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oni-bikkuri-syakkuri さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2017/11/16

    このゼンパーオーパーエディションと言うシリーズ、すごいです。このケンペ指揮ドレスデン国立歌劇場演奏の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は1951年録音という今から66年も昔の録音ですが、信じられないほど音が鮮明でヴィヴィッドそのものです。当時のモノラル録音の認識が大きく覆されました。一部の並みのステレオ録音の薄っぺらい演奏に比べたら、よほど感動的な演奏で、非常にクオリティの高いサウンドです。一部入力レベルが高いピークでやや音が割れる箇所も無きにしも非ずですが、全体としては非常に満足のいくハイクオリティな演奏と音質です。今まで古いモノラル録音は音質面の不安から敬遠して来ましたが、この年代でこれだけ鮮明な音質であれば、ケンペとドレスデン、そして当時の一流歌手たちによる素晴らしい演奏が、文句なしに楽しめます。特にフェルディナント・フランツのハンス・ザックスは、クナッパーツブッシュのバイエルンでのライブでも聴けますが、圧倒的にこちらのケンペ・ドレスデンのほうが完成度が高く、理想的なハンス・ザックスが聴けると感じます。ベルント・アルデンホフのワルター・フォン・シュトルチングも、他の歌手のような変な力みもなく、とても自然な歌唱で好感が持てます。ライブ録音ではなくセッション収録なので、歌手の声はオンマイクでくっきりと聴こえ、オケとのバランスも言うことなしです。ケンペファンならずとも、音質重視派のクラシック好きには魅力があると思います。

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     2017/11/16

    このゼンパーオーパーエディションと言うシリーズ、すごいですね。このケンペ指揮ドレスデン国立歌劇場演奏の「魔弾の射手」は1951年録音という今から66年も昔の録音ですが、信じられないほど音が鮮明でヴィヴィッドそのものです。当時のモノラル録音の認識が大きく覆されました。一部の並みのステレオ録音の薄っぺらい演奏に比べたら、よほど感動的な演奏で、非常にクオリティの高いサウンドです。一部入力レベルが高いピークでやや音が割れる箇所も無きにしも非ずですが、全体としては非常に満足のいくハイクオリティな演奏と音質です。今まで古いモノラル録音は音質面の不安から敬遠して来ましたが、この年代でこれだけ鮮明な音質であれば、ケンペとドレスデン、そして当時の一流歌手たちによる素晴らしい演奏が、文句なしに楽しめます。ライブ録音ではなくセッション収録なので、歌手の声はオンマイクでくっきりと聴こえ、オケとのバランスも言うことなしです。ケンペファンならずとも、音質重視派のクラシック好きには魅力があると思います。

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     2015/11/14

    肝心のDOBの演奏は、このオケにしては珍しく雑で粗っぽく情感のかけらもない。不慣れな難曲のためか必死さのみが伝わってくるようで、少々残念。どういう訳か、「ダナエの愛」は映像・音声ともに市販のソフトが極めて少ない。この映像で助かったのは日本語字幕があったことで、はじめて見るこの興味深いオペラを理解するうえで大いに参考にはなった。ブルーレイのほうは、日本語字幕の説明が明記されていないのだ。また、キルステン・ハームズという女性による演出は、わかりやすく共感を持てるものだった。ユピテルが金の雨に姿を変えてダナエを抱くという幻想的な話しは具体化・映像化しにくいものだと思うが、ここでは天上からパラパラとこの美しい曲の楽譜が舞い降りてくるというアイデアで、うまく演出している(R・シュトラウスの楽譜=金(cash)の雨ということだと思う)。本来ならここの演奏もさぞ美しいのだろうが、DOBの演奏は上記のように雑で粗っぽさが目立ち、残念な印象だ。二幕では、ユピテルの悪だくみでミダスがダナエに接吻をすると、ダナエは金に変わって死んでしまう。ユピテルがダナエを蘇生させ、ユピテルと一緒になって神として豪華な暮らしをとるか、魔力を解いて貧しいロバひきに戻った人間のミダスとの暮らしを選ぶかとダナエに迫る。二幕の最後に金よりもミダスとの愛を選んだ二人は、三幕が開くとユピテルとの夢から覚め、破産して崩れ落ちた邸宅の廃墟で貧しい現実に引き戻される。この演奏で唯一音楽と演出がしっとりとマッチしていて感動に至ったのは、この廃墟のなかで、一幕冒頭でまだユピテルから授かった魔力で触れたものすべてを金に変えていた時にミダスが触れたために金一色となっていた大きな額入りの絵画をダナエがそっと瓦礫の中から引き出すと、それがもとの(クリムトの)ダナエの絵に戻っているという場面で、ここは演奏もなんとか美しく、ほとんど唯一感動できる場面だった。そして最後に一幕で天上から舞い降りて来た楽譜を(「金の櫛」の変わりに)ダナエがユピテルに手渡すと、ユピテルは男版の元帥夫人よろしく身を引いて幕となる。「Joyful Mythology in three acts op.83」とあるように、ギリシャ神話のパロディとして作曲した作品のようではあるが、こうして観てみると本格的で(本来の演奏が良ければ)美しい音楽のオペラであるということがよくわかった。

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     2015/09/02

    2013年夏のザルツブルク音楽祭で「ハウス・フォー・モーツァルト」で収録された「コジ・ファン・トゥッティ」の最新の映像がようやくリリースされました。「コジ」には様々な演出による映像が数多く出ていますが、このような美しい舞台での上演は、見応えがあります。解説にあるように、2013年から3年越しの「ダ・ポンテ3部作」の初回となる上演で、14年に「ドン・ジョバンニ」、15年に「フィガロの結婚」が上演されて、このスヴェン・エリック・ベヒトルフのシリーズが完結します。ベヒトルフはウィーンやチューリッヒなど最近のヨーロッパのオペラ演出では傑出した人気があり、2011年からザルツブルク音楽祭の演劇部門の監督でしたが、最近になって芸術部門の総監督となっているようです。12年のこの音楽祭での「ナクソス島のアリアドネ」などを観ても、才人ぶりが伝わってきます。

    今回の「コジ」では、さほどかき回した大胆な読み替えは抑えているほうで、衣装などは時代がかったコスチュームとなっています。舞台はシンプルではありますが、背景に温室のような大きくラウンドした高い窓、その前に椰子や棕櫚の木をうまく配置して、高級感のある保養地のスパのような寛いだ雰囲気を醸しだしていて、どこかゆったりと聴こえるチェンバロのレチタティーヴォとうまくマッチしています。美しい舞台の要因は、照明の使い方のセンスの良さであることも感じられます。実際に観劇をした際はやや後方の席でしたので、幕があくと小さな円形のプールが中央にあって、そこで姉妹二人を思わせる女性二人が水浴びをしていることまではわかりましたが、二人とも裸であったとは、このアップの映像で観るまでは気づきませんでした。

    歌手は驚くようなビッグネームと言うわけではないかと思いますが、演技も達者で歌唱もまあまあと言ったところでしょうか。思わずため息が出ると言うほどではありませんが、楽しんで聴けました。ウィーンフィルの演奏については、言うまでもありません。モーツァルトのオペラの中でも上演の機会が多い「コジ」は、自家薬籠中のものでしょう。気張らずに寛いで、上質で優雅なウィーンフィルの演奏が堪能できます。

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     2014/11/13

    舞台となる「ガーター亭」を、2013年のミラノの「カーサ・ヴェルディ」に移し替えての演出。「カーサ・ヴェルディ」は、音楽ファンにはよく知られているように、ヴェルディが晩年に自己の資金で、ミラノに建てた引退音楽家の老後の「憩いの家」のことで、ここにはオペラや音楽に身を捧げたものの、機会と成功に恵まれずに老後を迎えることになった音楽家が入居し、支援を受けている。

    舞台が開くと、まずは序曲が始まる前にプロジェクターでこの「カーサ・ヴェルディ」の外観の映像が大写しされ、それが上がると、その建物の内部が舞台となっていることが分かるようになっている。内装や家具やソファなどの調度品も凝っていて、「カーサ・ヴェルディ」のHPのいくつかの動画を観てもわかるように、実際の内装をもとに再現されているのだろう。この演出のうまいところは、あまり深刻で悲観的な気持ちにさせない程度に舞台設定に使うだけで、あくまで喜劇としての軽妙な演出とカジュアルな衣装や美しい照明で、「ハウス・フォー・モーツァルト」の美しい舞台であることを忘れてはいないところだ。ここの舞台は、大ホールほどの横の広さはないが、奥行きはじゅうぶんにあるので、非常に立体的で写実的な美しいセットとなっている。

    アンブロージョ・マエストリ演じるファルスタッフは、チェックのシャツ、真っ赤なユニクロ風のカーディガンに胸元にスカーフにサンダルと言うリラックスした出で立ち。幕が開いて、3分ほど無音の状態で、登場人物の動きで、ここが「カーサ・ヴェルディ」の居間であることが説明される仕掛けになっている。他の人物たちが、お茶か食事かで舞台奥の食堂へ移動し、ひとりソファの上で気持ち良さげに居眠りをしているファルスタッフだけが中央に残され、おもむろに照明が暗転すると同時に、序曲が始まる。ここでもプロジェクターをうまく使って、部屋の内装がユラユラと揺れて、ここからはファルスタッフの夢の中の話し、と言う仕掛けになっているようだ。なので、フォード夫人アリーチェとメグ夫人への二通の恋文は実際に届けられず、ずっとソファの上で夢見心地のファルスタッフの手もとにあり、夢のなかで彼女らに読まれる。

    カイウス医師のレジェーロの歌声で軽妙にオペラがはじまり、マエストリ演じるファルスタッフの美声をはじめ、どの歌手もツボにはまった歌唱と演技で、なかなか楽しい。フォード氏のマッシモ・カヴァレッティも堂々たる歌唱だし、バルドルフォとピストーラの脇役の歌唱もうまい。ファルスタッフと二人の女性の間を取り次ぐクイックリー夫人は、なぜか体格のよいオバさんと言うイメージが強いが、ここでのエリ−ザベト・カルマンは、ウェイトレス姿のミニスカートの露出も厭わず、なかなかの脚線美でファルスタッフに色仕掛けですり寄る。妖精の場面も、下着姿ではあるけれど、いやらしくならずに美しいイメージのままで、オペラの邪魔をしない。フェントンとナンネッタのデュエットもまあまあ。「口づけを二回」では、歌に合わせて黙役の老男女が愛を語らう演出がうまい。全体として、衣装は現代風のカジュアルな感じ(女性達はちょっと古風でエレガントなドレス姿)ではあるけれども、照明や観葉植物などが実にうまく使われていて、ハウス・フォー・モーツァルトの舞台にピッタリな、色鮮やかで美しい印象の映像に仕上がっている。こう言う新鮮な映像で観ると、古ぼけた印象がつよかった「ファルスタッフ」も、なかなか楽しく観ることができた。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2014/07/17

    待ちに待っていました!2013年夏のザルツブルク音楽祭の目玉で上演されたヘアハイム演出ウィーン・フィル演奏の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の映像はユニテルのリストにも載っていて、音楽祭のHPでも2014年以降、順次発売予定となっていましたが、カウフマンの「ドン・カルロ」は早々に商品化されていたのに、この「マイスタージンガー」の映像はいつになったら発売してくれるのかと、首を長くして待っていました。2012年の同音楽祭の「ナクソス島のアリアドネ」も今年3月発売予定が延び延びになって、その後もかなり待たされましたが、どうかこの映像は予定通り8月に発売されますように!

    さてこの舞台は実際ザルツブルクの舞台で観ましたが、ウィーン・フィルと歌手の素晴らしい演奏はもちろんのこと、凝りに凝ったヘアハイムの演出が本当に面白い、目から鱗が落ちるような楽しくてカラフルで楽しい上質の舞台に仕上がっています。バイロイトのカタリーナ・ワーグナー演出の「マイスタージンガー」はその斬新さで、奇天烈な面白さはあったものの、やはり相当に賛否がわかれました。今回のザルツブルクでのヘアハイムの舞台でも、この天才が今回はどう料理してくれるか、楽しみでしたが、時代設定をワーグナー当時の19世紀風の衣装と美しいビーダーマイヤー調の家具で統一し、まずはその点で保守派からの拒絶反応をうまくやり過ごしているようでした。その上で、ザックス=ワーグナーとし、この手の込んだ舞台を、ザックスの見た「夏の夜の夢」として、メルヒェンとして描いています。詳しくは映像を観てのお楽しみですが、「子供の不思議な角笛」をベースに、登場人物がペンほどの大きさのおもちゃの兵隊か妖精のように矮小化されて、本やライティングデスクの上でコメディのような演技(「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は実際ワーグナー唯一のコメディ)を繰り広げます。白雪姫や髪長姫にカエル王子、さてどこまでわかるでしょうか?

    舞台装置も驚くほど凝っていて美しく、衣裳もクラシックではあるけれども洒落ていてカラフル。いままでの「マイスタージンガー」の素朴な民衆劇と言う印象の舞台とは、ひと味もふた味も違った楽しいエンターテイメントに仕上がっています。それでいて、演奏はガッティ指揮のウィーン・フィルで本格的。本家のバイロイトとはひと味違う贅沢な「マイスタージンガー」で、お勧めです。歌手はミヒャエル・フォレのザックスが安定感のあるところ。正直言って他の歌手は超一流とまでは言えないが、若手ながらポーグナーを演じるゲオルグ・ツェッペンフェルトの深いバスの美声は聴きもの、ウェルバ演じるベックメッサーも好感の持てる演技だった。ウィーン・フィルの演奏で言えば2008年のティーレマン指揮の演奏がDVD化されていて、がっしりとした音楽の構築感で言えばそちらを推す人が多いかもしれないが、それでもウィーン・フィルの直近の素晴らしい「マイスタージンガー」の贅沢な演奏であることには違いはないと感じます。

    この年には、他にもハウス・フォー・モーツァルトでスヴェン・エリック・ベヒトルフ演出の「コシ・ファン・トゥッティ」(C.エッシェンバッハ指揮)がユニテルで映像化されていて、こちらも印象的な美しい舞台だったので、是非とも早く商品化されることを望みたい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/02/16

    この「ナクソス島のアリアドネ」は、珍しく初演時の形式を踏襲してモリエール原作、ホフマンスタール台本による芝居にR・シュトラウスが付随音楽を付けた「町人貴族」と、その中の劇中劇として上演されるオペラとしての「ナクソス島のアリアドネ」を、通しで上演されています。また、単に「初稿版」の復活上演という意味だけではなく、演出家のスヴェン・エリック・ベヒトルフが更に手を加えて、この2012年夏のザルツブルク音楽祭のためのオリジナル・バージョンとして制作した、かなり独自色の強い舞台であると感じます。

    それは第1幕冒頭でいきなり「ホフマンスタール」自身を、伯爵夫人とのロマンスの架空の当事者として、この芝居の狂言回し役に登場させていることを見ればわかります。この役者さんは、これに加えて「伯爵」の役と、「音楽教師」の役の3役を同時進行で演じますので、少々複雑です。すべてはベヒトルフの化身と考えられるこの「ホフマンスタール」が、”Imagine like this.... ” のように舞台を展開させて行くと考えるとわかりやすいと思います。実際のホフマンスタールの台本自体を読んだことはないですが、この舞台を観るかぎり、そうのように解釈できました。

    貴族に憧れる成金の町人貴族ジュールダン役のコルネリウス・オボーニャのコミカルだけれど、どこか人間味のある演技は秀逸。執事長に小ばかにされながらも、歌やメヌエットのお稽古、フェンシングのお稽古を披露したり、慣れないバレエのレッスンを受けたりで、観ていて少々気の毒なくらい七転八倒の熱演。

    舞台や衣装も古風ながら美しく、色使いもきれい。比較的小編成のウィーン・フィルの演奏は、室内楽的で実に優雅で上品。R・シュトラウスの複雑な音符も、どこまでも美しくウィーンらしく聴こえます。主役の3人の歌手はもちろん、3人の妖精やツェルビネッタ一座の面々もなかなかの出来映えです。日本語の字幕が無いというのは、残念ですね。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/01/14

    歴史的な名盤である事は間違いない。HMVレビューの通り、演奏はすばらしい。せっかくのその名演を、DGの音が台無しにしている典型。クライバーたっての希望でのSKDとの録音だったのに、残念な音質だ。レンジが狭く、団子で疲れる音。シャルプラッテンの音をDGが変にいじらずに、そのままで出してくれていたら、と思う。返す返す、名演奏なのに、もったいない。。。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2014/01/14

    「ワルキューレ」の冒頭で顕著なように、全体的に粘り気の薄いテンポが特徴的だとは思いますが、それを理解したうえで聴けば、何よりもCDとしての音質の素晴らしさに圧倒されます。濃厚で古風な油絵のような印象ではなく、大画面HDハイビジョンの美しい映像を観る印象です。現代のステレオ再生環境で聴ける音質としては、最高レベルではないでしょうか。DGに良く聴かれるような、狭いレンジに押し込められたような窮屈な音の印象とは、真逆の印象です。SKDの迫力と繊細さを兼ね備えた素晴らしい演奏を、あますところなく聴かせてくれます。この時期のルカ教会での録音もの特有の豊かな音場感と、立体感があり芯のあるサウンド、一音一音の粒立ち、各楽器の細部の表現まで、実にクリアで見通しの良い音づくりに脱帽です。当時のSKDとしても、カラヤンとの「マイスタージンガー」、クライバーとの「トリスタンとイゾルデ」に続く、西側資本との共作というビッグビジネスの大型プロジェクトだったことは間違いないはず。しかしながら、当時としては、手堅いとは言え、(失礼ながら)それらに比すと名劣りのするヤノフスキー指揮となったのには、何らかの事情があったのではないか、と推察せざるをえない。これで巨匠級の指揮者だったとしたら、今ごろまったく違った「売れ方」をしていたに違いない。そんな事に関係なく、いまこの価格で、この高音質な録音の全曲盤「指環」を聴けるのは、ありがたい。唯一難点は、ディスク交換のため演奏の途中で、ずいぶん無神経に突然曲が切れてしまうこと。

    6人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2013/12/08

    ギーレンについては、1992年にスタジオ録音された南西ドイツ放送交響楽団とのベートーヴェンの第5交響曲(カップリングは86年の第6番)を聴いて、心底ぶったまげた記憶がある。まるで宇宙人がベートーヴェンの楽譜をはじめて見て指揮をしているような、完璧で確信犯的な異質感が強烈に印象に残っている。

    今回のマーラー5番は、ギーレン41歳の時のキレキレの演奏が聴けて、実にユニークだ。まるでスピーカーとスピーカーの間の壁に楽譜が大写しされているような印象の、非常に分析的な指揮ぶりだ。実際、そんな事を思いながら聴いていたら、第3楽章の2分20秒を過ぎたあたりで、ぺらりと楽譜をめくる大きな音が収録されている。各楽器、弦と木管、金管、打楽器それぞれが全然溶け合うことなく、鮮明に聴こえてくる。普通クラシックのレコードやCDと言うのは、各楽器の音や演奏を、「雰囲気」や「バランス」という膠(にかわ)で捏ね混ぜ合わせてキャンバスに塗り固めて、製品化したものだ。その時点で、「鮮度」が犠牲にされるが、このCDは実に「鮮度」ピチピチという印象だ。魚で言うと、普通はいろんな魚の切り身やすり身を大きな鍋でぐつぐつと煮て、その出汁のうまみが「コク」のある味わいとしてのカギとなるわけだが、この演奏は真逆で、とれとれピチピチの新鮮な魚の刺身をわさびと醤油で、あるいは上ネタのすしを食べているような印象だ。これは録音技師と製作者の好みの問題だけでなく、指揮者ギーレンの意志と指向性がはっきりと刻まれていると言えるだろう。非常にユニークで際立った指揮ぶりなので、好みのわかれるところだろう。ワルターやバーンスタインには絶対ありえない、ある意味で作品を突き放した印象の演奏だ。

    ひとつ残念なのは、マイクの感度が高いためか、ホワイトノイズのようなライブ収録特有のノイズが入っているのだが、そのノイズリダクションのやりかたが荒っぽく、弱奏部分がブツブツ途切れることだ。とくに、非常に繊細な第4楽章のアダージェットの冒頭と終盤でもこの現象が起こっていて、この楽章を台無しにしてしまっている。ここは収録ノイズはそのままにしてでも、最弱奏を犠牲にしてはいけないところだ。原盤自体がそうなってしまっているとしたら、取り返しようがないが。

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     2013/12/06

    今から50年以上も前の、日比谷公会堂での実況録音です。音質はややデッドに感じますが、決して貧弱な音ではありません。商売っ気がないのか、あまり前面に打ち出していませんが、なんと32ビットでのリマスタリングです。このCDの内容を真に楽しむには、そこそこの再生環境が必要かもしれません。その上で音量も普段より幾分大き目で再生すると、その情報量に驚かされます。音場感、音の奥行きもたっぷりあり、演奏の細部もしっかりと収録されています。2楽章のティンパニーの強打もクリアに収録されており迫力十分。とても50年も昔の録音とは思えない音質で、ゲヴァントハウスの芯の太い重厚で味わい深い演奏が楽しめます。第9は結構長いと感じることも多いのですが、この演奏はそれを全く感じさせません。どうしようか迷いましたが、購入して正解でした。ところで、この当時30歳くらいでこの演奏に接した人は現在80歳以上。戦後も1956年のウィーン・フィルの来日(ヒンデミット指揮)や1957年のベルリン・フィル(カラヤン)の来日を皮切りに、日本でも豊かな音楽文化を享受できるようになったのが実感されます。こんな渋い音の時代のゲヴァントハウスを聴けた人は幸せですね。

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     2013/12/05

    ケンペのCDは初めての購入なので、以前のヴァージョンの音質との比較はわからないが、すくなくとも同時期1970年代初頭の西側のDGやEMIやRCAなどの旧作のCDの音質とは比べ物にならないほど、ずば抜けて高音質なCDだ。

    シャルプラッテンのルカ教会での録音と言うだけでも安心して聴けるうえに、今回のリマスターの成果か、各楽器の細部までの演奏の見通しが実にクリアーだ。帯域も高音から低音まで無理なく有機的に聴こえ、シャープなところはより鮮明に、艶やかなところはしっとりと、大変ひろい音場感のなかで、立体的で分厚いサウンドとなって体感できる。とくにオーボエやクラリネットの高音部の伸びの良さ、弦の倍音の分厚さ、低弦とティンパニーの音圧の迫力は凄いし、トライアングルやグロッケンなどは目の前に見えるように聴こえる。

    このところ70−80年代のシャルプラッテンの作品にはまっているが、ちょっとこの深みからは容易に脱するのは難しそうだ。これを聴くと、以前よく聴いていた西側の名盤と言われるものが、いったい何だったんだろうかと思えてくる。演奏は素晴らしくても、その良さが伝えきれていない製品が多かったと感じる。つくづく、「雰囲気」で聴いていたんだなぁ、と思う。世間でよく「名盤」とか「愛聴盤」とかで取り上げられていたものでも、多くはそのような印象だった。

    とにかく、今までと同じ装置で聴いているとは思えないくらい音質が向上しています。

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     2013/11/26

    クラウス・フローリアン・フォークトの最新の「パウル」の映像と歌声、カスパー・ホルテンの演出(セットはエス・デヴリン)をこころ待ちにしていたので、その点については文句なく素晴らしい。ちょっとこの人の歌声は、同じテノールと言っても今までには存在しなかった、天国的な響きとしか言うことができない。ふくよかとか、ソフトとか少年的とか、言い古された言葉で表現できない。ただ単にヘルデン・テノールと言うだけではないのだ。某評論家氏がうまく言っているように、まるでどこか別の異次元から降りおりてきたかのごときの美声なのだ。

    また、セットも期待通り、非常にヴィジュアル的なものだった。舞台の左右に立体的で巨大な書棚をしつらえ、そこに様々な遺品を置き亡き妻への祭壇としている。鋭角をうまく使った遠近法の手法で、非常に視覚的な効果だ。中央のブラインドが開く二幕目では、夜のとばりが下り、ほんのりと灯りのともった各窓辺も美しいブリュージュの街並みがミニチュアで再現され、幻想的だ。

    マリエッタのカミッラ・ニルンドも強力な歌唱だ。しかもこの声量での持続的な歌唱が要求される、パウルに劣らず難役である事を、観ていると感じる。何より容姿も優れているし、演技もうまい。フランクとピエロのマルクス・アイヒェは、どこかで聞いた名前だと思っていたが、バイロイトでパン屋のフリッツ・コートナーをやってた人だ!と思い出した。フランクよりピエロの場面のほうが、より聴かせどころのようだ。マリーは歌の無い女優が演じているが、痛々しいくらいの感情移入でこの役柄になりきっていて、このオペラの悲しみを際立たせている。

    さて問題はオーケストラだが、フィンランド国立歌劇場の演奏は初めて聞いたが、何の予備知識もないのであっさりと言うが、これは少々残念であった。ミスが多く繊細さに欠け、演奏もうまいとは言い難い。また、映像編集的にも、重要な場面にも関わらず部分的に別テイクで撮った映像が非常に無神経にぶつぎりで挿入されていて、興ざめする箇所が何か所もある。フォークトのヘアスタイルがエッ?と言うほど明らかに違うし、画質もおかしい。終演後のカーテンコールも映像と拍手の音声が明らかに合ってなくて興ざめだ。

    なお2014年3月の東京新国立歌劇場で、同プロダクション(歌手は異なる)での「死の都」が上演される予定らしい。

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     2013/11/21

    ティーレマンとドイチュ・オーパー・ベルリン(DOB)管弦楽団の新譜が早速届いた。ベルリン・フィルやウィーン・フィルのクオリティには届かなくとも、DOBのように普段着の感覚で聴ける演奏をつね日ごろから耳にし、数を体験していることも重要だと思う。あえてAクラスとするが、このクラスのオケでも、十分感動的な演奏は体験できる。ある意味、これが普通に上質な演奏で、逆にVPOやBPOのクオリティの高さがスーパーであって、非日常的なのだ。それらしか聴かないと言うことのほうがむしろ不自然だろう。もちろん探すまでもなく、キズやアラはいくらでもあるが、むしろライブ感と思ったほうが、自然に聴けるのではないか。にしても、このライブ録音は、咳がひどすぎる。ライブの録音はいくらでもあるし、客席のノイズや咳が気にならないCDがまったく無いわけではないが、このCDは、ちょっと度を越えてひどい。冬にウィーンやベルリンでのコンサートには何度も行っているが、こんなにひどい咳だらけのコンサートは体験したことがない。

    特にこのCDでひどいのは、「ローエングリン」一幕前奏曲の終わり。まさかこのタイミングで?!と言う絶妙さで大きな咳ばらいが入っていて、大切な余韻をぶち壊している。もはや演奏妨害?と思えるくらい。きっとステージ裏に引っ込んだティーレマンは、椅子でも蹴っていることだろう。「トリスタン」前奏曲の冒頭でも同じ。もう、嫌がらせとしか思えない。それは別にして、演奏のほうは、上に述べたように、BPOのように完璧ではない。一曲目の「リエンツィ」序曲の冒頭からして、縦の線は相当バラバラ。でも、それを気にしなければ、金管の咆哮などは、爽快で迫力がある演奏だ。ティーレマンは、相当好き勝手にやっている。「タンホイザー」序曲の金管の主題のフレージングなどは、かなり違和感を覚える。ライブではこれくらい演出過剰なほうが印象に残るのはわかるが、録音で聴くとやはり違和感のほうが大きい。終盤のテンポなどは、劇的な印象を超えて、ちょっとやりすぎに思える。これと近い時期にウィーン国立歌劇場でやった「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のDVDでは、いたって真っ当で素晴らしい演奏をしているのと、対照的だ。こうした点が、評価の分かれるところなのだろうと感じる。

    咳ばらいのノイズと多少の演奏のキズに目を瞑れば、音質はいたって良好で、迫力のあるDOBの演奏が楽しめる。それにしても、2004年の録音にしては、発売のタイミングがこれほど遅くなったのには、何か理由でもあるのだろうかと、気になるところだ。

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     2013/11/19

    他の全集のようにエグモントやコリオラン、レオノーレやフィデリオ序曲などは入っていませんが、シャルプラッテンの素晴らしい録音で、渾身の演奏が高音質で楽しめると思います。求めやすい価格と言うことだけではなく、音楽的なクオリティも高く、アナログ時代完成期の名門ドレスデンシュターツカペレの演奏と言う意味でも、価値が高いのではないでしょうか。個人的には8番がお気に入りで、聴き比べに持って来いの曲だと思います。第二楽章などは淡々としていて茶目っ気たっぷりで、小刻みな音符で最後に唐突に終わるところなど、ベートーヴェンが楽団員を見つめてニヤッと笑っていそうな感じ。第3楽章の、ファゴットののびやかで鄙びた主題の明快さ。第4楽章では早いテンポでこれでもかと言うくらい細かい弦の刻みが目まぐるしく強調される。この細かな弦の刻みが、他の録音よりもこのブロムシュテット+ドレスデンシュターツカペレ盤は別次元のように微細なところまで、目に見えるかのようです。ほどよくタイトにひきしまったティンパニーの、伸びのある豊かで迫力ある響きが極めて明瞭で、まるで頭上から立体的に聞こえてくるよう。各楽器の一音一音の粒立ちが、単に明瞭に聴こえるばかりでなく、それでいて全体としてバランスのとれた、躍動感溢れる素晴らしい演奏です。また、5番の第3楽章は使用している版が通常と違ういわゆる「ギュルケ版」で、あの唐突なコントラバスではじまる印象的なリズムのトリオ部分が、二回繰り返されます。そのコントラバスのズッシリと重量感のある、まさにヘビー級の演奏も強烈なインパクトで、これを聴くとほかの録音の同じ箇所が、もの足りなく感じます。通常はそこの繰り返しなしでで、5分半くらいの演奏ですが、本作品とスイトナーのベルリン・シュターツカペレの録音のふたつは、リピートがあるので8分53秒(ブロムシュテット)、8分48秒(スイトナー)と、たっぷりと聴けるのが大きな違いです。この部分が好きな人には、これはお値打ちです。

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