オリジナル曲を作るようになったストーンズは “サティスファクション(Satisfaction)”や “夜をぶっとばせ(Let's Spend The Night Together)”等のヒットでアメリカ市場を制覇。その後、時代の流れでコンセプト・アルバムを作ったりしながら、アルバム単位での頂点を最初に迎えたのがベガーズ・バンケット(Beggars Banquet)( アフターマス辺りが最初の黄金期と言えようが、その時期は周辺リリースのシングルも込み、で言わないといけない気がする)。その頃、バンド内部でミック、キース側と初期ストーンズの牽引者ブライアン・ジョーンズは徐々に関係を悪化させ、結果1969年6月ブライアン脱退に至る(代わりに2代目ギタリスト、ミック・テイラーが加入)。7月にブライアン死亡。また同年12月、「オルタモントの悲劇」と呼ばれる米カリフォルニア州でのフリー・コンサートで死者が出る、という風に時代は節目を迎え、ストーンズも混沌とした様相を呈していた。ブライアン・ジョーンズ脱退後、初のアルバムレット・イット・ブリード(Let It Bleed)はこの年のリリース。これも前作に続く傑作で、アーシーな情緒をたたえた曲や、パーカッシヴなグルーヴィ・チューン等が収録されていた。
70年代初期のストーンズは1971年発表の スティッキー・フィンガーズ(Sticky Fingers)(“ブラウン・シュガー(Brown Sugar)”、“ワイルド・ホース(Wild Horses)”等収録。アンディ・ウォーホールによるGパンのジャケは当初ジッパーの所に本物が付いていた)、そして メイン・ストリートのならず者(Exile On Main Street)(“ダイスを転がせ(Tambling Dice)”、“ロックス・オフ(Rocks Off)”、“ハッピー(Happy)”等収録。LP時代は2枚組)という二枚の名作をモノにした。もの凄く簡単に言ってしまうと、前者はストーンズの王道を感じるロック・アルバム、後者は米南部音楽の粘っこいテイストが印象的な作品だ。