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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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     2021/04/10

    N響でも振ったことのある第2番が圧巻の名演。フルトヴェングラー風にわざとアインザッツをずらした冒頭和音からアイデア満載。緩徐楽章のないこの交響曲を速めのテンポでスタイリッシュに聴かせてくれる。一方の第4番はことごとく「定番」を外しにかかった演奏。終楽章など、ムラヴィンスキー流に速いテンポでぶっ飛ばせば、それだけで絶大な演奏効果が得られる曲。パーヴォもやろうと思えばできるはずだが、故意に演奏効果狙いの行き方を避けて弱音部や裏の声部を丁寧に表出、チャイコフスキーの心の襞を描こうとしている。オケの派手にならない響きを逆利用しようというわけだ。指揮者のやりたいことは良く分かるが、どうしてもわざとらしい感じをぬぐえないのがマイナス。

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     2021/03/24

    法悦の詩は前回のフランクフルト放送響との全集でも合唱付きの版で録音されていたが、誰の編曲か明記されていなかった。今回のCDでアーロノヴィッチ編と判明したのは収穫。ただ、私の趣味としては、こんな最後だけの取ってつけたような合唱(もちろん歌詞はなし)は要らないな。法悦の詩は今回の録音も悪くないが、2番は明らかに前回録音の方が上。年のせいか全体にテンポが重く、表情の変化が鈍い、ぼってりした音楽になってしまった。2番はスクリャービンの音楽としてはまだ中途半端なところがあるので、アシュケナージ/ベルリン・ドイツ響やワシリー・ペトレンコ/オスロ・フィルのような切れ味がないと、どうしても退屈してしまう。終楽章など、いかに「マエストーソ」 と書いてあっても、このテンポではもたれる。オケもフランクフルト放送響のような機能美は望めない。

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     2021/03/02

    皆さん最も関心を寄せるであろうキリル・ペトレンコの6番から書こう。シェフ就任後、最も見事な成果だと思う。中間楽章がアンダンテ/スケルツォの順であることもあり、曲のフォルムは堅固だが、随所でなかなか鋭い切れ味を見せる。アンダンテ・モデラートの速いテンポ、ティンパニ奏者に硬いマレットで叩かせるところなどはHIP由来のセンス。それでも音楽が激してくるとテンポが前のめりになるあたりは、この指揮者らしい。より柔軟でスケールの大きいネルソンス/ウィーン・フィル(2020年ザルツブルク音楽祭)とは好対照な硬派の演奏。そうした部分的な「熱さ」と古典的な形式を兼ね備えた6番を最初に取り上げた理由は実に良く分かる。今シーズンは全く違った構成原理による9番をどう振るか、5月の演奏会に注目。
    他にはネルソンスの2番が貫祿の名演。2018年夏のザルツブルクでのウィーン・フィルとの演奏より一段と練れた解釈で、彼の柄の大きさが生きている。ライプツィヒ(中部ドイツ)放送合唱団も見事な出来。ラトル指揮の8番は2010〜2011年のマーラー・ツィクルス中、2番と並ぶ随一の成果だし、2016/2017シーズン開幕演奏会の7番も彫りの深い圧巻の演奏。彼がいかに優れたマーラー指揮者であったか、実感できる。ネゼ=セガンの4番は「毒」が少ないのが不満だが、まあ悪くないか。ハーディングの1番はコンセルトヘボウのセットより、ずっと良い。逆に伸び悩みを感じるのはドゥダメル。3番、5番ともエッジを削って、きれいに整えられた「カラヤンのような」演奏。指揮者の能力の高さは明らかだが、5番などシモン・ボリバル・ユース・オーケストラとの意欲的な演奏(2006年)の方が良かったと思う。今どき、きれいなだけのマーラーなんて、誰が望むのか。ハイティンクの9番は色々な演奏が見聞きできるようになったが、一般的なイメージに反して、この曲は彼に最も合わない音楽だと思う。
    最後にセットの作り方について注文。3番の第5/第6楽章、9番の第3/第4楽章の間でCDを替えねばならぬならぬという仕様は、いかにも製作者のセンスの悪さを感じる。番号順に並べるとしても、前者は3番と4番を分け、ごく普通に行われているように、3番一曲でCD2枚にすれば、こんなことにならないし、後者は9番の第2楽章と第3楽章の間で切れば、何の問題もない。ブルックナー全集ではラトル指揮の9番・四楽章版を入れていたのに、ハーディング指揮の素晴らしい10番(クック版)がないのも、やはりまずい。アバドを入れたければ『大地の歌』を取れば良かっただろう。

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     2021/02/16

    第1、第3楽章あたりはもう少し遅いテンポの、HIPとロマンティック様式のハイブリッド狙いかと予想したが、全く外れ。基本的なテンポ設定はアントニーニやエラス=カサドと変わらない。今回も賛否両論必至。現代の大編成オーケストラによる、すこぶる刺激的なHIP演奏だ。第1楽章第1主題の提示からして、実に激しい。再現部ではティンパニの波状攻撃に加えて、トランペットの猛爆(アメリカのオケはこれだから下品で嫌だと嫌われそうだが)。しかし、そんな中にあれこれ手練手管を忍ばせているのが、いつものホーネック流。詳しくはリーフレットでの指揮者自身の解説を読みながら聴いていただきたいが、たとえば第1楽章コーダの入りの葬送行進曲風楽句では、はっきりとテンポを落とし、弦楽器はスル・ボンティチェロで不穏な雰囲気を出している。スケルツォも猛烈に速いが、リピートは定番通り実施。トリオ直前のトランペットの畳みかけなど、いかにもという感じだが、トリオは楽譜通り、主部より速くなる。このテンポでは例のホルンのパッセージなど、大した名人芸だが、ここは一回ごとに表情を変え、だんだん遠ざかってゆくように奏でられている。
    あざとい工夫が最も目立つのは、もちろん終楽章。冒頭のプレストに応ずる低弦のレチタティーヴォはイン・テンポではない。テノールがヴェルナー・ギューラであるように、歌手陣は軽く、柔らかい声の人、ノン・ヴィブラートで快速テンボに対応できる人ばかりが選ばれているが、中国人バリトン、シェン・ヤンも柔らかい美声の持ち主。冒頭の低弦レチタティーヴォは完全に彼の歌パートを先取りしている。実際に歌が入ってからも、ピツィカートの意志的な進行、木管がきれいに歌パートにからむなど、芸が細かい。トルコ行進曲に続くフガートも定番通り速いが、私がいちばん面白いと思ったのは、それに続く「歓喜の歌」の再現部。マゼールなどは壮大さを意図してテンボを落とす箇所だが、この演奏は前のテンボのまま突き進む。ここの音楽はロマンティックで荘厳なものではなく、revolutionary urgency(革命的な切迫感)を持つものだと指揮者は書いている。ベートーヴェンはなぜシラー自身もあまり高く買っていない、学生がビールジョッキ片手に腕を組んで歌うような歌に作曲したのか、と批判されることもあるが、これほどこの歌の「酒席歌」的キャラクターを鮮明に出した演奏は初めてだ。合唱のテンションの高さも圧巻。アンダンテ以後もドイツ語発音の強弱に合わせて楽譜にないディミヌエンドを入れるなど、あれこれ面白いが、長く書きすぎた。やや遅めのテンポの二重フーガでクライマックスに達した後は、熱狂的な速さ。最後のマエストーソでしっかりタメを作った後の管弦楽後奏は現代オケでフルトヴェングラーを再現したよう。
      

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     2021/02/12

    このディスクで最も讃えられるべきは、ティチアーティの引き締まったテンポによる劇的かつ切れ味鋭い指揮。メトでのネゼ=セガン(フレミングが歌った2014年の時のもの)も悪くなかったが、ティチアーティの指揮は、私の知る限り最高の出来だと断言できる。確かにこのオペラ、美しい名旋律と素晴らしい場面に事欠かぬ名作だが、終幕など、台本のせいもあって、無駄な「引き延ばし」もある、ちょっと凡長な作品だと思ってきたが、それは指揮者のせいだったのだと言っても良い。この水準の指揮なら、誰も退屈することはないだろう。2006年のネーデルランド・オペラでは素敵なフィオルディリージだったサリー・マシューズ。第1幕の「月に寄せる歌」では少々とうが立ったと思わざるをえなかったが、幕を追うに従って、どんどん良くなった。長身のリロイ・ジョンソンは浮気性のイケメン男にぴったり。イェジババ、ヴォドニク以下、脇役陣も悪くない。
    スティル演出はビエロフラーヴェクが振っていた頃(2009年)から使われていたもので、ルサルカ(第1幕「月に寄せる歌」の前、ちょっとだけ)や森の精たちがワイヤー吊りで水中を泳ぐ(実際にはフライングする)のが眼目。このオペラの演出ではパウントニー(英語版)、カーセン、クーシェイ、ヘアハイムと凄いものをたくさん見せられてしまったので、この程度で驚くわけにはいかないが、ドラマの骨格はしっかり押さえられており、悪くない出来。

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     2021/02/11

    マーラーの小譜表(パルティチェル)は最初から最後まで完全につながっているので、何も変えようがないのだが、どうも薄味という印象がつきまとったクック版。けれども、しだいに演奏が練れてきたということか。第1楽章「カタストローフ」でのヴァイオリンの荒れ狂う嵐のようなパッセージなど、ちゃんと譜面通りなのだが、これほどしっかり聴かせてくれたディスクは初めてだ。ツィクルス最初の5番と6番では、まだ慎重に構えていたのか、遅めのテンポ設定だったヴァンスカだが、次の2番『復活』あたりから本領発揮してきた。この曲では遅いところは遅く、速いところは速く、全く無理のないテンポで、アゴーギグで大芝居をかけようという演奏ではないが、第2楽章終わりの追い込みや第5楽章のカタストローフ再帰直前では、いったんテンポをゆるめてから加速するという「二段変速」を採用して、一段とスケールの大きさを増している。オケもすこぶる好調で、難関の8番を超えれば、全曲録音完成も見えてこよう。ラトルやハーディングと並ぶクック版の代表的ディスクだが、前二者と違うのは、第4楽章末尾の大太鼓の打撃を終楽章冒頭の大太鼓と同一とは解釈せず、改めて打ち直していること(この大太鼓が実にいい音で録れている)。こうすると、終楽章でのカタストローフ再帰が計13回目の「打撃」になる。

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     2021/02/11

    グラインドボーンに移されたフィオナ・ショウ演出が圧巻の出来。コヴェントガーデンやメトでも見られるローラン・ペリー演出を遥かに凌ぐ。演出の工夫は早くも第1幕、ド・ラ・アルティエール伯爵家(つまりリュセットの家)の侍女たちに王子(もちろん、ここでは黙役)を紛れ込ませるところから始まっている。一方、本来は出番のない第2幕冒頭からバレエ音楽にかけて、ずっとリュセットは王子の分身としてバントマイムを演じる。すなわち、二人のドッペルゲンガーぶりを強調する演出の意図は、両者の一目惚れを鏡に映ったアイドル(理想像)との出会いとして見せること。鏡の迷宮での二人の出会い(ジャケ写真)、タイムリミット(午前零時)の到来の見せ方など、全くうまい。幾多のシンデレラものの中で、このマスネ作品の特色は、舞踏会の終わりはまだ第2幕に過ぎず、その先がかなり長いことだ(第3幕、第4幕がある)。以後の演出が描こうとするのは、鏡に映った鏡像に恋した二人が、お互いが自分の分身ではなく、自分とは違う「生身の男/女」であることを分かり合うこと。この演出で多用される象徴によれば、蛹が蝶になること。つまりは大人になること。
    ドゥ・ニースのヒロインは従来のリュセットのイメージからすれば少々勝ち気に過ぎるかもしれない。でも、演出の時代設定も現代だし、これぐらい自己主張の明確なシンデレラがいてもいいではないか。黙役としての登場場面も長いケイト・リンジーのイケメンぶりは実に素敵(もちろん歌も)。喜劇的な人物は、国王に至るまで著しく戯画化されてるが、いじわる姉さんたちのデコボコ・コンビぶりなど何ともお見事。この曲の総譜は一見、そんなに巨匠芸を必要としないように見えるが、ヴァーグナー流の半音階主義から擬バロック趣味まで含むマスネのスコアは意外に手ごわい。新鋭ジョン・ウィルソンの指揮も的確だ。

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     2021/02/09

    これもまた近年のベルリン・ドイツ・オペラの好調ぶりを確認できるソフト。全3幕とも同じセット、本当にミニマムなものしか舞台上になく、今回はプロジェクション・マッピングも使わないクリストフ・ロイ演出が、外面的にはすこぶる地味なこのオペラに合っている。ヒロインのヤクビアクは、もう少しドラマティックな力が欲しいが、「聖女様」があまりガンガンがなり立てるのも、まずいか。演技や見た目は文句なしなのだが。他の主役級二人、脇役三人ともに申し分ない出来で、初の映像ソフトとしては大推薦のディスク。特に目覚ましいのはマルク・アルブレヒトの指揮で、これまで出ていたこの曲の二種のCDはいずれも指揮が頼りなかったのだが、これは面目を一新する出来ばえ。死んだはずの恋人たちが立ち上がって歌い上げるエンディングの二重唱は、まるで20世紀の『トリスタンとイゾルデ』だ。

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     2021/01/22

    あまりどぎつくやると奇形者への差別も懸念される難しい題材のオペラだが、新鋭クラッツァーの演出が冴え渡る。シェーンベルク『映画の一場面のための伴奏音楽』を使った、短いプロローグが絶妙な伏線になっている。ツェムリンスキーがアルマに言い寄るが肘鉄を喰らうという史実通りのパントマイムが演じられるわけだが、オペラ本編での演技者のこびと(本物の小人症の俳優、『タンホイザー』のオスカルとは別の人)は登場シーンでオペラの総譜を抱えて出てくるので、主人公は作曲者自身の自己表象であることが誰の目にも分かる。舞台は現代のコンサートホールで王女様の誕生日を祝うために演奏家たちが集まっている。主人公がはじめて鏡を見る場面(ジャケ写真)の見せ方など、鮮やかの一語。ホールに飾られた大作曲家たちの胸像を主人公が叩き落としてしまった後、彼の死と共に出てきた儀典長ドン・エストバンがツェムリンスキーの胸像を中央に据える。これで見事にプロローグと結末が照応。
    バット・フィリップは歌、演技ともに秀逸。相変わらず美人のツァラゴワ、ギータにエミリー・マギーというのも何とも豪華だ。ラニクルズの指揮も好調。現在、ベルリンでは3つのオペラハウスがいずれも高水準の上演を繰り広げているが、ベルリン・ドイツ・オペラもかつての栄光を取り戻しつつあるのは明らか。去年、コロナ禍の中、新演出上演が強行されたヘアハイム演出『ワルキューレ』が一刻も早く見たいものだ。

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     2021/01/17

    ラトルがロンドンを去ってミュンヒェンに行くという報道には快哉を叫びましたね。私と同い年だが、まだ楽隠居をする気は全くないらしい。ラトル、ゲルギエフ、ユロフスキを擁することになるミュンヒェンとベルリンの対抗意識はますます面白いことになりそう。さて、そこでこの『ワルキューレ』だが、エクサンプロヴァンスで収録されたベルリン・フィルとの録画(2007)の頃にはまだあった新味狙いの意識はもはやない。あの頃目指した「もう少し熱いブーレーズ」スタイルはちゃんと実質を伴った音楽になっている。
    ただし、歌手陣は何とも残念。カウフマン/カンペ/ステンメと望みうる最高の歌手たちをゲルギエフの盤に取られてしまったのが痛い。中ではスケルトンが比較的良いが、ウェストブレークはやはり苦手。ジークリンデが若い男をつかまえてベッドに引きずり込む毒婦のように聞こえてしまうのは何ともまずい。テオリンも悪くはないが、どうしてもステンメより落ちる。ラザフォードは健闘しているが、ブリュンヒルデとの近親相姦的な愛の交歓(第2幕冒頭)から避けがたい神々族の破滅を前にした絶望(「終わりだ das Ende!」)まで演じなければならぬ『ワルキューレ』のヴォータンはまだ若い歌手には難しすぎた。『ラインの黄金』で素晴らしかったミヒャエル・フォレを確保できなかったのは痛すぎる。

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     2021/01/16

    ピエモンテージの演奏でピアノ協奏曲における旋律装飾(緩徐楽章以外での)を紹介したが、この演奏も同じ。たとえば、私にとっては全ピアノ・ソナタ中、最愛の一曲である変ロ長調 K.570(実はもう一曲、ヘ長調K.332も捨てがたいが)。第1楽章の提示部リピートはそのままの繰り返しではなく、ごく僅かながらセンスの良い旋律装飾を加えている。展開部〜再現部も一度目は譜面通り、リピートでは旋律装飾と再現部の前に少しアインガングの挿入がある。第2楽章ももちろん旋律の繰り返しでは装飾、アインガングの挿入あり。終楽章のロンドではリズムの切れ、間のセンスがめざましいが、意外にも譜面通り。しかし、全3曲とも同じパターンで押し通しているわけではなく、K.281では緩徐楽章とロンドで旋律装飾と挿入、K.333は緩徐楽章のみ旋律装飾、終楽章では挿入あり。18世紀にはピアノ・ソナタはまだ演奏会用の音楽ではなかったが、モーツァルト自身が弾いたら、たぶんこのように弾いただろう。オルリ・シャハムはこのディスクではじめて知ったが、タッチも美しく、音色の使い分けも実に繊細かつ多彩、リズムがまた素晴らしい。こういうことをやるからには、旋律装飾のセンスに自信があるはずだが、これも申し分ない。この調子で全集が完成されるとすれば、本当に楽しみだ。 

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     2021/01/08

    パーヴォが「満を持して」開始したチャイコフスキー・ツィクルスを担うオーケストラがN響でないのは残念だが、結果を聴いてみると、やはりこれが正解か。近年のN響のヴィルトゥオジティは目覚ましいが、特にこのようなロマン派のレパートリーでは輝かしい音響が音楽に結びつかないという歯がゆい思いをすることが少なくない。これに比べれば、トーンハレ管弦楽団の響きはずっと地味、いわば質実剛健だが、パーヴォの目指すチャイコフスキーがハリウッド映画風の絢爛豪華なスペクタクルでないことは明らかなので、やはりオーケストラの選択は正しかったと言える。ところで、このディスクのライナーノートが最近ネルソンスがあちこちで喋っている内容と全く同じことを書いているのには、ちょっと驚いた。チャイコフスキーの第5はベートーヴェンの第5のような「苦悩を通して歓喜へ」というストーリーを持つ交響曲ではなく、「運命に対する全き屈伏」こそこの曲の主張だという話だ。パーヴォの演奏もこのような解釈に従ったかのように聴くことができる。もちろんロマン派の音楽らしいアゴーギグ、テンポの変化は的確に表現されているし、第2楽章中間部の速いテンポ(楽譜通りだけど)、終楽章コーダ(モデラート・アッサイの部分)のクライマックスでのタメの作り方など師匠(といってもタングルウッドで短期間、教えてもらっただけだが)バーンスタインを思い出させるところもある。けれども、もちろんパーヴォの演奏はバーンスタインのような情緒纏綿なものではなく、ドイツ流交響曲のような堅牢な造形を崩さない。第3楽章でのホルンのゲシュトップトの強調などと併せて、いかにも21世紀のチャイコフスキーだと思う。

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     2020/11/02

    一番の聴きものは、やはりシャーガーのトリスタンか。2年後、ベルリンでのチェルニャコフ/バレンボイム版の方がさらに良いが、素晴らしいヘルデン・テノールに成長したものだ。2015年のカンブルラン/読響でも聴いたニコルズはまあまあ。細身な声で本物のドラマティック・ソプラノではないが、イゾルデ役としては悪くない。他にはレリアのマルケ王がまだ男盛りで(世継ぎを望んで再婚したわけだから、これで正解)、好感の持てるキャラになっている。ガッティの指揮はいつも通りクリアかつ色彩豊かだが、第2幕二重唱のクライマックスなどではかなり緩急の変化もつける。ただし『パルジファル』『マイスタージンガー』に比べると、残念ながらオケが落ちる。明晰なのは良いとしても響きが必要以上に薄く感じるのは、指揮者の本意ではあるまい。
    人物達の服装などは「超時代風」だが、演出家に特定の状況に読み替えようという意図はないようだ。基本的にアンチリアル路線なので、可もなし不可もなしだが、個人的には二点ほど気に入らないところがある。第1幕で媚薬を飲む場面も同じ杯から飲むようには見せないが、飲んでから二人が抱き合うどころか全く接触しないのは、ちょっと極端。第2幕二重唱でもせいぜい肩を寄せて座る程度、第3幕でもイゾルデはトリスタンの遺体に触れようとしない。二人の関係は肉体関係じゃなくスピリチュアルなものだという演出家の主張は了解できるが、どうしても違和感が残る。この作品の描くエロス=タナトスは肉体関係を排除しないし、むしろ必須とするものだ、というのが私の考えなので。もう一つは、トリスタンと同年配のはずのメロートを極端な老人にしてしまったこと。これでは二人の同性愛関係が行方不明になってしまう。トリスタンのセリフにはこうある。「彼は私を愛したが、私同様、イゾルデの眼差しに幻惑されたのだ」と。なお、日本語字幕は随所で思い切った意訳を試みているが、私の解釈と違う箇所だらけ。第2幕二重唱はショーペンハウアーを踏まえた哲学的な歌詞なので、意味が通る限りは直訳が望ましいと思う。これも好みの問題ではあるが。

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     2020/10/29

    『ペレアスとメリザンド』と並んで最もウィルソン向きの作品だろうと予想したが、その通り。徹底したアンチ・リアリズムで舞台装置はほぼ皆無。照明のみで勝負。リューの死もカラフの接吻もすべてリアルな形では表現されない。人物達は常に正面を向いて直立したまま歌い、能のような手の動きだけをする。あまりにスタティックに過ぎると思ったのか、ピン・パン・ポンの三人組だけは歌のパートのない所でも、ちょこまか動くのだが、いつものウィルソン様式を乱した感なきにしもあらず。最も面白かったのは幕切れで、カラフは自分の名を言ったとたんにスポットライトから外され、最後は後ろの群衆に紛れ込んでしまう。トゥーランドットが「愛」を見出すためのイニシエーション物語で、ここまでの出来事はすべて彼女の妄想だったのかもしれないと思わせる。
    テオリンは去年の日本での歌と同じ印象。ひところのようなヴィブラート過多のコンディションからは立ち直ったように聴こえるが、この演出では特に求められる怜悧な切れ味がない。声のコンディションは2008年に新国立で歌った時がベストだったように思われ、同郷(しかも同い年)のステンメにだいぶ差をつけられてしまった。ただし、もともと美人なので「絶世の美女」に見えなくもないのは救い。クンデはかなり力任せな歌だが、この役としては悪くないし、演出には合っている。アウヤネットは駄目。演技に関しては、この演出では文句を言いようがないが、歌は繊細さが足りない。ルイゾッティの指揮は相変わらず凡庸。手堅い職人芸のおかげで、あちこちで重用されるのだろうが、このオペラではどうしても、もっとハッタリが欲しい。

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     2020/10/26

    才気横溢の演出の仕様については、カステルッチなどと違って、見れば誰にでも分かる楽しいものなので、説明の必要もあるまい。シトロエンのミニバンがヴァルトブルク城の下から出てくる序曲冒頭のシーンから映像と音楽のシンクロ率が高いのには感心。「歌合戦」すなわち「バイロイト音楽祭」というメタ設定は大ヒットで、舞台上(カラー)と舞台裏(白黒)映像の組み合わせも実にうまく、ヴェーヌス一座三人の音楽祭への侵入、カタリーナ・ヴァーグナー本人が警察に電話し、パトカーがバイロイトの丘の上に急行するあたりは本当に抱腹絶倒。『タンホイザー』でこんなに笑えるとは思わなかった。ただし、第2幕までがあまりに面白かったので、第3幕はややネタ切れの感を否めず。エリーザベトとヴォルフラムの性行為で最後の「救済」枠組みをぶち壊しにかかったが−−だって、これじゃ「君の天使が神の玉座で君のために祈っている」うんぬんといったヴォルフラムの言葉は全く空しいし、完全に自殺であるエリーザベトはキリスト教世界では聖女になれない−−いまひとつ不発の印象。
    それでも指揮が良ければ、5つ星を進呈すべき舞台だが、ゲルギエフは明らかに準備不足で存在感なし。これで当分は、バイロイトから招かれることはないだろう。くたびれた中年オジサンのグールドは演出の設定通り。ダヴィドセン、歌は文句なしだが演技の方は大時代的でトロい。これも演出家の計算の内か。何と言っても、舞台をさらったのはツィトコーワのキュートなヴェーヌス。急な代役だったそうだが、見事なハマリ役だ。歌のパートのないル・ガトー・ショコラとオスカルにも、もちろん大拍手。

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