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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/08/27

    テンシュテットのライヴは凄いという話はつとに聞いていたが、不運にしてまだそれを実感できるようなディスクに巡り合わなかった。確かに8番の録画では「神が降りてきている」が、8番ではスタジオ録音だって劣らず凄いと思っていた。だが、6番に関しては83年スタジオ録音、91年ライヴがあるにも関わらず、LPOレーベルが録音状態の芳しくないこれを発売した理由が良く分かる。わずか4ヶ月前に録音されたばかりのスタジオ録音(東芝はこれを廃盤にしてしまい、91年ライヴを本来、83年録音のものだったジャケットに入れて売っているので要注意)と比べてみると、基本テンポが上がったことによって緩急のメリハリが強くなり、ライヴならではの即興的なテンポ変化もあるとはいえ、全体としてはより明快な演奏になったと思う。しかし、テンシュテットのマーラー演奏の特質は、遅いテンポのなかで各パートを鳴らしすぎるほど鳴らすことによるエネルギーの鬱積感、必ずしも合理的でない「のたうつような」テンポ変化からくる、ある種の晦渋さにあると考えているので、これが出たからといって、まさにそうした特質が聞き取れるEMI盤が不要になったわけではないと思う。

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     2009/08/27

    そんなに大歌手が出なくても、そこそこ歌って演じられる歌手と気の利いた演出があれば面白く見られるオペラ。作曲者も悩んでいたようだが、最後がどうも煮え切らないストーリーで欲求不満が残るので、そこをどう解決するかが演出家の課題だろう。最終改訂版(第三版)に基づき、ヒロインの自殺で終わらせるプラシド・ドミンゴ夫人、マルタさんの演出は手堅いながら、なかなか良い。見ての通りの美貌のヒロイン、いかにも「うぶ」なマーカス・ハドックの相手役ともに好演。エンディングは従来通りだが、舞台を1950年代に移し、最後にはあっと驚く大仕掛け(これは見てのお楽しみ)を見せるグレアム・ヴィック演出(フェニーチェ歌劇場)と互角の勝負か。

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     2009/08/26

    あまりに陰影の濃い、内向的な演奏は好みを分けるかもしれないが、好きか嫌いかと言われれば、もう大好きな世界。テンポ、強弱、音色の変化から独特なリズムのつかみ方(ハ短調終楽章のコーダ)まで手練手管は多彩だが、イ長調の終楽章に至っても、明るく開放的な世界に抜け出ることはない。緩徐楽章が旧盤よりやや速くなったのは、ピリオド・スタイルを意識したせいと思われるが、少しもあっさりしたわけではなく、反復の際の旋律装飾はもうマニエリズム。カデンツァや挿入句のセンスの良さもさすがだ。ハ短調終楽章の一部変奏では弦のプルトを減らして室内楽風にしたり、新全集版からアルコになったイ長調第2楽章終盤の弦の伴奏音型では低弦のみピツィカートにしたりと(テイト指揮でもここはそうだったが)オケの方も工夫が山盛り。もちろんオケは申し分なくうまく、木管の美しさには惚れ惚れする。

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     2009/08/22

    祝、全集完結! これが21世紀初頭を代表するマーラー全集として長く聴き継がれてゆくことは間違いないが、一つだけ贅沢な不満を言えば、アイロニーやパロディといった側面の表出がやや弱いこと、端的に言えば、少し陰影が足りないことがこのツィクルスの弱みだった。しかし、このディスクを聴くと、その印象も訂正する必要があるようだ。最初の第10交響曲・アダージョは苦みもアイロニーも兼ね備えた素晴らしい名演。一方、メインの第8はと言えば、もともと暗い側面のない曲なので、ティルソン=トーマスのアプローチに何の不安もない。そして演奏は、これはもう堂々たる横綱相撲。アンサンブルを磨き上げて、総譜の情報を細大漏らさず拾い上げることを主眼にしているが、現在望みうる最高水準とも言える優秀な録音の助けもあって、立ち現れてくる曲の威容の見事なこと。しかし、単なるインテンポ主義ではなく、この全集の随所で見られた、ロマン派への先祖返りのような大胆なアゴーギグがここでも聴かれる。第1部末尾では思い切ったアッチェレランドで音楽を追い込んでいるし、逆に第2部の終わりでは幅広いテンポをとって、いやが上にも壮大さを盛り上げている。当初予定より2年以上遅くなった録音のための演奏会には周到な準備がなされたのだろう。合唱の練度も高く、独唱陣にも隙がない。大所帯の統率をとるのが難しく、たとえばブーレーズもかなり遅いテンポをとっている第1部末尾も、前述の通り、速いテンポで突進するが、アンサンブルには少しの乱れもない。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/08/21

    シェイクスピア最後の戯曲で最高傑作との評も高い『テンペスト』のオペラ化。台本はうまく原作を圧縮しているが、ポスト・コロニアリズム以来、アメリカ先住民のような植民地主義の犠牲者と話題になることが多いキャリバンがやはり重要視されていて、第2幕で夢の話を語るところでは讃歌のような崇高な音楽が付けられているし、プロスペロー退場後に最後のセリフを歌うのも彼になっている。ボストリッジが得意のニューロティック(神経過敏)な歌を披露するが、キャリバンはパパゲーノのような自然児のイメージがあったので、ちょっと違和感あり。作曲者はピーター・グリーナウェイ監督の映画『プロスペローの本』に付けられたマイケル・ナイマンの音楽を意識していたはずだが、ナイマン同様、パロック・オペラに倣ってキャリバンがテノール、エアリアルがコロラトゥーラ・ソプラノなど高めの声偏重の配役になっている。芸術は絶対に「進化」しなきゃというモダニズム思想は過去のものとはいえ、素朴な聴感ではブリテン『真夏の夜の夢』に「毛が生えた」程度にしか感じない、あまりにもまともなオペラぶりに戸惑いもあるが、原作自体が圧倒的に良くできているので楽しめる作品であることは確かだ。

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     2009/08/20

    『夜と夢、ジクムント・フロイトの死』はイギリスの作曲家、アンドリュー・フォード(1957- )がデラー・コンソートの創立メンバーでもあったテノール歌手、ジェラルド・イングリッシュのために書いたシアター・ピース。題名にあるシューベルトのリート『夜と夢』と『小川の子守歌』(『水車小屋の娘』の終曲)を枠として両端に置き、その間に死に瀕したフロイトの回想がイングリッシュの語りと歌(英語)で繰り広げられていく。歌の部分はフロイトらしい「夢の歌」だが、その内容は『夢判断』などで語られているフロイト自身の夢のどれとも関係はなく、完全な創作。SPレコード針音入りのリート(歌はイングリンシュ)など他の素材(軍靴や空襲警報のサイレン、ヒトラー、チェンバレンの演説など具体音もある)はすべてプレ録音されていて、イングリッシュが56分余の一人芝居を演ずるという趣向だ。2000年、彼が72歳の時の録音。語りの内容はフロイトの同性愛とそこから起因するヴィルヘルム・フリースやカール・グスタフ・ユングへの転移(惚れ込み)、およびその悲劇的結末という彼のプライヴァシーの核心にかかわるもの。現代音楽臭皆無なので音楽作品としての充実度には疑問符がつくが、フロイト研究者として大いに楽しんだのは事実。ただし、聴き手を選ぶ作品であることは確かで、フロイトとフリースやユングの関係について、あらかじめ知っていないと、さっぱり話が分からない。 シェーンベルクの方は同じイングリッシュの語りながら、1973年録音の既発売音源。

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     2009/08/18

    『コジ』と『フィガロ』は洗練されたセラーズ版といった趣きで、もちろん悪くないが、すべては想定範囲内。その点では『ドン・ジョヴァンニ』が断然、面白い。舞台には幾つものベッドが並べられ、人物達は出番になると起き上がって演じるが、終わるとまた寝てしまう。個人幻想、夢にひたる各キャラたちがつかのま(ドン・ジョヴァンニは砂時計を置く)出会う場がこのオペラという解釈か。ジョヴァンニに憧れる盗撮マニアのレポレッロ、アンナ人形を抱いて歌うドン・オッターヴィオには笑える。一方、第2幕のドンナ・エルヴィーラとレポレッロ、「薬屋の歌」後のツェルリーナとマゼットのベッドインなどは明確に性行為を暗示し、開幕直後のドンナ・アンナの状況は明らかに行為後だ。セットは病院でもあり、知的なドン・ジョヴァンニは各人物をケアし、性的欲求不満を解消させる精神分析医といった役どころ。地獄落ちの場では彼が死ぬのではなく、ゾンビと化した騎士長を昇天させる。珍しいウィーン版追加曲、ツェルリーナとレポレッロの二重唱ではツェルリーナのサディストぶりに驚怖するマゼットが見もの。

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     2009/08/17

    ウィーン国立歌劇場版は1983年の収録なので、最新の録画に劣るのは致し方ないが、特に同時収録のCDに比べても音が貧弱なのは残念。しかし、演奏内容は極めて優れたもので、カレーラス、リッチャレッリ、指揮、オケ、合唱の5点では定評あるゼッフィレッリ演出のメト版をも凌いでいると思う。特に指揮は、マゼールのクセのある音楽作りが作品自体の特質と完全に一致した希有な例の一つで、聴くたびに感心させられる。細部まで金のかかったゼッフィレッリには及ばないが、演出も無難。マルトンも演技の細やかさではメト版に長があるが、声の威力はこちらの方が上か。LDで出たこともないこの映像の初日本語字幕付きDVDを含むというだけでも、高評価の一組。もう一枚のDVDは、興味のない人にはただの古い白黒映画だが、フランコ・コレッリ全盛期の姿が拝めるお宝映像。

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     2009/08/17

    これが商品化されたおかげで、同じプロダクションに出ていたナタリー・デセイの夜の女王を全曲盤で見ることが絶望的になったのは痛恨の極み(ランカトーレも第一級の夜の女王だが、ケタ違いのデセイの歌は第2幕のアリアのみ別のDVD『ザ・ミラクル・オブ・ザ・ヴォイス』で観ることができる)。最後の大団円には滅びたはずの夜の女王やモノスタトスも参加するなど、演出は童話劇としての枠組みを崩さないが、女性差別や人種差別問題に正面から向き合う気は無いらしい。それゆえザラストロの第2アリア前の人種差別発言は別のセリフに差し替え。キャストではイケメンのパパゲーノ(デトレフ・ロート)が好印象だが、善くも悪くもまだ若い。指揮がいまひとつ冴えないこともあって、やはりデセイ抜きではチューリッヒのミラー演出、古くはミュンヒェンのエファーディング演出のような決定打に欠ける。

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     2009/08/17

    プロローグが英語というのは、LSOライヴだから仕方ないとはいえ、ちょっと違和感あり。ホワイトがそのまま青ひげを歌い始めてしまうのも、プロローグの視点は客観的なものなのでマズイと思う。しかし、それを除けば大変良くできた上演。ブーレーズの二度の録音のような精緻さは望めないが、オペラ指揮者らしくゲルギエフは緊迫とその後の弛緩の対比がうまい。ホワイトは2008年パリ・オペラ座来日公演でも素晴らしかったが、ここでも見事な名唱(彼の場合、見た目のインパクトが大きいので、一度でも舞台姿を見ておくとCDも違って聞こえるけど)。2003年のケルビーノ以来、新国立ではおなじみのジドコーワも健闘している。ちなみに、バルトークでは『中国の不思議な役人』と並んで最も好きな作品。文句なしの傑作だと思う。

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     2009/08/14

    はじめてこのオペラを見る人に勧めて良いかどうか自信がないが、肉欲vs清らかな愛という二項対立が意味を成さなくなり、ヴェーヌス讃歌を歌ったぐらいで主人公がどうしてこんなに責められるのか理解できなくなった今、このオペラがまだ見るに耐えるとすれば、もうこれしかないというイチオシの名演出。ヴェーヌスベルクの場はやはりバレエにした方が良かったと思うが、その後はアイロニー満載。非常に厭味な「大行進曲」から始まって、『ハレンチ学園』ばりにパロディ化されたミンネゼンガー達の変態ぶり、結局、タンホイザーは救われず、ヴォルフラムは赤い本(聖書)を破り捨てて立ち去って行くという衝撃のエンディングまで実に面白い。年はとったが、それゆえにむしろリアリティのあるコロ、ヴァイクル、さらにマイアー、セクンデと超強力キャスト。忘れられがちだが、メータの指揮もとても良い。

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     2009/07/30

    基本的には一晩の演奏会をそのまま収録したものだが、アバドの年齢を考えるとずいぶん重量級のプログラムだ。シェーンベルクではストーリーの進行を示すテロップが随所に出るが、この曲に関してはこれも悪くない。絡み合うライトモティーフを色の帯で示すのは、いいアイデアだ。指揮は見事の一語。若い人たちと演奏すると、近年のアバドは表現が特に積極的になるが、今回もその例に漏れず。マーラーもオケの実力はともかく、表現の方向としては、ややスタティックに過ぎたBPO盤よりずっと好ましい。カメラも第3楽章冒頭で故意にコントラバスを映すなど(実際、ここでは極端なppのため主旋律はほとんど聞こえない)アバドの音楽作りを良く理解している。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/07/25

    ハイティンク盤と同じくスペイン、フランス、ドイツ、ロシア語を歌い分ける「原語版」による演奏。爆演型ではないが、ライヴならではの生々しさと(ハイティンクにはない)遅い楽章での呼吸の深さが魅力的。それにF=ディースカウのうまさは、やはり超絶的。本物のバスでこそないが、声のポジションが低いこの曲では声の衰えがさほど気にならず、変幻自在のテクニックが存分に味わえる。一方、カーヒルはハイティンク盤のヴァラディと比べるとだいぶ聴き劣りする。ドスが効いているのはいいが、音程が終始ぶら下がり気味なのは痛い。

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     2009/07/21

    先日、BShiで放送された『グレの歌』も大変感心したが、このウィッグルワース、細部は実に緻密に仕上げるのに、常にクールな感触があり、音楽が絶対に熱くならないという不思議な指揮者。ショスタコの4番は何せオケの編成自体が怪物的な大曲だけに、どの指揮者もクライマックスでは力押ししたくなるものだが、彼は相変わらず「寒色系」かつ「草食系」。遅めのテンポによる細密な仕上げ、寂寥感とアイロニーの鋭さでは特筆すべき演奏だと思う。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/07/20

    トロイ人との対比を出すためとはいえ、イドメネオ以下クレタ兵達の日本式鎧と刀には思わず笑ってしまうが、それを除けば、とても良くできた舞台で、スカラ座のボンディ演出と並んで、現在見られるベストだろう。海神の力を体現する黒子たちもザルツブルクの半魚人などより遥かに良い。配役上のミソは本来カストラートのために書かれたイダマンテをテノール(カウンターテナーではない)が演じることで、声楽上の問題をクリアできれば、これもありかなと思う。他には女性的な、細やかな側面も併せ持つエレクトラを演ずるダッシュに注目。指揮はモダン楽器ながら劇的で、彫りが深い。イドメネオの最後のアリアなど若干のカットはあるが、珍しいバレエ音楽(ただし、演じられるのはバレエではなく、残った出演者によるパントマイム)を含めた全曲上演。

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