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mimi さんのレビュー一覧 

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     2021/03/07

    Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第21集。BWV80, 79の二つの宗教改革記念日カンタータが、BWV24を取り囲む構成。実はいずれもKarl Richterの演奏が存在する曲ばかりです(BWV79は50年代、Archiv以前)。Rudolf Lutzの今回の3曲中で、最も優れているのは私見では最後のBWV79「主なる神は日なり、盾なり」ではないでしょうか。超有名曲BWV80「われらが神は堅き砦」と同じく宗教改革記念日のためのカンタータで、同時に収録されることもしばしばですが、知名度はむろんBWV80とは比べ物になりません。BWV80がかなり構造的に厳格なコラール・カンタータであるのに比して、編成は大きめながら遥かに自由な構成をとっており、祝祭の気に満ちた力強い音楽で溢れていて、それをRudolf Lutzらが決して細部をおろそかにせず、全体の見通しをしっかり持ってまとめていく様は見事であり、好演です。真ん中のBWV24「混じり気なき心」はライプツィヒ初期のやや目立たない作品ですが、優しい冒頭アリアから、実に美しい曲が連ねる隠れた名曲で、これは未だにRichterのArchiv盤の名演を超えるものはないでしょう。Rudolf Lutzの演奏も早めのテンポでまとめた清新なものですが、この素朴でしみじみとした佳品の味わいを十全にくみ取っているとは言えず、やや機械的になってしまっているのが難点です。BWV80は言うまでも無く、Bachのカンタータ中で最も録音の多い作品の一つで、当然名演奏と言われるものも多く、その意味でRudolf Lutzの演奏はどうしても比較される分、不利かも知れません。ただそれを斟酌しても今回の演奏は特に優れているとは言い難い。曲全体が高名なコラールで始まる冒頭合唱曲を始めかなり厳格な多声構造を有しており、こういった複雑で長大なコラール・フーガの演奏に当たって、Lutzの演奏は全体に平板であり、構造再現の甘さが出てしまっているのが致命的です。Rudolf Lutzのこれまでの演奏でも、ロ短調ミサやクリスマス・オラトリオ、BWV140の冒頭など、多声的に複雑なな楽曲になるほど、こういった甘さからくる平板さ→単調さに結びつきがちなのは、Rudolf Lutzの音楽家としての若さかも知れません。決して悪い演奏ではなく、技術的には高レベルで破綻は少ないのですが、このBWV80に関しては今回は凡庸と言わざるを得ないでしょう。全体としてはBWV79の好演に助けられていますが、他の選択肢よりお薦めというわけにはいかないように思います。

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     2021/03/07

    Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第20集。3曲ともライプツィヒ1724年初演、やや小規模ながらいずれもK.Richterのカンタータ選集に含まれていたため、われわれ古くからのBachファンには馴染がある作品群と言えるでしょうか(うちBWV96,67の2曲はS.Kuijkenの選集にも収録)。Rudolf Lutzらの演奏は例によって、演奏の技術的にきわめてレベルの高いもので、演奏に一切逡巡する瞬間のみられない、きっぱりとした清々しいもの。ピリオド楽器使用の場合にも時にありがちな、根拠の曖昧な装飾やテンポ変化などは一切持ち込まず、音楽のあるがままの姿を響かせることに集中しており、非常に好感が持てます。3曲中では真ん中に配置されたBWV67「死人の中から甦りしイエス・キリストを覚えよ」が、小規模ながらBWV106,BWV61などに比肩する傑作で、これはK.Richterの名演をどうしても忘れ難い。Rudolf Lutzの今回の演奏は、Richterと異なり、殊更テキストの内容を意識しすぎることなく端正な仕上がりで、RichterやKuijkenを越えるとは言えないが、誠実で質の高い演奏です。他の2曲もピリオド楽器によるカンタータ演奏としては、目立たないが最高水準であり、十分お勧めできる好演盤と思いました。

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     2021/03/06

    J.S.Bach/クリスマス・オラトリオの演奏史上、一、二を争う名演です。これまでにも記したことがありますが、クリスマス・オラトリオという作品はJ.S.Bachの声楽大曲中、ある意味最も決定盤というものが生まれ難い作品と思います。たとえどんな演奏者のどんなタイプの演奏であっても(たとえ技術的に多少難があろうと)、その音楽に親しみが生まれないことはほぼあり得ない反面、滅多な事ではとびぬけた強烈な印象を残す演奏には出会えません。自分がこれまでに印象に残っているのはやはり(今から思えばロマン的で恣意的であり、技術的にも完璧ではない)K.Richterの信仰告白をあくまで前面に出した強烈な演奏と、その対極にあるといえるS.KuijkenのOVPPによるどこまでも静謐で清澄な盤で、(たぶん30種類以上は持っている)他の演奏は多少のレベルの上下はあれ、どれも決定的な印象を残すものではありませんでした。これだけ決定的演奏が生まれ難い原因は幾層にも考えられ、Bachの声楽作品上最も親しみやすく書かれているにもかかわらず、実はそこに用いられてる技法がルネサンス〜バロック音楽の歴史上にのった、ともするとロ短調ミサにも匹敵する高度な多声音楽・和声音楽の混合体であり、それを十全な形で再現するにはあまりに課題が大きいこと、よく知られてるように世俗化カンタータのパロディの集合体ではあるが、裏返して言えばJ.S.Bach自身が自分の作品から最高レベルの音楽のみを厳選してそれを最高レベルの改良を施して作り上げたため(全く同じ事がロ短調ミサについても言えるわけですが)この6曲の隅々までつまらない音楽が一切なくこれを完璧に再現することは逆に至難であること、やはりJ.S.Bachの音楽作品上でも最も純粋でナイーブな美しさに満ち溢れてるために演奏者の心情・想いがすぐ演奏にあらわれてしまい、その信仰心も含めてテキストへの共感が低い演奏はすぐにそれが露呈してしまうこと、など、名演を生むにはこれ以上に難しい曲はある意味(ロ短調ミサを除いて)ないかもしれません。Jordi Savallは10年近く前に、やはりライブで素晴らしいロ短調ミサの演奏を届けてくれただけに期待しておりましたが、正直その期待を遥かに上回る素晴らしい演奏でした。とにかく独唱、合唱、器楽独奏、器楽合奏すべてにおいてレベルがとてつもなく高く(これが2日間のライブであるのが信じられない)、疑いなくこれまでのクリスマス・オラトリオの過去すべての録音中最高(S.Kuijkenの名盤でもここまでではなかった)。全6作の冒頭曲の素晴らしさは圧倒的ですが、第6曲の複雑な合唱フーガがここまで整然としかも熱気を持って演奏されたのは聴いた事がありません。そしてやはり強烈に感じるのは、Jordi Savallの存在。実際、現在の音楽界でJordi Savall以上に歴史的音楽に対して深い学識と経験を有している音楽家は存在しないとさえ言えると思いますが、この合唱フーガ含めてこのクリスマス・オラトリオの細部から全体にいたるまで、Savallがどれだけの広く多様な音楽的を前提とした上で、この再現に臨んでいるかが聴けば聴くほど明らかになってくる。それほど深く広範な背景を感じさせる演奏であり、正直クリスマス・オラトリオでこれだけの実感を得たのは初めてで驚きでした。こう書いてくるとこの演奏が極めて学究的な性格のように感じられるかも知れませんが、聴いた印象は全く反対で、どこをとっても自然で熱気に溢れており、ここまで自然な演奏は逆にクリスマス・オラトリオでは聴いた事がありません。J.S.Bachの音楽はひとつひとつの西部の垂直的・水平的バランス、リズム、音色を含めた各要素がピタリと決まらなければ、完璧に素晴らしい再現が至難の芸術ですが、この演奏がこれだけ細部にいたるまで自然であるという事は、Jordi Savallがクリスマス・オラトリオという作品において(Gustav Leonhardtがロ短調ミサ、フーガの技法で初めて実現したような)構造的に完璧な再現を実現できたことを意味するのではないでしょうか。さらに付け加えると、この演奏は2日間のライブ(間違いなくやり直しが効かない一発どり!)ですが、これだけ熱気に溢れかつ心の篭った音楽は希有です。最初から最後まで、ぴんとした強い流れがあり、演奏者全員がその流れのもとに心を一つにして演奏しているのがひしひしと感じられます。ここに集った演奏者が全員キリスト教信者かどうか知らないですが、それでも降誕節においてイエスの誕生を無限の喜びをもって祝う心情が全曲の隅々にまで感じられ、それがこのライブ演奏の素晴らしさを一段も二段も高めています。決して見せかけででない心からの喜びに溢れた、主の降誕を祝うこの演奏に接すると、この作品の中心的コラールが実はマタイの中心的コラールと同一である事、ここにBachがこめた深い意味(主の降誕と受難が一続きの摂理であること)がわれわれ遠い異国の人間にもなにがしかの実感を持って感じられるように思われます。それだけの歴史・文化を実感させる、限りない意義深い芸術ではないでしょうか。クリスマス・オラトリオ演奏史上、稀にみる名演奏であり、J.S.Bachファンはもちろんのこと、音楽を愛するすべての方にお薦めできる名盤と言い切って差し支えないと考えます。

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     2021/03/04

    Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第19集。今回はライプツィヒ1年目より2曲、ヴァイマール・カンタータより1曲の構成で、すべて有名曲とは言えない作品ばかりでしょうか。明らかに地味な作品ばかりですが、Rudolf Lutzらの演奏は、こういった小品でも決して手を抜かず、自分たちの実力を最大限に誠実に発揮しています。カンタータの性格として、すべて罪、贖罪、救いといった、屈折したテーマを扱っている作品が多いのですが、ことさらに負の感情を強調したり、ロマン的になることなく、音符の正確な再現に集中しており、非常に好感が持てる好演ぞろいと思います。独唱、合唱、オーケストラすべて、ピリオド楽器による演奏として最高水準であり、3曲すべて佳演ですが、とくにライプツィヒの2曲が味わい深く感じられました。目立たないが、この3曲に関する限り、First choiceといっていい、レベルの高い演奏と思います。

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     2021/03/03

    昨年春、輸入盤発売後すぐ入手して以来、ほぼ1年間、折りにふれ繰り返し聴いてきました。自分にとってTrevor PinnockのJ.S.Bachは、デビュー当時の鮮やかなイタリア協奏曲、そしてあのBach演奏史に残る記念碑的名盤「チェンバロ協奏曲全集」の、それまでの演奏すべてを過去に追いやってしまうような生命力に溢れた鮮烈な演奏の数々のイメージが強烈でした。一方で比較的初期に録音されたGoldberg変奏曲や、パルティータ全集の旧盤は、新鮮であってもすでにある諸名演と比較すると、やや単調で構造把握の深みに欠ける印象が否めず、Bach音楽への適合性の良さは明らかでも未だ若いのかな、というのが正直な感想でした。その後、Trevor Pinnockは、English concertとほぼすべてのJSBach管弦楽作品を録音、複数のアーティストと室内楽作品も録音しましたが、パルティータの再録音(涙がでるほどの名演!)を除いて、鍵盤独奏曲の録音は長い間みられませんでした。CDに付されたPinnock自身のライナーを読むと、10代の頃に初めて平均律に出会ってから現在まで半世紀以上にもわたって、演奏機会をうかがってきた ー しかも、決して常に平均律の近いところにいたわけでなく、彼自身の音楽的思考?から少し平均律のようなBach作品からやや距離を置いていたところもあったようです。非常に単純化して言えば、一時期平均律を ー「パルティータ」などの作品に較べー やや苦手と考えていたようなニュアンスが、Pinnock自身の文章から読み取れるようにも思われます。ただそういった時期でも平均律を意識していなかったわけでなく、ラモーやL.クープラン、ヘンデルなど、幾多の作曲家たちの演奏を通じて、チェンバロ奏者としての研鑽を続け名演奏もいくつも生み出してきたのは、Pinnockにすればこの平均律に取り組むためのどうしても必要な道程であったのかも知れません。CD解説でPinnockがいま平均律に取り組む事を「自分の生涯の残された時間のすべてを捧げる仕事」と宣言し、満を持してこのCDを公にしてきた行為が、その証ではないでしょうか。前置きが長くなって恐縮ですが、肝心の演奏、ある意味ちょっと類を見ないタイプの演奏と言えましょうか。なによりこれがあの鮮烈なBachの数々を生み出してきたPinnockか、という位に全く思い入れや熱気といったものから遠い、徹頭徹尾楽譜に書かれたもの以外実現する気がない、とでも言うような平静で客観的な演奏です。この演奏に較べたら、Gilbert, Rousset, Belderなどは大なり小なり主観的、ロマン的に聞こえるほどで、どこまでもあっさりした印象。なんら新しいことはしておらず、どうかすると一度聴いたくらいでは全く印象に残らない。決して技術的に難があるという訳ではなく、その割に見事とか鮮やかという印象が一切残らないくらい、自我を抑制していると言えるでしょう。しかしながら、繰り返し聴くにつけ、この空前絶後に醒めた熱気のない演奏が逆に非常に気になってくる。もちろん、これを単に平凡なつまらない演奏と感じる方がたくさんいても不思議はないでしょうが(S.Richterなどがお好きな方はたぶん!)、逆にあれだけ広範囲な歴史的音楽を演奏してきたPinnockがこれだけ、徹底的に楽譜の再現以外に全く一歩もでないような印象のある意味厳しい演奏を出してきたことは不気味ですらある。おそらくPinnockは長い長い熟考の末にこのような余分な付加が一切ない、水のようにピュアな平均律を出してきたのでしょう。もちろんPinnock自身も言っているように、この演奏がこれで最終回答とは思われず、今後も変貌していくに当たっての出発点なのでしょうが、だとすればこのどこまでも基本的な平均律はこれ以上ないスタートラインなのかもしれません。評価は今後のPinnockの活動にもよるのかも知れませんが、歴史的楽器の演奏による平均律としては、この希代のBach演奏家の非常に興味深い、かけがえのない一里塚と言えるのではないでしょうか。

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     2021/02/27

    古典派以降の音楽を聴く機会のあまりない不勉強者で恥ずかしながら、高名なLang Langの演奏をじっくり聴いたのは初めてなのですが、予想を上回る誠実で立派な演奏と思いました。ライナーを読むとこのピアニストが初めてこの作品に接してから数十年以上、様々な人の演奏を聴き、アドヴァイスを求め、旅を重ねてようやくいきついた演奏であるとの事。本来的なLang Langの演奏スタイルを知らないのですが、この現代ピアノによるGoldberg、決してバロック的とは言えないにしても、ペダル使用や過剰なレガート、テンポ変化を最小限にし(皆無ではない)、バロック音楽の歴史的演奏習慣やピリオド楽器の響きも考慮した上で、それでも現代ピアノによる再現を選択する意味を考えぬき、出してきた演奏です。当然のことながらGouldの演奏も聴いているでしょうが、Gouldが一人で切り開いた道の同じ方向性に進んでいるとはしても、一昔前のピアニストのようにGouldの呪縛にとらわれている要素は全くなく自由な演奏で、その意味ではA.BacchettiやJ.McGregorなどと同一の完全に新世代のGoldbergです。McGregorほどに多声的構造的な演奏ではなく、基本的に上声部優位の和声的音楽であることが多いのですが、そこに古典派〜ロマン派を引きずっている要素は全くなく、そこにはやはりアジア人としてのLang LangのIdentityがしっかり生きて、それがこの魅力的なGoldbergに貢献しているのかもしれません。この名ピアニストが数十年研究して出してきた演奏であっても、未だ細部に確信を持てない部分が散見されるのも事実ですが、それでも現代ピアノの演奏としては十二分に一級品と言っていいのではないでしょうか。Bachファンなら一度聴いていただく価値は十分あると思います。

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     2021/02/05

    現在バッハ・カンタータ演奏で疑いなくトップを走るRudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St.Gallenによるクリスマス・オラトリオ。曲の性格と演奏者の適合性から考えると、これ以上はない組み合わせのように思うのですが、幾度か聴いた結果ではやや期待外れの感。技術的には、ソロ、合唱、管弦楽すべて、飛び抜けての優秀さはないものの、現代の古楽器演奏としては紛れも無いトップクラスの高水準と評価できます。問題はこのクリスマス・オラトリオという作品、大曲であると同時に実は6曲のカンタータの集合体である、というやや複雑な性格にもよるのでしょうか。1曲、1曲、個々の細部は美しい瞬間も多々ありよいのですが、全体になるとどうも茫洋として、いまひとつ統一感が無い印象が否めません。これはこのCDの成り立ちー実際の演奏が続けてでなく、数年にわたった演奏活動からセレクトして構成ーにも大きな責任があるでしょう。ただでさえ6曲それぞれが独立した性格を持っているために、全体のまとまりはつきにくいのに、別々に演奏してそれを寄せ集めても、後から統一感は出ないのでしょう。K.Richterを頂点とする、第一曲の冒頭から、第六曲のマタイ・コラールによる終結合唱まで、強烈な筋が通った古の名演の数々には及びようがありません。この演奏者の力量を考えると、惜しい、無駄な編集だったのではないでしょうか。ぜひ、6曲を一日でライブでやった位の企画で再挑戦して欲しいと思います。

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     2020/04/20

    始めに少し個人的な事を申し上げて恐縮ですが、自分にとってBeethovenの後期ピアノ・ソナタとの出会いは、忘れもしないNHK-FMでのWilhelm KempffによるHelsinki FestivalでのOp.111のライブ演奏で、それは当時、Beethovenを含めた古典派・ロマン派クラシック音楽すべてを、華美で大仰で退屈なものとして軽蔑していた自分の考えを、たった一晩で180度変えさせた、生涯忘れられない体験でした。それ以後、現在に至るまでBeethovenの音楽、特に晩年のOp.109-111の3曲については、自分の中で永遠に変わる事のない特別な位置を占めていますが、自分にとって感動できる演奏ばかりかというと、その逆、実はほとんど満足できた事がありません。世に言う巨匠、名ピアニストのこの3曲の演奏もそのほとんどを聴いてきた積もりですが、わずかにKempffのステレオ録音(これとて3曲全部に満足できたわけでない)を除けば、Polliniの旧録音を含め、感心はしても心から感動できたことは希でした。そもそもOp.111以外の2曲、109、110を知ったのも当時のFM放送で、巨匠、名ピアニストなどとは程遠い、現在名前も覚えていないような無名の日本のピアノ奏者の演奏でしたが、逆にその演奏には感動できたのです。自分は個人的に、本来この最後のピアノ・ソナタ3曲には、名声・権威・完璧な技巧などの外面の要素を全く受け付けない部分があると思います。音楽があくまで音楽であること(だけ)の素晴らしさを極めていった先に、ついに音楽以外のものへの扉を開いていく瞬間(これは故吉田秀和氏の言葉)を見せてくれる、文化史上でもまことに希有な芸術なのですが、そこへ至るには巨匠だの名演奏家だのであることは何ら必要でも十分でもないのが、恐ろしいところです。この3曲のM.Pollini旧録音、彼のBeethovenピアノ・ソナタ録音の劈頭を飾った演奏であり、全世界で絶賛された名盤です。確かにあれほどの後期ソナタ集の録音は、技術的に現在に至るまで空前絶後であり、将来においても超える人はいないでしょう。しかしながらその演奏は、完璧であるのと同時に大事な「何か」がすべて欠けている、それこそPolliniのみならず世界の一流とは較べるべくもない無名のピアニストでも(演奏者によっては)持っている「何か」が欠けているために、とても名演とも良演とも呼べない特殊な音楽だったと思います。長々と煩雑な前置きで恐縮ですが、今回のM.Polliniによる新録音、この3曲に出会って40年以上聴き続けてきた自分にとっても、こんなにも素晴らしい音楽、演奏は予想していませんでした。偉そうな事を言って叱られるのを覚悟であえて申し上げれば、過去のあらゆるBeethovenピアノ・ソナタ録音すべて(もちろんPollini自身の録音も含めた)の中でも特筆すべき名演奏ではないでしょうか。もちろんM.Polliniにも流れた時間の当然の結果として、ここにはあの空前絶後の完璧な旧録音から失われたものはいくつもあるわけですが(それらは必ずしもこの3曲の演奏に必要でなかった)、その代わりに旧録音に欠けていた「何か」、Beethovenのこの最後の3曲に必要なすべてをこの新録音はあまりにも豊かに得ています。とにかく旧録音と比較する気すら起こらぬほどに、新録音の世界は別次元なのです。Op.109冒頭、Vivace ma non troppoの最初の一音から、こんなにも優しく心のこもった音は聴けるものではありません。それでいて、この3曲の演奏すべてが隅々まで、この作品に対する演奏者のほとんどにみられる、作品に向き合い、理解し、構築しようという(よい意味での)構え、作為的な姿勢が微塵もなく、すべてがM.Polliniの心から湧き出た音楽をただ紡いでるだけのような自然さに溢れており、もはやここに歌い上げられる音楽が、Beethovenの心なのか、Polliniの心なのか判別できないほどに、作品と一体化しています。Missa Solemnisの総譜にBeethovenが記した「心より出て心に至らん」という言葉が、これほどに実感される演奏はBeethoven演奏史上でも稀ではないでしょうか。Op.109の最初の一音から、Op.111の最後の和音が鳴り終わるまで、心のこもっていない時間は一瞬たりともなく、正直、自分はとても涙無しでは聞き通すことができませんでしたが、その感動は完全に音楽そのものによってしか説明できない純粋な音楽の感動の結晶なのです。M.Polliniの全キャリアはもちろん、あらゆるピアノ音楽録音の中でも、最上位に位置する名盤と考えます。西洋音楽史上、いや人類の歴史上でも類のない高みに位置するBeethovenのこの最後の3曲のピアノ・ソナタ、その限りなく優しく美しい演奏であるPolliniのこの演奏は、第二次大戦のドイツでW.FurtwanglerのBeethoven演奏が明日をも知れぬ人々に生きる希望を与えたように、現在世界史上でも困難な時代を迎えつつある我々に慰め、希望となり得るのかも知れません。華美な外見やすぐ人目につくような特徴とは無縁ですが、音楽を愛する全ての方にお進めできる音楽であり、演奏と思います。

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     2020/01/19

    Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第18集。今回の3曲は特に共通項のない選曲で、超有名なクリスマス・カンタータBWV61以外の2曲は特に知名度も高くありませんが、総じて非常に誠実で質の高い好演揃いです。まず冒頭のBWV125「平安と喜びもて我は逝く」は、マリアの浄めの祝日のためのカンタータ。有名曲とは言えずやや地味ではありますが、Rudolf Lutzらの演奏はひとつひとつの曲にじっくりと誠実に向きあい、考え抜かれた解釈と高い演奏技術によってごく細部の美しさも疎かにせず掘り起こしており、この曲に関する限り過去の演奏のすべてを含めて最上位に置けるのではないでしょうか。特に第2曲のアリアの滋味は素晴らしい。次のBWV61「来たれ、異邦人の救い主よ」は言わずと知れた待降節カンタータの名曲、もしかすると最もよく知られた曲かも知れません。自分らのような長年のBachファンにとって、この曲は何と言ってもあのK.Richterの記念碑的なカンタータ選集の劈頭を飾る、鮮烈きわまりない名演奏の記憶から離れることは(おそらく)永遠に不可能ですが、今回のRudolf Lutzらの演奏はあえて新奇な解釈等などの独自性を狙うことなく、己らの読み取った音楽に忠実な再現に集中しており、目立った名演とまではいかなくても好感の持てる演奏です。最後のBWV116「汝平和の君、主イエス・キリスト」は、1724年のライプツィヒにおけるコラール・カンタータ年巻の中間に位置する作品であり、近くではS.KuijkenのOVPPによる名演奏が記憶に新しいところです。Rudolf Lutzらの演奏はOVPPによるものではありませんが小編成による堅実なものであり、過去の演奏を上回るとまではいかずとも、美しい佳演と言えるでしょう。CD全体として、曲の解釈、指揮、演奏者の技術すべてにおいて質の高い好演集であり、多くのBachファンにお薦めする価値があると思います。

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     2020/01/09

    Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第16集。BWV30,158, 9いずれも、K.Richterの名演をはじめとして、複数の録音がある比較的よく知られた有名曲ばかりと言えるでしょう。だから、という訳では無いですが、Rudolf Lutzらの今回の録音は、曲の性格と彼らの美質がぴったりあった好演ぞろいとなっています。まず何よりも祝祭的な事ではBachの全カンタータ中でも一二を争うBWV30「喜べ、贖われし群れよ」、曲全体の規模の大きさと華やかさに、ともすると演奏の勢いが空回りする危険性がある曲ですが(K.Richterの名演すら、その懸念と無縁では無かった!)、今回のRudolf Lutzらの演奏は抜群の技術と非常に考え抜かれた楽曲構築によって、長大な(30分を越える!)カンタータ全体においても細部の一曲一曲においても、緩急自在かつまったく緩みの無い緊張感の持続を実現しており、正直この曲においては古今のあらゆる好演をも凌駕するかも知れないトップクラスの名演奏と思います。BWV158,9は、BWV30に比較すると小規模ながら、ぞれぞれ壮年期以降のBach作品特有の分厚い構成と楽曲内容を有した名作であり、Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung の演奏は曲の魅力を決してはずさない、見事な好演と評価できます。Bachファンだけでなく、広く音楽ファン一般に推薦できる名盤ではないでしょうか。

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     2020/01/09

    Rudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St. Gallenのカンタータ第17集。今回は実質世俗カンタータ集ですが、まず19世紀以来のBach復興時に絶大な人気を誇った王妃の追悼カンタータBWV198。現在はどちらかと言えば聴かれる機会は減っていると思われ、正直自分もあまり頻繁に聴いた事はありませんが、19世紀〜20世紀前半ごのみの非常にロマンティックな音楽が随所にちりばめられています。Rudolf Lutzらの演奏は決して恣意的な解釈を伴わない、客観的でどちらかといえば即物的なもので、予想通りこの曲に関してはあまり適合性は良好ではないかも知れません。ただ演奏技術、質は例によってきわめて高く、良質な好演とは言えるでしょう。クリスマス・オラトリオの原形となったBWV214は、明るく楽天的な世俗カンタータであり、BWV198に較べるとはるかにこの演奏者向きと言えますが、いかんせん、クリスマス・オラトリオでの改変を聞き慣れてる耳には、どうしても重みを持った音楽には聞えないのがハンデですが、それでもやはり手抜きのない誠実な好演と言えるでしょう。Bachファンは一度は聴かれて損は無いレベルの演奏と思います。

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     2020/01/05

    非常に美しいオルガンの響きであり、優秀な録音とあいまって、この方が確かに現代のトップレベルのオルガニストと国際的に評価されているのがよく判ります。他方、前奏曲とフーガの各曲、特に後者のフーガ部分において、この錯綜とした多声構造を明晰に描き出す点は、ヴャルヒャ、アランなどの歴史的な名匠や、現役であるコープマン、フォクルールなどのレベルに比較すると一歩も二歩も及んでいません。日本人奏者としてトップのレベルであるのは疑いないのでしょうが、J.S.Bachのオルガン録音としては佳演と評するのが公平かと思われます。

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     2019/11/20

    目立たないが、とても好感の持てる演奏と思います。J.P.Rameauのクラブサン全集は少し前にM.Esfahaniの鮮烈きわまりない演奏が忘れられませんが、このBertrand Cuillerの全集は発売時期もEsfahaniとそう離れておらず、どちらも新進気鋭の若手チェンバロ奏者ということで、どうしても比較したくなるのが人情ですが、同じ若手が同じクラブサンを弾いてもこれだけ違うのか、正直ちょっと驚きでした。ナント生まれ、生粋のフランス出身であるCuillerの演奏は、テンポ、リズムなどEsfahani同様新鮮で現代的ではあっても、その演奏の微妙なニュアンス、フレーズの歌い方、リズムの揺れなど、非常に細やかで繊細、月並みな言い方ですがやはりフランス的としか言いようの無いエスプリに満ち満ちており、逆にCuillerを聴くとEsfahaniのRameau演奏に足りなかったものは何か、よく判るように思います。その味わいの特質が最もよく判るのは、1724年のPieces de Clavessinの諸曲で、La Rappel des oiseaux, Rigaudons, Tambourin, Les Soupirsなど、フランスに生まれ育った芸術家でなければおそらく出せない自然な息遣いに溢れ、限りなく魅力的です。。その一方で、CD後半のNouvelles Suites de Pieces de Clavessinに含まれる、非常に構造的な曲ーGavotte et Doublesなどーにおいては、全体の構造の厳格な把握が今一つで、聴いていて一本調子で疲れる瞬間も散見され、ここらへんはEsfahaniの現代的かつ構築的な演奏や、Peter Jan-Berderの広範な歴史的素養と経験をベースにした演奏には及ばないと言えるかも知れません。しかしながら、それでもこれだけ繊細な味わいを有するRameau全集は、決してそう多くはないことを考えると、貴重な良演集と言えるのではないでしょうか。今後におおいに期待したい演奏家であり、バロック音楽がお好きな方には、一聴していただく価値が十分あると思われます。

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     2019/11/03

    帰ってきた!ーこのアルバムが発売された当時、「醒めない」のオープニングが走り出した時の印象は強烈でした。彼らのアイドルであるデヴィッド・ボウイへの追悼曲として書かれたこの曲の、あまりにも高らかな、しかしその中身に限りないものー喜び、悲しみ、苦しみ、追慕、後悔、無力感、etc.ーがいっぱい詰まった瞬間を実感すると、作曲者が、バンドが、多くのものを確かに乗り越えた上で新たな一歩を踏み出したことが判ります。思えば、昔からスピッツは、様々なことー辛いこと・悲しいこと・汚いこと・醜いこと...ーから目をそらさずに(それが草野氏が、バンドが自分の立脚点として決して離れない「ロック」の真骨頂であると思うのですが)、それを踏まえた上で常に希望を歌い続けるグループでした。それでもあまりにも悲惨な現実世界の出来事に、この前作「小さな生き物」では(美しく謙虚な音楽ではありましたけど)いつも前を向けない瞬間も垣間見られ、感動的である反面、大丈夫かな?と思わせる人間肖像をさらけ出していたのも事実であったと思います。作曲者、メンバーがそれをどのように乗り越え、この「醒めない」の心からの躍動に辿り着いたか、自分には知る由もありませんが、この感動的なビートで始まる物語に「帰ってきてくれた」事には涙が出るほど感謝しています。実は個人的な事情で未だに涙無しには聴けない「みなと」(大切な人を失った者なら誰でもわかるはず)、これ以上はないくらいに切ない「コメット」、晦渋と隠喩が美しい「子グマ!子グマ!」「ハチの針」など、聴きこめば聴きこむほど味の出てくる作品揃いですが(数作前に較べても深化している!)、後半終わり近くに現れる「ヒビスクス」の美しさはどうでしょう!冒頭からラストまで、潮風と波のさざめき、南国の匂いがむせぶような、(草野さんはその形容を嫌がるかもしれませんが)これはもはや芸術としか言い様の無い素晴らしさ、日本のロックもここまで来たか、と実感させる、まごう事無き名品です。まず確実に意図してそうしたと思われる尻切れトンボのClosing「こんにちは」は、明らかに決して「完成」する積もりのないスピッツの決意表明でしょうが、この「醒めない」で始まったアルバ厶の真の終曲は、1年後CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOXのラストに置かれた傑作「1987→」で、これは明らかにこのアルバムのオープニング「醒めない」に呼応しています。(復活した)スピッツが、現在に至る、そして未来に向けたバンドとしての姿勢を決然と確立した、転換点としての記念碑的名盤ではないでしょうか。

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     2019/10/25

    Bernard Foccroulleの最新録音。Foccroulleの重要なレパートリーであるJ.S.Bach以前のオルガン音楽であり、今回はH.Scheidemannと同世代でScheidemann同様オランダのSweelinckに学び、その後ドイツの地でドイツオルガン音楽発展の基礎を築いた二人のオルガニスト、Jacob PraetoriusとMelchior Schildtの作品集です。自分は恥ずかしながら、どちらの作曲家もこのCDに接するまでは未聴であり、本CDのFoccroulleのライナーで教えてもらった知識が全てなのですが、いずれの作曲家もScheidemann同様Sweelinck譲りの堅固な構成と、華やかさよりあくまでテキスト(聖歌)内容を表現することのみに注視した作曲姿勢という点で、Bachに至るドイツオルガン音楽の紛れも無い先達であることがよく理解されます。楽曲の自由度や幅の面では前記Scheidemannに一歩譲るかも知れませんが、 PraetoriusのVon unser in Himmelreich、SchildtのHerr Christ, der einig Gottessohnなどのコラール変奏曲において、地味ながらかけがえのないしみじみとした音楽です。Bernard Foccroulleの、曲の構造と背景、および楽器を知り尽くした明晰きわまりない演奏は、もはや他に比較するもののないレベルですが、加えてこの人でなければ出せない滋味が(少し前のFrescobaldiでも感じましたが)、最近聴けば聴くほど味わい深く感じられるようになってきています。目立たないCDですが、古楽愛好家にお薦めする価値の十分にある良演盤と思います。

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