ハイドン(1732-1809)
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ハイドン(1732-1809) プロフィール

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ヨーゼフ・ハイドンは1732年に生まれ、1809年に亡くなっています。その77年の生涯は、29歳から58歳までを過ごした30年に及ぶエステルハージ時代を中心に、それ以前とそれ以降の3つの時期に分けて考えることができます。
 「エステルハージ以前」の28年間は、幼少期の声楽やさまざまな楽器演奏の修行、青年期に入ってからの作曲の勉強により、弦楽四重奏曲を多数作曲したほか、十数名という小編成オーケストラのための交響曲を作曲して指揮するという実地経験により高いスキルを身につけた時期。
 続く「エステルハージ時代」の30年間は、楽才にも恵まれたニコラウス・エステルハージ候のもと、二十数名規模のオーケストラも常設され、安定した境遇下で膨大な作品を作曲・演奏しています。シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)様式と言われるスタイルが導入され、数多くの交響曲やピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲、協奏曲、そしてオペラやオラトリオが書かれたほか、ニコラウス候が熱中していたヴィオラ・ダ・ガンバに似た楽器「バリトン」を主役にした「バリトン三重奏曲」も大量に作曲されています。それに伴い海外での名声も高まって、1780年代なかばからは作曲依頼が舞い込むようになり、『十字架上のキリストの最後の七つの言葉(管弦楽版)』や、『パリ交響曲集』、『ドニィ交響曲集』などの傑作が生み出されます。
 「エステルハージ以降」の19年間は、二度のロンドン長期滞在により、国際的な知名度を獲得した時期で、市民がお金を払って訪れるコンサート・ホールという環境で、大型のオーケストラを駆使して演奏される楽曲を創造した円熟の頂点ともいうべき時代でした。


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簡易年表

エステルハージ以前 [1732-1760]
【1732】
オーストリアのローラウ村に誕生。
【1738】
6歳。ハインブルクの親戚、ヨハン・マティアス・フランクのもとで、学校に通い、通常の学科のほか、声楽、ヴァイオリン、管楽器、ティンパニなどを学びます。
【1739】
7歳。ウィーンのシュテファン寺院の合唱長ゲオルク・ロイターに歌の才能を見出されます。
【1740】
8歳。ウィーンのシュテファン寺院聖歌隊に入り、解雇されるまでの9年間、中心的存在として活躍しますが、美声ゆえにカストラート手術を施されそうになったり、また、食事などの環境も劣悪だったりと、子供ながらに社会の汚さ・厳しさに晒されることとなります。
【1749】
17歳。声変わりで美声を失ったハイドンは、他の聖歌隊員の髪をハサミで切るなどの奇行により聖歌隊を解雇されてしまいます。着のみ着のままでウィーン市中をさまよっていたハイドンは、ミヒャエル教会の聖歌隊員であるヨハン・ミヒャエル・シュパングラーと出会い、その家に身を寄せることとなります。同家を拠点に、教会や劇場の合唱のエキストラ、酒場の楽隊のエキストラ、野外のセレナード楽団などに参加して生活費を捻出。
【1750】
18歳。シュパングラー家に2人目の子供が生まれて手狭になったため、ミヒャエラーハウスという共同住宅の屋根裏部屋に転居。古いチェンバロと理論書を入手し、作曲を勉強。
【1751】
19歳。個人相手のクラヴィーア教師の仕事を開始。ジングシュピール『せむしの悪魔』、『ミサ・ブレヴィス』作曲。
【1752】
20歳。クラヴィーアを教えていた女性マリアンネのつてで、かつてロンドンでヘンデルと競い合っていたイタリアの作曲家、ニコラ・アントニオ・ポルポラの知己を得て、雑用もこなすという条件でやがて内弟子となり、師に同行して社交界に出入りするうちに貴族社会との接点も増え、顔が売れるようになってきました。
【1755】
23歳。フュールンベルク男爵家の音楽家として雇用され、邸での音楽会のために、弦楽四重奏曲を多数作曲。
【1759】
27歳。フュールンベルク男爵の推薦により、モルツィン伯爵家の楽長として契約。在任2年間に交響曲を10数曲作曲。
【1760】
28歳。マリア・アンナ・ケラーと結婚。



エステルハージ時代 [1761-1790]
【1761】
29歳。モルツィン伯爵家経済的困窮により楽長職解雇。ほどなくモルツィン伯爵の推薦により、エステルハージ侯爵の副楽長として契約。アイゼンシュタットへ赴任。交響曲『朝』『昼』『晩』作曲。
【1765】
33歳。交響曲第31番『ホルン信号』作曲。
【1766】
34歳。楽長ヴェルナーの死により楽長に昇格。楽団を22名ほどに強化し、「シュトゥルム・ウント・ドラング様式」とされる交響曲作曲時期が到来(1773年頃まで)。
【1767】
35歳。『スターバト・マーテル』作曲。
【1768】
36歳。アイゼンシュタット最初の大火。エステルハーザのオペラ劇場が完成し、オペラ『薬剤師』によってこけら落とし。交響曲第49番『受難』作曲。
【1772】
40歳。交響曲第45番『告別』、弦楽四重奏曲集『太陽四重奏曲』作曲。『聖ニコライ・ミサ』作曲。
【1773】
41歳 マリア・テレジア、エステルハーザを訪問。劇場を絶賛しウィーンで評判に。交響曲第48番『マリア・テレジア』作曲。
【1774】
42歳。『エステルハージ・ソナタ』出版。
【1775】
43歳。オラトリオ『トビアの帰還』初演。
【1776】
44歳。アイゼンシュタット2度目の大火。
【1777】
45歳。オペラ『月の世界』初演。
【1779】
47歳。エステルハーザのオペラ劇場焼失。オペラ『無人島』初演。
【1781】
49歳。弦楽四重奏曲集『ロシア四重奏曲』作曲。
【1782】
50歳。『マリアツェル・ミサ』作曲。オペラ『騎士オルランド』初演。
【1783】
51歳。チェロ協奏曲第2番作曲。
【1784】
52歳。チェンバロ協奏曲ニ長調作曲。オペラ『アルミーダ』初演。
【1785】
53歳。カディスのサント・ロザリオ教区教会から依頼され『十字架上のキリストの最後の七つの言葉』オーケストラ・ヴァージョンを作曲。モーツァルトより『ハイドン四重奏曲』献呈。
【1786】
54歳。パリのコンセール・ド・ラ・ロージェ・オランピックより交響曲6曲の作曲を依頼され、交響曲第82番から第87番の『パリ交響曲集』を完成。ナポリ王フェルディナンド4世の依頼でリラ・オルガニザータ協奏曲を作曲。
【1787】
55歳。弦楽四重奏曲集『プロシャ王四重奏曲』作曲。交響曲第88〜89番『トスト交響曲』作曲。
【1788】
56歳。弦楽四重奏曲集『トスト四重奏曲』作曲。交響曲第90〜92番『ドニィ交響曲』作曲。
【1789】
57歳。『ナクソスのアリアンナ』作曲。
【1790】
58歳。エステルハージ候死去。後継のアントン二世により楽団は解散。ハイドンは名誉楽長となりウィーンに転居。興行主ヨハン・ペーター・ザロモンとロンドンでの一連の演奏会を契約。12月15日にロンドンに向けて出発し、途中ボンでマクシミリアン・フランツ選帝侯と会席、ベートーヴェンと知り合います。弦楽四重奏曲集『第3トスト四重奏曲』作曲。

エステルハージ以降 [1791-1809]
【1791】
59歳。ロンドン到着。ザロモン・コンサート大成功。オックスフォード大学より名誉音楽博士号を授与。交響曲第93〜96番作曲。オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』初演。
【1792】
60歳。プレイエルを指揮者に迎えてのプロフェッショナル・コンサート。ザロモン・コンサート。ロンドンを後にし、ボンでベートーヴェンに会った後、ウィーンに戻ります。交響曲第97番、第98番、協奏交響曲作曲。
【1793】
61歳。弦楽四重奏曲集『アポニー四重奏曲』作曲。
【1794】
62歳。第二回ロンドン旅行。交響曲第100番、第101番作曲。
【1795】
63歳。ヘンデルの『メサイア』を鑑賞し、ウィーンに戻ります。交響曲第102〜104番作曲。
【1796】
64歳。ニコラウス二世よりエステルハージ家の楽団再建の依頼。『メサイア』に影響を受け、オラトリオ『天地創造』に着手。トランペット協奏曲、『戦時のミサ』作曲。
【1797】
65歳。弦楽四重奏集『エルデーディ四重奏曲』作曲。
【1798】
66歳。『天地創造』非公開初演。『ネルソン・ミサ』作曲。ジギスムント・ノイコム弟子入り。
【1799】
67歳。オラトリオ『四季』作曲に着手。『テレジア・ミサ』作曲。弦楽四重奏曲集『ロプコヴィッツ四重奏曲』作曲。
【1800】
68歳。妻マリア・アンナ死去。
【1801】
69歳。『天地創造ミサ』作曲。オラトリオ『四季』非公開初演。
【1802】
70歳。『ハルモニー・ミサ』作曲。
【1803】
71歳。弦楽四重奏曲第83番作曲(未完)。
【1804】
72歳。エステルハージ家の楽長を辞任。
【1805】
73歳。
【1806】
74歳。弟ミヒャエル死去。
【1808】
76歳。エステルハージで右腕だったトマッシーニ死去。ウィーン大学で『天地創造』の演奏会に出席。
【1809】
77歳。5月31日、ナポレオンのウィーン侵攻の中、死去。

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