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ombredouble さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/07/10

    キャリア後期の南西ドイツ放送響時代以降にはどっしりと身の詰まった音楽を聴かせたギーレンの棒が、壮年期には天才の息吹を発していた事がよく分かる録音(何せこの時期までは古典の商業録音がほとんどない。現代音楽は山ほどあるが)。全曲72分の短い演奏時間は主に速い部分をより速く駆け抜ける為で、それがペース配分にやや凸凹を感じさせるものの、細部まで骨格のはっきりした演奏である故に瑕にはなっていない。

    声楽陣が高い水準で揃い、合唱もお腹に力の入った透明度の高い演奏を聴かせるし、その一方でアゴーギクを駆使しつつ要所に陶酔するような歌い込みをみせ、ソロの裏で時に空気のように軽く呼吸するオケを聴くにつけオペラ指揮者の面目躍如と思わざるを得ない。後年のほうが「解説的」な指揮ぶりではあるが、個人的にはこの時期までの方がずっと好きだ。

    フランクフルト(市立)劇場はオーケストラの個性で知られる劇場ではないが、ここでは低声部が重すぎないながら、楽器の音色が溶け合うと鈍い銀のような輝きを放つドイツオケの美質を発揮している。マーラーの管弦楽法と相俟ってとても美しい響きだと思う。ライヴ録音の制約もあるのだろうが、録音には少し継ぎ接ぎ感があるのは残念。欠点を魅力が相殺しているだろうという事で、躊躇わず五つ星をつけておく。

    烙印を押された人々の蘇演をもってシュレーカー・ルネサンスの先鞭をつけ、首席ドラマトゥルクのクラウス・ツェーラインを右腕にルート・ベルクハウスやハンス・ノイエンフェルスといった当時脂の乗った演出家たちを起用して論議を呼ぶレジーテアターの嚆矢となり、B.A.ツィンマーマンの軍人たちやノーノの音楽劇から果ては指環ツィクルスの上演で気を吐いた同劇場の「ギーレン時代」から残る商業録音がこれただ一つなのは残念だが、ドイツ中堅クラス劇場のメディア展開の限界を示してもいよう。それは今日でも基本的には変わらない。文化史がレコードで語られるべきものではない事は確かだ。

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     2016/09/02

    Nanutの特集ページからリンクされてしまったが、中身はミヒャエル・ギーレン指揮バーデン=バーデン(・フライブルク)南西ドイツ放送響の1971年のスタジオ録音。ギーレンの自伝Unbedingt Musikの某氏作成のディスコグラフィに注釈付きで掲載されている。演奏内容は完璧ではないが、壮年期ギーレンらしい引き締まった内容で十分満足できる。

    ギーレンは2013年ザルツブルクでの同オケとの自身最後となった同曲演奏で、遂にアンダンテ・スケルツォ順に宗旨替えした(翌年引退表明)。2005年の協会校訂版の見解を採用したとの事だが、常に前進し続ける人だったのだ。この録音ではまだヴァイオリン対向配置でもない。

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     2016/02/01

    折角シルヴィ・ブリュネまで引っ張り出してきて、ミンコフスキならどうして仏語のグラントペラ版にしなかったのかと訝るところだが(劇場で二度も観た印象に引っ張られているのかもしれないが、本当はヴェルディなんかよりも面白いものがあるよというミンコの声が聞こえてきてしまいそうなどこか上滑りな演奏で私にはあまり楽しめなかった)、モネなので一流のヴェルディアンを揃えられない弱みもある上演の記録.演技だけ上手くてもしょうがない.

    チェルニャコフの演出は密室でのトラウマ回想セッションに話を置き換え、従って設定上登場できないイネスもアズチェーナのブリュネが兼ねるが、ドン・ジョヴァンニのレビューでも指摘した「ぶつ切り」問題が相変わらずでどうにも苦しい.つじつまも合ってないが、合わないものは合わないで幾らでも処理する手法はあるのでそれだけの問題ではないと思う.確かにチェルニャコフはそういう芸風ではないが.

    ケチばかりつけたものの演奏はそれなりに緻密だし、演出ともミクロには見所というか、楽しみどころはあるから気に入れば別にいいかもしれないが、オルタナティヴはやはりオルタナティヴで、本家を食ってしまうほどの凄みや完成度はないという結論に.ここ5年のミンコならモネでのユグノー教徒新校訂版上演のような資料的価値もある上演(ソロ歌手が大量に必要なので随分とお金もかかったはず)やヴィーン/モネでのアムレットのようなひっくり返るほどの名演もあったのに(演出は両方ともオリヴィエ・ピ)、全くなぜこういう微妙なものに限ってソフト化されるのだろうか….

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     2016/01/16

    当盤は曲目に魅力を感じないので放っておいたが、セールの折に注文したところ訃報が届いた.ブーレーズが晩年最も力を傾注したのがルツェルンのアカデミーで、これはそのプロモ盤といったところなのだろう、本当なら結局録音しなかった定番レパートリーであるグルッペン、カーター諸作、ロンターノやその他彼が選んだ若手の作品を聴きたいところだが(藤倉大の作品は、本人レーベルからリリースされたが)、平均的クラシック音楽ファンアピールとして無難な曲目が選ばれている.この点でまず星ひとつ減.

    収録されているのはヴェーベルンが極小編成に移行する前に書かれたパッサカリア作品1に晩年12音成熟期の変奏曲、ストラヴィンスキーが三大バレエに並行して書いた歌劇鶯から編曲した交響詩鶯の歌、そしてマーラーの6番である(ブーレーズ・ファンにこんな説明は必要なんだろうか).

    いずれもブーレーズが半世紀来幾度となく演奏し続けた十八番で、半世紀前にはまだまだ新しく発見されるべきものだったこれら近代管弦楽の精華も、時の経過につれ指揮者ブーレーズにとっては完全に自明なものになっていった.それゆえこれも肩の力抜けた教科書的な演奏だが、演奏体験としてはそれ以上のものをぜひとも求めたいところだ.1枚目のヴェーベルンとストラヴィンスキーは一応正しく透明に鳴っているから良し.ただエッジは甘めだし、パッサカリアにはもっと若さ故の激情がほしいが.パッサカリアなら若き日のロンドン響との演奏(BPh盤もなかなかだったが)、鶯の歌はニューヨーク・フィル盤かヴィーン・フィルとのザルツブルク・ライヴあたりが素晴らしかったのでむしろそちらをお聴き頂きたい.

    マーラーは演奏会後に録り直しセッションをしたそうだが、ライヴよりさらに力感が減少してしまい少々不満.ブーレーズのマーラーには、演奏会では真に圧倒的な印象を受けたが、結局録音で満足しているものはほとんどない.教育者としての彼に敬意を表して星4つ.何にせよ作品・著作・演奏・そして弁舌から多くの事を教えられたし、これまで自分の住む世界に(良きにつけ、悪しきにつけ)当たり前に存在した音楽家なので、その不在を寂しく思う.

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     2015/01/09

    これがブーレーズの本領発揮で、それが同時に仏文化宣伝を担った(今はなき)Eratoレーベルのダニエル・トスカン時代を代表してもいる充実のセット.持っていない人は買って損はない.但し代表作名演揃いの自作自演部分が、プリを除きほぼそっくりDGGの「作品全集」にも入っている点など注意が必要(レーベル統廃合の関係で最近この手の重複がやけに多い).

    ストラヴィンスキー夜鳴き鶯でのテクスチャと色彩感の精緻で見事なこと.耳の衰えか忙しくなり過ぎたのか、これや自作水の太陽・婚礼の顔で聴かせる瞬発力とクラリティは、’90年代にIRCAM所長を辞しDGGと契約・有名オケの指揮台に戻って来る時分には失せてしまった.管弦楽の4つのエチュードにはちゃんと元ネタの四重奏の三つの小品にピアノラ版マドリードが付属するなど拘りがある.同じ機会に復元初演した結婚1919年版まで入れれば重要な記録になったのに残念.プルチネッラはロルフ=ジョンソン、マレイ(シェロー演出のルーチョ・シッラでそれぞれシッラとチェチーリオだった二人でもある)にエステスと実力者を揃えた名演だし、兵士の物語での仏演劇界の大物三人(もう皆故人となってしまった)のひと癖ある達者な語りも黄金時代のスナップショットである.

    現代音楽も充実の内容で、ベリオ:シンフォニアは言うまでもなく、長くレパートリーとしたドナトーニはオートマティズム期の代表作、クルターグのシュルレアルな歌曲サイクルはブーレーズEIC委嘱作で国際的名声の切っ掛けとなった作品である(フンガロトンから出ているものと同一音源).カーターはシンプルで透明な’70〜’80年代作中心(五極真空管はなぜか録音が冴えないが).グリゼーの音響空間はできればモデュラシオンだけでなく前半も振って欲しかったが、ブーレーズの美学には合わなかったのだろう.

    カップリングの関係で入っているリゲティのエチュード第1巻とホルントリオは、若きエマール(2000年代以降とは別人)らアンテルコンタンポランのメンバーによる隠れ名演.ハーヴェイの死者を嘆き生者を呼ぶはブーレーズ時代のIRCAMで制作された代表的電子音楽作品で、エトヴェシュ指揮とあるのはCD初出以来の誤記である.

    古いメシアン録音はコロンビア/SONY箱にも入っているのに注意.フランス管の名奏者を擁したドメーヌ・ミュジカル、そして往年のストラスブール打楽器合奏団の魅力光る名演.シェーンベルクの演奏は若干鈍いが仕方あるまい.

    ジャケットのポストモダンデザイン的古臭さも内容に合っていてよい.欲を言えば、レーベルの消滅以降お蔵入りしている現代音楽録音をもっと再発して欲しい(マヌリ:Zeitlaufなど).

    16人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/08/14

    歌い始めるや筋肉の盛り上がった二の腕で迫る、マスキュリンなヘルリツィウスの真っ黒い仮面のような相貌に度肝を抜かれ、濃い情念を閉じ込めた歌唱と(映像では余りそうは見えないけれども)小柄な体躯から発せられるオーラに最後まで圧倒される.サロネン指揮パリ管も表現は浅めだが俊敏さスピード感と諧調の細かい水彩のような色彩で聴かせ、合奏はタイトでもテクスチャの濁りがちなドイツオケに対するオルタナティブな魅力.シェローの舞台に完璧にシンクロして手に汗握る一方、随所で甘い響きにも欠けていない.この2点だけでも十分元が取れると思えた映像.

    エレクトラとクリテムネストラの(そしてクリソテミス、オレストとの)心理的なやり取りを丁寧に演出すると同時に、下僕たちに世代分けを導入し時に争いを演じさせることで、物語を内外両面から補強するのはシェローらしい発想.そのためにW.マイヤーが、声はかなり衰えたりと雖も、グロテスク一辺倒から脱却した「永遠の恋する女」を演じるのが注目であり、また脇役にロバータ・アレクサンダーや、マッキンタイアにマツーラと昔からのファンに懐かしい名前が見られるが、ちゃんとそうしたコンテクストで活用されてもいるのだ.

    唯そうした「アイディア」は、シェローの創造力が爆発していた頃のルルやルーチョ・シッラの圧倒的演劇性に比較するとやや小細工感を禁じ得ないのだが(大規模な空間の使用も、最早見られない)、それでも彼が最後まで優れたオペラ演出家であり続けた理由は、彼がオペラ歌手と真に仕事をする術を知っており真摯さを失わなかった事にある.ミハイル・ペトレンコはやや声のインパクトが弱く、逆に歌唱は文句なしなピエチョンカは演技が弱いが、それでもきちんと性格づけして見せる辺りにもその良心的な仕事ぶりが表れる.トム・ランドルは性格的で面白い(夫妻の殺害にも一応ひと捻りはある).

    シェローはヴォツェックより後、即ち王妃マルゴで映画監督が本職になった前後以降の舞台の仕事にはいまいち新味を感じなくなったが(更に言えば、1995年の綿畑の孤独の中で第3版以降演劇の仕事自体がまばらになったが)、何かまだ展開があるんじゃないかと心の底でどこか期待するものがあっただけに、これが最後の仕事となったのは無念だ.それに相応しい仕事かどうかは、観る者の価値観次第だろう.

    映像はいつも通りステファヌ・メッジで、色彩は美しい.

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/08/05

    ブーレーズが作品紹介と普及に心血を注いでいた新ヴィーン楽派、ストラヴィンスキー、バルトークとヴァレーズ、及びドビュッシーとラヴェルの系統的な録音、そして幾つかの主要自作自演を柱とする内容で、基本的にはCD既発音源の集成であるが、入魂のヴェーベルン「全集」(作品番号付+αゆえ今日から見れば完全全集ではないが)がCD2枚分しか収録されていない.オリジナル・ジャケット・コレクション的な趣向で余白の多い収録(重複やブーレーズ指揮でないものも)の割にこれでは、若干割り切れない.熱心だったレパートリーだけあって演奏も優れたものが多いが、出来不出来も否定できないので、演奏内容で星4つとしたい.(そういえばジャンヌの扇のファンファーレが含まれていないのは書き洩らしだろうか?)

    ヴェーベルンは言うに及ばず、ベルクではヴォツェックと室内協奏曲に一番最初に手をつけている事、シェーンベルクではグレの歌・モーゼとアロンのみならず自由な無調期の大編成作すべて(五つの管弦楽曲・期待・幸福の手・四つの歌曲作品22から世界初録音のヤコブの梯子まで)及び重要な室内アンサンブル作品すべて(ふたつの室内交響曲・ピエロ・セレナーデ・組曲作品29・オード・断章三つの小品)を収録している事、火の鳥・ダフニス・木製の王子・マンダリン等のバレエ音楽で全曲版を選択している事、ストラヴィンスキーの管楽器のシンフォニーズ、バルトークの田舎の情景に四つの管弦楽曲作品12、ドビュッシーの遊戯にペレアス、ラヴェルの室内アンサンブル伴奏付歌曲、マーラーの当時発掘初演されたばかりだった森のメルヒェン(嘆きの歌初稿版第1部.残りの部分は改訂稿による)そしてベルリオーズの幻想のみならずレリオ(語りは嘗ての雇主ジャン=ルイ・バロー)と夏の夜(複数歌手に歌わせるブーレーズ好みのやり方〜スチュアート・バロウズとミントン)を収録している事、などにこれらの作曲家への強い拘りが見られる.しかしシェーンベルクの一部とヴァレーズがかなりお仕事演奏なのは、’60年代に散々演奏したわりに後回しにしたので、飽きてしまっていたのだろうか(なお砂漠はテープ無し版で収録).

    自作では、全面セリー主義の柔軟な運用への脱皮を告げる主のない槌・プリ(旧版)・エクラ/ミュルティプルほかが優れた演奏で収められている.メシアンも我死者の復活を待ち望むと天国の色彩という重要作を収録し、ストラスブール打楽器合奏団の妙技と往年のフランス管の音色が堪らなく魅力的(先に収録してしまっていた七つの俳諧も、異国の鳥たちも入っていないが).

    それ以外の現代音楽ではカーターとベリオが収められているが、おまけ的扱い.ベリオならシンフォニアやミュージックシアター作品、カーターならピアノ協奏曲など収録しても良さそうに思えるところ、典型的ではあるものの最重要作/分野からやや外れる選曲でお茶を濁しているのには、レコード産業的事情と同時にブーレーズの嗜好が見え隠れする(何度も実演にかけ欧州ツアーにも持って行ったカーターのオケコンは、初演者バーンスタインのレコードがあったため録音できなかったそうだ).とは言ってもコラールは会心の演奏だが.

    備忘録代わりに記せば、説明文通りルコムシュカとのアルテンベルク歌曲集にハーパーとの七つの初期の歌(BBC響、いずれもノーマン=ロンドン響と再録)がCD初出、NYフィルとのカーター:見つめる鏡(後年EratoにEICとの録音がある)が初リリース.

    CD初出ではないものの若干入手し難かったのがクリーヴランド管とのダフニス第2組曲、BBC響との2回目のベルク三つの管弦楽曲(これ以外にも幾つかクレジットに間違いがある)、ハーパーとの歌曲集シェエラザード、ベートーヴェン、ミントンにミュジック・ヴィヴァントとの3回目のマルトー自作自演、NYフィルとの鶯の歌、アレルヤIIほかのベリオ録音(RCA音源).

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/07/31

    SWR響前シェフのカンブルランの置き土産(本当は二度もやったアッシジの聖フランチェスコも録音してほしかったが).カンブルランに新ヴィーン楽派の商業録音がないのは単純に苦手だからだと思っていたが、なかなかどうして、大変充実を感じる演奏だった.

    モーゼとアロンはシェーンベルクが十二音技法の実験段階を終え、膨大な対位法を(自由な無調期に発展させた)音色旋律の技法で肉付け彩色するスタイルを確立した亡命直前期の大作だが、作曲家の最も脂の乗った音楽を的確に把握しつつも一気呵成に処理している.時に白熱しすぎる棒を破綻すれすれで返す合奏力もこのオケならではと言えるだろうし、端正で洗練された音色の混合の美しさが冴える.

    ライヴとはいえ演奏会形式ゆえソロが明瞭なのも美点で、第1幕における6声の「燃える柴からの声」や語り・歌唱の混合等独創的な書法がクリアに聞かれる一方、オケの複雑さが頂点に達する「黄金の仔牛を巡る踊り」ではぎりぎりの緩急と煽りを見せる(さすがにそれなりの乱れが生じているが).とりわけアーロン役アンドレアス・コンラッドの凛とした歌唱が光るが、題名役のグルントヘーバーは立派ではあるものの若干マイペースに感じてしまった.一大プロジェクトとして臨んだオイローパコーアアカデミーも、雑味はあるものの、準備の成果を反映した力感のある合唱を聴かせる.

    総じて完璧な演奏かというとそうではないのだが、何と言ってもこの終始苛烈な音楽の熱気をそのままに聴ける、というところがよい(フライブルク公演は行われなかったので、9月20日は録り直しセッション).

    なおSWR響は、南西ドイツ放送の予算削減計画の煽りを受け、2016年を以て活動終了する事が決まった(シュトゥットガルトの放送響に統合される).モーゼとアロンの世界初演者である初代首席指揮者ハンス・ロスバウト以来、現代音楽への長い貢献のみならず古典でも優れた演奏を見せたオケが無くなるのは残念極まりないが、このオペラはその両領域に亘るSWR響の個性を描くのに正に最適な演目だろう.

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/11/24

    以前ザールブリュッケン放送響の記念盤で第2楽章だけ出ていてどうしても全曲聴いてみたかったものだが、音程の悪いオケを無理矢理締めたような疵の多い記録で、若干期待外れの感は否めない.壮年期のギーレンの媚びの一切感じられないマーラーは貴重だが(他にはSWF響との6番 https://www.hmv.co.jp/product/detail/247255 くらいしかない)、本当にもうちょっと条件の良い記録はなかったのだろうか.文句ばかり言ったがザールブリュッケン放送響の少し鄙びた温かみのある弦管はそれなりに味わいはある.

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     2013/08/19

    一人の歌手にとって、ヴィオレッタをもってキャリアを締め括るのは幸せな事なのだろうか.不世出の「歌う女優」ドゥッセーありきだが演奏は程々で、むしろシヴァディエの演出が孤独の内に死んでゆく女の物語を繊細に紡ぐ、その美しさを見るべきソフト.

    シヴァディエは芝居が本業の演出家だが、ほぼ固定された長方形の空間に小物・釣り物と節約的な照明効果だけを用い、虚栄の華やぎと虚無を自在に行き来しつつヴィオレッタの置かれた「場」を鮮やかに浮かび上がらせてゆく舞台は洗練されていて見事だ(彼の演出ではVirginからDVD化されているリールでのポッペーアも中々見ものなので、気に入った方にはそちらもお薦めしたい).第3幕のカーニヴァル合唱以降には鳥肌が立つ.

    椿姫には今まで演出面からはろくなソフトがなかったから一石を投じる映像にはなろうが、格別新しい発見がある種類のものではなく、演奏もそれに並んでそこそこ歌える人たちが集まった、という印象.

    ドゥッセー(日本に紹介される時、なぜ「デッセー」なり「デセイ」という英語読みをベースにした表記をされたのか理解に苦しむ)は声の質だけ聴けば細身であまりスクイッロも効かないように思えるのにかなりプロジェクションがある歌手だったが、どうしてもこの役を歌いたかったらしくサンタフェでロールデビューし、エクスでこの2本目の舞台となった.アントーニア等を経た後、この秋トゥールーズでのマノンをもってオペラの舞台からは退くというが、もっと早くこの演出家と出逢えなかったのかと嘆息してしまう.

    確かに彼女、長年ローラン・ペリとのコンビを謳歌したがすっかりオーヴァーアクションの癖がついてしまっており、複雑な事は表現できないきらいがある.歌唱は期待される以上でも以下でもなく破綻なくこなしているが、「歌だけ取れば」過去のヴィオレッタ歌いと比べどうという事はないし、オフェリでのような強烈な声楽的輝きにも乏しく、アクートから胸声域に下りてくる時などに見え隠れする支えが不安定になる傾向に苦しみが見え隠れしてしまうのが辛い.それでもこれだけ見栄えがして華のある人も珍しく、飽くまで演技あればこそだ.

    カストロノヴォのアルフレードはシェーファーとの組み合わせで聴いた事があるが、個人的にはむしろボスマンス編曲/ワルリコフスキ演出でのサディスティックなネローネが忘れ難い.しかし、ここではその個性は若干封印気味.

    第3幕の二重唱にやっぱり慣例的カットがあるのが不満だが、そんな事を言って意味のあるレベルの演奏でもない.

    パパ・ジェルモンのテジエは、いつもながらイタリア的なしつこさが抜き去られたジェントルな歌唱(第2幕第1場の終わりはカバレッタも歌っている).ラングレー指揮のロンドン響は、あまり気にならないのが美徳的な程度.よくつけているが表現の多彩さには欠ける.

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     2013/08/09

    いかにもチェルニャコフらしい舞台.完全に読み替えるのはいいが、そうすると微妙に辻褄の合わない部分が気になってしまうし、時間経過をかなり細切れに幕を下ろす割にはフォローがないのでぶつ切りの印象だけが残ってしまう(ツェルリーナがアンナの娘だとか、次の場面は云日後といったキャプションは、実際の上演の際にも下ろした幕に投影された).これが彼の最大の問題で、オペラ自体がミニマルな形式のヴォツェック以外、看過できる例を見た事がない.

    とは言え歌唱が全体的に冴えないのは演出家だけのせいではあるまい.スコウフスは明らかに調子が悪いし(息も絶え絶えであるだけに浮浪者っぽい設定が妙に嵌ってしまい、その役作り自体は見物であると言えなくもない)、一部名前は有名だが大したことのない歌手も混じっている.ラングレーの指揮はいつも通りつまらないし、ケテルセンも可もなく不可もなく.ただそれぞれの歌手のキャラクターを生かした役設定だけは爆笑ものだ.チェルニャコフと衣装チームは、毎度よくこんな可笑しな設定を思いつくものだと思う.

    オペラを音楽のついたサスペンスドラマ的に眺める向きには楽しめる「かも」しれないし、オペラを飽くまでオペラとして見る人には徹底して退屈であろう一本.こんなのを出すくらいなら前年ミンコ=ピのイドメネオとか大野=ルパージュの狐+夜鳴き鶯とかを出してほしいのだが.

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     2013/03/20

    随分と対照的な2枚を1セットにしたものだ.

    ロバートソン指揮リヨン国立管のオーケストラ曲集はソロが入らない作品を集成し、殊にノタシオンなど音を選んでスマートに面白く聴かせる(聞こえてこない音も多いが…現時点ではギーレンSWR盤が一番).作曲家としてアクティヴだった時期のフィギュール・ドゥーブル・プリズムも快速演奏だが、停滞期のリチュエルは作品自体が落ちる(キング・インターナショナルの宣伝文は意味不明).しかし、いずれにせよ演奏が表面的に軽めで評者の好みではない.

    対するヘルフェールのソナタ3曲は、正確さはともかく彼の信ずるイディオム解釈に従って突き進む荒っぽい演奏.ひとつひとつの音群に与えられているテクスチュア・運動性に注力した馬鹿力ピアニズムがアルトーやミショーに凝った激情の人ブーレーズを浮かび上がらせると共に、ピアノからオケへの移行も垣間見せ、これはこれで面白い(録音が割れ気味で幾分冴えないが).第3ソナタ、星座/鏡でのペダル効果も、明晰ではないもののそれなりに捉えられている.

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     2013/03/11

    基本的には既出音源から纏めたセット.適宜Erato音源を採用し作品ごとに取捨選択を行っているため(たとえばソナタでは1番がエマール、2番がポリーニの名録音)明らかな欠陥演奏は排除され、全体的な演奏解釈の質は高い.ブーレーズ作品のCDを余り持っていない人向けの入門的セットとしては安心して推薦できる.一方で完全な新録は小品二、三だけでプラスアルファが少なく、現在演奏可能な同曲異版すら網羅しているわけではないため細かい取りこぼしも多少発生し、「全集」と名乗るにはかなりの隔靴掻痒感があるのも事実.(なおDGGの公開している演奏者クレジットでは、構造IIはコンタルスキー兄弟ではなくエマール&ボファールになっている.まあどちらもそれぞれに美質のある優れた録音だ.)

    数少ないCD初出音源であるデリーヴ2の再改訂版(2006)とノタシオン管弦楽版はライヴの演奏会から.後者などは今までであればCD化を許可しないクオリティの演奏だろうが、初演者バレンボイムの妙に遅いテンポが定着してしまったVIIの、本人による解釈が聴けるので一応の価値はあろう.

    婚礼の顔・水の太陽・プリ・カミングスは詩人である等は旧版の公式録音が存在するわけだし(そしてその全てが、現在一般に入手可能なわけではない.水の太陽は1958年稿から現行版への改訂でオケ・合唱ともディヴィジョンが大幅に細かくなっているし、婚礼の顔旧版は音楽自体がかなり異なるので収録する価値は十二分にある)、実験的な電子音楽作品も折角なら纏めて欲しかった.ここに収録されたフィギュール・ドゥーブル・プリズムのBBC響との録音はテンポを落としすぎているので、SWR響との近年のライヴを出してくれれば嬉しかった.といったところだろうか.何にせよ、これで終わりと思うと少し寂しいものがある.

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     2012/12/15

    休業中のマエストロ最後の輝きとなる時の大時計完成版初演、曲もデュティユらしく悪くなくフレミングの美声を味わえるという事でご祝儀星四つとしたいところだが、如何せん収録時間が短い.この演奏会はFrance Musiqueの同時中継入りで、アンコールで全曲演奏し直したのだから、どうせならそこまで収録すれば記念品的アイテムになったのではないか?(もちろん、後半のラヴェル・ベルリオーズでも良いけれど.)

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     2012/11/01

    暫く前にようやっと全曲通奏日本初演の行われた、グリゼーの、のみならずスペクトラル楽派の最高傑作.少しずつ歪みを堆積させる反復(厳密には反復ではない)がヴィオラE線の倍音上に展開し、敷居を跨ぐようにソロから18楽器まで編成を増す前半3曲、響きの歪み・テンションと時間構造のイレギュラリティの連携の試みで最後には4本のホルンの壮大な咆哮に終わる後半3曲の計約100分からなる.前半をコセ(va)・ヴァラード率いるクール・シルキュイ、後半をカンブルラン指揮フランクフルト歌劇場管が担当.

    全曲初録音の意義はあったが肝心の演奏は若干ぱっとせず、KAIROSから二種目の素晴らしい全曲盤(0012422KAI:ステファン・アスバリー指揮ASKOアンサンブル/WDR響、vaソロはガース・ノックス)が出た今となっては値段くらいしか取る点がなくなっている.作品評点で押し上げて星四つとしたいが、できればKAIROS盤を聴いてほしい.

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