アンソニー脱退後に初めて制作されたアルバムであるNursery Cryme(『怪奇骨董音楽箱』)はアンソニーがバンドに残していった影響を深く受けている(特にThe Musical BoxとThe Fountain of Salmacisの二曲)。
ジェネシスを去った後、アンソニーはクラシック音楽(特にクラシック・ギター)を学び、なかんずくハリー・ウィリアムソン、マイク・ラザフォード、フィル・コリンズらとレコーディングを行った。彼の最初のソロアルバムであるThe Geese And The Ghostは1977年に発表された。その作品には牧歌的なバラードと幅広い作曲性が詰め込まれてはいたが、時のパンク音楽ブームの隆盛によりさほど注目されるには至らず、セールスの成功にはつながらなかった。
アンソニーは1978年にWise After The Eventという二枚目のアルバムをリリースした。翌年に発表されたその次のアルバムであるSidesでも同じような作風がとられた。この両方のアルバムはメインストリームの音楽ファンを意識してはいたが、やはり成功には至らなかった。
"Sides"はPrivate Parts and Piecesと題されたより実験的なアルバムへと結実す…