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一人のクラシックオールドファン さんのレビュー一覧 

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     2013/07/03

    私がまだクラシック音楽に興味も何も無かった頃の1958年にチャイコフスキーコンクールで優勝したテキサスの若者・・・当時それでももう23歳になっており、現在の感覚では決して若者という年頃ではないのですが・・・クライバーンが凱旋帰国の折り紙吹雪舞うニューヨーク五番街をヒーローよろしくパレードした光景の写真が新聞等に載っていたのを覚えています。本盤チャイコフスキー・ピアノ協奏曲はコンドラシン(コンクールも指揮した当時44歳のロシア指揮者)指揮するオーケストラRCASOのバックによる凱旋直後の収録(タイム@20’45A7’05B6’45)で「アメリカンドリーム」を体現した若者だけが持ち合わせる天真爛漫な溌剌な熱気を放散した演奏になっております。テクニック的には万全で第1楽章から分かり易いコンドラシンのスタイルに導かれて録音上もあるのでしょう・・・実在性あるサウンドをピアノは展開して行きます。ややタッチに押し出しが立派過ぎる感触は無きにも有らずなのですがスタイル的には19〜20世紀の大家演奏に通じるスケール感と受け取りました。カデンツァも見事で独壇場ですね。バックオーケストラは時に管楽器のリアル音が気にはなりましたが分り易く力強いものです。中間楽章もピアノはライブの様にスリリングで緊迫感がありますがバックのメリハリがしっかりサポートします。第3楽章は若干ビジネス臭はしましたがクライマックスに向って凄まじい頑張りでピアノは高揚して行きます。とにかく本盤チャイコフスキー・ピアノ協奏曲は一つの名演奏としていつまでも記憶されるべきなのでしょうね。なお、クライバーンの弾くチャイコフスキー・ピアノ協奏曲には本盤演奏の四年前1954年のバックがミトロプーロス/NYPOとの共演ライブがあるそうですが詳細は確認しておりません。さて、本盤収録曲のシューマンピアノ協奏曲は一途に弾いている・・・そう先の優勝騒ぎからのフォローがある意味では期待でもあるし不安でもあることを吹っ切るように・・・ライナー/シカゴSOもやヽ雑ながらよく若武者を盛り立てています。1960年収録(タイム@15’20A5’15B10’17)でありますからクライバーンは26歳にもうなっていたのかな?指揮のライナーは72歳ですからやはり包容力を持ってこの若武者の伸びやかで開放的なソロを引き立てている様です。基本的には両者アメリカン・スタイルなので第1楽章での叙情的な場面もそう入れ込んだりはせず時にはチャイコフスキーでも聴かれた様にキツメのアタックで力みもご愛嬌となっております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/07/02

    CD1から・・・周知の通りホロヴィッッの本格的演奏活動の舞台アメリカでのデビューはチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番で以降収録上そんなに多くない協奏曲の中でも特にマァ需要・供給関係からこの曲のウエイトというかとにかく彼としてはライブを含めて数多く記録が残されております。その中で本盤は1941年ホロヴィッツ38歳の頃、バックが義父トスカニーニ(当時74歳)が振る新設NBCSOによる演奏(タイム@17’32A5’48B6’07)でありこの共演によるこの曲の収録は他に同年のライブ分(同@17’38A5’23B6’39)、1943年(ライブ、@18’58A5’42B6’29)分等があって全て聴き比べたわけではありませんが完全主義者トスカニーニ指揮下でのこれらの中では本盤演奏が完成度が高い様に思えます。さて、その演奏は古いモノラル録音でノイズもある程度仕方ないとして逆にその音質から出て来る両者の「気迫」が充分うかがえこの演奏の歴史的存在価値も我ながら認識した次第です。タイムを見ても分る様に大変速いテンポで第1楽章から展開して行きます。ただ一直線に進むバックはやはりトスカニーニらしく、さりとて何処と無く婿に一歩譲っている風は面白いですね。若干さっさと片付ける傾向の演奏の趣きの中で超絶技巧によるPカデンツァの燦然さは聴き処でしょう。その超絶技巧には中間楽章でゾクッとしました。とにかくスピーディな最終楽章も後段轟く迫力によるクロージングにため息も・・・。なお、ホロヴィッツのチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番には上記のトスカニーニとの諸演奏の他に1934年バックがマルコ/デンマークRSO(ライブ、タイム未確認)、1940年ハバルビローリ/NYPO(タイム@19’21A5’48B6’27)、1948年ワルター/NYPO(ライブ、タイム@19’22A6’32B6’16)、1949年スタインバーグ/ハリウッド・ボールSO(タイム@20’04A6’32B6’23)、1953年セル/NYPO(ライブ、トータルタイム31’29)等があり第1楽章のタイムを見てもトスカニーニペースがやっぱり本盤で明白なのかも・・・。作曲者ラフマニノフから「私よりうまくこの曲を演奏する 」と感動を伝えたというホロヴィッツの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第3番はホロヴィッツがキエフの音楽院を卒業する時の卒業演奏にも選んだ程の曲で演奏録音盤も数種類残されている様です。確認出来ていない点もありますがHMVレビューと重複するとしてもちょっと棚卸しして見ましょう。1930年録音A.コーツ/LSO(タイム@14’23A8’06B11’16)、1948年録音バルビローリ/NYPO(タイムトータル34’22)、1950年録音クーセヴィッキー/HBSO、1951年録音ライナー/RCASO(タイム@15’18A9’46B12’12)、1978年録音オーマンディ/NYPO(同@16’50A11’39B14’58・・・但しライブ)、1978年録音メータ/NYPO(同@16’13A11’23B14’59・・・但しライブ)といった具合です。本盤は1951年の録音で、ライナー(当時63歳)の引き締まった指揮をバックにホロヴィッツ(当時48歳)はやや愛想はないもののそのピアノタッチの明確さを伝えた演奏でその力感・安定感が素晴らしいですね。まぁ、技巧面を主にピアニスティックな表現でラフマニノフの情緒を打ち出す処は勿論あるのだけれどモノラルだけに彼の切れの良さが轟音に近く実にダイナミックに聴かれます。第1楽章でのカデンツァの弾き切りも印象的です。とにかくこの難曲ありてホロヴィッツ有りという処でしょうか。CD2の方は小品独奏曲集で私自身聴いていない演奏分もありますがホロヴィッツお得意のスカルラッティやスクリャービンがポイントと思いました、特に後者スクリャービン各前奏曲は録音は古いながら漂う神秘的な詩情や晩年録音のエチュードのライブならではの凄い追い詰め迫力は素敵です。一応CD2のタイムデータ中心にメモしておきましょう・・・ショパン→幻想ポロネーズOp.61( 1951年録音、タイム10’59)、夜想曲Op.9No.2( 1957年、4’26)、クレメンティ→:ロンド (1950年、3’63)、ビゼー/ホロヴィッツ→カルメン幻想曲(1957年、3’48)、リスト→メフィスト・ワルツ(1979年、11’57)、モシュコフスキ→火花 (1951年、2’11)、プーランク→プレスト(1947年、1’19)、プロコフィエフ→トッカータ(1947年、3’35)、ラフマニノフ→前奏曲 Op.32 No.5 (1977年、3’25)、スカルラッティ→ソナタ (1981年録音、 L.189・・2’04、L494・・2’21)、シューマン→トロイメライ(1950年、2’48)、クララ・ヴィークの主題による変奏曲(1976年、7’20)、スクリャービン→前奏曲(1956年、Op.48 No.3・・0’55、 Op.11 No.13・・1’43、Op.15 No.2・・0’45)、エチュード Op.8 No.12(1982年、2’12)・・・以上です。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/07/01

    本盤はベームがBPOとVPOという二大オーケストラを指揮し彼にとって重要なレパートリーであるモーツァルトを弛緩しない彼のスタイル真価で味わえるCDであります。ベームのモーツァルトはDG盤で手を変え品を変えいろいろ出ておりセレナード関係では私は第10番K361「グラン・パルティータ」(1970年収録)と本盤の第13番K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1974年収録、タイム@6’11A5’54B2’22C4’52)の入ったCDを聴いておりました・・・現在HMVカタログにはこの組合せCDは載っておりません。そうした事で超名曲K525セレナードについて見ますと本盤は1974年収録というからベーム80歳の頃のVPOを指揮しての演奏で高齢とは言えその素晴らしいテンポ感は見事に曲の流れに乗り厳格な中にも淡々とした姿勢は曲の本質を展開してくれています。まぁ、この曲で簡単に入手出来るこの演奏さえ聴いておれば「間違い無し」?とまで言えるのではないでしょうか。参考までに過去のベームのK525セレナードの録音歴をメモしておきましょう・・・正直若い頃の演奏の方が彼の「武骨さ」が味わえる感じはする面はあったりしますが・・・1943年VPO(同@4’23A5’41B2’07C3’09)、1952年VPO(同未確認)、1956年BPO(同@5’19A5’30B2’20C3’07)と言った具合で反復演奏の有無でのタイム差も見られます。併録の1970年BPO演奏第6番K239「セレナータ・ノットゥルナ」(タイム@4’17A3’56B4’17)そして1964年BPO、T.ブランディス(vn)、G.カッポーネ(va)演奏のK364協奏交響曲(同@14’04A10’42B6’55)の方は未聴でありますので★一つ保留しておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/30

    本盤はベームがBPOとVPOという二大オーケストラを指揮し彼にとって重要なレパートリーであるモーツァルトを弛緩しない彼のスタイル真価が味わえるCDであります。ベームのモーツァルトはDG盤で手を変え品を変えいろいろ出ておりセレナード関係では私は第10番K361「グラン・パルティータ」(1970年収録)と本盤の第13番K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1974年収録、タイム@6’11A5’54B2’22C4’52)の入ったCDを聴いておりました・・・現在HMVカタログにはこの組合せCDは載っておりません。そうした事で超名曲K525セレナードについて見ますと本盤は1974年収録というからベーム80歳の頃のVPOを指揮しての演奏で高齢とは言えその素晴らしいテンポ感は見事に曲の流れに乗り厳格な中にも淡々とした姿勢は曲の本質を展開してくれています。まぁ、この曲で簡単に入手出来るこの演奏さえ聴いておれば「間違い無し」?とまで言えるのではないでしょうか。参考までに過去のベームのK525セレナードの録音歴をメモしておきましょう・・・正直若い頃の演奏の方が彼の「武骨さ」が味わえる感じはする面はあったりしますが・・・1943年VPO(同@4’23A5’41B2’07C3’09)、1952年VPO(同未確認)、1956年BPO(同@5’19A5’30B2’20C3’07)と言った具合で反復演奏の有無でのタイム差も見られます。併録の1970年BPO演奏第6番K239「セレナータ・ノットゥルナ」(タイム@4’17A3’56B4’17)そして第9番K320「ポスト・ホルン」(タイム@8’19A4’22B7’48C6’12D5’14E4’58F4’11)の方は未聴でありますので★一つ保留しておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/29

    スターバト・マーテル「悲しみの聖母」としてはヴィバルディ、ペルゴレージ、ロッシーニ、ドヴォルザーク等々大作曲家が夫々作品を残しておりますがあのハイドン先生にも結構な大作があり私は本盤ピノック指揮イングリッシュ・コンサート&合唱団、四声独唱者による1989年収録演奏分を偶々聴いてその感じた事をメモする次第です。先ず作品としては14楽曲(本演奏実タイム9’13+6’34+2’37+6’23+2’34+6’56+2’53+7’56+6’30+7’05+1’56+2’53+2’12+3’03→68’45)から成る一時間を超える大作でハイドンらしい余り癖の無いもの・・・「癖のない」というのはマァ正直聴く方に深奥く入り込む楽想ではない地味な感じで他の作品で聴く「悲しみの聖母」イメージとは異なっている様に思いました。演奏は他演奏との比較は出来ていませんが当時43歳のピノックが彼らしく爽やかな感じで曲を進めております。演奏タイムの長い楽曲数曲について・・・第1曲「御母は悲しみに暮れ」はスタート前奏・・・オーケストラは小編成・・・はゆっくり悲しみの雰囲気の中からテノール(A.ロルフ・ジョンソン(英)・・・当時49歳)が朗々と入って行きます。そしてやがて合唱も交えとにかく一番この曲の聴き応え曲を線太く流します。明転しての第2曲「おゝ、神のひとり子の」は管リードで普通のテンポに展開しアルト(C.ロビン(加)・・・同39歳)がすぐに少しイタリア・オペラ的に歌います。第6曲「愛しい御子が」は第1曲同様悲しい雰囲気で前奏後テノールが歌い込みます。第8曲「聖母よ。十字架にかかりし」はゆっくり穏やかに前奏がありソプラノ(P.ロザリオ(英)・・・年齢未確認)とテノールが二重唱を歌いあげます。とにかくこの曲は割りとテノールが出番が多いですね。第9曲「私の命ある限り」はゆっくり低音弦中心に厳かなスタートの内にオーボエの悲しげなメロディは効果的です。第10曲「乙女の中のいと清き乙女よ」は長調になってバス(C.ハウプトマン(独)・・・同38歳)も加わり四声独唱と合唱総動員で盛り上がります。第13〜14曲「天国の栄光を」は合唱フーガを受けて最後の〆なのですが淡々と長調でアーメン〆ているのがちょっと先述の「悲しみの聖母」イメージとは異なっているダメ押し的になりました。ハイドンの真面目な信仰心による作品でもあるのですがやっぱり劇的なポピュラー性から言うと渋いのでもっと聴き込んで身近なものにしなければ・・・マニア向き曲でもありますが素晴らしい演奏には違いないと思いました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/28

    本盤はHMVレビューにも書いてあります様にベームがBPOとVPOという二大オーケストラを指揮し彼にとって重要なレパートリーであるモーツァルトを弛緩しない彼のスタイル真価でゆったり味わえるCDであります。ベームのモーツァルトはDG盤で手を変え品を変えいろいろ出ておりセレナード関係では私は第10番K361「グラン・パルティータ」(1970年収録)と本盤の第13番K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1974年収録、タイム@6’11A5’54B2’22C4’52)の入ったCDを聴いておりました・・・現在HMVカタログにはこの組合せCDは載っておりません。そうした事で超名曲K525セレナードについて見ますと本盤は1974年収録というからベーム80歳の頃のVPOを指揮しての演奏で高齢とは言えその素晴らしいテンポ感は見事に曲の流れに乗り厳格な中にも淡々とした姿勢は曲の本質を展開してくれています。まぁ、この曲で簡単に入手出来るこの演奏さえ聴いておれば「間違い無し」?とまで言えるのではないでしょうか。参考までに過去のベームのK525セレナードの録音歴をメモしておきましょう・・・正直若い頃の演奏の方が彼の「武骨さ」が味わえる感じはする面はあったりしますが・・・1943年VPO(同@4’23A5’41B2’07C3’09)、1952年VPO(同未確認)、1956年BPO(同@5’19A5’30B2’20C3’07)と言った具合で反復演奏の有無でのタイム差も見られます。併録の1970年BPO演奏第9番K320「ポスト・ホルン」(タイム@8’19A4’22B7’48C6’12D5’14E4’58F4’11)の方は未聴でありますので★一つ保留しておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/27

    演奏タイムデータを主に再投稿させていただきます。作曲者ラフマニノフから「私よりうまくこの曲を演奏する 」と感動を伝えたというホロヴィッツの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第3番はホロヴィッツがキエフの音楽院を卒業する時の卒業演奏にも選んだ程の曲で演奏録音盤も数種類残されている様です。確認出来ていない点もありますがHMVレビューと重複するとしてもちょっと棚卸しして見ましょう。1930年録音A.コーツ/LSO(タイム@14’23A8’06B11’16)、1948年録音バルビローリ/NYPO(タイムトータル34’22)、1950年録音クーセヴィッキー/HBSO、1951年録音ライナー/RCASO(タイム@15’18A9’46B12’12)、1978年録音オーマンディ/NYPO(同@16’50A11’39B14’58・・・但しライブ)、1978年録音メータ/NYPO(同@16’13A11’23B14’59・・・但しライブ)といった具合です。本盤は1951年の録音で、ライナー(当時63歳)の引き締まった指揮をバックにホロヴィッツ(当時48歳)はやや愛想はないもののそのピアノタッチの明確さを伝えた演奏でその力感・安定感が素晴らしいですね。まぁ、技巧面を主にピアニスティックな表現でラフマニノフの情緒を打ち出す処は勿論あるのだけれどモノラルだけに彼の切れの良さが轟音に近く実にダイナミックに聴かれます。第1楽章でのカデンツァの弾き切りも印象的です。とにかくこの難曲ありてホロヴィッツ有りという処でしょうか。本盤併録のビアノ・ソナタ第2番(1980年録音、タイム@9’41A6’11B6’21)、楽興の時(1977年、同3’05)、前奏曲(1977年、同3’23)、WRポルカ(1977年、同4’29)は未聴のものもありますが表現としては流石年齢もあってマイルドであります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/06/26

    周知の通りホロヴィッッの本格的演奏活動の舞台アメリカでのデビューはチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番で以降収録上そんなに多くない協奏曲の中でも特にマァ需要・供給関係からこの曲のウエイトというかとにかく彼としてはライブを含めて数多く記録が残されております。その中で本盤は1941年ホロヴィッツ38歳の頃、バックが義父トスカニーニ(当時74歳)が振る新設NBCSOによる演奏(タイム@17’32A5’48B6’07)でありこの共演によるこの曲の収録は他に同年のライブ分(同@17’38A5’23B6’39)、1943年(ライブ、@18’58A5’42B6’29)分等があって全て聴き比べたわけではありませんが完全主義者トスカニーニ指揮下でのこれらの中では本盤演奏が完成度が高い様に思えます。さて、その演奏は古いモノラル録音でノイズもある程度仕方ないとして逆にその音質から出て来る両者の「気迫」が充分うかがえこの演奏の歴史的存在価値も我ながら認識した次第です。タイムを見ても分る様に大変速いテンポで第1楽章から展開して行きます。ただ一直線に進むバックはやはりトスカニーニらしく、さりとて何処と無く婿に一歩譲っている風は面白いですね。若干さっさと片付ける傾向の演奏の趣きの中で超絶技巧によるPカデンツァの燦然さは聴き処でしょう。その超絶技巧には中間楽章でゾクッとしました。とにかくスピーディな最終楽章も後段轟く迫力によるクロージングにため息も・・・。なお、ホロヴィッツのチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番には上記のトスカニーニとの諸演奏の他に1934年バックがマルコ/デンマークRSO(ライブ、タイム未確認)、1940年ハバルビローリ/NYPO(タイム@19’21A5’48B6’27)、1948年ワルター/NYPO(ライブ、タイム@19’22A6’32B6’16)、1949年スタインバーグ/ハリウッド・ボールSO(タイム@20’04A6’32B6’23)、1953年セル/NYPO(ライブ、トータルタイム31’29)等があり第1楽章のタイムを見てもトスカニーニペースがやっぱり本盤で明白なのかも・・・。ホロヴィッツの「展覧会の絵」は彼の出身地と一時流布された「キエフの大門」で堂々たるクロージングがあるピアノ原典版で聴くか彼の編曲が噛んだ版を聴くかで大分印象が異なるらしいですね。本盤は1951年後者版によるライブ収録(トータルタイム29’17)で確かに聴いて行くと原曲イメージを留めていない曲タッチ・・・好みは別として・・・にハッとする面白さは味わえます。専門的な事は小生などには分りませんが例えばスタートの「プロムナード」から左手?オクターブが低く、「フィドロ」での中間部以降の和音構成がより複雑化しているし「キエフの大門」もより堂々たる効果を上げるべく工夫が聴かれます。いずれにしても各曲概ねタイム上はショートにまとめてのライブ緊迫感は今一の音質からも伝わっておりますがマァ果たしてこれでこの曲の代表的演奏とするわけには行かないと思います、マニアの方は必聴でしょう。ホロヴィツツの「展覧会の絵」収録は原典版演奏で1947年のもの(同29’43)或いは1948年のもの(同28’59)がある様ですが詳細は未確認であります。小品「水辺にて」(タイム4’09)は聴いておりませんが全般として素晴らしいランクに・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/06/25

    マゼールの後任としてCLOを受け持ったドホナーニは特にセル時代に出来上がった強靭なアンサンブルを活かして更に磨きをかけて行った指揮者ですが何となく「線」の細い指揮者である印象を拭えなくなって久しいです。その創り出す音楽は決して線が細いわけではないのに・・・そう主張が我々凡人にはつかみ切れないもどかしさが有るようです。小生が本盤収録曲中聴いた交響曲三曲について感じた事をメモさせていただきます。ブラームス交響曲第1番は1986年ドホナーニ57歳頃の演奏録音で演奏タイムは@13’53A9’13B4’30C16’41と心持ちほんの少しだけ全体速い気もしますが聴いていてそれは感じません。この第1番はブラームス交響曲の中ではドホナーニ演奏アプローチに比較的合っている方かと思います。決してハツタリはないし従って新鮮さに耳をたてる事もないのですがその正攻さに彼の真面目を汲み取れます。情感・・・特にブラームスの屈託面を表現する面・・・より勝利に向かって行く曲故かドホナーニの直截さが効を奏しているのかも知れません。第1楽章は厳しい出だしと申せましょう。そして展開部ではこの曲の構築性をきっちり押える様に固く踏みしめてゆっくり進みます。中間部でのピークへの足がかりも単に勢いで行くのではなくコントロールが効いています。CLOのアンサンブルの妙が味わえます。聴き様によってはモタモタしている様に聴こえるかもしれません。第2楽章、私が普段この楽章で覚える冗長さは感じません、そうコンパクトなイメージで演奏自体の真面目さを語ってくれます。第3楽章は活発ながらソフトな面も出した独特の雰囲気で聴き終えると中々引き締まっていたかなと・・・。いよいよ最終楽章出だしから数分経てホルンの宣声が上がる直前の駆け込みサウンドは特徴あります。例の歓喜テーマ名から展開へはティンパニーの拍子取りが適度なアクセントとなって覇気ある演奏となっています。やや次々と曲想を「処理」して行く風に聴こえるかもしれませんが最後ビシッと決めやや引っ張り気味に終わります。地味な演奏ですが奇を衒わない安心して聴ける演奏ですね。面白さが分かるには少し時間が要るのかもしれません。1988年録音の第3番・・・演奏タイムは@12’18A8’44B6’17C8’34となっており第1楽章は反復されてのこのタイムなので早目に進めた演奏でその分少し頼りないというか「芸」が欲しい様な感じもしました、後半一時主題の再展開で足早に何故駆け抜けて行くのか・・・ここがドホナーニのこの曲演奏の一つの特徴かも知れませんが・・・もう一つ私には納得が行きませんでした。第2楽章は情感があり第3楽章も早目ながら結構表情をつけてくれ続く第4楽章・・・その終わる付近スローモーションでの主題アウトラインは少し抑え気味なのも好き嫌いは別にして印象的でした。次に1987年演奏録音の第4番(同@13’01A12’16B6’15C10’10)に入ります。第1楽章スタートからあまり情感をつけないアプローチではっきりとしたマァ重厚さとドライさを程良くバランスさせた進みに気がつきます。追い込みにかかってはしっかりオーケストラも踏み込みCLOの機能性を心地よく聴かせてくれます。第2楽章も曖昧な美点が強調される演奏が多い中で高音・低音弦のバランスが眼前に楷書的なタッチで繰り広げられるのが印象的だしあまり大層でない第3楽章から最終楽章はやや他の楽章との相対感からするとじっくりと例のバッハ・パッサカリア変奏を輪郭をつけて展開して行きます。若干「処理的」に思わせる処が難点なのかも知れませんが他の演奏を聴き慣れていますと新鮮に聞えるので不思議なものですね。「悲劇的序曲」(1988年収録、演奏タイム13’32)は縁取り鮮やかにこれも情感豊かにダメ押ししての終わりは素晴らしいです。なお、本盤併録の「大学祝典序曲」(1989年収録、同9’26)、「ハイドン主題による変奏曲」(1987年、同18’01)そしてヴァイオリン協奏曲(1988年、@20’54A8’48B7’46、Vは当時27歳のツェートマイアー)の方は未聴でもありますので録音含めて素晴らしいランクにしておきます。ドホナーニ指揮のブラームス交響曲には1991年MPOを振った第2番演奏分(同@20’02A8’41B4’48C9’17)そして後年2007年PHOとのライブ録音盤・・・第1番(同@14’27A8’32B4’35C17’24)、第2番(同@21’22A9’05B4’59C8’55)、第3番(同@12’51A8’36B6’25C9’23)、第4番(同@12’43A11’26B6’18C9’45)、もあり玄人好みの演奏が聴けます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2013/06/24

    周知の通りホロヴィッッの本格的演奏活動の舞台アメリカでのデビューはチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番で以降収録上そんなに多くない協奏曲の中でも特にマァ需要・供給関係からこの曲のウエイトというかとにかく彼としてはライブを含めて数多く記録が残されております。その中で本盤は1941年ホロヴィッツ38歳の頃、バックが義父トスカニーニ(当時74歳)が振る新設NBCSOによる演奏(タイム@17’32A5’48B6’07)でありこの共演によるこの曲の収録は他に同年のライブ分(同@17’38A5’23B6’39)、1943年(ライブ、@18’58A5’42B6’29)分等があって全て聴き比べたわけではありませんが完全主義者トスカニーニ指揮下でのこれらの中では本盤演奏が完成度が高い様に思えます。さて、その演奏は古いモノラル録音でノイズもある程度仕方ないとして逆にその音質から出て来る両者の「気迫」が充分うかがえこの演奏の歴史的存在価値も我ながら認識した次第です。タイムを見ても分る様に大変速いテンポで第1楽章から展開して行きます。ただ一直線に進むバックはやはりトスカニーニらしく、さりとて何処と無く婿に一歩譲っている風は面白いですね。若干さっさと片付ける傾向の演奏の趣きの中で超絶技巧によるPカデンツァの燦然さは聴き処でしょう。その超絶技巧には中間楽章でゾクッとしました。とにかくスピーディな最終楽章も後段轟く迫力によるクロージングにため息も・・・。なお、ホロヴィッツのチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番には上記のトスカニーニとの諸演奏の他に1934年バックがマルコ/デンマークRSO(ライブ、タイム未確認)、1940年ハバルビローリ/NYPO(タイム@19’21A5’48B6’27)、1948年ワルター/NYPO(ライブ、タイム@19’22A6’32B6’16)、1949年スタインバーグ/ハリウッド・ボールSO(タイム@20’04A6’32B6’23)、1953年セル/NYPO(ライブ、トータルタイム31’29)等があり第1楽章のタイムを見てもトスカニーニペースがやっぱり本盤で明白なのかも・・・。次にブラームス・ピアノ協奏曲第2番の方ですがこちらは1940年の収録(タイム@16’17A8’06B11’05C8’26)で音質も仕方ないレベルと割り切って演奏そのものに焦点を合わせましょう。この曲は協奏曲とは言え四楽章形式で交響曲並みの大作で先ず第1楽章出だしのホルンスタートが印象の取っ掛かりをつける様です。本演奏はやや明るめトーンでトスカニーニらしくスリムでそっけない感じです・・・そしてタイムでも分る様に片付けムードでゴツゴツ感を帯びて展開して行きます。この曲は迫力だけで進む場面が少なく正直もうちょっと感傷的というか・・・特に作曲家のイタリア風土印象も盛り込んだ曲だけに+αのソフトな面も見せて欲しいとは思いました。曲の性格上ピアノの方はそんなに技巧を誇示する事なくその代わりというかホロヴィッツのカンタピーレタッチの美しさの真骨頂が聞かれます。従って第3楽章は例のチェロ序奏が示唆に富むしっとりした感じの楽章でもあってピアノは比較的情緒纏綿とはしていましょう。最終楽章はちょっと作品として軽い処がバランス上躊躇を覚えるのですが演奏でも何か丁々発止というわけにも行かず異質感が付きまといました・・・思い切ってイタリア的な「遊び」が更にあったら・・・。とにかくチャイコフスキーでの感激がそのままというわけには行きませんでした。なお、ホロヴィッツ、トスカニーニ共演によるこの曲には1946年の収録(タイム@16’16A8’12B10’40C8’36)もある様ですね。なお、私の聴いた盤のジャケットに載っていた写真で少しはにかんだ娘婿である若きホロヴィッツを義父トスカニーニが腕組みしている微笑ましい姿はいいですね・・・父親というのは誰も同じなのかな・・・この二人演奏上での意見の違いは別として。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/23

    1960年代半ばLPで「未完成」は「運命」とゴールデンカップルでリリースされカラヤン/BPOの輝かしきDGでのウェイトを祝う如く金色の帯がついていました。本盤はその1964年録音の「未完成」からトラックスタート・・・カラヤン56歳の頃の演奏で演奏タイムは@11’28A12’34と旋律線を実に上手く扱って黄金期を迎えようとする象徴の様にl流麗にまとめてはいます。しかし後年の演奏程聴き様では過度な華やかさに陥ってはいないものの、そう、少し作為的過ぎることがどうもしっくり来なかった感触であります。深みというのでしょうか、それでも一つのスタイルとしては素晴らしいランクに聴き直しました。「未完成」交響曲は大指揮者カラヤンの割には録音歴は少なくCDでは1957年PHO(@11’04A11’53)、1968年VPO(ザルツブルグライブ、トータルタイム22’23)、1975年BPO(@12’23A13’46)、1979年BPO(日本ライブ、@11’46A12’41)等くらいしか記録されていないのは以外ですね。次に1968年収録の「グレイト」(@12’41A12’15B10’03C11’29)に入ります。曲タイトル名通りこの曲は大シンフォニーでしかも比較的各楽章で楽想の執拗な繰り返しがある為演奏次第では退屈な感じに終始するケースもある様です。カラヤンのこの演奏は先ず先のタイムメモの様に第1楽章から速いテンポで運ばれます。BPOの重厚さは控えめに展開部ではダレず進んで行くのですがBPOの性能試験の様でちょっと「含み」ニュアンスが欲しいこの曲にこのアプローチがマッチしているか迷いました。この楽章でのクロージングも徹底さを欠いた感じに聴き取れました。第2楽章も本当はホノボノ感というか懐かしいフィーリングを求めたい処をお構い無しに各節カラヤンらしくなだらかに飛び跳ねる様に進むのみです。第3楽章は若干響きが変化した事もあってウネリも加わりトリオ中間は極めてシンフォニックです。最終楽章は第2楽章と共に第1楽章の冒頭主テーマの片鱗を怒涛疾風の如く管主体にBPOサウンドが鳴りきりますが前述のこの曲特有の繰り返し的なものが次第に堂々たる〆へ導いて行きます。確かにタイム的には冗長さは避けている演奏なのですが逆に私が聴きたい曲本質についに触れずじまいだったのは残念です。多分武骨・堂々たるベーム/BPO演奏イメージが私には災いしたのでしょうか。カラヤンの他の演奏としては1946年VPO(@13’10A13’45B8’29C11’33)、1977年BPO(@13’01A13’10B14’15C12’02)とやはり彼の割りには少ないと思います。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/22

    以前★三つ・・・つまり当面OKランクで書き込みした者ですが今回聴き直し★一つプラス・・・素晴らしいランクにしてデータ中心に再書き込みさせていただきます。1960年代半ばLPで「未完成」は「運命」とゴールデンカップルでリリースされカラヤン/BPOの輝かしきDGでのウェイトを祝う如く金色の帯がついていました。本盤はその1964年録音の「未完成」からトラックスタート・・・カラヤン56歳の頃の演奏で演奏タイムは@11’28A12’34と旋律線を実に上手く扱って黄金期を迎えようとする象徴の様にl流麗にまとめてはいます。しかし後年の演奏程聴き様では過度な華やかさに陥ってはいないものの、そう、少し作為的過ぎることがどうもしっくり来なかった感触であります。深みというのでしょうか、それでも一つのスタイルとしては素晴らしいランクに聴き直しました。「未完成」交響曲は大指揮者カラヤンの割には録音歴は少なくCDでは1957年PHO(@11’04A11’53)、1968年VPO(ザルツブルグライブ、トータルタイム22’23)、1975年BPO(@12’23A13’46)、1979年BPO(日本ライブ、@11’46A12’41)等くらいしか記録されていないのは以外ですね。次に1968年収録の「グレイト」(@12’41A12’15B10’03C11’29)に入ります。曲タイトル名通りこの曲は大シンフォニーでしかも比較的各楽章で楽想の執拗な繰り返しがある為演奏次第では退屈な感じに終始するケースもある様です。カラヤンのこの演奏は先ず先のタイムメモの様に第1楽章から速いテンポで運ばれます。BPOの重厚さは控えめに展開部ではダレず進んで行くのですがBPOの性能試験の様でちょっと「含み」ニュアンスが欲しいこの曲にこのアプローチがマッチしているか迷いました。この楽章でのクロージングも徹底さを欠いた感じに聴き取れました。第2楽章も本当はホノボノ感というか懐かしいフィーリングを求めたい処をお構い無しに各節カラヤンらしくなだらかに飛び跳ねる様に進むのみです。第3楽章は若干響きが変化した事もあってウネリも加わりトリオ中間は極めてシンフォニックです。最終楽章は第2楽章と共に第1楽章の冒頭主テーマの片鱗を怒涛疾風の如く管主体にBPOサウンドが鳴りきりますが前述のこの曲特有の繰り返し的なものが次第に堂々たる〆へ導いて行きます。確かにタイム的には冗長さは避けている演奏なのですが逆に私が聴きたい曲本質についに触れずじまいだったのは残念です。多分武骨・堂々たるベーム/BPO演奏イメージが私には災いしたのでしょうか。カラヤンの他の演奏としては1946年VPO(@13’10A13’45B8’29C11’33)、1977年BPO(@13’01A13’10B14’15C12’02)とやはり彼の割りには少ないと思います。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/21

    ジンマンと言えば私などは1990年代初めにリリースされたグレッキー「悲しみのシンフォニー」の印象がしばらく続いていましたが、同年代後半から本格的交響曲集の収録に着手し始めこれまでベートーヴェン、シューマン、マーラー、ブラームスと進んで直近では2011〜本年2013年にはシューベルトの交響曲というわけでこれらの演奏記録が正直飛び抜けて評価の高いものとはなってないことは不本意な処でありましょう。若い々と思っていた彼ももう70歳代半ば、シューベルト交響曲集を手がける年齢としては例えばベーム、カラヤン等と比しても決して時期尚早というわけではありません。本盤はそのシューベルト交響曲集の一環で2011年ジンマン75歳の時に収録したシューベルト交響曲の超代表曲第7(8)番「未完成」(タイム@11’37A9’15)で他のレビューにもあります様に元々シューベルトには特に想いの強いジンマンが従来のピリオド奏法を駆使しテンポ速目に衝撃的な演奏を繰り広げております。第1楽章スタートの低音弦を強調して管を不気味に入りこませ・・・聴き始めて只者の演奏ではないとショックを受けました。切り込み鋭く反復してピークへ持って行く不安の煽り方、そして効果的にスピードアップを噛ましてもたれない〆・・・確かにCDのオビにある「これまで聴いたことがない、凄絶な「未完成」交響曲」となっております。第2楽章は出だし割とトントンとした調子で速く進みます。管の歌わせ方に修飾的な遊びがあり面白いですが第1楽章よりピーク付近はマイルドに感じました。しかし油断していると全奏・強奏では必ず何かの仕掛けがありクロージングへは穏やかに段々と下って行きます。全体としてやはり「未完成」交響曲の美しいロマン性を払拭させる随所での綿密な諸仕掛けは一度聴くことをお奨めします。チューリヒ・トーンハレOコンサートマスターのヤンケ(収録時28歳)がVを受け持つ「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド」(タイム14’38)、「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲」(同10’09)、「ヴァイオリンと管弦楽のためのポロネーズ」 (同5’57)は何れも私は曲として初耳に近いのですが、カップリング先発の未完成交響曲の衝撃的な雰囲気とは全く別世界の穏やかな展開がこのCD曲構成に硬軟というか明暗効果をもたらせてはおります。まぁ、ヤンケの存在確認トラックでもあるのかなとも思いました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/20

    1989年DGに移籍してきたデュメイとピリスによる録音活動はモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス等々代表的なVソナタの名演を残しております。どちらかと言えば大柄なデュメイの超絶的な技巧をベースとして情熱が迸らん限りの演奏と小柄なピリスの繊細で透明感溢れる演奏が絶妙の効果をあげているケースが多いものと受け止めておりました。そこへPトリオという新ジャンルで1990年代初めから録音活動に入りDG専属となった中国出身のチェリスト・J.ワンが加わっての本盤はブラームスのPトリオ第1番(1994年録音、タイム@15’15A6’32B9’12C6’44)、第2番(1995年録音、同@9’57A8’14B4’33C6’00)であります。ピリス50歳、デュメイ45歳、ワン26歳の頃の録音で先ず何か既に出来上がった二人体制にワンがどれだけ溶け込んで行くかがマア中国人だけに興味の的にもなったのですがあくまで曲は建前上P主体でありピリスの前述の特徴プラス知的なシャープさを支える側の弦でありワン自体比較的冷静で余裕があるのかそうした役回りに徹しているのはまだこのトリオでは一番若いけれど苦労人だけのプロだなぁと思いました。例えば第1番はブラームスの若い頃の作品だけれど晩年改訂で手を加えたこともあって若さと老いの感覚がブレンドされた処とマッチして馥郁たる味わいで仕上げられています。第1楽章から豊かな雰囲気で熱気を孕みつつ決して崩れずロマンチックな色合いの高ぶりをプレイヤー三者が個性をぶつけ合うというより集中力をもって一心同体で仕上げていくと言った感じは先の東京の方のレビューにある通りだと思います。ワンの健闘もあり最高ランクに値いしましょう。もう六十歳半ばのデュメイは我が地元関西でも指揮者としてお馴染みになっておりますよ。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2013/06/19

    アバド指揮によるベートーヴェン交響曲第7,8番と言えば1960年代後半にDECCAに録音したVPO盤の第7番(1966年録音、タイム@13’10A9’47B10’06C9’02)、第8番(1968年録音、同@8’58A4’05B4’47C7’35)が私などの世代では30代アバドの若さの迸った演奏で新鮮だった事を覚えております。その後アバドのベートーヴェン交響曲に関してはVPOそして二度のBPOとの全集盤がリリースされており、ワーグナーが「舞踏の神化」と称揚したディオニソス的ともいえる第7番、同時期に作曲された愛らしいユーモアさえ感じさせる古典的で小規模な第8番という好対照をなす二曲についてはカップリングの為かアバド演奏分でも頻繁に引き合いに出されます。本盤は上記の各全集分の内BPOとの一度目の分で第7番(タイム@13’22A7’55B8’46C8’08)が1999年収録、第8番(同@8’41A3’54B5’30C6’58)が2000年収録と夫々なっております。この頃アバドは66〜7歳でBPO責任者として色々苦労に加え体調不振も抱えていた時期である事と本演奏がベーレンライター版によるものなのかそれまでのBPOの重厚なアプローチとは異なった印象を持ちました。演奏が「響き軽い」のかどうか私などにはわかりませんが第7番では第1楽章冒頭ソフトな当りで厳めしさは皆無、だらける寸前で主部に突入しつつ管楽器の微妙さも一応聴かせます。第2楽章も粛々というより柔らかい肌触り、変奏形式なので音量を抑制したりして変化をつけます。第3楽章も抑えた音から上げていく過程もこの勇ましい交響曲に繊細さを見る思いです。最終楽章は酒精神バッカスの踊りの如く繰り返しの「しゃくりあげ」の陰影から〆へは前のめり気味に畳み込んで行きます。私自身はこのアプローチでは第8番の方に軍配をあげました・・・第1楽章切れの良い古楽器演奏のような感じで時には速いテンポが活きた様です。詰めの盛り込み流しが素晴らしいです。続く楽章はやや表情をきつく強調します。第3楽章のトリオ部分のホルンの線太さ、前後のティンパニーのきつさが逆に美しいです。最終楽章もフレーズの工夫と共に割りと厳しく展開しますが・・・正直ちょっと退屈気味に感じた処も・・・。追加情報で他のDG全集からの両曲タイムをメモしておきますね・・・VPO指揮分第7番(1987年録音、同@14’30A8’37B9’03C8’56)、第8番(1987年録音、同@9’42A3’53B4’51C7’18)、二度目のBPO指揮2001年ライブ分第7番(同@13’34A7’38B8’58C8’12)、第8番(同@9’21A4’13B5’48C7’12)。又、非正規盤では1984年LSOを振ったものもある様ですが詳細未確認であります。ただ何れの演奏もかつて聴いていた低い重心のベートーヴェン交響曲演奏とは趣きを脱してはいるもののアバド自身強烈な個性で引っ張って行くスタイルではない為か・・・ちょっと巧く言えませんが・・・何か年々歳々的演奏に止まって・・・可もなく不可もなくといった辺りに収斂してしまいました。向上音質には注目でしょうか。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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