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karayanus さんのレビュー一覧 

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     2024/01/19

    評価の高い演奏ですが、果たしてそうだろうか。モーツァルトはもっと繊細でデリカシーに溢れた音楽のはずである。ワルターの同曲を聞くと良く分かる。カラヤンも数回録音しているが、暗い響きでしなやかで繊細な響きを作り、決して大音響で、どなっていない。ベームの演奏は正にオラトリオであり、レクイエムには聞こえない。合唱は全力で大音響で歌いまくり、宇野式に言えば、デリカシーの欠片もなく、能天気な演奏である。それもまた素晴らしいが、皆様冷静に考えて頂きたいのは、ワルターの後継者と言われたベームは、ワルターとは似ても似つかぬ演奏をしていたという事。しなやかなワルターに対し、硬直しているのである。モツレクには、一種の厳しさも与え、演奏は立派に聞こえるが、決して死者の為のミサ曲(レクイエム)ではない。大甘で星三つです。

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     2023/12/27

    そろそろこの演奏の神格化は考えた方が良い。第一楽章のテンポは断じてベートーベンが想定したものではないし、第三楽章も遅すぎ。丸でムード音楽に聞こえる。音をぼかし、核心がないのである。音質は時代を考えれば十分であり、些細な向上が毎回製作者の金づるで巻き上げるだけで要注意。第九を元にしたフルトヴェングラーによる自由なファンタジーであり、興行としてのお祭り、祭典として歴史の証言である。こういう表現もありだし、これはこれで素晴らしい名演と言える。第九をここまで想像力により、原曲を改編し、聴き栄えのある形に仕上げたフルトヴェングラーの力量は大したものである。しかしベートーベンの設定はもっとテンポが速いのである。一方作曲者の意図だけが唯一ではないとの考え方もある。多くの名曲は編曲を経て歴史に残っているのも事実である。結局フルトヴェングラーがベートーベンを上回る天才と信じる方には、このバイロイトが唯一最高の演奏となろう。実際音楽上の2大天才をベートーベンとフルヴェンと主張する方はいらっしゃるが、多くの方にはそうではない。ベートーベンの残された楽譜を忠実に再現するという制約を課している中で、フルトヴェングラーの時代の指揮者では不可能だった早いテンポによるベートーベンの感動的な再現が その後記録された。その指揮者は フルトヴェングラーがいずれは自分を抜いていく才能と看破し、抜かれる前に潰してやろうと嫉妬心を燃やし、徹底的に活動を妨害したヘルベルト・フォン・カラヤンである。カラヤンの記録では1968年のDVDにより 最高の結実を見ることができる。CDでは1976年が完璧な演奏である。カラヤンはフルトヴェングラーを抜き去ったかどうかは、今後歴史が決めるであろう。

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     2023/11/25

    この魂の抜け殻の演奏を評価する人が、もしいるとすればベームの全盛期の演奏を知らない方であろう。フルヴェンの54年EMIの運命の様な演奏。ただ重厚な音を楽譜通りスタジオで出しているだけ。ベームはブラ2に1970年の動画の名演がある。これが唯一の名演である。この演奏より全体で5分早い。4番は来日時フルヴェンの演奏を絶賛し、だから4番を演奏してこなかったと告白している。結局ベームはブラームス指揮者ではなく、苦手である。ベームファンだけに特化した商品である。1番はこれよりも同年75年のNHKホールでの演奏の方が良い演奏であるが、基本は大差ない。嗜好だから好き好きだが。コンマスが指揮していたのは既知の事実である。ベームファンは音楽の素人ばかりであるのは、事実である。カラヤンファンは、プロ集団である。不快感を感じるだろうが、これが事実であるので仕方がありません。

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     2023/11/25

    LPで所持している。DGは1960年代レパートリー拡大を優先し、モーツァルトやシューベルトはベームが録音し、カラヤンは有名曲を除き録音できなかった。だからモーツァルト6大交響曲はEMIに1970年に録音した。一方ベームは一部を除きベートーベンやブラームスは1970年代まで録音できなかった。シューベルトはクラシックへの入り口なので特段の愛着がある。この演奏はワルターの8/9番以来、シューベルトの定番であり、演奏はゆったりしたテンポで代表盤との評価であった。固いリズムは好悪が分かれるが、左程抵抗もなく、後のカラヤンによるシューベルト全集よりも評価は高いようである。但し殆どの作品が30歳以下のシューベルトを考えると、ベームの演奏は中年以降と思えるほど老成しており、カラヤンの疾走する若々しい演奏が恐らくシューベルトの本質とは思うが、この演奏も立派であり、安心して聞ける演奏である点は評価できる。グレートは75年来日時の演奏より余程きびきびして名演である。但し当時音楽評論家による過大評価は今となっては目に余り、痛々しいほどである。ここまで過大評価されたベームは可哀そうである。ナチスの質問もベームは生涯何故か受けなかったらしい。カラヤンは散々質問されたのに。実際はフルベンのBPO常任と並びウィーン国立歌劇場の監督というある意味フルヴェンを上回る重職にベームはいたのである。多分ベームを書いても本は売れないので、誰も書かなかった。そういう指揮者である。

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     2023/10/22

    火の鳥は意表を突く曲だが、誰もベームの演奏を期待しておらず、モーツアルトの40番などやって欲しかった。楽譜通りの速いテンポの40番はカラヤンで十分で、楽譜無視の遅いテンポはワルター^以来ベームが担っていた。皆ベームの40番を期待していた。関係者は誰も言わなかったのだろうか。残念で仕方がない。ジュピターの演奏はあったが、ベームのジュピターは73年の動画が最高で、それを超える演奏ではなかった。ブラ1は大音響で鳴らした演奏で、素人受けするが今一つと言わざるを得ない。フルヴェンもこの曲は今一つであり、第九の後を狙った正面からの曲なので手練手管の演奏はむしろ効果が薄れます。ベームの演奏からは、特段何の主張も感じられない。コンマスの指揮の元、指揮台で踊っていた演奏である。残念ながらこれが真実であろう。そうした証言が多数あるのである。

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     2023/07/25

    カラヤン最晩年。もはやオケをコントロールする力が弱まり、音に雑多な要素が加わり、77年DGの様な余分な脂肪を排除し音楽の核心だけを聞かせる演奏ではない。88年来日時とほぼ同じ演奏であり、晩年にテンポが弛緩するベームやフルベンと違うと思っていたカラヤンが、まさかの最晩年にテンポの弛緩を感じさせるとは驚きをもって聞いた。何故か宇野が推薦にしていて、こうした乱れても演奏効果が高い演奏を評価するのは、フルベンも演奏が乱れて演奏効果が上がるのと同系統であろうか。或いは宇野の老いであろうか。宇野は晩年関東のオケで指揮ごっこをしていて、karayanusが付き合う音楽家から酷評されていたが、客が入るのだから演奏会をする採算性はあろう。勿論演奏はバランスは最悪で、テンポも恣意的で聞けたものではないが、それでも洗脳者は会場に足を運んだようである。耳を覆いたくなる演奏もあるが、嗜好の世界なのでそれも可である。素人が指揮者の真似をして、プロのオケが演奏してくれたのだから、宇野は素人として最高の幸せ者と羨望の対象と言わざるを得ない。私も指揮ごっこをしてみたいと真剣に思う次第である。

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     2023/07/23

    4番は54-11-17のMVでのWSOのライブ。オルフェオで既発売。フルベンの死の13日前である。5番は53-2-27のトリノRAIでライブではない。3月1日放送用のセッション録音であり、正規録音と言って問題ないと思う。この数か月前52-6-6にフルベンが同じトリノRAIを指揮した同曲のライブがフルベン唯一のチャイコ5番として存在する。宇野本によると第四楽章の一部をカットしており、フルベン最悪の演奏と酷評している。これこそが音楽評論家の素人さを露呈している。客演時にスコアのカット等を指揮者が指示することはまずありえないのは音楽家なら常識。客演は契約によるお付き合いであり、このCDのカラヤンの第五も同じ部分でカットがある。つまりトリノRAIの保有楽譜であり、客演指揮者はそのまま演奏するのである。すべてフルベンが仕切っていると思い込んでいる素人宇野によるとんでもない事実誤認である。これ程の低レベルの評論が昔は堂々とまかり通っていたのである。SNSもない時代で、おかしいと思っても執筆者へ指摘する手段もなかった。フルベンの第五は彼の演奏としてはそこそこ上出来というべきであり、宇野が言うように決して最悪ではない。カラヤンの悲愴は55年のEMIセッション録音であり、こちらはステレオが発見されているので、それを聞かれたい。第三楽章が踏みしめるように遅い演奏で印象に残る。

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     2023/07/22

    カラヤンよりも41歳も年長のトスカニーニのステレオの確認されている全記録である。トスカニーニはNBC時代の後期、特に速いテンポをもてはやされ、評論家からその程度の指揮者と扱われていた時代がある。特にフルベンファンは冷酷であった。実際はイタリアの作曲家は勿論ドイツ、ロシア、チェコ、アメリカ、フランス物でも大変な名演を残した20世紀最大の指揮者の一人である。引退間際の悲愴とセビリアは特に優れた演奏で、肩の力が抜けながら彼らしい緊張感を維持した非常に含みのある名演である。悲愴の第三楽章のフィナーレ数秒が当時ステレオのデモの為、テープを切られ、それをモノの別録音で補っている。だから商品にならなかった為、長らくお蔵入りであった。ワーグナーも十分な音質でステレオ感が楽しめる。全盛期より力みが抜けて自然な流れの演奏である。ヴェルレクはまさかのステレオ。左右に置いたマイクによるステレオ効果だが、意外とステレオ感があり楽しめる。演奏は正に同曲の極め付きであり、従来モノしかなかったが代表版であり。これがステレオとなると今後他のステレオ録音へ順位で食い込んでいく可能性は十分ある。大変な名演である。結局はトスカニーニとその後継者とも言われたカラヤンが20世紀を年初から1989年まで支えた。そこへドイツ音楽専門家のフルベンが加わり、指揮者全盛期を謳歌した時代であった。1989年はベルリンの壁の崩壊、中国での天安門虐殺事件、更にソ連崩壊の萌芽ができ、昭和から平成に変わり、更にカラヤンが死んだという大変な年であった。そのカラヤンが最も尊敬したトスカニーニのステレオ記録は人類の宝であると思う。強烈にお勧めします。私は戦前含めトスカニーニの全録音をライブを含めほぼすべて収集している筋金入りのファンだが、これは特に素晴らしいです。

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     2023/07/18

    これはカラヤンの指揮者としての本物の実力を記録した貴重な遺産である。フルベンが死ぬ年にN響を指揮する為に単身来日した演奏記録は知っていても実際の演奏は聞けなかった。悲愴とベトPFC4番が残されていた。他にも記録はありそうだが、棄損等で商品にならないのかも。ベト4も付録の扱いである。PFは伝説の園田氏。昭和29年のN響の演奏が今の感覚でも十分聞ける。カラヤンの録音の多くはBPOとWPOで、オケの実力に依存した名演と言われがちだが、フィルハーモニアを鍛錬し、トスカニーニに高く評価されたのは誰もが知る事実。フルベンもトリスタンを録音し高く評価する程オケは高いレベルに達したののもカラヤンによる鍛錬の賜物であるのは論を待たない。カラヤンがBPO中心に移行した1960年以降はクレンペラー等の数々の名指揮者に高く評価された。N響が真の実力をカラヤンに引き出され、具現化した伝説の演奏会からわずかに残された2曲をぜひ聞かれることをお勧めします。

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     2023/07/18

    まさかのフーガの技法の録音である。全体で45分程の抜粋ではあるが、モノながら聞きやすくバッハの落ち着いた世界は十分味わえる。1960年代のバッハの一連の録音と通じるものがあるのには驚嘆する。響きが厚く深く、静逸で落ち着いているのである。決して派手ではないカラヤンのバッハの真髄が既に聞けるのは驚異である。同時期のブル8の第四楽章のステレオ録音を聞く限りカラヤンは曲による表現法の区別を既に身に着けている。カラヤンの評論家の批評には、若さが溢れる軽快な演奏とか、録音時期を先に知ってから決まり文句の批評が多い。1944年のブル8の第四楽章のステレオを事前情報なしに聞くと、カラヤンの60代の演奏と言われても納得する老成ぶりである。ここがカラヤンが他の指揮者と一段レベルが違う点であり、曲により若さを前面に出したり、老成や円熟さを感じさせる演奏を、40歳前後から行っていたのである。ちなみにブル8第四楽章の1944年の演奏時間は26分45秒。1975年のDG録音は24分07秒と遥かに速くなっているが、円熟を考えると普通なら逆であろう。このフーガの技法も、演奏は落ち着いて静逸さを感じる名演と思う。勿論バッハの作曲が優れているのだが、36歳のカラヤンがフルベン全盛期に行った録音としても、カラヤンの心境はいかばかりであったろうか。正攻法で正面からバッハに接した演奏として、ぜひ一聴されることをお勧めします。

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     2023/07/11

    73年にカラヤンBPOが来日し、毎日違うプロでバッハからシェーンベルクまでレパートリーの広さを広く認識させる歴史的演奏会が実施された2年後に12年ぶりのベームの来日公演である。カラヤンの来日は当然知っていたであろうベームのプレッシャーは恐らく大変大きかったはずである。何故12年も日本にベームを誰も呼ばなかったのかわかるような気がする。結果遅きに失した。あと5年早ければ大変な名演揃いになった可能性が高い。75年のグレートは音像が膨らんで肥大し、雑多な音が混じっており、更にテンポの弛緩は明らかで、WPOのメンバーがそれを語っていると雑誌に記載されていた。それを補う為に全曲大音響のオンパレードとなった演奏会であった。マイスタ前奏曲とグレートが全く同じ大音響で鳴っていた。 問題は能天気な大音響がひたすら続く演奏である点。グレートは73年の動画があるが、75年よりも引き締まって速く、はるかに名演である。75年は81歳。遅すぎた。こうした能天気な大音響は素人受するが、シューベルトが50歳代に聞こえる。更に当時の批評は感情的なものばかりで、まともな批評はなかったと記憶している。ベームファンも良くない点は批判すべきで、感情的賛辞の羅列は、フルベンファンと同列に宗教的洗脳に外部からは見える点を認識すべきです。無節操な賛辞は痛く見えます。ベームファンの方ごめんなさい。

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     2023/07/09

    そもそもフルベンの第九は作曲者の意図を無視した編曲であることをどれ程の方が認識しているのであろうか。こうした誇大妄想的な演奏が戦前戦後の一時期に流行ったということ。フルベンの本質は”演奏効果”。これに尽きる。大音響は会場の天井が抜けるかと聞いた方が書いている。弱音はいくら小さくしてもフルベンは納得せず、引く真似をしたらOKが出たと宇野が書いている。そしてこれ程のダイナミズムはレコードには記録できないから、想像で補って聞くべきだと。正に宗教的洗脳者の末期症状で救いようがないと当時思った。強弱と同時に緩急もフルベンの効果で第九の終末とベト7の3楽章中間部の止まりそうなテンポ。後期ロマン派である。緩急を強烈に付けた演奏である。但し私もフルベンファンであるが、おかしな狂信者と一緒にされては困る。フルベンのCD等はほぼ収集しているが、彼が最高の指揮者であるはずがない。ドイツ音楽以外振れないし、イタリアオペラに関しての理解はゼロ。オテロはドイツ音楽と変わらぬ容赦ない大音響で、カンタービレを効かせたカラヤンと比べようがないほど稚拙である。宇野によりフルベンの評価は私には大分落ちた。そもそも音楽評論家は音楽の素人である。一部畑中先生等音楽家がアルバイトで評論されるが、大半は執筆はプロだが、音楽は素人である。
    さてこうした私家版はピッチは大丈夫か。BPOはスカラ座(445Hz)やWPO(446Hz)を上回る最高音の447hzである。本来は440Hzであり、だからNYPはやや低く聞こえる。NBCは442.フルベンよりトスカニーニが5Hzも音が低いって恐らく殆ど知られていない。平林さんは同世代だが、大丈夫だろうか。
    昔レコ芸で誰かマニアがフルベンは435hzと書いていて否定意見はなかった。こんな出鱈目を書いても分からないが、だからレコ芸は終了となったのであろう。

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     2023/07/09

    73年にカラヤンBPOが来日し、毎日違うプロでバッハからシェーンベルクまでレパートリーの広さを認識させる歴史的演奏会が実施された2年後に12年ぶりのベームの来日公演である。カラヤンの来日は当然知っていたであろうベームのプレッシャーは恐らく大変大きかったはずである。何故12年も日本にベームを誰も呼ばなかったのか不思議だが、結論を申せば遅きに失したと言わざるを得ない。最低あと5年早ければ大変な名演揃いになった可能性が高い。音像が膨らんで肥大し、雑多な音が混じっており、更にテンポの弛緩は明らかで、WPOのメンバーがそれを語っていると雑誌に記載されていた。それを補う為に大音響で鳴らすしか方法がなく、全曲大音響のオンパレードとなった演奏会であった。マイスタ前奏曲とグレートが全く同じ大音響で鳴っていた。
    問題はデリカシーの欠片もなく、能天気な大音響がひたすら続く演奏である。火の鳥を入れたのはカラヤンを意識したかも。誰もベームの火の鳥など期待していないのに。そもそもベームはベートーベンやブラームスは得意でなく、DG録音も当時強大な経済力を誇る日本の要望による事は各誌で書かれていた。60年代まではせかせかしたテンポで含みがなく、68-73年前後で見事にバランスが取れていた。ブル3などはそうした時期の奇跡的大名演。同曲ベストの名演で愛聴盤である。ベームの全盛期である。グレートは73年の動画があるが、はるかに速い。やはり80歳になり大きく衰えたのは仕方がない。75年は81歳。遅すぎた。こうした能天気な大音響は素人受けし、同時期のDG録音の魂の抜け殻の様な演奏よりは余程良いが、この辺がベームの限界。当時の批評は感情的なものばかりで、まともな批評はなかったと記憶している。ベームファンは良くない点は批判すべきで、感情的賛辞の羅列は、フルベンファンと同列に宗教的洗脳に外部からは見える点を認識すべきであろう。ベームファンの多くは日本人で、ドイツでは忘れ去られた指揮者。このブラ1のどこがどう問題があるのか冷静に考えてほしい。どうせベームファンには伝わらない。星は二つでは厳しいので大甘で星三つにしました。嗜好の世界だからそれで良いのだろうが、無節操な賛辞は痛く見えるので可哀そうです。ベームファンの方ごめんなさい。

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     2021/05/16

    カラヤンの79年のティルだけ欲しいです。
    カラヤンのティルは77年ライブや60年代の白黒の動画も所持します。期待が大きいです。昨今あまりない安っぽい抱きあわせ販売でなく、ティルだけの分売をお願いします。ブレーズは感心したことがありませんので不要です。
    ブレーズファンの方ごめんなさい。

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     2020/08/05

    カラヤンのブル8は残念ながらアンダンテと同じ57年のザルツ音楽祭でした。4月のライブの初出かと期待しましたが。依然として4月17日は未発売です。
    いつどこから発売されるのでしょうか。

    67年8月のザルツのブル9は初出です。WPOとのブル9は76年のがDGでステレオがあり、それと同系統の演奏です。モノラルですが、カラヤン久々の完全初出のブル9は貴重です。カラヤン59歳と全盛期の名演です。
    第一楽章は入場の拍手あり、演奏時間は23分35秒ほど。
    第二は10分10秒ほど、第三は23分25秒。でも音程は未確認です。

    75-6-2シャンゼリゼでのブラ4+2は一部ですが、立派なステレオで大満足です。
    従来録音すら明記されておらず、病気で3か月のブランクとなる75年12月以前の全盛期の大名演です。今後全曲の発売が予告されています。

    ベームの名演も特記すべきで、73-5-25のライブは当日の全曲で29番、ドンファン、ブラ2です。75-6-25の41番終楽章ともども大変な名演で、テンポを動かし溜を作るなどライブでの仕掛けがたっぷりです。ベームは75年までが全盛期で76年から加齢による衰えが急に出ましたので、このライブは貴重です。

    あとはロシア系の演奏、その他話題になるものは私見ではないと思います。
    台湾製との記載があり、不思議なCDです。

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