾弾運動が周辺から生じているという指摘は興味深かった。実際は、著者も認めるように、権威主義的な語にとって代わっているのだが。片手の方は「揃った(complete)もの」が欠けるというニュアンスがある。だが揃いとcompleteはイコールではない。言語は世界観の表現であると同時に創出なのだ。ひねくれものの作者の主張を読みとるのは骨だが、読み物としては面白かった。

  • ヤギ郎

    ”差別語”と名指しされただけで、形式的に公で使ってはいけないものとなった言葉に焦点を当てた、エッセイのような論考集。差別語の背景にある文化的な事象にも触れながら、なぜ差別語として扱われるようになったのか思考を巡らしている。また、”差別語糾弾運動”にみられる言語エリートと非言語エリートの対立を描く。筆者はあえて、挑戦的で挑発的な立場から日本語話者(である我々)に問いを投げかけている。盲目的に言語を扱ってきたことに対する批判ともいえるだろう。注目したい言葉をカタカナで表記しているが、これは読みにくい。

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