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meji さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/09/15

    まずはK・ウィルキンソンによるアナログ末期の超ハイファイ優秀録音がこうしてSACD化されることに対してユニバーサル社に心より感謝の意を表したい。ウィルキンソンにとってショルティ&シカゴSOによるメディナテンプルでのセッションは73年から数えて3シーズン目を迎え、指揮者、オケ、ホール、エンジニア四者が互いの個性や特徴を知り尽くした状況での万全のセッションであったし、この月はウィルキンソン本人も絶好調であり、クリーブランド録音ではマゼールと「ローマの祭・松」を、シカゴ録音ではショルティと「さまよえるオランダ人」といった超優秀録音を立て続けに生み出している。本ディスクにおいても「牧神の」の冒頭ではフルートソロがスピーカの後方数mにピンポイントで定位し、その生々しいブレスノイズと相俟って奏者の口元まで見えるようだし、続くホルンがフルートの後方やや左よりからメロウで肉厚なフルボディサウンドでこれに応えると同時に、ステージの左奥からハープが艶めかしくも鋭い立ち上がりでぬうっと顔を出す部分の3次元的なパースペクティブは、ウィルキンソン録音の真骨頂であり、聴き手はスピーカの存在を忘れ、30数年前のメディナテンプルにワープする。このような超ハイファイサウンドで「牧神」を聴くと、20年後にパリの聴衆を騒然とさせたストラヴィンスキーの「春の祭典」は、冒頭のフルートこそファゴットに置き換えられてはいるが、この「牧神」を下敷きに作曲されたことを確信させられる。「海」も「ボレロ」も数多ある同曲録音の最高峰に位置する偉大な録音である。ショルティ&シカゴの演奏は恐ろしく精密なアーティキュレーションによりスコアに書かれた全ての音符の再現を試みているが、その結果これらの有名なフランス音楽が、フランスのオケによる定番の名演よりフランス的に聴こえてくるから不思議だ。SACDもこのような70年代のアナログ円熟期の超優秀録音でこそその本領を発揮できると考えるので、ユニバーサル社には是非ともマゼールの「ローマの祭・松」、メータの「トゥーランドット」、ショルティの「春の祭典」「幻想」「千人」といったウィルキンソン録音の最高傑作をシリーズに加えることで、オーディオファイルの長年の渇きを癒してほしいものだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/09/03

    SACD評。タスキには「オリジナルアナログマスターテープからのリマスタリングは今回が最後」などとマニア心を煽りに煽るキャッチコピーが記されて
    いるが、アナログマスターテープ特有の、羽毛の繊維の一本いっぽんまで識別できるかのようなミクロディテールの解像度と、いかにも柔らかな手触り
    の暖色系のトーンは、本演奏が有するのっぴきならない緊張感に加えて、天国的な平穏さをも聴き手に届けてくれる。今回クレスハイム宮以外の録音会
    場も初めて明らかにされたが、会場毎の音質差を明瞭に聴き取ることができるのもSACD再生ならではの楽しみだ。 第1巻では雀とおぼしき鳥の声が盛ん
    に聴こえるナンバーがあるが(6、8、10、12、23、24番。ヘッドフォン試聴なら他の曲でも聴きとれるかもしれない)、このベーゼンドルファーをシルクの紗でくるんだような、まるでミュートしたハープシコードを思わせる独特の響きと、木質調の豊かなホールレゾナンスは、第2巻では聴かれないことから、これがエリーザベト教会でのセッションと考えて間違いないだろう。改めて聴き直すとこの会場では荘重な短調のナンバーや、長調でもゆったりとした曲調のナンバーが多く収録されていることがわかる。リヒテルは演奏会場の雰囲気を重んじる演奏家だったので、緑と野鳥の声に包まれた(であろう)この教会の音響と雰囲気をよほど気に入っていたに違いない。なお第2巻ではウィーンコンツェルトハウス内のポリヒムニアスタジオも用いられている上、クレスハイム宮で収録されたと思われるナンバーにおいても、距離感にしろ間接音の取り込み量にしろ第1巻とは随分違う。このようにSACD再生ではアルバムとしての音質上の統一感の無さが露呈するが、聴いていて何の不満や違和感を覚えないのは、リヒテルというピアニストの強烈な個性によるものであろう。いずれにせよHMVレビュー件数において群を抜く名盤が決定的な音質で蘇ったことに快哉を叫ぶものである。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/07/04

    フィッシャーのマーラーチクルスも回を重ねる毎に深みと凄みを増してきた。今回の「巨人」は演奏、録音ともに間違いなくこれまでのベストであり、数ある同曲のディスクの中で最高位に掲げても異論を唱える人は居ないのではないかと思われる。ミクロディテールの表現から最強奏部におけるマスの迫力に至るまで、一音たりとフィッシャーの統率化に無いものはなく、その一糸乱れぬアンサンブルも凄いが、なによりも指揮者のマーラーの精緻なスコアに対する深い読みに感心させられる。恣意的とも思える部分も無いわけではないが、そこはさすが地元(?)の強みで、その表現にはある種の必然性を感じることができる。第2楽章のオクターブ跳躍するリズムひとつをとっても、スコアに忠実でありながら(タラッ、ラーでは無く、タラ、ラー)躍動感を全く失っていない演奏はめったにお目にかかれない。このように考えに考え抜かれた大人の演奏を聴くと、巷で評判のホーネックなどやんちゃ坊主の悪戯のように思えてしまう。さらに今度のDSD録音は深々とした超低域方向の伸びが著しく、どっしりとしたピラミッドバランスの上にフラットでブリリアントな高域が美しいホールレゾナンスを伴って再生される様は、往年のK・ウィルキンソン録音をも彷彿とさせる素晴らしい仕上がりだ。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 21人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/07/03

    本BOXの売りである「96khz-24bit super digital transfer」についてはブックレットにも少しばかり触れられているが、仕上がりは従来のレジェンズやオリジナルスと全く同等の仕上がりであり、まずは70年代のアナログ録音の極致ともいえる超ハイファイサウンドが、これだけまとまった量で、しかもこんなに安価で再発されたこと自体が驚きであるが、これらの録音の多くがDecca伝説の名エンジニア、ケネス・E・ウィルキンソン円熟期の名録音であることを考え併せると本BOXの持つ価値はまことに計り知れない。
    この当時のショルティ&シカゴといえば、アンサンブルの正確さと圧倒的なパワーにおいて「世界最高」の名を欲しいままにし、毎月のように発売される新譜は、演奏、録音共に最高評価を得ていたが、これがウィルキンソンの類まれなる録音技術に支えられていたことは、あまり知られていない。特にデジタル期に入るとこれらの優秀録音はほとんど無視され、高音質を売りにしたリマスターCDは「春の祭典XRCD」「第九XRCD」「夜の歌オリジナルス」「千人レジェンズ」等に限られ、その他多くのCDは、コピーにコピーを重ねた孫世代のマスターテープから安易にAD変換されたもので、その情報量は著しく少なく、生気のない混濁した音からは、演奏の正しい姿など到底知ることができない粗悪品ばかりであった。しかし今回の最新リマスターは、どれも最新のDSD録音ですら足元にも及ばないような優秀録音に生まれ変わっており、録音後40年近い時を経てようやくオリジナルマスターテープが有する膨大な情報の全てが明らかになったことに思いを馳せる時、リマスタリングという作業は、畢竟、考古学の遺跡発掘と同じであることを痛感した。
    本BOXにおけるショルティ&シカゴ録音のセッションでは、イリノイ大学クラナートセンターとシカゴのメディナテンプルに加え、ウィーン楽旅の際のゾフィエンザールがあるが、ウィルキンソンがこれら性格の異なる3つのホールのアコースティックと、シカゴ響のソリッドかつパワフルなサウンドの特徴をミクロディテールの域まで細大もらさずテープに収めきっているのを聴くと、改めてその鮮やかな手腕に感服する(ロンドンのオケを振りキングスウェイホールで収録されたナンバーの素晴らしさはすでに至る所で語りつくされているのでここでは取り上げない。)ウィルキンソンが担当したナンバーは、それこそ全てが優秀録音であるが、ここではその中の頂点に位置する「幻想交響曲」を紹介したい。
    CDをトレイに載せ、再生SWを押すと同時に聴こえてくる暗騒音からは、クラナートセンターの巨大な容積がリアルに伝わり、序奏の弱音器を付けたバイオリンと対話する低弦がこれほど豊かな量感で捉えられた録音は他には存在しない。この序奏だけでもDレンジの振幅とFレンジは気が遠くなるほど大きいが、ウィルキンソンは単にオケの音量差をテープに収めるのではなく、音量変化に伴う楽器の音色の変化や、ホールレゾナンスの変化をも細大逃さず捉えることにより、リスナーはホール内部の音圧の変化や空気の動きまでをも体感することができる。主部に入って惹きつけられるのが、バイオリンが奏する主題にユニゾンで付き添うフルートである。その音色や定位の正確さはもちろんのこと、音源が点ではなく、奏者の喉や管の共鳴も含めた三次元的なものであることがを、これほど実感させる録音はけっしてないし、薄気味悪いほどリアルな奏者のブレスノイズを聴く時、演奏者とリスナーの間にマイクやアンプやテープ等が存在することを全く感じさせない。これ以外にもゴム毬のような弾力と大砲のような迫力を併せ持ったティンパニ、音にならない地響きを伴ってリスニングルームを揺らすバスドラム、ホールの壁面まで共振させることで暴力的ともいえる低域のパワー感を高めた金管群など、本録音の特徴を挙げればきりがないが、全ての楽器が、幻想交響曲が持つ「熱狂」「狂気」「陶酔」「夢遊」「静寂」「獰猛」「冷酷」「情熱」「偏執」「豪華絢爛」といった支離滅裂な異常感情を伴って、巨大なスペクタクルでスピーカから飛び出してくる様は、ウィルキンソン録音の真骨頂だ。ショルティ&シカゴの演奏は、スコアに書かれている音符の全てを、極めて忠実かつ克明に描きだしているが、ウィルキンソンによるスペクタキュラーな優秀録音とあいまって、本ディスクを聴くという行為はこの曲の本質を理解することと等しいことが容易に理解できるだろうし、この演奏を「デリカシーが無い」とか「うるさい」とか「無機的」と評する人は、そもそも幻想交響曲には縁が無いと言わざるを得ない。
    最後にライナーノーツには、デッカの録音がマルチマイクの見本のように書かれているが、ウィルキンソン録音のややオフマイクでステージを捉えた、広大なパースペクティブを聴けば、誰もがこれが大きな誤解であることが理解できるだろう。また日本語訳も「何これ?」と思うような妙ちくりんな表現が多いが、これはこれでご愛嬌として許すとしよう。
    本BOXは、ショルティファンやオーディオファイルはもとより、ここに収録された曲の本質を理解したいと考える全ての音楽ファン必携の名盤なのである。

    21人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/29

    海外盤のハイブリッドは既に廃盤で巷では1万以上の値が付いており、待ちに待ってのSACD-SHMであったが、レイ・フォウラーが収録したステレオバージョンではなく、ジャック・ヒギンズが収録したモノラルバージョンでがっかり。しかし気を取り直してOJCの24bitリマスター(ステレオ)と比較してみると、キレは味鋭いサウンドとシャープな音像はステレオを上回り、ブレスノイズも豊かでSACDの有する情報量の違いを実感した。さすがにリスニングルームがそっくり録音会場と置き換わるようなナチュラルな臨場感は得られないが、これはこれで十二分に聴きごたえがある。しかしモノで聴いてもステレオで聴いても良いものは良い。さすがモンクだ!

    1人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/27

    この日のN響の鳴りはいつもとは完全に別物だった。ブル8のチケットはとうに売り切れ、この日のチケットも残すところわずかであり、手にしたシートも3階席右という音響的にも視覚的にも劣悪な条件下ではあったが、当日NHKホールを満たしたサウンドはこのハンディを全く感じさせることなく、パワフルで明瞭なサウンドがステージからハイスピードで耳に飛び込んで来たことに大きな衝撃を覚えたものであった。指揮者の巨体からは強いオーラが発散され、いつもは一丁上がり的に済ましがちなN響も、この日ばかりは何ものかに憑りつかれたようなひたむきさで音楽に没頭しており、コンサートというより、神聖な儀式に立ち会っているかのような錯覚に陥った記憶がある。そして指揮者がまるで会釈するかのように太い右手を不器用に上げるやいなや、NHKホールの天井が吹き飛ぶ程の凄まじい音響に膨れあがり、指揮者、オケ、聴衆が三位一体となって演奏のクライマックスに向かって盛り上がっていく際の尋常でない緊張感と興奮は後にも先にも経験が無く、最後の音が鳴り終わると同時に涙が溢れ、指揮者の姿が滲んでしまったことが昨日のことのように思い起こされる。今回のSACDのサウンドは音の傾向は先に発売されたXRCDと同じであり、デジタルマスターも同一だと思われるが、情報量の違いは歴然であり、Dレンジの拡大も目覚ましい。この違いはボリウムを原音域まで上げていくとさらに顕著になり、マタチッチならではのテンポやダイナミクス表現上のデフォルメがリスニングルームにおいても明瞭に再現され、それがスコアにそう書いてあるかのように必然性を持って鳴り響くのを聴くとき、当日の記憶がみるみるうちに蘇る。第7に例をとれば、第1楽章序奏で高弦が高らかに序奏テーマを歌う箇所で、音程を1オクターブ高く奏するのには、いきなり度肝を抜かれ、序奏の余りに速いテンポに入りが遅れたオーボエがすかさず遅れを取り戻す場面のスリリングな展開に冷や汗をかき、序奏最後のアッチェレランドではこの先どうなるのかと固唾を呑んで前傾姿勢で構える。主部の主題を強奏する4本のホルンがステージの後壁をビリビリと振動させる迫力に思わず姿勢を正し、展開部のクライマックスで基本リズムをイ短調のトゥッティで刻む箇所では、トランペットの高A音の強奏に身体がのけ反る。コーダで次第にクレッシェンドしていくコントラバスによるオスティナートの地響きでは手にびっしょりと汗をかき、最後のホルンの獰猛な咆哮では風圧で吹き飛ばされないよう恥も外聞も捨てシートにしがみつく。スケルツォでは、トリオのクライマックスでの耳をつんざくようなトランペットの雄叫びに甘美な陶酔感に恍惚状態となり、終楽章展開部に入っての第一第二バイオリンとビオラ、低弦とのやりとりで、倍近くテンポを落として粘りに粘る部分に至っては、脳味噌がグチャグチャにかき回され、自分が何の曲を聴いているのかすら分からなくなる。そして最後に訪れる地を穿つようなティンパニの強打と、最高音域を最強音で吹き鳴らす金管群のこの世に限界など無いと言わんばかりのパワーに、NHKホールががらがらと音を立てて倒壊する。例によってトランペットの北村源三は最初の音からズッコケているが、その後は往年の輝かしい音色を取り戻し、まるで黄金時代のレニングラードフィルを聴いているかのような錯覚に陥る(誉めすぎ?)。特に終楽章コーダで赤鬼のような形相で最強音を発する北村源三のトランペットがパワー、輝き、厚みを失わずに再生される瞬間は本SACDの白眉だ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/07

    いかにもヴァントらしい細部の細部まで磨き上げられた、荘重な「展覧会の絵」だ。弦や管のバランスは常に最上に保たれているが、ここぞ言う時の迫力は凄まじく、特にバスドラムの地を穿つような一撃には、背筋が凍りつくほどの戦慄を覚える。特にユニークなのは、随所にブルックナーのシンフォニーを彷彿とさせる響きが聴かれることで、冒頭プロムナードの金管の合奏は第5の序奏のコラールのようだし、カタコンブに至っては第9番のアダージョと見紛うばかりの深淵さだ。録音も地味ではあるが、楽音もホールレゾナンスも極めて忠実に収められており、マルチマイクを感じさせない自然なサウンドステージの再現性には好感がもてる。聴衆ノイズの処理も過度に陥ることがなく、今流行りの「無騒音ライブ録音」のような違和感は少ない。特筆すべきはバスドラムがノンリミッターで超低域までしっかり収録されていることで、ここにもエンジニアの良心を感じとることができる。
    この度のSACDは、初出CDと比べマスター由来の明確な音質差は感じないが、余裕あるDレンジと弱音部での情報量の増加が、演奏のゆとりの表出に大きく貢献しており、スケールが1回りも2回りも大きくなったような印象を受ける。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/06

    「この世に存在する無数のツァラトゥストラ録音の中で最高の一枚はなにか?」95年にエンジニア、J・ダンカーリーが録音した本ディスクはこの質問に対する極めて明快な回答だ。ツァラの名録音というと、デッカ伝説の名ミキサーK・ウィルキンソンが1975年に収録した、ショルティ&シカゴ盤が真っ先に思い浮かぶが、現状のCDのリマスタリングは万全とは言い難く、残念ながらマスターテープに収められた膨大な情報量の片鱗しか窺い知ることができない。このようにウィルキンソンのツァラが不遇な状況におかれている現在、本ディスクをもって「世界最高のツァラ録音」と言い切ることになんら躊躇を感じない。収録は95年3月であるが、この頃のダンカーリーは最も脂が乗り切っていた時期で、シャイーの「夜の歌」「火の鳥」、デュトワの「タコ5」といった超優秀録音を生み出しているが、その中でも本録音は、いかにも西海岸を思わせる明るく爽やかでカラフルなオーケストラサウンドが特徴であり、3D的なサウンドステージと相まって、R・シュトラウスの音楽の持つ魅力の全てをリスニングルームで満喫することができる。
    冒頭のオルガンペダルによる32.7Hzの超低音は、ほとんど感じとれない最弱音で開始されるが、3回目のファンファーレの途中から急激に盛り上がり、耳ではそうと認識できなくても、部屋の音圧が一気に上昇しリスニングルームの床や壁がぶるぶると震え始めることで、その尋常で無い音圧の高さを身体で感じることができる。トランペットのファンファーレはステージの遥か奥から聴こえてくるが、それがフルオーケストラで盛り上がった時、指揮者のやや後方におかれたリスニングポイントを中心に左右のスピーカーの外側まで広がったシネマスコープを思わすパースペクティブと、ステージの隅々までパンフォーカスされたシャープなピントに思わず息を呑む。またCDの限界を極めたかのような打楽器群の再現性も信じ難い高みに達しており、ヘッドの振動まで見えるかのようなティンパニのリアリティや、獰猛なまでの風圧でリスナーを襲うバスドラムの迫力は本当に鳥肌モノだ。
    しかしダンカーリー録音の本当の凄さは、どんなにオケが混み合い音量が膨れ上がっても、サウンドステージのパースペクティブがブレることが無く、全ての楽器が混濁とは無縁の見通しを確保し、シルキーでスウィートな音色を失わずに、涼しい顔をしてリスナーの前に次々と現れることであり、リスナーはまるでデイヴィスホールの最上席に座っているかのような甘美な錯覚に陥る。この一種独特の爽快感こそダンカーリー録音の真骨頂であり、師匠であるウィルキンソン録音をも凌駕する偉大な瞬間だ。
    なお本ディスクには92年にJ・ロックが同ホールで収録した「英雄の生涯」も収められているが、この録音がまた予想に反して素晴らしい仕上がりであるのが嬉しい。ロック録音の常として、個々の楽器の存在感とパワーを強調するあまり、ピックアップマイクをクローズアップ気味にミキシングしてしまう傾向があり、不自然なサウンドステージ、刺激的な高音、楽音とホールレゾナンスの分離、全奏部での混濁といった、マルチマイクの弊害の方が却って目立つケースが少なくない。しかしながら本録音では、メインのデッカツリーマイクとのバランスが極めて自然であり、ディテール、パワー、ホールレゾナンス共に高い次元で融合した、パワフルで濃密なオーケストラサウンドを満喫させてくれる。
    ブロムシュテットの指揮も彼のベストフォームを示しており、曲想の抉りも深く、ダイナミクスのコントロールもオケのドライブも完璧だ。この録音を聴いていると、長身を左右にリズミカルに揺らし、短く垂らした金髪の前髪をさらさらとなびかせながら、颯爽と指揮棒を振る姿がスピーカのすぐ後ろに見えてくるようだ。本ディスクは、オーディオファイルにとっても、R・シュトラウスファンにとっても、ブロムシュテットファンにとってもマストバイの世紀の名盤である。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/05/15

    74年にゾフィエンザールでゴードン・パリーによって収録されたアルバムである。ゾフィエンザールで室内楽のセッションが組まれること自体が非常に珍しいが、これをオーケストラのマッシブでパワフルなフルスケール再生を得意としていたパリーが録るとどうなるのか?非常に興味深いディスクである。弦楽合奏を彷彿とさせる分厚い響きは室内楽録音としては明らかに異質ではあるが、ウィーンフィルメンバーによる美音とゾフィエンザールの木質系の豊饒なレゾナンスによってまるでブルックナーの新しい交響曲を聴いているかのような甘美な錯覚に陥る。シュミットの五重奏曲でのマットで重厚なピアノ(恐らくベーゼンドルファーであろう)の響きも実に魅力的である。ブルックナーの音楽やウィーンフィルを愛す人にとってマストバイの一枚だ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/05/01

    オケ版はアシュケナージ編曲とされているが、実際にはラヴェル編曲にアシュケナージが手を加えたものと考えるべきである。録音はJ・ダンカーリーで会場はキングスウェイホールとくれば、めくるめく超ハイファイ録音を期待したが、スピーカーが出てきた混濁気味のサウンドにがっかりした。尤もこれはエンジニアの問題ではなくアシュケナージによるオーケストレーションに責があると見てよいだろう。アシュケナージの編曲は音量のさらなる拡大を狙ってか、旋律をいくつもの楽器で重ねる傾向があり、おかしなところで打楽器も追加されている。ラヴェルの魔術的なオーケストレーションだけでも十分カラフルかつパワフルなのに、これでは却って音は濁り拡散してしまう。「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」と「リモージュの市場」の間のプロムナードも原曲通り復元しているが、ピアノ原曲では口直しになるこの曲は、オケ版となると冗長さを感じさせ、なぜラヴェルが割愛したのかの理由が、初めて解き明かされた思いだ。また楽器の改変もきわめて凡庸な発想から生まれており、古城をイングリッシュホルンで、ブィドロをホルンで、シュムイレをバイオリンソロに変えるなど聴く前からバレバレだし、カタコンブ前半やキエフの大門の終結部における打楽器の追加に至っては、音楽的センスを疑いたくなるような悪趣味さだ。ピアノソロの方は、原曲の改変を行わない範囲でシンフォニクな響きを目指したもので、特にダイナミクスの振幅が大きくとられている。ただし「グノムス」でのグロテスクさ、「古城」での寂寥感、「ブイドロ」での遠近感、「リモージュの市場」での喧騒、「カタコンブ」での冷気と神秘性、「キエフの大門」での敬虔な祈りといった、曲が持つ独自の雰囲気は全く伝わってこない。この時期のアシュケナージは、既にピアニストとしてのピークを通り越していたのかもしれない。ムーアフットによるデジタル録音も、「超絶技巧練習曲」の時のような「芯の強さ」「腰の粘り」を失い、まるでスタインウェイの骸骨が鳴っているようだ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/05/01

    このディスクを単に「DG録音による気軽な現代吹奏楽集」と侮ってはいけない。ディスクをトレイに載せ最初の音が出た瞬間から、これがとんでもない誤解であることに気付き、聴き進むにつれ、これが究極のデモンストレーションディスクであるという大きな確信に変化していく。尤も最初に録音クレジットを確認してさえいれば、このモンスター級のサウンドが容易に想像つくわけで、プロデューサーはトーマス・モウリー、バランスエンジニアはマーク・オウボールという、録音界の名人同士の一期一会の邂逅によって生みだされた夢のような録音である。ここでモウリーとオウボールは、イーストマン吹奏楽団の高度な演奏技術と一糸乱れぬアンサンブルを、録音会場のシャープなアコースティクとクールなレゾナンス共々、最小限のマイクで空間ごと切り取ってリスナーの前に提供してくれる。原寸大のサウンドステージを俯瞰する広角のパースペクティブは実にスペクタクルであり、個々の楽器は、隣り合う奏者の左右前後の関係が間違いようもない正確さでピンポイントに定位する。そしてバスドラムやティンパニの一撃は地を穿ちリスニングルームをぶるぶると揺らす。三曲はどれも非常に高度なテクニックを要求するシリアスな音楽だが、様々な楽器と多様な奏法が生み出すカラフルな音響は本当に魅力的だ。本ディスクがこれまで巷で優秀録音として取り上げられ称賛された例を筆者は知らないが、ハイファイオーディオ再生に少しでも興味がある人にとっては挑戦し甲斐のある、まさにマストバイの一枚だ。

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     2012/04/23

    78年の5月から8月にかけてのロンドンでのセッションでバランスエンジニアはK・ウィルキンソン。録音時期が離れているわけではないのに2か所の会場で収録されているが、第1幕と3幕がキングスウェイホール、第2幕がヘンリーウッドホールであることはサウンドを聴けば明らかだ。聴きどころは当然ながらキングスウェイホールで収録された1幕と3幕で、オケの遠近感、パワー感、クリアネスは冒頭から全開で、プッチーニのゴージャスなオーケストレーションの妙を満喫できる。ソリストやコーラスの距離感や音量バランスも完璧で、デッカ伝統のソニックステージがスピーカ後方に原寸大で再現されるのを聴くと、これがウィルキンソンの仕事だと分かってはいても新鮮な驚きを禁じ得ない。アナログ末期の録音だけに機材の性能は完成域に達しており、オケや声楽のミクロディテールも極めてリアルにテープにおさめられており、特に3幕冒頭で、キングスウィホールの肥沃なレゾナンスを伴って打ち鳴らされる、梵鐘を思わす深い鐘の響きは特に聴き手に強い印象を残す。ヘンリーウッドホールでの第二幕は、オケの鳴りが悪く低域のパワーが落ち、音場のトランスペアレンシーも低下するのが残念だ。深読みすれば、第2幕がもっぱらスカルピアの公邸内が舞台となっていることから、レッシーニョがあえてこのようなアコースティックを選択したと考えられなくもないが、ここは素直にキングスウェイホールが他のセッションと重なり使用できなかったと見るべきだろう。もちろん当時の主流であるマルチマイクで録れば、ホールのアコースティクの違いを最小限にすることは容易であったが、ウィルキンソンはここでも最小限のマイクで、サウンドを空間ごと切り取ってくる姿勢を少しも変えてはいない。ただしオケを若干奥に追いやり、その代わりにソリストをクローズアップしこれに、豊かなレゾナンスを加えることで、全曲通しての違和感を最小限に食い止めている。CD鑑賞の際は1幕と2幕との間で十分間をとって脳を耳を休めることで、音響上の違和感の低減を図ることをお薦めする。最後に歌劇場指揮者としての豊富な実力派レッシーニョの指揮は、オケを十分に鳴らし、聞かせどころのツボをわきまえたメリハリある表現で、プッチーニの音楽の魅力を余すところなく引き出している。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/04/16

    本アルバムはオーディオファイル必携のデモンストレーションディスクであると同時にプロコフィエフの音楽を愛する全ての人にとってマストバイの素晴らしい全集だ。本全集の価値は次の3つの理由に集約することができる。一つめが、楽器編成から旋律、和声、リズム、ダイナミクスに至る多種多様な音響でオーディオ的な聴きどころ満載のプロコフィエフの交響曲全集であること。二つめが、61年から11年間ウィーンフィルのコンサートマスターを務め、デッカによるゾフィエンザールでのセッションを幾度も経験し、オーケストラ奏者の立場から優秀録音に貢献する演奏とはどうあるべきか知悉し、デッカの録音フィロソフィーに対しても深い理解を持っていた(と思われる)W・ウェラーがプロコフィエフがスコアに記した複雑な音符を丁寧に掬いだしていること。そして三つ目が、アナログ録音が成熟期に入った70年中期に、伝説の名エンジニアK・ウィルキンソン(3、4、5、6番)以下、J・ダンカーリー(2番)、J・ロック(1、7番)といったデッカ録音チームのエースらが、豊かで美しいレゾナンスとブリリアントなアコースティックにより世界最高の音響を誇っていたキングスウェイホールで収録したことである。録音は最も早い74年の1番、7番がロック、続く75年の6番、76年の5番、77年の3番、4番とスキタイ組曲がウィルキンソン、最後の78年のセッションでは2番とロシア序曲をダンカーリーが担当しておりいずれも目も覚めるようなハイファイ録音だが、中でもウィルキンソンとダンカーリーが担当したナンバーは、サウンドステージの広さと、まるで録音会場に居合わせているかのような臨場感において、優秀録音という月並みな表現では賞賛しきれない高みに達している。ウィルキンソンが収録したナンバーは客席からステージを俯瞰するナチュラルなパースペクティブが特徴で、キングスウェイホール一杯に広がるオーケストラを原寸イメージで捉えた広大なサウンドステージや全ての楽器にパンフォーカスされた深い被写体深度と、超微粒子トーンが織りなす濃厚で豊かな階調は、ウィルキンソン録音の真骨頂である。特に左奥彼方から聴こえてくるホルンの、金管楽器の中で最も長い管路が複雑に共鳴することでが生み出される、深くどこか陰のある音色と、ここぞという時の圧倒的なパワーのさく裂をここまで正確にテープに納めたエンジニアは他に居ないし、身体が吹き飛ばすほどの風圧で容赦なくリスナーを襲うバスドラムやテューバの低音の迫力を一度でも経験すると、他のエンジニアによる並みの録音には戻れない。そしてどんなにスコアが混みあい音量が増していっても、すべての楽器のディテールが混濁とは無縁のシャープネスで描かれる様や、楽器間の隙間を抜ってステージ後壁まで見渡すことのできるトランスペアレンシーはウィルキンソンの技量をもってすれば当然のこととはいえ、こうして目の当たりにするとやはり驚きを禁じ得ない。一方ダンカーリーの録音では、リスナー位置がぐっと指揮台に近づきパースペクティブもより広角になる。サウンドステージの左右の広がりはスピーカー間隔を通り越し、リスニングルームの幅一杯まで拡大するが、奥行きは依然として深く、打楽器や金管楽器は遥か遠くから聴こえてくる。一方でその圧倒的なパワー感は少しも失われていないところはさすがだ。またオケのサウンドもウィルキンソンのソリッドな美しさとは若干異なり、シルキーでメロウな側面が際だっており、楽器の上に霞のようにかかったデリケートなリヴァーブも惚れ惚れするほど美しく、人によってはウィルキンソン録音より好ましいと感じるかもしれない。これに対しロックによる録音では、ホールの広さや楽器の遠近感が十分に表出しきれておらず、ダイナミクスのコントロールも大雑把で、全奏部では少し暴力的に響くのが気になるが、これは比較した相手のレベルがあまりに高すぎたためであり、一般の録音から見れば十分水準には達している。ウェラーの指揮は、全体的にゆとりのあるテンポでオケを鳴らし切っており、恣意的なアゴーギグやディナミ−ク操作とは無縁の正統的な解釈と、躍動感溢れるパワフルな演奏は、プロコフィエフの音楽の持つ魅力を十二分に堪能させてくれる。最後にブリリアントクラシックスによるリマスターは、オリジナルテープのサウンドを尊重した(と思われる)丁寧なもので、流行の低域成分のカットがないことが評価できる。廉価盤につき解説書は付かないが、録音データはきちんと掲載されていることに好感がもてる。本全集を手にすると、ゲルギエフによる全集を手放すのになんの躊躇も感じない。

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     2012/03/25

    2006年1月のパッパーノ「トリスタンとイゾルデ」のセッション以後のJ・ダンカーリーの仕事を探していたところ、思わぬレベールで見つけることができた。これはロンドンの聖シラス教会での2006年11月の録音である。CDをトレイに載せ再生ボタンを押すと録音会場の豊かな暗騒音がリスニングルームを満たし、ショパンのマズルカ冒頭の嬰ヘ音が柔らかなタッチで鳴り響いた瞬間から、聴き手はダンカーリーワールドに引き込まれる。ピアノは教会の豊かで美しいレゾナンスを伴いながら適度な距離感で定位するが、低域が心地よく締っているのは、恐らく床が木軸ではなく強固な土間構造であるからかもしれない。クレジットを見るとデイビッド・ヒニットというアシスタントが付いているが、黄金期のDecca録音の伝統を今に受け継ぐ唯一のエンジニアであるダンカーリーの技術を是非とも習得してほしいものだ。ヤブロンスキーの演奏は節度あるロマンティシズムに溢れたもので、タッチの美しさが際立っている。録音、演奏ともに隠れた名盤である。

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     2012/03/24

    名人J・ダンカーリーの録音による上原彩子の第2弾である。ダンカーリーのように演奏会場の空間をまるごと切り取ってくるスタイルの録音においては、録音会場の選定が極めて重要であり、ロンドンの聖ルカ教会でのコンチェルトとヘンリーウッドホールでのソロとでは、ホール音響の差がダイレクトに表れており非常に興味深い。聖ルカ教会は暖色の木質系の響きが特徴で、特にピアノや低弦楽器の胴鳴りが楽器の脚を伝って、木のステージを共鳴させる際の豊かな低域を最大限漏らさずマイクに収める手法はダンカーリーならではであり、いつもながら体験する、録音会場とリスニングルームの境界線が曖昧になる不思議な陶酔感はダンカーリー録音の真骨頂である。これに対しヘンリーウッドホールの音響は少しドライで細身に感じるが、どちらも鳴っている楽器が同一であることが、間違いようがないほど正確に捉えられているのを聴けば、ダンカーリーが到達した孤高の技術に打ちのめされる思いだ。上原のピアノは第一作のグランドソナタの時よりも肩の力が抜け、展覧会の絵では女流らしい細やかな表情付けを見せる。指の廻りや打鍵の正確さは相変わらず完璧で、楽器を鳴らしきっていることに好感が持てる。

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